想いは言葉を越え、形代を為す
石造りの宿の食堂には、焼きたての黒パンと、香ばしい肉スープの匂いが漂っていた。窓の外には王都特有の朝の喧騒が広がっている。
「ふぁぁ……」
ガンバは椅子に腰かけながら、大きく伸びをした。
「よく眠れたか? あまり落ち着かないかと思って、ほどほどの宿にしておいたが」
シグルドの財力なら最高級の宿も取れたが、普段とあまりにかけ離れた環境では逆に疲れが取れないと考え、意図的に程よい宿を選んだのだ。
「ええ、都会の宿ってベッドが柔らかいんですねぇ。沈みすぎて抜け出せなくなるかと思いましたけど」
「どんな寝相してんだ、お前は」
二人は黒パンとスープを取りながら、今日の予定を決める。
「防具が出来上がるまで一週間……出来上がりが楽しみですね」
「闇属性の魔力を生かしたローブだな。それにしても、人間で闇属性とは珍しいな」
シグルドの言葉に、ガンバは瞬きをした。
「ドワーフなら珍しくはないんだが……まさか、お前、隠れドワーフってわけじゃないよな?」
「いくら背が低くて太ってても、それはないですよ~」
冗談を飛ばすシグルドにガンバは苦笑する。ドワーフとは人間より背が低く全体的に横に広い体格をしている髭の生えた男性のみの種族である。
「ドワーフと言えば……ボルタさんってドワーフですよね? 初めて見ました」
「ああ、そうだ。アーケル王国ではほとんど見かけんが、あいつは本物のドワーフだな」
ガンバは感心したように息を漏らし、視線を窓の外の人波に泳がせた。
アルセリアの通りには多くの人が行き交っていたが、その中にドワーフの姿は見当たらない。
「確かに見当たらないですね」
「ヴェルガン帝国から出てくるやつは珍しいからな、だいたい一癖ある連中だ」
シグルドは腕を組み、視線を遠くへ投げた。
「観光目当てで訪れるやつですら、ほとんどいないからな」
「あ、そう言えば観光してみたいですね!」
目を輝かせるガンバにシグルドは半眼で見やりつつも、肩をすくめて立ち上がった。
「まあいい、せっかくだ。腹ごなしに町を歩こう」
朝食を終え、二人は宿を出た。外はすでに人と活気であふれ、香ばしい匂いや露店の呼び声が路地に広がっている。ガンバの目が好奇心で輝き、あちこち首を振っては景色を追う──まるで遠足に来た子供のように。
「これ見てくださいよ! 動く猫の置物ですよ、目まで光ります!」
「そいつは夜中に勝手に鳴いてうるさいぞ」
ガンバはあっちへふらふら、こっちへふらふらと完全に観光客状態だ。
「おーい、置いてくぞー」
「ちょ、待ってくださいよ! ほらこれ、シグルドに似合いそうな帽子が──」
「……それは婦人用の羽帽子だ」
ガンバは帽子を抱えたまま、肩を落として視線を床に落とした。羽根がゆらりと揺れ、どこか寂しげに見える。
「ほら、そんな顔するな。こっちに来い」
シグルドが通りの先を顎で示す。視線の先には、賑やかな人だかりができていた。
近づくにつれ、歓声が耳に飛び込んでくる。輪の中心では、大道芸人が大きな玉に乗りながら火のついた松明をお手玉をしている。
「おおっ、すごいですね!」
先ほどまでの顔はどこへやら、ガンバの目はすでに子供のように輝き、大道芸人の一挙手一投足を追っていた。
「こういうのは見たこと無いだろうと思ってな」
「そうですね、村のお祭りでもこんな芸は見たことありませんよ」
芸人が松明を口元に持っていくと観客のざわめきが一段高まった。次の瞬間、彼は口から勢いよく炎を吹き上げる。
「わわっ、魔力も感じないのにすごい炎です!」
「魔法じゃなく、油やら酒を吹き出して火をつけてるんだ。定番の芸だな」
ガンバは感心しながらも、吹き上がった炎にまばたきを忘れる。炎の揺らめきが頬を照らし、その熱がじわりと伝わって来るような気がした。
「ちなみにわしらがやると髭に引火して大惨事になるぞ」
「……実はやったことあります?」
シグルドは苦い顔をして髭を撫でた。
