5話「神さま、一発殴らせて頂いてよろしいですか?」
一年ぶりに会った彼女は、以前よりも少しだけ大人になって見えた。
単純に17歳になったからなのもあると思うが、明らかに服装や化粧、髪型の方向性が以前と異なっているからだ。
レイチェルは奇妙な服を来て、奇妙な髪型をして、少しだけ派手な化粧をしていた。
この世界の人々が好んで着用するのはレイチェルのような貴族ならば、ゆったりとしたオーバーチュニックと肌着にブリオーと呼ばれるワンピースを合わせるの一般的だ。肌の露出を控えるのが基本である。
だがレイチェルはフード付が付いていて黒いだぼっとした袖が長く、厚手の服と、その上に同じ黒色の外套を羽織っていた。フード付きの服には胸元に鋭角的な文字で「NIRVANA」と記されていて、シンプルなタッチで気絶した人間の顔を模した絵文字が大きく描かれている。
下半身は、驚くべきことに非常に丈の短い腰布をまとっただけだった。色は同じく黒色。女性物の衣服の特徴であるプリーツが刻まれており、戦士などが身につける腰布とは異なった意匠を感じる。加えて膝上までを覆う黒色の布を履いていて、腰布との間にある太股だけを意図的に露出させているようだった。
以前は真っ直ぐ腰まではあったであろう銀色の髪は、肩より少し上で綺麗に整えられていた。僕の世界では貴族の女性は髪を伸ばすのがまだ普通だ。レイチェルもそうしていたはずだ。僕がレイチェルを初めて見た4歳の頃よりも彼女の髪が短いことに、僕は驚かざるを得なくなる。
アクセサリーは、不思議とほとんど付けていなかった。僕の世界では指輪、首飾りやティアラなど、女性は数多くの装身具を身につけるのが普通だ。多くのアクセサリーには魔除けの効果がある。女性は体質的に魔法や悪魔の影響を男性よりも受けやすいため、庶民ですら何かしらの加護を受けた装身具を付けるのが一般的だ。
けれど、レイチェルは一切アクセサリーを装着していなかった。唯一の例外は首から太い紐でぶら下げた薄い板だろうか。
いや、待て。
これは……一年前に「地球」の情報をザッと調べたときに見た覚えがあるぞ。
たしか「スマートホン」とかいう情報端末じゃなかったか?
「お久しぶりです。風邪など引かず、元気にされていましたか?」
僕の困惑とは対称的に、レイチェルの口調は、以前とまったく変わらなかった。
僕は更にワケがわからなくなる。
見た目がこれほどまでに変化しているのに、レイチェル自身には何の変化もないということなのか。
いや、そもそも外見の話はどうでもいい。
――なぜ、彼女がここにいる?
なによりも、それが一番の疑問点だった。
そうだ。彼女は僕がたしかに「神なき世界」に追放したはず――!!
「……なぜ、君がここにいるんだ」
僕は彼女の質問には答えず、違う質問を投げかけた。レイチェルは小さく、にこりと微笑んで、
「それは戻って来たからです」
「当たり前のことを言うな。僕が訊きたいのは、戻って来た方法と理由だ……」
「…………」
絞り出したような声で僕は訊いた。
レイチェルがじっと僕の方を見つめたのち、小さく唇を開いた。
「……その理由を話す前に、少しだけ、自分語りをさせて頂いてよろしいでしょうか」
僕の驚愕をよそに、レイチェルは訥々と話し始める。
「神さまに、この世界から追い出されたあと……私は『地球』という場所の『東京』という街で目を醒ましました。そこは、ほんとうに驚くような場所でした。聖都グロリアですら遠く及ばないような光輝く魔導機が無数にあり、なんとそれらが魔導機ではなく雷の力で動いていたのです。地球は、魔法が存在しない世界だったのです。豊かな世界です。おそらく、神さまがおつくりになった、この世界よりもずっと……。ですが、それ以上に病んだ世界でもありました。
