9話「まずは婚約相手を決めるところから始めましょう」
「…………は?」
僕は絶句した。
レイチェルが婚約相手を、だと?
促すようにガブリエルの顔を睨みつける。
信憑性のない噂を持って来たのなら、背中の翼を剥いでやるぞと言わんばかりの敵意を込めて。
ガブリエルは顔を青ざめさせて、手に持っていた書簡に再度目を落として、
「あ、改めて申し上げます! 『レイチェル・アラベスクに婚約の意思有り。相手の身分・国籍は問わない』とのことです……!」
と、早口で捲し立てた。僕はすかさず、新調したばかりのマホガニー製のデスクに拳を叩きつける。天の雷が落ちたかのように、縦に真っ二つに割れた。
やってしまった。
せっかく地上で最高級の逸品を見繕って来たのに、また代わりを探してこなければ。
いや、そんなことよりも今は――
「だからさっきからお前はなにを言っているんだ、ガブリエル!!」
「も、申し訳ありません!」
「その手紙に、そんなふざけたことが書いてあるのか! 見せてみろ!」
僕はガブリエルから書簡を奪い取り、荒々しく目を通した。
果たして、文面に記されていたのは、ガブリエルが言ったとおりの内容だった。
おそらくはレイチェルが書いた文章の、これは写しに違いない。
字体が今の人間が用いる物だし、地上のインクを使って書かれたものだ。
つまり、ガブリエルが言っていることは真実……?
「……お前、レイチェルを監視させていたはずだな」
「は、はい!」
ガブリエルが背筋を正し、声を張り上げる。
「この文章以上の内容を把握しているのか」
「も、もちろんです!」
そして、ガブリエルは洗い浚いを話し始める。
最初は僕も与太話や質の悪いゴシップかと高を括っていた。
だが、ガブリエルはレイチェルが自らしたためた同一の書簡を屋敷の使用人に複数手渡すのを見ていたし、そのあと家族にほぼ同じ内容の話をしているところを目撃していた。
ガブリエル曰く、部屋から出て来たレイチェルは家族にこう宣言したらしい。
『お父様、お母様、ヴィンス。私も17になる年頃の娘です。そろそろ婚約相手がいてもおかしくない――いいえ、それどころか嫁入りしてもおかしくない年齢かと思うのですが、その辺りはどうお考えでしょうか?』
レイチェルがそう言った瞬間、居合わせた母親は「あらあら!」と嬉しそうに頬を紅潮させ、一方で、父親と弟はその場で泡を吹いて卒倒したらしい。
「本当にレイチェルは結婚相手を探している……ということか……?」
根本的な話として、レイチェルの言っていることは完全に正しいのだ。
僕のこの世界はまだ歴史的にそれほど文明が進んでおらず、男女不平等な封建社会的価値観が根底にある。
貴族の子女は生まれてから数年が経ち、「まだ死んでないこと」「健康に害がないように見えること」、そしてなにより「男の子供を産めそうなこと」を基準にランク付けがされる。
そして――誰もが政略結婚の俎上に上がる。
強い家と婚姻を結ぶことは、それすなわち一族の繁栄に直結する。
だからレイチェルのように歴史に名を残すのが確実と言われるほどの才女、そして史上の美少女に婚約相手がいないのは有り得ないことなのだ。
本来は。
だが、その無理を通すのが「婚約禁止協定」である。
これはレイチェルが三歳のとき、密かに国内外の有力者達によって結ばれた協定だ。
これによってレイチェルは誰からも婚約を迫られることなく、彼女の意志による自由恋愛を認められていた。
(ちなみに、こんなことになったのは僕がレイチェルに盛りまくった「設定」のいくつかが影響を与えている。僕の作った最強ヒロインであるレイチェルがいつの間にかよく分からない相手と婚約してしまったら困ると考え、僕は彼女に「夫婦の加護」と「純愛の加護」と「茨姫の加護」を与えた。
それらが相互作用しまくった結果、なぜかレイチェルは本来結ばれる予定だったグロリア王国の王子すら撥ね除ける「自由恋愛の権利」を手に入れてしまったのである。本当に困ったものだ……)
こんな協定があるなんてレイチェルは知る由もなかったはずだ。
だが、奇妙だとは思っていたに違いない。貴族の令嬢で、歴史に名を残すような能力と美貌を兼ね揃えた彼女に言い寄ってくる男子が一人もいないなんて有り得ない。
故に、17歳という年齢になり、家族の元に帰ってきたことで改めて「結婚」に対する欲求が湧いてきたと考えることも出来るが――
「いや、そんなはずがない! これはどう考えても僕に対する当て付けだっ!!」
レイチェル・アラベスクがそんな殊勝な理屈で生きているわけがない!
