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英雄翁の詩  作者: ジージ
遠く、受け継がれし伝説
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暁を待つ者たち

 ──戦いが終わり、洞窟の空気から血の匂いが徐々に消えていく。シグルドは『治癒』を使うガンバをじっと見つめていた。


「……すまんな」


「謝ることなんて、ありませんよ」


 ガンバはふっと柔らかな笑みを浮かべる。すでにその肩の傷は無くなりつつある。


「……まあ、ちょっと怖かったです。おしっこ漏れちゃうかと思いました」


「ははっ……よく耐えたな」


 思わず吹き出すシグルド。険しい戦いの後で交わされる冗談は、あまりにも場違いで──けれど、それが妙に心地よかった。沈黙の後に訪れる安堵が、自然と言葉を軽くしていた。


「誰かのために生きてみる、あなたの言葉を信じたんです」


 ガンバの言葉に、シグルドは微かに笑みを浮かべた。それと共に手にした剣から紅い輝きは失われていく。


「あ、消えましたね、魔剣。……それにしても驚きです、玩具の剣を聖剣にしたのもそうですし魔剣まで扱えるなんて」


 ガンバは、紅の光が完全に失われた剣をじっと見つめる。今は、ただの鉄に過ぎない。禍々しい紅い輝きも、神々しい聖なる輝きも失われていた。


「……これは元を辿れば魔王の力なのだ。わしは幼い頃、聖剣を破壊せんと襲撃してきた魔王に斬られ、その力に身体を蝕まれ、生死の狭間を彷徨った」


 シグルドの声は、闇の底から掬い上げるように低かった。


「魔王の力を断とうと、わしの両親は砕けた聖剣と命を捧げ、儀式を試みた……」


 シグルドはそっと剣を握り締める。


「砕けた……聖剣……? それに命を捧げたって……」


 ガンバが思わず息を呑み、小さく呟いた。


「以来、魔王の力はわしの心に反応して形を表すようになった。善なる心で振るえば聖剣として。邪なる心で振るえば魔剣として現れる」


 剣を見下ろすシグルドの視線は、どこまでも静かで、そして深かった。


「故にこの力は仲間からはこう呼ばれていた──聖魔(サンクトゥス )()誓剣(インフェルナス)


