ルーペルト・クリスタ外伝12
帝国南部の港湾都市であるアルスターは近年になって急激に栄えた都市となった。
その理由は帝国海軍がそこを拠点と決めたからだ。
元々、小さな港とそれに付随する街だったバルトだが、帝国海軍の本拠地として軍港が作られ、その過程で街も大きくなった。
今では大陸有数の港湾都市となりつつある。
そんなアルスターにある酒場に帝国軍の軍服を着た男がいた。
褐色肌の男で、歳は三十代ほど。
陽気そうな雰囲気を漂わせているが、目の前の相手にはうんざりしているようだった。
「いつまで軍にいるつもりだ?」
「自分の目的を果たすまでだ」
軍服の男の前に座るのは身なりのいい優男。
一目で貴族だろう事は想像できた。
「近衛騎士団への審査に落ちたことは聞いた。お前の目的は近衛騎士になることだろう? 家に戻ってこい。入団試験にまで漕ぎつければお前なら近衛騎士になれる。その道筋を作ってやる」
優男の言葉に軍服の男はムッとした表情を浮かべる。
「家に戻ってこい? 流民と結婚するって言いだした俺の親父を追い出したのはそっちだろ?」
「それについては父も反省している」
「反省なんて知るかよ。親父とお袋は苦労して俺を育ててくれた。今更、ロルバッハの名前で生きていく気はねぇ」
ロルバッハ。
その名は帝都では有名だ。
ロルバッハは領地を持たない男爵家。
しかし、騎士の家として名高く幾度も近衛騎士を輩出している名門だ。
近年では近衛騎士隊長にまでなったオリヴァー・フォン・ロルバッハが最も有名であり、この酒場にいる二人の男はその血縁者だった。
優男のほうはオリヴァーの弟であるオットー・フォン・ロルバッハ。
現ロルバッハ男爵であり、兄とは違って騎士の才ではなく商人としての才に恵まれた男。
しかし、ロルバッハはどこまで行っても騎士の家。商人として家が富もうと、騎士としての成功を諦める理由にはならない。
だが、本家にはその期待に応えられる人材がいなかった。
ゆえに
軍服の男に白羽の矢が立った。
男の名はハンス・ザックス。
父親はオリヴァーやオットーの父親の弟、つまり彼らの従弟に当たる存在だった。
帝国ではあまり見ない褐色の肌は流民だった母親からの遺伝。
その変わった肌と流民という身分のせいで、オリヴァーたちの父親はハンスの父と母の結婚に猛反対。結婚するならば家から追放すると言い、ハンスの父は追放されることを選んだ。
お世辞にも裕福とは言えなかったが、それでもハンスは二人の愛情をしっかりと受けて育ったうえに優秀だった。
成長したハンスは一兵卒として軍に入り、頭角を現すと東部国境守備軍へ配属された。
最精鋭ともいえる東部国境守備軍でも順当に出世し、王国侵攻軍にも参加。
連合軍結成後は総司令直属部隊に所属し、終盤では本隊への援軍に向かい、帝都での決戦ではゴードン指揮の下、帝都への突入に成功した。
その功績から大尉に昇進し、その後は東部国境守備軍から南部国境守備軍に異動。
現在は帝国軍の新プロジェクトに志願し、このアルスターに来ていた。
「あまり意地を張るな。近衛騎士は誰でもなれるわけじゃない。軍での実績だけじゃ入団審査も通らない。わかっただろ? ロルバッハの家名を使えば審査は通る。そうすれば実力がすべてだ」
「断る。俺は一度、自分を曲げて頭を下げたはずだ。どうか口添えを、と。その時は断ったのに今になって何のつもりだ?」
ハンスの夢は近衛騎士になること。
そのためにハンスは一度、ロルバッハに頭を下げた。何としても叶えたい夢だったからだ。
けれど、その時は断られた。
だからこそ、今更頼みは聞けなかった。
「あの時は私が当主じゃなかった。父は引退した。今なら協力できる」
「裏があるとしか思えねぇ。何の条件もなしか?」
「いや……協力関係にある貴族の令嬢と結婚してもらいたい」
「ほら、みろ! 裏がある! 夢を叶えさせてやるから好きでもない女と結婚しろと?」
「そういう繋がりも大事なんだ、帝都では。このまま軍にいるだけじゃ近衛騎士にはなれないぞ?」
「俺は自分の夢は自分で叶える。そして結婚する相手は愛した人だ」
「意中の相手がいるのか?」
「ああ」
「どんな相手だ?」
「あんたらが好ましいと思わない平民の女性さ。料理屋の女主人だ」
「悪いとは言わないが、近衛騎士になりたいなら考えなおせ。年齢的もあと数年しかチャンスはないんだぞ?」
「だからこのプロジェクトに参加した。要件がそれだけなら帰れ。俺は俺のやり方で夢を追う。そしてそんな俺を見てくれる人は見てくれている」
ハンスはそう告げると自分の分の金を机に置いて、その場をあとにするのだった。