彼女は神である僕の顔面をブン殴るべく、交換条件を持ちかけてくるような不届きな存在だ。
「あ、当て付けというのは……?」
ガブリエルが訊いた。僕は即答する。
「決まっているだろう! レイチェルが本当に結婚したいなんて思うはずがない……つまり、これは婚約相手を求めているんじゃなくて――僕への挑戦状なんだよ!」
「は、はぁ……」
いまいちピンと来てない様子でガブリエルが気のない返事をした。
ダメだコイツは。僕の話にまったく付いてこられていない。
よくこんな調子で執務官の第一席を務められているものだ。降格させてやろうか。
僕は舌打ちをして、愚かな部下に説明してやることにした。
なんて優しい神なのだろう、僕は。
「……最初、レイチェルは言っていたんだ。『隠居するときは結婚も婚約も子供を作ることも一切致しません』と」
この光景はハッキリと僕の脳裏に刻まれている。
今思えば、あのときのレイチェルはあまりに冷静すぎた。このあと自らが『引きこもり』になって、生涯孤独を誓うとは到底思えないほど落ち着き払っていた。
当然だろう。この「歩み寄り」には――始めから、裏があったんだから。
「神座に来たとき、レイチェルはこれを自分から言い出したんだ。僕は物わかりの良い奴だと感心したものだよ。ところが……アイツは神の心を弄んだ!!
レイチェルは初めからこの主張を『裏返す』つもりだったんだ。
逆に言うと、これは――『神さまが条件を呑んでくださらないなら、私は世界に自分の影響力を広げるためならば、結婚も婚約も子作りも、果ては浮気や略奪愛もバンバンします』って言ってるも同然なんだからね! 嘆かわしいにもほどがある!」
言いながら、この話を聞いたレイチェルの父親と弟がすぐさま卒倒したという話に共感を抱かざるを得なくなる。
嗚呼、なんと破廉恥な宣言だろうか。
レイチェルは「神なき世界」に行ったことで、この世界の女子ならば誰でも持ち合わせているはずの貞淑さを失ってしまったのだろうか。
僕が調べた限りでは、あちらの世界は婚前交渉が当たり前の乱倫極まりない価値観が主流らしい。レイチェルは向こうで多くの一般人と知り合い、経験と知識を深めたかもしれないが、良からぬ情報も少なからず取り入れたのかもしれない。
「それは……どうなんでしょうか? レイチェル・アラベスクは婚約するとしか言っていませんし、そもそも人間に貞節さを求めること自体が無理難題なのでは。確かに神族である我々の祖先は倫理の欠片もありませんでしたが、それも遠い昔の話です。我らとはまるで精神の高潔さが違いますからね、人間は」
しかし、ガブリエルはコトの重大さを理解せず、下らない一般論でしか現状を把握できていないようだった。僕は更に言葉を荒げて、
「それは普通の人間の話だろう! レイチェル・アラベスクはその辺の端女とは違うんだよ、大馬鹿者!」
「は、はぁ……」
「もういい! 他に何か報告はないのか!」
「ああ、は、はいっ! 実は先ほどのはレイチェル・アラベスクの直筆書簡の写しですが、実はその後に父であるノヴァ・アラベスク名義で、別の書簡がありまして……」
そう言ったのち、ガブリエルはもう一通、手紙を取り出して、読み上げた。
「『来月、月が満ちる日。諸事情によって先延ばしになっていた我が愛娘、レイチェル・アラベスクの17歳の誕生日を祝うための宴を開催いたします。皆様お忙しいことと存じますが、是非ともご臨席賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
この素晴らしい日を共に祝い、宴の場で交流を深められますことを楽しみにしております。お越しいただく際は、こちらに返信いただけますようお願い申し上げます』……とのことです」
「誕生日……パーティだと?」
「はい」
ガブリエルが頷いた。
「これがグロリア国内だけではなく、どうやら『婚約禁止協定』に参加していた領主の大半に送られたようです。レイチェルは自分に興味を持っている貴族が誰なのか、ほぼ把握していたようですねぇ」
他人事のようにガブリエルが言った。
部下の呑気さに雷の一つでも落としてやりたくなったが、もうそれどころではなかった。
レイチェル・アラベスクは本気で、自らの価値を高めようとしている。
それが僕に――神さまに繋がる唯一の道だと知っているからだ。
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