 そこで言葉を切る。何かを思い出すように、遠い過去の景色を瞼の裏に浮かべていた。


「……普段から感情的になるなとは言われてたんだが、今日は少しばかり、背負いきれないものが多すぎた」


 シグルドの言葉には、自嘲でも開き直りでもない、ただひとつの人間としての率直な心の声がにじんでいた。


「……本音を言えば、あの子の母親に責められたときには、心が折れかけた」


「ええ!? そんなふうには全然見えませんでしたよ、すごく冷静に対応されてたのに」


 シグルドは苦笑し、疲れたように肩をすくめた。


「態度には出さなかったが……あの時、お前が怒ってくれたのは、ありがたかった」


「とんでもなく怒らせてしまいましたが……」


 ガンバが気まずそうに呟く。


「わしの味方をしてくれた、それだけで嬉しかった。心が楽になったのだ」


 穏やかな笑みを浮かべながらシグルドは語る。


「だから、改めてお前に伝えたい。ありがとう」


 ガンバが照れくさそうに笑いながら目を落とすと、そこには白い輝きを取り戻した聖剣があった。


「あっ……聖剣が……!」


「……剣は見ているのだ。わしが、どう生きるかを。何を選び、何を捨てるかを」


 語る声は、どこか遠い祈りのようだった。シグルドは剣を鞘に納め、肩の埃を軽く払い、ガンバに振り返る。


「……行こう、戻るぞ。待っている者がいる」


「はい、シグルド!」


 その声には揺るぎのない信頼があった。

 夜空には雲ひとつなく、月が白く澄んでいる。その光を背に、二人は静かに村への道を歩き出す。その影は、もはや迷いではなく、確かな意志を映していた。




 ──夜も更けた村の広場には、仄かに灯る焚き火の明かりが揺れていた。


 冷たい夜風が吹く中、村の入り口にある見張り台の前で、数人の人影が静かに集まっている。

 その中心には村長の姿があり、その隣には、先に洞窟から解放された人質の村人たちが家族と無事を喜び合っていた。


「まだ戻られんのか……」


 村長が呟いたそのとき、見張り台に立つ青年が目を見開いた。


「英雄翁が戻ってきました!」


 その声に、待っていた人々が一斉に振り返る。


 そして夜道の向こう、白い月明かりに照らされながら、二つの影がゆっくりと歩いてくる。


 歩みは重く、ゆるやかで。だが、一歩一歩に確かな重みと誇りがあった。


「英雄翁、よくぞご無事で……!」


 次々に感極まった声が漏れる。シグルドはその反応にわずかに笑みを浮かべた。


「全員、無事に戻れたようだな……良かった」


 その呟きはただの確認だけではなく、自らを納得させるようなものであった。


「……本当に、本当に……ありがとうございます……!」


 一人の女性が、涙を流しながら頭を下げる。それは洞窟から救出された村人の一人だった。その隣には、小さな女の子がしがみついている。

 彼女は母の腕を離れ、恐る恐るシグルドへと歩み寄る。そして、震える声でぽつりと呟いた。


「ありがとう……えいゆうおう……」


 その言葉に、シグルドはわずかに目を細め、しゃがみ込んで少女の頭に手を置いた。


「……礼には及ばんよ。お母さんが無事で、本当によかったな」


 そう言って優しく髪を撫でると、少女ははにかむように笑って母のもとへ戻っていった。


「英雄翁、重なる戦いでさぞお疲れでしょう。どうぞ我が家でごゆっくりお休みください」


 村長の申し出に応じ、シグルドは静かに頷いた。


「ありがたい、それでは言葉に甘えさせてもらおう」


 その姿を見ていたガンバも、深く頭を下げる。


「それでは私は、家に戻って休みます……今日は、本当にありがとうございました、シグルド」


 そう言ってその場を離れようとしたガンバに、村長が少し言いにくそうな面持ちで声をかけた。


「待たれよ……その……実はお主の家は、先の襲撃で……全壊しておってな……」


 ガンバは思わず立ち止まり、振り返った。


「……え?」


「すまぬ、治療に奔走しておったお主に、すぐには伝えられなかった……」


 その言葉にガンバは目を見開いたまま、言葉を失った。


「英雄翁を招いてもうちにはまだ余裕がある、お主も共に泊まると良いだろう」


「……はい。……では、ありがたく」


 ガンバは深く頭を下げた。その背にシグルドが静かに声をかける。


「今は、ただ休め。夜が明けたらまた歩き出せる」


 その声には、優しさと重ねた歳月の重みがにじんでいた。


 ──そして、村長の案内で二人は村の奥へと歩き出す。

 夜の空気はまだ冷たかったが、そこに漂うのは安堵と、かすかな希望の香りだった。

 村長宅の灯が近づく。

 中に入ると、質素ながら清潔に整えられた一室に、すでに布団が敷かれていた。


