ルーペルト・クリスタ外伝5
「なにかな? ジーク」
宿屋にてジークはラースと共にいた。
ラースは優雅に酒を飲みつつ、ジークの話に耳を傾ける。
「俺たちは護衛中。そうだな?」
「その認識に誤りはない」
「にもかかわらず、お前さんはいい男であることを隠すこともせず、街の女たちと遊んできたうえに酒まで飲んでる。職務怠慢だろ?」
「ただの情報収集だ。君にはできないからな」
そう言ってラースは椅子に座るジークを見て、フッと笑う。
実際、座るというよりは乗っているわけだが。
「なにが情報収集だ! 俺様だってお前に負けないくらいいい男だっての!」
「認めよう。君は確かにいい男だ。普段なら女性は放っておかない」
「そうだ! 俺様にだってこの街を楽しむ権利がある! なのにお前さんだけなんてずるい!!」
「権利はあるが、楽しめるかどうかは別だ。その姿ではね」
ラースの言葉にジークは怒りをあらわにする。
しかし、〝子熊姿〟ではあまり怖くはない。
「なんで俺だけ!」
「それは……元の姿の君が女性受けする外見をしていて、君の女性遊びが激しくて、君が美女に目がなくて、そのうえで……クリスタ殿下とリタ嬢が美人に成長したからだろうな」
「俺はあの二人をガキの時から知ってるし、守って来た! いまさら女としてみるわけないだろ! 自分の娘も同然だぞ!」
「その意見には大いに賛成だ。そして本心だとも理解できる。けれど、殿下たちと同年代の女性に誘惑され、ほいほいと宿屋についていったのも君だ。あれがテストであり、君は不合格。だから腕輪を取り上げられた」
お忍び中の皇子、皇女の護衛。
全幅の信頼を置く者にしか任せられないため、皇帝レオナルトはかつての仲間だけをリストアップした。
新参者にはとても任せられないからだ。自身が安心して夜、眠るために。
そのうえで動かせる人員には限りがあった。なにせ、護衛中は他の仕事ができない。
基本的に銀爵家とのやり取りを担当していたリンフィアと、リンフィアの部隊をルーペルトの護衛に回した。
そしてディートヘルムと共に水面下で活動していたラースとジークをクリスタとリタの護衛に回した。
気が利くリンフィアは気が利くルーペルトの行動を予測しやすい。そして、破天荒なジークは破天荒なクリスタの行動を予想しやすい。ラースはジークのお目付け役という側面もあった。
そして最大の懸念事項。
ジークの女癖の悪さは子熊に戻すことで対処した。
すべてレオナルトの采配だ。
「しょうがないだろ!? いきなり誘われたんだ! ついていくだろ! 美人だったんだ!」
「結果、子熊に戻された。諦めろ」
「ちくしょー!!」
ジークは椅子の上で飛び跳ねるが、迫力はない。
その姿を見て、ラースは苦笑する。
かつての愉快さがそこにあったからだ。
■■■
「銀爵へ緊急の伝令です。リンフィア隊長より直接お伝えするようにと厳命されております。お取次ぎを」
銀爵家の屋敷。
そこにたどり着いた近衛騎士の伝令は、出迎えたシャルロッテに対してそう告げた。
しかし。
「それは困ったわね……銀爵は今、不在なの」
「ご不在……?」
近衛騎士は想定外の返答に固まる。
なにせ相手は銀爵。
大陸中のどこにでも現れ、すぐに帰ってこれられる唯一の人間だ。
「いつ頃帰って来られるのでしょうか?」
「わからないわ。長引くことは間違いないわね」
シャルロッテの返答に近衛騎士はしばし黙り込む。
リンフィアは危ない橋を渡っている。独断で皇帝ではなく、銀爵に報告を先にしようとしているからだ。
それは銀爵ならなんとかしてくれるという信頼があっての行動だ。
しかし、その銀爵がいないとなると話は違ってくる。
「困ったわね」
シャルロッテは呟きながら考えこむ。
妃とはいえシャルロッテが代わりに聞くわけにはいかない。
わざわざリンフィアが直接伝えるようにと厳命した伝令だからだ。
そんな中、屋敷の奥からもう一人の妃が現れた。
