習作 - 三題噺①《忘れられた手紙 / 閉店間際の花屋 / 片耳だけのイヤリング》
カウンターの上に、封筒がぽつんと置いてあることに気づいたのは、もう店のシャッターを下ろしたあとのことだった。
閉店前に掃除をはじめた時にはそれは無かったから、さっき、閉店間際に飛び込んできた客のものだろう。
「まだやってますか?」
冷たい雨の夜だ。
もうこんな時間に客がくることもないだろうと掃除をはじめた矢先だった。
学生だろうか、まだ幼さの残る顔だちだ。
傘を差しても防ぎきれなかった雨で、髪やコートがきらきらと光っていた。
「ええ。大丈夫ですよ」
「花束をお願いします」
「プレゼントですか?」
「いえ――お詫びの印で」
少しバツが悪そうな表情を浮かべる。
何があったんだろう、と思うも、そこは客のプライベートなので口には出さない。
「わかりました。色味とご予算を伺えますか?」
「これ! これを入れてください」
客の指さした先には、白いハナミズキの枝があった。
「承りました」
そう応えて、私はハナミズキの枝をバケツから抜き出した。
――そういえば、あの時窓の外に白いハナミズキが咲いていた。
ふと、そんな記憶が頭をよぎった。
十年も前のことだ。
同級生に、あんまり仲良くない子がいた。
どうもその子が好きな男子と、私が仲が良いというのが原因だったようなのだが、何かというと小さな嫌がらせをされたりしたものだった。
あるとき、私が外したイヤリングが片方だけ行方不明になったことがあった。
その子が隠したのではないか、そんな疑いを抱いた――けれど、次の日、その子は事故で亡くなってしまった。
仲が良かったわけじゃない、むしろ嫌いな相手だった。
一緒に撮った写真も無いので、顔だってもう朧気にしか覚えていない。
だけど、その子がそんな形で、急にいなくなってしまったことは、心の奥深くに小さな傷として刻み込まれていた。
あれはちょうど今くらいの時期で、教室の窓からハナミズキがよく見えた。
あのイヤリングは、もう返ってこないのだなと、風に揺れる白い花を見ながらぼんやりと思った。
「出来ましたよ」
花束を渡すと、その客はぱっと花が咲いたように笑った。
この客には、むしろ白いハナミズキよりも、ピンク色の方が似合いそうだ。
――まあ、お詫びの品だそうなので、白い方がいいのだろう。
「ありがとうございます!」
代金をこちらに支払って、花束を受け取る。
雨の中その客のさす赤い傘は、間もなく闇に溶けて見えなくなった。
――封筒は、花束と一緒に渡すつもりだったのだろうか。
必要であれば取りに来るだろう。
そう思って、カウンターから封筒を取り上げる。
カツンと硬い音を立てて、封筒から何かが転げ落ちた。
私はかがんで、床に落ちたそれを拾い上げる。
イヤリングだ。
透明なクリスタルのついた、小さな――
あの時行方不明になった片方のイヤリングも、こんなデザインだったような気がする。
ふと、胸がざわめいて、封筒を開いた。
封筒の中には、一枚だけ便箋が入っている。
その便箋には、一言、「ごめんね」とだけ書かれていた。