7話「レイチェルのいる世界」
さすがに一年もの間、姿を眩ましていた年頃の娘がふらっと帰ってきたら、私にダダ甘のうちの両親だとしてもさすがに怒るだろうな、と思っていた。
というよりは、怒って欲しかった……のかもしれない。
普段怒らない人がそれでも怒るということは、それだけ本気で私のことを心配してくれていた証拠でもある。
私は、確かめたかったのだろう。
――両親が私という存在を忘れていなかったことを。
ただ、それとは別に、ホームシック的な感傷を抱いていなかったわけでもない。
私は親元から離れて見知らぬ街で一年も暮らしていたわけだし、そもそも「東京」はあまりに私が住んでいた世界と文化が違いすぎた。
言語(日本語)は最初から理解できたし、東京は私達と生物的にはほとんど同じ二足歩行する「人間」が生活する世界ではあったけれど、それ以外は新発見の嵐だった。
食生活が違う。あらゆる慣習が違う。文明の発達具合が違う。他人との接し方が違う。
私は初めてテレビを見たとき、異世界人の定番として「どうしてあの絵画は動くのですか?」としっかり尋ねるようなレベルからスタートした。
よく寝泊まりしていた漫画喫茶でSF系のマンガを読んで、このシーンが出て来たとき、実際にこの台詞を口にした覚えがあった私は思わず共感性羞恥に襲われたものである。
向こうの世界のカルチャーに大体習熟するぐらいにはなった今では考えられないことだ。
とはいえ、やはり我が家は、自分の生まれ育った世界は、街は――特別だ。
私はウキウキしていた。両親を見つけた瞬間に抱き付いて、口にしたい言葉が山ほどあったのだ。
ただ……一年ぶりの再会は、私が思い描いていたものとは大分違った感じに、実際はかなり妙な感じになってしまったわけだけど。
「…………思ったよりも変わっていませんね」
「家に帰りたい」と願いながら神さまがいた謎の空間を出た次の瞬間、私はアラベスク家の邸宅前に立っていた。
一年ぶりに見かけた我が家がいきなり出現し、さすがに私は面食らう。
振り返ると、数十メートル先に邸宅の門が見えた。
どうやら私の瞬間移動術は邸宅を囲む壁をスキップして、ドンピシャで目的地に最も近い家の前に主を飛ばしてくれたらしかった。
「ふふ。アンドリューも元気そうで何よりです……」
視線の先、守衛のアンドリューと思しき人物が長槍を構えたまま、こちらに背中を晒して立っているのが見えた。
彼は私が生まれる前からアラベスク家に仕えてくれているベテランの使用人だった。
けれど私はアンドリューに声を掛けたい気持ちをグッと抑えて、改めて自宅の扉を見上げた。
今だけは、一刻も早く――両親に顔を見せたいと思ったからだ。
私は足を踏み出し、入り口の扉を開く。
そして声を張り上げた。
「レイチェルです! ただいま戻りました! お母さま、お父さま……いらっしゃいますか!」
外観と同じで、家の中も何も変わっていなかった。
入り口の扉を開いた先には玄関ホールがある。左右にそれぞれ応接間とダイニングルームがある。
階段を昇った先、正面から数えて三つ目の部屋がお父さまの書斎だ。その隣、四つ目の部屋がお母様の私室なので、おそらく今ぐらいの時間ならば二人はそこにいるはず。
私の声を聞いて、どちらかがすぐに顔を出して欲しい――そんなことを考えていると、ガチャリと部屋のドアが開く音がした。
私は咄嗟に音が聞こえた方を見る。そこにいたのは、
「姉上……?」
全く想像していない第三の候補だった。
二つ下の弟――ヴィンセントだ。
私は思わず眼を見開いた。
――この一年で、ヴィンスの背がものすごく伸びている!
「ヴィンス!」
私は階段を一段飛ばしで駆け上る。
――まさかヴィンスが家にいるなんて!
今年で15歳になっているはずのヴィンスは全寮制の男子貴族向け寄宿学校に入学する年齢だ。
今は暦で言うと年が明けてから一か月ほど経っているので、休暇期間も終わって学校が再開している時期のはずだ。
なのに、どうしてヴィンスがアラベスク家に?
いや、今はそんな細かいことはどうでもよくて――
「大きくなりましたね! 会いたかったですよ、ヴィンス!」
「うわわっ!?」
私は勢いよくヴィンスに抱き付いた。
きっと黙っていてもヴィンスがそうして来たはずなので、こちらから抱き付いた方が話が早いと思ったのだ。
――それにしても、な、なんと、大きくなっているのでしょう……!