「なにか問題ですか?」
「フィーネさん!? 寝てなきゃ駄目よ! 体調が万全じゃないんだから!」
「寝てよくなりました。アル様への伝令ですか?」
「はっ! リンフィア隊長より直接お伝えしろと言われております」
「わざわざリンフィアさんがアル様に伝令を出すあたり、陛下関連では? 陛下に何かお伝えするなら、私でも可能です」
「フィーネさん……」
「大丈夫ですよ。ただの微熱ですから」
そう言うとフィーネは伝令を屋敷の中へ招いた。
しばし悩んだ末、伝令は中に入ってフィーネにすべて伝えることにした。
相手は蒼鴎姫。銀爵の妃。
銀爵不在であるならば、最も頼りになる人物であることは間違いなかったからだ。
■■■
大陸東端にあるミヅホ仙国。
強力な結界使いである仙姫が守るこの国は、皇国にとって常に頭痛の種だった。
反亜人主義の者が皇国には多く、そういった者たちは亜人討つべしと仙国への攻撃を主張する。
しかし、仙国は元々、迫害された亜人が逃げ込んだ半島にある。なぜそんなところに逃げ込んだのか? 単純に土地として旨味がなかったからだ。
長年の努力にとって開発は進んでいるが、それでも戦争をしてまで奪い取りたい領地ではない。
ゆえに皇国にとって近くにミヅホが存在するということは、頭痛の種だったのだ。
存在するだけで火種になる。しかし、勝ったところで旨味はない。しかもミヅホは強い。
攻め込んだところで良い事などない。しかし、皇国に存在する反亜人主義者たちは亜人を許すな、と声をあげる。亜人の国というだけで許せないのだ。
過去にも同じことがあった。
ドワーフの国に攻め込んだ時だ。しかし、あの時はドワーフの抱え込んだ財宝、技術などがあった。皇国が潤ったのは事実だ。
だが、ミヅホは違う。
ゆえに新たな皇王エフィムは対ミヅホへの方針で苦慮していた。
エフィムの即位は内乱の末の即位だった。いまだエフィムに反感を抱く貴族もいる。
そういう者たちはエフィムが亜人に融和的なこともあり、エフィムの反対のこと、つまり反亜人の主張を突きつけてくる。
だからこそ。
エフィムは決定的な一手を打つことにした。
「皇王エフィム・アーラ・ソーカルの名において、この終戦条約に合意する」
ミヅホと皇国の国境。
そこでエフィムはミヅホとの終戦条約を締結した。国内の反発は凄まじかったが、それでも押し切った。
これ以上、反亜人勢力に足を引っ張られたくはなかったからだ。
それにこの終戦条約には皇国に多大なメリットがあった。
「条約は締結された。条約にあるとおり、以後、五十年間、皇国はミヅホに対していかなる武力行使もしない。破られた場合、俺が介入する。よろしいな? 皇王」
「もちろんです。証人になっていただき、感謝します。アルノルト殿」
エフィムはそう言って両国の間に立つ存在、アルノルトに頭を下げた。
この条約によって皇国はミヅホへの軍事行動を制限される。反亜人派がいくら騒ごうと意味はない。ミヅホを攻めれば、アルノルトが攻めてくるからだ。
介入の機会を与えるだけ。
これでエフィムは内政に集中できる。
ただ、それだけがエフィムの目的ではない。
「礼ならミヅホに言うんだな。この条件をよく飲んだもんだ」
「あなたの信頼があればこそ、でしょう」
「そういうことにしておこう。皇王も信頼を裏切るな」
「死にたくないのでね。あなたと戦う気はない」
エフィムはそう言って苦笑する。
エフィムは五十年間の平和と引き換えに、とある条件を盛り込んだ。
現在の仙姫、オリヒメの引退だ。
もちろん様々な情報網を駆使して、オリヒメが引退したがっていること、オリヒメには及ばないまでも後任の仙姫候補がいること、そしてオリヒメがアルノルトの下に行きたがっていること。それらを知っていたからこその提案だった。
厄介な仙姫を引退させることができ、皇国はこの五十年の間に武力以外の方法でミヅホを侵食できる。
