夕暮れ聖女の恋占い
「好き」
たった二文字。
言葉に乗せた淡い赤色を、私はそっと両手で包みこむ。
私が住んでいる教会の前。
花瓶にいけるため、庭の彩りを兼ねて植えられた花々を、この手で手折るときのように。
「嫌い」
また二文字。
今度は青くとがった、茨の鎖。
そろえた両手をがんじがらめにして、もう離さないと縛りつける。
痛い、ツラい。
けれどもそうすることで、手の内に秘めた赤に火が灯された。
「好き」
チェリーピンクから、鮮やかなルビー色に。
私の心と同期して、手の平に伝わる熱い確かな想い。
閉じたまぶたと同じく、ギュッと。
包むだけではなく、握りしめて。
固く握った両手は祈りの形。
教会における身廊で、長椅子に座りながら正面に捧げるのは、私の内にある彼への想い。
「天におります、我らが主よ。今日も私の心をお導きください」
三つの色を並べて、神さまに願うのは私自身の心のゆくえ。
いつものように遠く淡く、見ているだけでも良し。
それとも彼の棘に触れてしまい、叱られるとしても、神さまのおもしべしとあらば致し方なし。
もしくは──
「おい、マーガレット。また寝てんのか。昼まで寝てさらにとか、聖女失格だぞ、お前」
想いをこめた祈りの手が、夕暮れ色に。
閉めきり、ロウソクの明かりすらなかった薄暗い教会が、私にとって聞き馴染みのある男性の声とともに、別の色を取りこんでいく。
ゆっくりと目を開いて、固くつないでいた両手もほどき。
彼の声によって背中を押されはしたが、逆らって私は後ろを振り向いた。
開けられた扉から中に入ってきたのは、私とさほど歳が変わらない青年の牧師。
だが整えられた衣服はさておき、その態度は敬虔な信徒からは外れていた。
「……ちゃんと起きてます。クローディオこそ、お仕事はしっかりやって来たんですか?」
「見送りにヘマするも何もあるかよ。罪の告白を聞いている途中に、寝そうになる誰かと違ってな」
彼は牧師クローディオ。
昔からやんちゃで、暴力で訴えかけることも多くて。
聖職者としては失格と思われやすい、はねた黒髪をもつ青年。
そんな彼だが、神さまと聖典の前において、実にらしい癖を持っている。
「そのわりには、ほっぺに怪我が見えますよ。また喧嘩をしたんですね」
「……チッ。酒癖のわりぃ連中がいたんで、イラついただけだ。つうか、お前には関係ないだろ」
「関係大ありです。私の代わりに、多くの来訪者と会うのは貴方です。つまりは顔。女性の顔に傷があるなんて、もってのほかでしょう」
クローディオは、嘘がへただ。
大方、見送っていた来訪者が、泥酔した人に因縁をつけられてしまったため、助けに入ったのだろう。
その方法が、まず暴力というのはよろしくないけれど、心意気は認めたい。
怪我を隠さず、勲章とばかりにさらしているのも、彼なりの気遣いだ。
こんな奴だから、多少の傷なんて物ともしない。
だから気にするな、悪いのはもめ事を起こした自分と相手だけ。
そう物語る立ち姿は大きく見えるも、しかし私の胸中にあるのは心配の色のみ。
「治しますから。こちらに来て、座ってください」
「いらねえよ、かすり傷だ」
「座って、ください」
怪我をした彼への私の心配なんてよそに、クローディオはさっさと教会の奥へ引っこもうとしてしまう。
私の横を通りすぎようとする青年。
でも、微笑みながら念を押してみると、舌打ちを合図に彼は立ち止まってくれた。
「怒ってんのか?」
「いえ、別に。幼なじみがボロボロになって帰ってくるのなんて、いつものことですから」
「怒ってんだろ、相変わらずメンドクセェ奴だな」
字句のとおり、私は怒ってはいない。
ただ少しでも声に圧を持たせないと、クローディオは振り向いてくれないから。
だから足をつかむような思いを、言葉に染みこませただけ。
けっして、危ないことをする彼へ募った不満を、ここぞとばかりに油として塗っている訳じゃない。
「……ったく。ほら、好きにしろよ」
クローディオの口は、今すぐにでも、この場を去りたい一心を紡いでいる。
しかし彼の足は私の方へ向き、隣へ座る体は、根を張るようにしっかりと椅子へ体重を預けていた。
そっぽを向いた青い瞳。
手当てを受ける気にはなったけれど、こちらを見る気にはなってくれない彼に、私は遠慮もなしに右手を伸ばしていく。