「どうぞ、湯もすぐにお持ちしますので身体を温めてからお休みなされ」


 村長が下がると、静けさだけが部屋を包んだ。シグルドは身に付けていた装備をゆっくりと外し、軽く首を回すと骨が控えめに鳴った。


「……歳は取りたくないもんだな」


 冗談めかした言葉に、ガンバが静かに笑みを浮かべて応じる。


「それでも、さっきまであんなに動けていたのが信じられません。私なんて……あれだけで全身が悲鳴をあげてます」


 そう言って肩を揉む仕草を見せながら、ガンバは布団の端に腰を下ろした。


「……昔は鉄の鎧であれぐらい動けたんだがな。今では重すぎて膝が死んでしまう」


「それで、革鎧だったんですね」


 ガンバが納得したように頷くと、シグルドは苦笑しながら革鎧を軽く叩いた。


「これでも充分、身を守ってくれる。何より、動きやすいしな。……もっとも、こいつもそのうち重く感じる日が来るだろうが」


 わずかに眉を下げながら言うシグルドに、ガンバがふと冗談めかして口を開く。


「その時は、いっそビキニアーマーでもどうです? 軽くて、動きやすいらしいですよ」


 一瞬、沈黙。


 シグルドは眉をひくつかせてから、重々しい声で返す。


「わしのような爺がそんなもの着たら、子どもが泣き出すわ」


「ですよねぇ……でも案外、年寄りの色気で新たな道が開けるかも……?」


「やめろ、いたいけな子供に道を踏み外させるな」


 二人は思わず顔を見合わせて、声を立てて笑った。静けさに包まれていた部屋の空気が、ふっと和らぐ。


「……笑うと、身体の節々の痛みも少し忘れますね」


「ああ。笑えるうちは、まだ戦える」


 そのまま二人は、しばらく無言で座っていた。言葉はなくとも、互いの存在だけで心は温かかった。


「さぁさぁ、湯をお持ちしましたよ」


 村長が木桶を二つ抱えて部屋に入ってくる。湯気と共に、ほのかな薬草の香りが広がった。


「すまんな、助かる」


 シグルドが柔らかく礼を言い、桶を受けとる。続いてガンバも静かに受け取り、二人に向けて一礼した村長は、そっと部屋を後にした。戸が閉まり、再び静寂が部屋を包み込む。

 二人はしばし無言のまま、ゆっくりと衣服を脱ぎ、湯に浸した手ぬぐいを取り上げた。温かな湯気が肌に触れ、冷えた体にじんわりと沁みてくる。

 湿った布を肩に当てると、そこには戦いの疲れが溶けていくような、優しいぬくもりがあった。


「ふう……」


 肩に手ぬぐいを当てながら、シグルドはふと隣に目をやった。


 湯気の向こう、手拭いで腕を拭いていたガンバの弛んだ腹が、柔らかく揺れている。皺こそ刻まれているもののその身体は傷もない綺麗なものだ。もう肩の傷も跡形なく消えている。


「……恥ずかしいですよ、そんなに見つめないでください」


 シグルドの視線に気付いたガンバが顔を赤らめる。


「いや、悪い悪い……ついな」


 そう言うとシグルドは自分の身体に目を落とす。刻まれた皺と無数の傷跡は、幾度も死地を越えてきた証だった。年老いた筋肉にはなお硬さが残り、過ぎ去った年月の中でもなお戦士としての形を保っている。


「……まだ、戦えるか」


 低く呟くその声には、どこか問いかけにも似た響きがあった。


 ガンバは湯気越しに彼を見やり、少し意地悪な笑みを浮かべる。


「……『精力』かけましょうか?」


 ガンバの冗談に、シグルドは目を細めた。


「……それを言うか、今」


 シグルドは肩をすくめながらも、目尻にかすかな笑い皺を浮かべた。


「少しは肩の力を抜いてもらわないと」


 ガンバは手ぬぐいを絞りながらそう言い、そっと息を吐く。薬草の香りが再びふわりと漂い、戦場の緊張を遠いものへと押しやっていく。


 ──やがて湯の温度が少し冷めてきたのを合図に、二人は身体を拭き、ゆるやかに衣を身につける。


「……今夜はゆっくり眠れそうです」


 ガンバが布団へと身を沈める。掛け布をかぶる仕草に、どこか子供のような愛らしさがあった。


「わしも寝るか……」


 シグルドもまたゆっくりと布団へ腰を下ろし、長い一日を思い返しながら静かに息を吐いた。


「魔王の五魔具……」


 シグルドは布団の中で、ぽつりと呟いた。目を閉じてもなお、あの紅い魔剣の光と、グラムの不気味な笑みが脳裏に焼き付いて離れない。


「……」


 残り四つの魔具──それらとも対峙しないといけないことは明白だった。今日の戦いは、ただ始まりに過ぎない。

 だが今は、戦いのことを忘れて、休むべき時だと心に言い聞かせる。二人の寝息だけが、夜の静寂に溶け込んでいった。


──闇の中、次なる脅威は確かに息を潜めていたが、今はまだ、束の間の休息が許されていた。

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