「……ある。昔、酔った勢いでやったが一瞬で髭がチリチリになってな、周りは大爆笑、わしは涙目よ」
「あはは、やっぱり! なんか想像できます……!」
ガンバは堪えきれず笑いながら腹を抱える。
「火傷は魔法で治るんだが髭はチリチリのままでな、いやあ酷い目に遭った」
しみじみと語るシグルドの顔は、笑みの奥に懐かしさをにじませつつ、過去の苦い記憶を反芻しているようでもあった。
「……そんな目で見られても二度とやらんぞ」
「うーん、残念!」
その時、通りの先には香ばしい匂いが漂ってきた。屋台から立ち上る煙が風に流れ、二人の鼻をくすぐる。
「……腹も減ってきたな。そろそろ何か食うか?」
「いいですね! あっちに串焼きが並んでますよ!」
ガンバが嬉々として指差し、炙った肉の香りに惹かれ、二人は“魔炎串焼き”の屋台で串焼きと飲み物を購入する。
「うわっ、これ……辛っ! 舌が燃えてます!」
「辛味は薬草由来だ。身体が温まっていい」
「温まるっていうか、口の中が戦場なんですけど! 火が吹けそうです!」
滝のような汗を流すガンバとは対称的に平然としているシグルドであった。
「一緒に買った飲み物を飲んでみろ、いい感じにあうぞ」
言われるままにガンバが飲み物を口にすると、目を丸くする。
「あ、ほんとですね。甘くて爽やかで、辛さがすっと引いていきます」
ガンバは安堵の笑みを浮かべ、汗を拭いながら串を見つめた。胸に広がる温かさは、辛さの余韻なのか──それとも、傍らにいるシグルドのせいなのか、彼自身にも分からなかった。
「甘いものがもっと欲しくなりますね」
「それなら、あそこだ。首都では名物の氷菓子だぞ」
シグルドが手で指し示すと、ガンバの顔がぱっと輝いた。
「わぁ……! とっても美味しそうですね!」
ガンバは笑いながら頷き、歩調を速める。
「へぇ、かき氷っていうんですね。色んな味があるみたいです」
メニューとにらめっこするガンバ。しばらくしてガンバはリンゴ味を選び、シグルドはイチゴ味を選んだ。
「ひゃっ……! 冷たい! でも爽やかでおいしいですね」
「あんまりがっつくと頭が痛くなるからゆっくり食べるといいぞ」
シグルドの言葉を受けてゆっくりと口に運んでいくガンバ。
「ゆっくり食べると味もよく分かりますね。甘さが広がって……幸せです」
満足げに頷くガンバの様子に、シグルドは楽しげに目を細めるのだった。
「これ、他の味もおいしそうですね……全部頼んでみたくなります」
「やめとけやめとけ、腹壊しても知らんぞ」
シグルドの呆れ声に、ガンバは肩を落としつつも、視線はまだ屋台の方に向いていた。
「ほれ、わしのを分けてやる。口を開けろ」
シグルドは氷菓をひとすくいし、当然のようにガンバの口元へ差し出した。
「え、えっ!? あ、あーん……」
照れくさそうに口を開けるガンバ。
「……イチゴも違った甘さがあって、おいしいですね。はい、シグルドもどうぞ」
ガンバもお返しに氷菓を差し出す。シグルドは一瞬だけ目を細めたが、ためらうことなく差し出されたスプーンを口に運んだ。
「……うむ、なかなかいい味だな」
その口元に笑みが浮かぶのを見て、ガンバの胸は妙に高鳴った。
「お、おいしいですよね! ほら、もっと食べます?」
ガンバは慌てて差し出そうとするが、シグルドに片手で制される。
「食わせ合い競争じゃないんだぞ。落ち着いて食え」
そう言いながらも、シグルドの口元には小さな笑みが残っていた。
「むぅ……じゃあ自分の分を大事に食べます」
やがて氷菓を食べ終えた二人は木のベンチに腰掛け、屋台通りを眺めた。
「……こうして眺めているだけでも、不思議と楽しいものですね」
「日常と言うものは、何の変哲もない時間ほど幸せなものだ」
シグルドの言葉に、ガンバは静かに頷いた。
「……さて、何か見て回りたい所はあるか?」
「んー……そうですね。せっかくですし、ちょっと珍しい品物を見てみたいです」