腫れたほっぺに触れると、クローディオは顔をしかめてしまう。
強がってはいるけれど、痛いものは痛い。
慣れているだけ、分からなくなった訳じゃない。
だから彼のほっぺに残る、ツラい熱さを引き取るように私が撫でると、徐々に腫れは引いていった。
「聖女の力の無駄使いだ。俺なんかに、こんな上等なモンいらねぇっての」
「いつもそればっかり。傷と病に貴賤はありません。どうしても納得できないなら、これはご褒美と思ってください」
「ハッ! 人殴って褒められんのは、兵士だけだろ」
「ううん。私が褒めたいのは、誰かを助けたことだよ。クローディオ」
もう傷は癒えた。
けれども、彼に触れている時間が終わってしまうのが惜しくて、手が離せなくて。
まだ完治してないないと嘘をついてしまった私を、彼の青い瞳が逃がさないように捉えてきた。
紺碧の青空に似た視線と重なるのは、外から差しこむ夕暮れと同じ橙と紫を混ぜた色。
ルーズサイドテールにしたプラチナブロンドも、それを結う黄色のリボンも映りこみ。
ゆったりとした黒のチュニック姿すらも、たやすく捕まってしまう。
しかし一番目につくのは、かぶったベールの下にある自分の表情。
クローディオの瞳に映る私自身。それはとても愛おしさに満ちたもので、途端に胸が熱くなってしまう。
「でも、それはそれ。罰は受けてもらいます」
「……随分と軽い罰だな。貧弱すぎる」
「そ、それはクローディオのほっぺが硬すぎるというか。これでも、精一杯つねってるんです!」
だから胸の高鳴りを誤魔化すために、私は触れていた手で、青年のほっぺを力一杯つねったみた。
しかし思ったよりも伸びなくて、ぅんーっと、うなり声を上げながら指に力をいれているのに、彼はあからさまに呆れている。
「あー、はいはい。痛い、痛いですよ、聖女さま。これが神の裁きって奴ですね」
「むぅー……! いいですよ、クローディオのバカ。じゃあ本当にツラいやつ、与えちゃいますから」
静かな教会に響く青年の棒読み。
茜色の温かみなんて感じられず、あるのは微妙としかいえない鈍い色。
バカにしてる。
そう思った私は、クローディオのほっぺに触れるのを止め、代わりの場所に意識を向けた。
「後悔、しないでくださいね」
隣り合ったまま彼の側までさらに寄り、両手で取るのは彼の左手。
ゴツゴツとした、男性らしい大きな手を確かめながら握った私は、呆気に取られている彼に笑顔を向けつつ、自分の口元へその手を近づけた。
──薬指の根元に口づけを。
そして抗うことを忘れた彼の左手の内、次に私の瞳が捉えるのは、人差し指の先。
「好きなだけ、食べちゃいます」
小さく口を開くことで隠していた、人は違う鋭い犬歯。
それをカリッと指先の腹へ突き立てると、針仕事のときによく見る、赤い点が現れる。
それを舌で舐めとり、鉄の香りと味を確かめた私は、続けて赤色を生みだす指先を口にふくむ。
「んっ……、おいしい」
わずかなとろみのある液体を舌で転がすと、浮かび上がってくるのはイチゴジャムに似た甘い味。
それは喉に渇きを覚えさせる罪作りな美味しさで、青年の了承を得ずに、私は何度もそれを口にしていく。
しかし歯を立てたときにピクリと眉をひそめただけで、クローディオはなにも言わない。
私のコレを知っているから、受けいれてくれる。
吸血をもって、人の不浄を食らう御業。
神さまから与えられた、人ならざる力を。
「これが罰な訳ねぇだろ、クソッ……」
クローディオの指先から始まって、私と彼には様々な赤が伝播していく。
胸が切なく熱くなって、でも早鐘を打つ鼓動が刻むのは、真逆のリズム。
お互いの顔は火照り、ほっぺどころか、耳まで赤くなっている。
それを相手の瞳で確かめながら、でも、心は静止の青を作らない。
私たちの間で循環する、赤と赤。
巡り巡って、クローディオの血潮がたどり着くのは私の瞳。
夕暮れの色から、輝く柘榴石へ。
人ではありえない変化を体に及ぼしながらも、私の口は青年の手を離さなかった。
「少し濃いかな。痛いところ、顔だけじゃないでしょ」
「大したことねえよ。三人で徒党組まねえと……ッ。何もできねえ奴らの拳なんざ、効くか……っての」
傷も病も、私にとっては血の味で全てが分かってしまう。
すべては不浄を身に取りこむ御業がため。
けれども、毒の瀉血に近い用法で行われる、私の治療行為にも欠点があった。