■■■
帝国軍緊急即応部隊プロジェクト。
プロジェクトの主導者はリーゼロッテ元帥。
その目的は帝国軍内で素質のある者を竜騎士として育成し、帝国全土を管轄範囲とする即応部隊を創設することにある。
かつて帝国には問題が起きた時、即座に対応して異変の芽を摘む存在がいた。
けれど、今、その者は帝国だけを見ているわけにはいかない。
だからこそ、それに代わる存在が必要だった。
指示一つでどこにでも飛んでいける竜騎士部隊。
そのプロジェクトにハンスは参加していた。
なぜならその竜騎士たちを鍛えるために、近衛騎士団から第六、第八騎士隊が派遣されるからだ。
プロジェクトは長期的に考えられており、まずは精鋭を選抜。
そのうえで第八騎士隊に編入。
第八騎士隊は教導隊として各地の竜騎士を鍛え、時期が来たら第八騎士隊の一部は帝国軍へ再編入され、緊急即応部隊を率いる形となる。
これからの時代は空の時代。
そして帝国ではその場を竜騎士が支配する。
王国侵攻戦でフィンの活躍を見ていたハンスは大戦後に竜騎士へ転向。努力を重ねて、このプロジェクトへの参加権を手に入れた。
これはハンスにとっては最後のチャンス。
白いマントを羽織るための。
正攻法では近衛騎士になれない。
最初からハンスは近衛騎士隊に入るために、竜騎士となった。
そのうち第八騎士隊は規模を拡大するだろうとわかっていたから。
その読みは当たり、ついにチャンスが訪れた。
だからこそ、ハンスは死に物狂いだった。
「ふっ! ふっ! ふっ!」
港に停泊中の帝国海軍随伴艦カスパル。
そこに与えられた二人部屋でハンスは室内の棒に捕まり、懸垂をしていた。
そんなハンスに対して、同室の相手が告げる。
「街に出かけてからいつにもまして張り切ってますが、娼館にでも行ってきたんですか? 大尉」
同室にいるのは二十代前半の青年。
黒髪オールバックの青年で、背が高いためベッドのうえで窮屈そうに本を読んでいる。
「俺が! そんな! 男に! 見えるか!? 少尉!」
「見えますね」
「お前に! 教えて! おいて! やる! 俺には! 婚約者が! いる!」
「それはそれは」
「馬鹿にしたな!? いいだろう! この訓練が終わったら、お前に婚約者を紹介してやる! 蒼鴎姫にも負けない美女だぞ! 彼女のセクシーさにお前はきっと度肝を抜かれる! しかも彼女は料理上手! 料理屋の女主人だからな! 参ったか!」
「馬鹿にはしてませんよ。大尉の婚約者については。ただ、自分で決めたノルマの前にやめたことについては馬鹿にしてます」
指摘を受けて、ハンスはハッとした表情を浮かべるとため息を吐いて、最初から懸垂をやり直しにかかった。
「お前は! もう! 終わったのか!?」
「街に遊びにいく馬鹿どもと一緒にしないでください。今日は休暇ですが、自分たちはまだまだ訓練生。しっかりと今日の分の訓練はやり終えています」
「だから友達できないんだぞ? パトリック少尉」
「友達を作りに来たわけではないので」
「いい心がけだが、少しはゆとりを持ったらどうだ? 同期の連中は街に繰り出しているぞ?」
「ここに呼ばれた時点で出世確定。エリートだと自慢していて、あちこちで人気らしいですね。馬鹿馬鹿しい」
「ちやほやされるのがそんなに駄目か?」
「自分らは何も成していません。どこにちやほやされる要素が?」
「これから帝国軍を担う竜騎士たちだ。将来有望ってのは悪いことじゃない」
「担うかどうか、有望かどうか、それは今後の成果が決めることです。そして未来を決めるのは今の努力。その結果、ちやほやされるなら何も言いませんよ」
パトリックと呼ばれた少尉は本を閉じると、立ち上がる。
「どこ行くんだ?」
「相棒の世話です」
「マメだな? お前は」
「自分の命を預ける相棒です。自分で世話をするのは当然では?」
「その世話をする役目の人もいる。あんまりそういう人の仕事を取るなよ?」
「もちろん。日々、アドバイスをもらって話を聞かせてもらっています」
敬意の感じる言葉にハンスは苦笑する。
同じ訓練を受ける仲間とは親睦を深めてないが、自分たちをサポートしてくれる船の乗員たちとはパトリックは良好な関係を築いている。
成果を出すために必要だからだ。
そしてパトリックを見送ったあと、ハンスは筋トレを再開した。
パトリックもハンスもやる気は十分だったが、技術的に訓練生の中でトップというわけではない。
ここには帝国中から選抜されたエリートが集まっている。
竜の操作や近接戦の技量、魔導杖の扱い方。
覚えることはたくさんある。
それでもハンスは決意していた。
必ず近衛騎士になってみせると。