シグルドは軽く顎に手を当て、少し考える。
「そうだな……古物商辺りなんかはどうだ? 思わぬ掘り出し物に巡り合えるかもしれんぞ」
ガンバは目を丸くして頷いた。
「いいですね! 古い物って、それだけで何か物語を秘めている気がします」
「まあ、大半はガラクタだがな」
シグルドは苦笑しつつも歩を進める。二人は人通りの多い大通りから一本外れた石畳の道へと入った。
「こちらは落ち着いてますね」
「どこもかしこもあの調子だと騒がしくてかなわんからな」
そこは華やかな屋台の賑わいとは打って変わって、落ち着いた空気に包まれている。
「うわぁ……すごいですね。剣に壺に、何だか分からない石まで……」
古物商の店先には、奇妙な飾りや古びた道具が所狭しと並び、通りすがりの客の好奇心を誘っていた。
「不用心に触るなよ。もしかしたら呪われているかもしれん」
シグルドに脅かされても、ガンバは物怖じせず、興味津々に視線を巡らせていた。やがて店の扉を押し開ければ、棚や机に並べられた品々が視線を奪う。
「……?」
やがて、ガンバの視線がひときわ長く留まったのは、一つの大きな指輪だった。
「……何か不思議な感じがします」
指輪は金の台座に深い緑の石が嵌め込まれており、灯りを受けて妖しく輝いていた。
「指輪……嵌まるのか……?」
シグルドの冷静な突っ込みに、ガンバは頬を赤らめて視線を逸らした。
「べ、別に嵌まらなくてもいいんです! チェーンを通してペンダントにすれば立派に使えますから!」
「まあ、おまえが気に入ったのなら文句はない。買ってやろう」
シグルドの言葉にガンバはぱっと顔を明るくした。
「ほんとですか? じゃあ……これ、いただいちゃいます!」
店主に声をかけ、指輪を手に入れると、ガンバはさっそく自分の太い指に嵌めてみる。案外ぴたりと収まり、本人は得意げに指をかざした。
「どうです、嵌まりましたよ!」
「……おい、よりによって左手の薬指か」
シグルドが眉をひそめると、ガンバは頬を赤らめて笑う。
「いや、効果を考えるとここにつけた方が有用なんじゃないかと……」
シグルドは苦笑しつつも、その眼差しにはどこか温かな色が宿っていた。
「それで、その指輪……何の効果があるんだ?」
「愛がアップします」
その言葉に思わず吹き出すシグルド。
「ぶふっ……な、なんだその効果は……。魔力でも上がるのかと思えば……」
「実利的な効果で言うと回復魔法の効果が上がったりしますよ、他にも危険を遠ざけてくれたりとかあるみたいです」
ガンバが指輪を掲げながら説明すると、シグルドは神妙な顔をしながらも、ちらりと指輪に目をやった。
「まあ、それなら役に立ちそうだが、わざわざその指に嵌める意味はあるのか?」
いぶかしむシグルドの声にガンバが胸を張って答える。
「左手の薬指は愛を強める……つまり指輪の効果向上に繋がるんですよ!」
「……まあいい、効果が出るなら左手でも右手でも構わん」
口では呆れたように言いながらも、シグルドの口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。
「……さて、他に欲しいものはあるか?」
シグルドが店内をぐるりと見回しながら問う。ガンバはしずかに首を横に振った。
「この指輪だけで大丈夫です、ありがとうございます」
指輪を大事そうに握りしめたガンバは、入口の方へと足を向ける。外に出ると灯りがともり始めた街は、昼間とは違う賑わいを見せていた。
「ふぅ……街を歩くのは楽しいですけど、ちょっと疲れちゃいました」
「なら、そろそろ宿に戻るか」
シグルドの提案に、ガンバはほっとしたように頷く。夕暮れが迫り、通りの魔法灯が一つ、また一つと灯され始めていた。昼間の喧噪もまだ残っているが、どこか落ち着いた空気が漂い始めている。
「今日は色々見られて楽しかったですね」
「……お前が喜んでるなら、連れ歩いた甲斐もあるというもんだ」