手で触れた部分を治す、癒しの手。
全身の不浄を血に集め、それを吸血することで心身ともに癒せる奇跡。
今のクローディオの左手には、この二つが同時に行われている。
私の犬歯でつけた傷は、彼の手を両手で押さえているがために、一分も経たずして治ってしまう。
しかし傷の吸血は、出血しなければ効力がないため、何度も噛みつかなかればいけない。
流れる血を舐めとっては、癒える度に歯を立てて。
もっと、もっとって。指だけでは済まない血を欲する衝動を連れ、手の全体にまで私は小さな牙を向けていく。
「……ズルいんだよ」
「なにが?」
もう両手では数えきれないほど、クローディオの左手に噛みついた。
けれども痕はどれも残らず、頬ずりする私の鼻をくすぐるのは、甘味すら感じとれる赤の香り。
あと一齧り。
脱力した人差し指を咥えて、またぷつりと傷をつけていく。
何度味わっても、飽きることのない赤い果実。
やめるタイミングを失い、私はいつまでも彼の左手に集中してしまっていた。
だからこそ、クローディオの何かを我慢する表情にも気づかなかったし。
彼の体が動き出すのも、意識の外のできごとだった。
「俺のが、そんなに好きか。マーガレット」
我に返ると、目の前には青年の顔が、これまでで一番近い場所にあった。
その先は天井で、視線を下におろしていくと、私の体の上から彼の体が重なっている。
クローディオによって、椅子の上に押し倒された。
そんな自覚が理性へ届く前に、口内に居続けた彼の指先の感覚が、頭を沸騰させるほどの熱を生みだしていく。
「あんまり煽るんじゃねえよ、バカが」
青年の左手を握っているのは私なのに、指は私の口を自由にしてくれない。
言葉を話せず、彼の体格に勝ち目がない体も押さえつけられて。
甘くとろける血の味は、当然とばかりに思考の波も巻きこみ、心の底へと流れていく。
抵抗できない。
それどころか、待っていたとばかりに私の口は閉じるばかり。
「好き、ですよ。クローディオの……こと」
体も視線も、そして鼓動も。
静寂に包まれた教会で聞こえるのは、私たちの赤い音だけ。
でも、クローディオは言葉を紡いでもそれ以上はなにもせず。
だからこそ黙ったままな彼に、私はどうにか想いの色をつづっていく。
神さまへ捧げた想いに嘘はない。
幼なじみという身近な友人として、好きだ。
でも、乱暴なことをしているときの彼は、嫌いだ。
そして心の奥に閉じこめていた、この赤い想い。
──告白することで、ようやく心身になじんでいく。
クローディオの左手を押さえていた両手は、包むように。
けれど離すことはなく、このままでいいと受けいれて。
コクリと、私は小さく頷いた。
「……ハァ。冗談だよ、馬鹿が。無防備すぎだっつってんだ。本気に済んじゃねえ」
覚悟を決めた。
なのに続く彼の行動は、私を放心させるものだった。
クローディオは体を起こし、私の口から左手の指を引き抜く。
あっさりといなくなってしまった彼の指に、私は口寂しさを覚えるも、追いかけようとしても全身に力が入らない。
そのまま青年はこちらに背を向けて、教会に帰って来たときと同じく、奥の部屋へ歩いていく。
「第一、俺の好みじゃねえよ、お前なんか。薄っぺらいの抱いても、心配の方が先に来る」
「ねえ、クローディオ」
けっして、こちらには振り向かず。
声だけを私に届けるクローディオは、後ろ髪が引かれているように歩みが遅い。
そんな様子を、顔を横に向けただけで眺める私は、痛むほど激しく鳴っている鼓動の中に、一滴だけ別の色を見出した。
「私のこと、そんなに好きですか」
「嫌いに決まってんだろ。寝言は寝てから言え」
青年は声を上げながら、結局は奥の部屋まで行ってしまう。
彼が戻ってくる様子もなく、押し倒された姿勢のまま、ぼんやりと全身に広がった想いが静まるのを私は待ち続ける。
見上げた天井はなにも変わらない。
だから私は目を伏せて、高鳴り続ける心の声を聞くことにした。
好きか、嫌いか。
祈りで捧げた三色の想い、その内のどれを選びたいのかなんて、言葉にしなくとも私の奥にあるものは決まっている。
「好き」
その一色だけを私は人差し指に塗り、自分の唇を赤色に染めた。
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