一年前、記憶の最後に残っているヴィンスは、甘えん坊で、まったく姉離れが出来ない子だった。
来年には寄宿学校に入る歳なのに私によく抱き付いてきたし、身長も160センチ程度しかない私よりも低かったくらいだし、童顔なこともあって3、4歳は下に見られることも珍しくなかった。
けれど、この一年でヴィンスは成長して、特に背は衝撃的なほど伸びていた。
おそらく180センチ……いや、もしや190センチ近いのでは……?
向かい合ったとき、私がヴィンスを見下ろしていたのが遠い過去の話のように思えた。
実際、今、弟に抱き付くとき、私はジャンプせざるを得なかった。
そうしないとヴィンスの首の後ろに手が届かなかったし、抱き付いたあとも全力で背伸びをしないと足が地面から浮いてしまう状態なのである。
このふくらはぎが攣りそうになっている痛みこそが、同時に再会と成長の喜びに違いない。
……もっとも、今度からは私からではなく、絶対にヴィンスから抱き締めて貰うようにしようと固く心に誓ったのは内緒にしておくけれど。
「一年でこんなに大人になっているなんて……! これなら社交界でも、きっと誰にも遅れを取りませんね! 他所の令嬢の皆さんも、きっとヴィンスに興味津々でしょう!」
そして、背が伸びたということは容姿もそれに応じて成長しているということでもある。
かつての童顔はどこへやら。
ヴィンスはどこに出しても恥ずかしくない美男子になっていた。端正な目鼻立ちに、アラベスク家の代名詞とも言うべき銀髪とガーネット色の瞳。
「東京」の言葉で言うならば「イケメン」だ。まさかヴィンスがたった一年でこうなるとは夢にも思わなかった。
やっぱり帰ってきてよかった。
ヴィンスも私が帰って来たことに大喜びするだろう。私も同じ気持ちだ。
すでに弟が立派に成長した姿を見ただけで、既に神さまとバチバチにやり合った元は取ったような気分に――
「あ、姉上! いきなりなにをするのですか!? バカなことはおやめください!」
……なっていたところだったのだけれども。
「ヴィ、ヴィンス……?」
「お、俺も寄宿学校に通う年齢ですよ! 子供にするみたいに、軽々しく抱き付くのはおやめください! 姉上だって婚姻前の身の上なのですから! ま、まったく……!」
「えっ、えっ?」
衝撃は続く。
甘えん坊でお姉ちゃん子だったはずのヴィンスが、なんと一年ぶりに再会したはずの姉に対して「おかえり」も「会いたかったよ」も「どこに行ってたんだよ」も「心配したんだぜ」も、涙も、嗚咽も、歓喜も示さなかったのだから!
ヴィンスはジャンプして抱き付いていた私の腰にそっと手を回すと、まるで幼子にするかのように慎重に地面に下ろし、しかも数歩後ろに後退る。
――間合いを取られた。
一方、さきほどまでの気怠げな表情はいずこへ。
ヴィンスの頬は真っ赤に染まっていた。照れてる? 姉が抱き付いただけで?
一年ぶりなのに?
私は行方不明になったいたわけで、これは感動の再会以外の何者でもないのに?
「そ、その反応はさすがに冷静すぎませんか……? いなくなっていた実の姉がいきなり戻って来たんですよ……?」
ショックで膝をガクガクと震えさせながら、私は恥も外聞も捨てて尋ねる。
「神に最も近き聖女」とまで言われた存在がこんなことを言うべきではないのかもしれないけれど……私だって人の子なのだから家族にここまでドライ過ぎる対応を取られたら、やっぱり動揺してしまう。心まで神になったつもりはない。
「……一年? なにを言っているんですか、姉上。姉上とはちょくちょく会ってたじゃないですか」
「は、はい?」
「そもそも俺は学校が創立記念日で休みになったから、わざわざ姉上に会いに昨日、王都から戻ったばかりで…………あれ? いや、でも、姉上とは本当にしばらく会っていない気もするような……」
いきなり脈絡のないことを言い出したヴィンスが自問自答のループに突入してしまう。
ヴィンスは頭を抱え、目の前に私がいることすら忘れたように、首を傾げる。
それを見て、私は一つの仮説を導き出す。
もしかして、この一年間、私はただ行方不明になっていたわけではないのかもしれない、と。
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