シグルドの言葉に、ガンバの顔はほんのりと緩む。二人はそのまま、夕闇に染まる街を並んで歩き、宿へと足を向けていった。
「ふぅ~、疲れましたぁ!」
宿に戻るなり、ガンバはベッドに勢いよく転がり込んだ。ぎし、と大きな音を立てる寝台に、シグルドは呆れたように眉をひそめる。
「まったく……子供かお前は。街歩き程度でこれとはな」
そう言いながらも、彼の声はどこか優しげだった。ガンバの楽しげな表情に、笑みを隠しきれない。
「……まあ、楽しめたなら何よりだ」
「ふふ、プレゼントもいただきましたしね」
そう言いつつ、指輪を見つめていたガンバがふと思いだいたように起き上がった。
「そうだ、頂き物と言えば呪文書に目を通さないと」
荷物の中から丁寧に包まれた呪文書を取り出すガンバ。その真剣な横顔を見て、シグルドは腕を組みながら苦笑を漏らす。
「まったく……ついさっきまで子供みたいに転がっていたかと思えば、急に学者ぶるとは忙しいやつだ」
「えへへ、こういう時に読まないと、つい忘れちゃいますから」
ページをめくる音が、宿の静かな部屋に心地よく響く。
「うーん、どの魔法にしましょうか……」
ガンバは呪文書をぱらぱらとめくりながら、真剣な顔つきで唸った。
「気になってたんだが、読んだだけで使えるようになるのか?」
シグルドの問いにガンバは首を横に振る。
「いえ、魔法を発動させるための呪文は、人によって最適な形が少しずつ違うんです。ただ、大まかな意味や構造は共通しているので、呪文書を参考にしながら自分に合った言い回しを探していくんですよ」
シグルドは腕を組み、感心したように小さく頷いた。
「なるほどな、それで同じ魔法でも呪文が違ってたりするのか」
「昨日、ヴィクトールさんが『解呪』の魔法を使ってましたが、あれはかなり特徴的ですね」
シグルドは顎に手をやり、記憶を探るように目を細めた。
「……ああ、あの時の詠唱か。まるで商売口上みたいで、妙に耳に残るやつだった」
「そうです、ヴィクトールさんの生き方が強く反映されている形ですね。他にも、好みや価値観によって呪文の形は変わるみたいですよ」
シグルドは感心したように頷き、少しだけ遠い目をした。
「……なるほどな。呪文ひとつにも、その人物の生き方や想いが映るのか」
シグルドの感慨深げな声に、ガンバが続ける。
「そうなんです。だから、シグルドさんがもし呪文を作るなら……きっと人を守るための想いがこめられるんでしょうね」
ガンバは微笑みながら言葉を重ね、左手の薬指にはめた指輪を無意識に撫でた。
「……買いかぶりすぎだろう。だが、もし本当にそうなら……悪い気はせん」
シグルドは静かに呟き、少しだけ優しい笑みを浮かべた。
「せっかくですし、一緒に覚えてみます?」
そう返すガンバにシグルドは首を横に振る。
「いや、止めておく。昔、習おうとした時に言われたんだが、わしの中にある魔王の力の影響で魔法が暴走しやすいらしい」
「……なるほど、それで」
ガンバはしばらく考え込むように沈黙した後、静かに言った。
「まあ、剣ひとつで英雄になれたんですから、十分すぎますよ」
シグルドはふっと笑い、肩を竦める。
「剣しか残らなかっただけの話だ。だが、それで足りるなら……それでいい」
そして、ガンバを見つめて言葉を続ける。
「そして、足りぬものは仲間を頼ればいい。……そうだろう?」
ガンバは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに小さく笑みを浮かべた。
「……そうですね。頼ってもらえるなら、わたしは全力で応えますよ」
その言葉にシグルドも口元をわずかに緩める。
「ならば心強い。老いぼれの剣でも、仲間と並んで振るえるなら、まだまだ役に立てる」
静かな宿の部屋に、二人の言葉が穏やかに染み込んでいく。その響きは、ただの会話以上に確かな絆を感じさせるものだった。