私が目を醒ました街もその一つでした。そこは東京で最も栄えた街でした。ですが、通りには私と同年代の少女が何人もいて、路上で暮らしたりしていたのです。彼女たちの多くは両親と問題を抱え、縋るものも他になく、決死の思いで、その街に国中から集まって来ていました。ですが……そこは、その『若さ』を食い物にする大人たちがたくさんいる街でもありました」
レイチェルがわずかに眉をしかめた。
「あそこは……助けを必要としている者が集う場所だったのに。私も、もし他の場所で目覚めていたら、きっと大変なことになっていたでしょう。あの世界では私は身寄りもなければ、戸籍も持たない不法移民に過ぎません。薄暗い仕事に手を染めねば生きていけなかったかもしれません」
「……奇妙な話だな。路上暮らしの者が多くいる場所だったのだろう? そんな場所で暮らしていたならば、まともな仕事があるとは思わないが」
まるでスラムのような場所なのだから。
レイチェルが清らかであることは、僕には一目で分かる。
だが、心までは見通せない。彼女の心が闇に染まっていない証拠は――
「過去形ですよ、神さま」
「なに?」
「私は、生まれて初めて……本当の意味で、他の誰かのために自分の力を使いました。助けを必要としている少女達を食い物にする大人を放っておけるほど……私は非力な子供ではありませんでしたから。神さまが与えてくださった力が、私にはあったのです」
レイチェルの持つ能力は多岐に渡る。
というよりは、僕も彼女が何を使えるようにしたかなんて覚えていない。
彼女が「生活魔法」と「工業魔導機」に興味を持ったから世間ではそのスペシャリストになっているだけの話だ。
レイチェルは自分が必要だと思えば、どんな魔法だって使えるはずだ。
たとえば……僕の神座を突風で吹っ飛ばしたように。
「……話は理解したよ。要は薄汚い大人達を粛正して、路上暮らしの子供達を救っていたってわけか。君自身もずっと?」
「すいません。本当にずっと路上で暮らしている子は元々少ないのです。近くには宿泊できる施設はそれなりにありますので。私自身は近所の『カフェ』で寝泊まりをすることが多かったかと思います」
「カフェ? 寝泊まりできる喫茶店なんてものがあるのか」
そう僕が呟くと、レイチェルはなぜか愉しそうに口元を緩めて、
「はい、ございます。それから神さまの仰ったことも概ねその通りです。実際は、そこまでシンプルではないと言いますか、込み入った話が色々とあったのですが……お聞きになりますか?」
「勘弁してくれ。見ればわかるだろう。僕は君がどんな一年を送ったかなんて、どうでもいいんだよ。僕が知りたいのは――君が、なにをしに戻って来たのかってことだよ……!」
「……」
レイチェルがぽつりと言った。
「……寂しくなったので、戻って来ました」
「は?」
「私の居た場所は、完全にキレイになってしまったのです。一部はご両親の元に、そうでないみんなは、どうすれば幸せな人生を送れるかを一緒に考えて、その後押しをさせていただきました。
昨日、最後の一人が新たな未来に向けて一歩を踏み出しました。だから、もう誰も、あの場所にはいなくなったのです――別の世界から流れ着いた漂流人である私を除いて……」
レイチェルが小さく息を吐いた。
たとえ、どんな仲間や居場所が出来たとしてもレイチェルの故郷は「地球」ではない。
それどころか彼女が追放された場所は、去って行くことが是とされる場所でもあった。
彼女は本当の意味で、取り残されたのだ。
「待て……自分の力で世界を越えたってことか?」
「そうなるのでしょうか。やらねばならないことをすべて終えて、帰りたいと今までで一番強く思ったら……本当に帰ることができたのです」
「な……!」
レイチェルの言葉に僕は耳を疑った。
だって、これではまるでレイチェルが自分の力で、僕の世界に帰ってきたことになってしまう。それでは話が全く違ってくる……!
