一章 旅立ち⑥
「……ところで、今回のイヴリース嬢との話はどのような形で決まったのですか?」
オブシディアンが疑問に抱くのももっともだ。
社交界に出ても一切女性を寄り付かせては来なかったのだから、浮いた話も湧き出る筈がない。
そして何故リセッシュ家なのか、と其処を突いてきた。
「とある恩人からの頼みだ。……もしイヴリース嬢に何かがあれば手を貸してやって欲しいと言われていた」
「見たこともない相手に対してですか?」
「………………」
オブシディアンのその問いに、グランツは思わず閉口した。どこまで説明をするべきか、考えあぐねている……そんな様子だった。
「あの様子ではろくに社交界にも出ていなかったように見受けられましたが……?」
「お前はいちいち痛いところを突いてくるな」
「なかなか興味深いご令嬢なので、つい詮索をしたくなるのですよ」
「詮索屋は嫌われるぞ?」
「構いませんよ。グランツは私のことを嫌いにはならないでしょう?」
「……お前という奴は……」
思わず呆れた表情を浮かべながらも、オブシディアンの言葉をグランツは否定しない。オブシディアン、シンシャ、フォスフォフィライト、アンデシン、フローライト、アンバー。まだ屋敷には多くの使用人がいるが、その誰一人として嫌うつもりも見捨てるつもりもない。
それが解っているからこそのそんな言葉。
「兎に角、イヴリースについては調べさせる。本人にも詮索なんてこと、してやるなよ?」
「かしこまりました」
✿ ✿ ✿
侍女たちとグランツ様の計らいで、正式な顔合わせはアフタヌーンティーで、となった。
それまでの間にひと通り身だしなみを整えようと、侍女たちの手によって来た時よりも更に質の良さそうなドレスが何着か用意された。
「イヴリース様には此方が似合うだろう」
「えぇ〜、こちらですよう」
「ボクはこっちだと思うな」
「貴女達、イヴリース様が困っているでしょう……! 私語を慎みなさい!」
てんやわんやになりながらもイヴは充てがわれたドレスに目を通していく。シンシャの言う通り、初めは困惑したものの、深呼吸をして気持ちを落ち着けると選んでくれたドレス達をゆっくりと一着ずつ、丁寧に見ていった。物によってはサイズが合わない物もあったが、そんな中でもなんとか選んだのは――印象的だった伯爵の瞳の色に近い、アイスブルーのドレスだった。
今迄、与えられてきた物を与えられるがまま着ていたイヴにとって、自分で何かを決めるということは新鮮で少しだけ心が躍った。
だが同時に芽生えたのは、小さな小さな罪悪感だった。自分のような人間が、こんな思いをしても良いのだろうかという、自己否定にも似た感情だった。
十数年間という長くて短い人生のほとんどをイヴは虐げられて暮らしてきた。
義母からはぞんざいに扱われ、義姉からは人格を否定するような言葉を散々浴びせられてきた。
毒を一心に被っては、その毒に耐えてきた。
だから――かもしれない。今更与えられるかも知れない幸せというものを、簡単に享受できないのだ。
人間は、裏切る。
人間は、離れていく。
些細なきっかけで呆気なく、年月など関係なしに無情にも崩れ去っていく。
だからリセッシュ家の中でイヴは“心”を閉ざしていた。
期待など持たないように。
希望など信じないように。
魔法一つ使えない“出来損ない”の娘だと思われるように努めていた。事実、リセッシュ家で継承される魔法は、何一つ使えない。それは偽りようのない事実だ。
(グランツ様はがっかりなさるかしら……)
魔法一つ使えない不出来な自分を迎えて――。
自分のことは何があっても、どう言われてもいい。
けれどグランツ様が失望する顔だけは、見たくないなと密かにイヴは思っていた。