3話「いなくなれ、レイチェル・アラベスク」
「……え?」
――少女が、現れる。
今では16歳に成長し、三日後に社交界デビューを控えていたレイチェル・アラベスクがそこには立っていた。
外見は、まぁ美しい。僕以外の奴が見たりしたら、一瞬で魅了されて、一生その姿を目の裏に焼き付けて人生を終えるのだろうと確信するような美貌だ。
やっぱりやり過ぎだったよ、十六年前の僕。
でもなぁ。実際、楽しかったからなぁ。「僕の考えた理想のヒロイン」をキャラメイクするのって。
だから、君は悪くない。十六年後の僕がその責務を負うとしよう。
不始末のケジメは付けるよ――きっぱりと、ね。
「あなたは、どなたですか。それに、ここは……」
「僕は神さまだよ。君に用事があって呼んだんだ」
「……!」
レイチェルが一瞬、眉を持ち上げる。だが、すぐさま、
「……それは、失礼いたしました。ごきげん麗しゅうございます――神さま」
スカートを両手で持ち上げ、小さくお辞儀をした。
彼女はすこしも躊躇わなかった。僕の言葉を疑いすらしなかった。
そして視線を上げ、真っ直ぐ僕の眼を見ながら言う。
「これが夢でも幻でも構いません。私には、あなたに会えたら絶対に伝えたかった言葉があったのです」
「……言ってみろ」
「はい」
レイチェルが言った。
「私を創ってくださって、いつも愛してくださって……本当に、本当にありがとうございます。私は……誰よりもあなた様のことをお慕いしておりました」
決して彼女はふざけているわけではないと思った。
この一瞬で僕が「神」であることを確信し、だからこそ「ヒト」として最も適切なマナーで接した――
でも、それ以上に僕を苛つかせたのは、彼女が口にした意味不明な一言だった。
「……愛して? どうしてそう思うんだ」
最悪の勘違いだと思った。
僕は君を愛してなんていない。むしろ、その逆だ。
誰よりも、いいや――この世界で唯一、君のことを邪魔に思っている。
それが僕だ。この世界の神さまなんだ。
「だって、私はだれよりも恵まれていますから。誰よりも祝福され、誰よりも加護を与えられております。ならば、どうして神さまの愛を疑う必要があるでしょうか」
「……!」
レイチェルが真摯なまなざしで僕を見て、続けた。
「つまり、神さまは『だれよりも私を愛してくださっている』。だからこそ、自分はこうして存在出来ている……私は、ずっとそう想い続けてきました」
「……!!!」
「……ちがうのですか?」
レイチェルが訊いた。
少しだけ、今までまるで揺らぐことのなかった彼女の声が震えていたような気がしたけれど……きっと勘違いだ。
なんて傲慢な女だ。なんて自分勝手な女だ。
自分が誰よりも祝福されて生まれてきた自覚があったからって、神に愛されていたのだろうと思い込んでいたなんて……。
そんな、そんなこと……!
もう僕は耐えられなかった。
「そんなわけがないだろうっ!! 僕は……君のことが大嫌いなんだよ! だから、君は僕の世界から出て行ってもらう……!」
殺すことも、社会的に消すこともできない人間を排除する方法は一つだけ。
世界そのものから――「追放」することだ。
「えっ!?」
レイチェルの周囲の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
もうこれで彼女は逃れられない。
出て行くしかないんだ――僕のとは異なる、別の世界に。
世界移動術。
これは他の「神さま」が管理する世界にゲートを繋げる能力だ。
本来は「神さま」同士が交流するときに使用されると聞くが、僕は基本的に他の「神さま」と付き合いがないため、今回初めて能力は使用した。
――自分の世界では排除しきれない「失敗作」を投棄するために。
「いなくなれ、レイチェル・アラベスク! ここは僕の世界だ……僕より優先される存在がこの世界にあっちゃいけないんだ!」
「か、神さまっ……!」
レイチェルの身体が作り出したゲートにずぶずぶと沈んでいく。
彼女は手を必死に僕の方へと伸ばす。
まるで僕がその手を掴んでくれると信じているかのように。
愛と、畏敬と、信念に満ちた眼差しで。
けれど、僕は思う。
なんてバカで、なんて愚かな女なのだ、と。
神に近しいなどと言われても、所詮はヒトだ。神の力には遠く及ばない。
それも当然だろう。
僕は彼女の創造主であり、創造物である彼女が僕に敵う道理なんてないんだ。
――僕の世界を邪魔していいわけがないんだ。
「さよならだ……失敗作め!」
「!!!」
レイチェルがガーネット色の瞳を大きく見開いた。
もう彼女の身体は伸ばした掌と、頭の先しか残っていなかった。
けれど、それもすぐに……消えてなくなる。
レイチェル・アラベスクは、ゲートの奥に吸い込まれ、そして消滅した。
それに伴って――彼女が僕の世界で残した、あらゆる痕跡が消えてなくなる。
「は、ははは……さすがに身体にこたえるな……!」
これこそが「世界移動術」の真髄だ。
世界からゲートをくぐって移動したとき、あらゆる創造物は、その存在がなかったことになる。
元からその世界にいなかったことになるのだ。
非常に強大な力だ。
故に、直接顔を合わせなければ使用できないし、僕自身にも大きな負担が掛かる。
本来ならば人間程度に使うような術ではないのだ。
だが、レイチェル・アラベスクは例外だった。
彼女は僕の不手際で、あまりに強大な存在になってしまった。
その後始末をするのも、創造主である僕の使命だったと言えるだろう。
「レイチェル……君はどこかの辺鄙な世界で勝手に生きていけばいい……」
ぽつり、と僕は呟いた。
先ほども言ったが、僕は群れない主義なので部下はいるが「神さま」の知り合いは一人もいない。
だから下手に他の「神さま」が管理している世界に異物を投棄したりして、そこの神が殴り込んでくるのがイヤだった。
だからレイチェルの追放先には「神なき世界」を選ばせてもらった。
誰も管理者が存在しない野良の世界。
神のいない、見捨てられた地。
その名は――
「……『地球』だったか。時代と場所は西暦2024年、東京――僕の世界と共通する要素も多いようだ。まぁ、全く聞いたことのない場所だが……レイチェルが残りの人生を暮らしていくには困らない場所だろう」
相容れることはなかったが、レイチェル・アラベスクは傑物だ。
僕の世界から追放されたことで数多の加護を失ったとしても――彼女の輝きは決して色褪せることはないはずだ。
生きていくことは十分にできるはず。それどころか、追放された世界でも「神」に等しい存在になるかもしれない。
だが、そこは「神なき世界」なのだ。
誰も彼女を咎めない。誰も罰しない――誰も彼女に並び立たない。
見捨てられた世界で、彼女は孤独で在り続ける。
僕は思う。
自分は、なんて不出来な創造主だったのだろう、と。
レイチェルには悪いことをした。調子に乗って最強過ぎる存在を創りだしてしまって、結局対処に困ってそれを捨て去ることしかできなかったのだから。
すまない、レイチェル。
これが君にしてあげられる、僕のせいいっぱいだ。
その代わり、僕と、僕の世界に――二度と関わらないで欲しい。
それぐらいは……神さまにもワガママを言わせてくれ。
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