オリヒメの意向に沿って動くことで貸しも作れる。
だからこそ、アルノルトも否とは言わない。
これに反対する国内勢力もあぶりだせる。明確に自分へ反抗するなら潰すまで。
それができるほどにエフィムは皇国を掌握していた。そこまでにそれなりの時間がかかったが。
反抗勢力は言うだろう。
仙姫は代わりが出てくる、と。オリヒメを引退させたからなんだ? と。
彼らは未来が見えていない。どうせオリヒメが健在であるかぎり、ミヅホには勝てない。攻めきれないからだ。
それならば条約を結んだほうがいい。そのことがわからない者ならば、今後の皇国にはいらない。
「オリヒメは俺が預かる。その後、どういう扱いをしても文句はないな?」
「お好きに。ミヅホと皇国間の条約ですので。それ以外は関与しません。あなたの右腕として元仙姫が活躍したとしても……それは私にとってはどうでもいいことです」
「……上手くやったな? 皇国の王らしくなった」
老獪。
まだ若き王であるエフィムだが、最近はその政治手腕は祖父に似てきた。
似ていないと皇王は務まらないというほうが正しいかもしれない。
皇国はどうしても帝国に張り合わなければいけない。弱腰になれば、一気に飲み込まれてしまうからだ。
だからこそ、姑息に立ち回る。それを卑怯と考える余裕は皇国にはない。
利益を求めるしか生きる道はない。
それをエフィムは理解していた。
目の前にいる男はアードラーの最高傑作。
そしてその双子の弟が今の皇帝。
真正面から戦う気はとてもじゃないが起きなかった。
なにより、これから先、同レベルの逸材が生まれない保証はない。
脈々と受け継ぎ、磨き抜いてきた一族、それがアードラーだ。
やはり皇王など貧乏くじだ。
それでも王としての務めは果たさなければいけない。
「あなたが大陸の王に名乗りをあげたなら……私は真っ先に膝を折りたいのですがね」
「他人に頼るな。俺はそんな面倒事をするつもりはない。自国の民は自分で守れ」
厳しい言葉にエフィムはため息を吐く。
皇王の椅子を捨てる唯一の機会はなくなった。
「それなら……精一杯やらせてもらいますよ」
そう言ってエフィムは帰路についた。
そして。
「新たな皇王は苦労人だな?」
「お前が呑気なだけだ」
「それについては否定せぬ!」
胸を張ったあと、オリヒメはアルノルトの背中に覆いかぶさった。
「さて、どこへなりとも連れて行くがよい!」
「仙国め……脱走される前に俺へ押し付けやがった……」
不満を口にするアルノルトに対して、オリヒメはニコニコと笑う。
だが。
「銀爵預かりの賓客ってだけよ。ベタベタしないでくれるかしら?」
オリヒメは後ろから伸びてきた手によって、アルノルトから引き離される。
首根っこを掴まれる形となったオリヒメは、その人物を睨む。
「妾が賓客ならそれなりの対応をせよ! エルナ!」
「賓客なら賓客らしくしなさいよ!」
「賓客だからこそ、自由なのだ! 邪魔をするでない!」
「隙あらばくっ付こうとするんじゃないわよ!」
アルノルトの下へ行こうとするオリヒメと、それを阻止するエルナ。
それを見ながらアルノルトはため息を吐く。
大陸東部の重要な問題は一つ解決した。
皇国とミヅホの対立は、ミヅホと友好関係を結ぶ帝国とも関係しており、それは大陸全土に影響を及ぼす。
それが取り除かれた。
たとえ期限付きであったとしても。
引き換えにアルノルトはオリヒメを預かることになったが、それはオリヒメの望んだことでもある。
「とりあえず一件落着としておくか」
呟きながらアルノルトは帝国のほうを見る。
少し心配そうな表情なのは、出発する際にフィーネの体調が芳しくなかったからだ。
とはいえ、すぐに帰るわけにはいかない。
この後、ミヅホに戻って報告しなければいけないし、冒険者ギルド本部にもよる予定がある。
「無理していないといいけれど」
一応、傍にはシャルロッテがついているが、心配なことには変わりなかった。