三章 秘毒のシンシャ⑤
自分のことを伝える。
それがグランツの望んだことだった。
確かに私はグランツのことを知らない。
グランツも私のことは知り得ていないことも多いだろう。そう考えると、自分の口から話せることは話しておいたほうが良い気がした。
「好きな花は、桜です。グランツは好きな花はありますか?」
「花……か。敢えてあげるなら薔薇か。昔から母様が植えて今の中庭になったからな」
「あれらはグランツのお母様の趣味だったんですね。色んな種類が植わっていて管理は大変じゃないですか?」
「そこは庭師とフォスフォフィライトに任せているからな。私自身、花の手入れに手出しすることは早々ない。ああいうのは本職に任せるに限るのさ」
「なるほど……」
確かにと納得し頷きながら、ふと自分のことだけでなくグランツのことをもっと知りたくなった私は逆に問い掛けてみた。
「グランツの、好きな物はなんですか? 私、グランツの好きな物を作ってみたいです。……作れるかしら?」
「私の好きな物? 食べ物なら……アプフェルシュトゥルーデル、かな。昔から好物なんだ」
「あのパイで包んだ林檎のお菓子ですね!」
ポンと掌を打つとそれなら作れそうだと声を上げる。
「後日、キッチンをお借りしても良いでしょうか?」
「構わないよ。シェフにはそう伝えておく。……楽しみにしているよ」
言葉を交わし、心を寄せ、上辺だけではない気持ちを通わせていく。人と会話ができるのが、こんなに楽しいとは思わなかった。人に想われるのが、こんなに嬉しいとは思わなかった。
そんな幸せを噛み締めながらも、グランツの膝に座ったままでいた私は、ハッと酔いが覚めたかのように慌ててソファーへと移動した。
「グ、グランツ……! ごめんなさい! 私ったらつい座ったままでいて――」
「うん? 別に構わなかったのに。それより……イヴのことをもっと知るにはまずは匂いから知る必要がありそうだな。――好きな匂いがあるんだろう?」
「…………!」
内心隠したいと思っていたことを言い当てられ、ビクンと肩が跳ねる。そして不意にグランツに腰を抱かれると首筋にグランツの顔が埋まった。
「私はイヴほど鼻は利かないからな。それでもイヴの香りは好きだよ。林檎のように甘くていい匂いだ」
「ひゃぅ……!」
くすぐったい感触が首筋を撫でる。
グランツの声、吐息、体温、匂い、そのすべてが近くて離れがたい。
「グ、グランツ……?」
「イヴの好きな匂いはなんだい? 教えてくれる?」
優しく囁くような問いかけに、言葉が詰まる。
言ってしまったら、引かれないだろうか。
そんな不安を抱きながらも、恐る恐るグランツの背中に手を回すと言葉を紡ぐ。
「私……グランツの匂いが好き、なの。どんな匂いにも当てはまらなくて、でもとても癒やされる匂いで……」
「……。だから木天蓼を得た猫のようになってたのか」
納得したふうなグランツの呟き。
引くことなく、抱き締められるといっそう匂いが強まった。
「あうぅ……」
さっき、グランツが言っていた得手不得手な匂い。そういう意味では、グランツの香りが自分にとってもっとも弱点となり得る匂いだとボンヤリ思った。
令嬢としてシャンとしなければならないのに――今この書庫にはグランツとイヴの二人きり。男と女というその関係だけで、起きるべきことは起きてしまうが、そこはグランツがそっと身を引いた。
「少しからかいすぎたようだね。――此処に入るための鍵を後でシンシャに渡しておく。今日はゆっくり休みなさい」
「……は、はい……」
言われて、改めてリセッシュ家からファブリーゼ家に来て一日と経っていないのだと思い立つ。
怒涛とも言える一日に、私の体力と気力はもう限界だった。