だがレイチェルは僕の動揺には気付かなかったようで、変わらない様子で続けた。
「神さま。私は、私の仲間達のように、家族の下へと戻らせていただきます」
「……それは、了承できないな」
僕は努めて声色を抑えながら答える。
実際は、頭をよぎった「とある疑惑」でそれどころじゃなかった。
でも僕は神さまだからね。真意を覆い隠すなんてなにも苦じゃない。
「神さまは私が目立つのがお嫌なのですよね。大丈夫です。私は隠居いたしますので」
「なに……?」
「私も一年前ほど世間知らずではないということです。あれは『黒歴史』にして頂いて構いません。自分が神に愛されていると思い込むなんて、やっぱり私はどこか自分自身に酔っていたというか、調子に乗っていたのでしょうから」
先ほどからレイチェルは僕の世界にはまだ存在しない語彙を度々使用していた。
おそらく地球ならではの言い回しなのだろうと思った。
「隠居……尼になるってことかな」
「それはあまり意味がないですね。私に能力があることは既に広く知られてしまっています。修道女になったとして、それを利用する者が出て来ない自信がありません。ですから、最も効率的なのは『私が存在した上で、その影響力を極限まで減らす余生を送る』ことだと思います」
「具体的には」
「はい。『引きこもり』が最適かと思います」
「引きこもり……?」
またレイチェルがよく分からない単語を口にした。
特殊な語彙か――地球について、このあと僕もある程度は知っておく必要があるかもしれない。
「『引きこもり』というのは、家から極力出ないで人生を送ることです。これに『仕事もしない若者』という意味が加わると『ニート』になります。私には弟がおりますが、一年経った今でもおそらくは甘えん坊の、未熟者でしょう。両親もあまりお金を稼ぐのが得意ではありません。私はアラベスク家を最低限は支えないといけませんので、必要最低限度の経済活動だけはお許し頂ければ助かります。ですので『引きこもり』を希望します」
「それに君がなれば、目立つことはないと?」
「はい。もちろんこれは、私が神さまの世界に存在していることすら許されないのでしたら、意味のない仮定ですが」
「……ふむ」
――正直言って悪くない、と思った。
僕は初めからレイチェルを邪魔者だと思っていたわけではない。
そもそも彼女は失敗作であると同時に、僕の最高傑作でもある。
純粋に彼女を愛していた時期はちゃんと存在したのだ。
レイチェルが生まれて僕が五年の昼寝から醒めて、彼女の危険性に気付くまで――僕がささやかな夢を見ていた間だけだとしても。
レイチェルが無自覚に僕の世界を侵略し、世界を彼女色に染め上げることが最大の問題だったことを考えると……。彼女が自分の影響力と僕の真意を理解し、隠居の道を歩むというのは素晴らしい折衷策に思えた。
言うまでもないが、僕は他の人間の精神に干渉することはできても、レイチェルの精神を支配することはできない。僕ができなくした(重ね重ね、なんと愚かな……)。
最初の「キャラメイク」が終わったあと、設定を弄れないようにロックするのは普通とはいえ……。
その彼女が「家族と暮らしたい」などという、人間ならではの他愛もない理由で、率先して僕の言うことを聞くと言っているのだ。
これは僥倖だろう。
僕は優しく、慈愛に満ちた神なのだ。
被造物が頭を下げて、自らを犠牲とすると言ってきたならば、さすがに「存在」くらいは許してやってもいい。
「それなら、構わない。ただし、言うまでもないけど――」
「わかっております」
レイチェルが小さく頷き、僕の眼をまっすぐ見た。
「私は生涯誰とも結婚いたしませんし、誰とも恋愛をいたしません。たとえ血が繋がっていなくても子供を育てることもいたしません。弟に子供ができたときも、極力関わらないようにいたします」
さすがレイチェルだ。
僕が一番気になっていたことを、しっかりと理解していた。
たとえ「引きこもり」になったとして、レイチェル・アラベスクの名はあまりに強大だ。
結婚相手に、そして何より子供に、その影響力が受け継がれるのは想像に難くない。
レイチェルは、家族に見守られながら、他の誰とも関わらず、朽ちていくのだ。
それが一番いい、はずだ。
「(……そうに決まってる、な)」
そこまで考えて、僕の胸の奥がずきりと痛んだ。
どうしてだろうかと考えて、答えはすぐに出た。
――僕はつまらない理由で、才能を持った人間がその才能を発揮出来ずに、潰れていくのを見るが大嫌いなんだ。
けれど、そんな個人の好みはこの際どうでもいい。
捨てなければならない。
そうしなければ、僕は僕の世界を守れないから。
僕が神さまではなくなってしまうから。
「……わかった。君の提案を呑もう」
「本当ですか」
「ああ。神に二言はないよ」
「よかったです。ですが……その、一つだけ、よろしいでしょうか」
そのときだった。ずっと僕に敬意を払い、淑やかに、にこやかに微笑み続けていたレイチェルの雰囲気が少しだけ変わったのは。
「その代わり、一つだけ私のお願いを聞いていただきたいのです。ささやかな願いでございます。今すぐに実行出来て、一瞬で終わります。それだけで私は一生満足できるでしょう。どうか、どうかお情けを」
その懇願に、僕は首を縦に振った。
「願いか。構わないぞ。なんでも言ってみろ」
「ありがとうございます。それでは、最後に――」
レイチェルが右手を持ち上げて、ぐっと拳を握った。
その瞬間だった。
さきほどレイチェルが別世界から出現し、神座を吹き飛ばしたときですら比較にならないほどの膨大なエネルギーが――彼女の右手に顕現される。
レイチェルが爛々と輝くガーネット色の瞳で僕を見つめ、そして言った。
愛と、畏敬と、信念と、そして――憤怒に満ちた眼差しで。
「神さま、一発殴らせて頂いてよろしいですか?」
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