童貞こじらせすぎて口裂け女に惚れられました。
ある日の夜。
「はー、6限は流石にしんどいわー……。でも切ると単位がギリだからなー」
俺がぼやきながら夜道を歩いていると、前から背の高い女の人が歩いてきた。
全身真っ赤な服を来て、赤いハイヒールを履いている。赤が好きなのかな? しかも、真っ赤なマスクをしている。あるんだな、そんなの。
「私、綺麗?」
突然話しかけられた。これが噂に聞く逆ナンって奴か!?
「はい! そりゃもう! 超キレイっすよ!」
ついに俺にもこの世の春、モテ期が来たに違いない!
俺がテンション高く答えると、女の人はゆっくりとマスクを外して言った。
「これでも?」
俺は、言葉を失った。
「わ、超可愛い……」
「えっ」
「だってそうでしょう。顔、めっちゃ白いし、その、なんか可愛いし、こう、鼻筋が綺麗っていうか?」
乏しい知識の中から、適当にそれっぽい言葉を並べてみた。俺には、この人の可愛さを表現できない。女性を知らない童貞野郎でごめんな!
「いや、そういうことじゃなくて! もっとあるでしょう、言うことが! 口が裂けているでしょう、怖くないの?」
「怖いんすか? 女性はめっちゃ気にするポイントとか……? すみません、俺童貞だからそういうのわかんないっす」
やっぱり女性のことはわかんないなー。まあ、一重とか二重とか? そんな感じのこと気にしてるくらいだし、口の大きさとか気にするんだろうな。
「そういう問題じゃない! 普通、その、怖いでしょうが! こんな人いないんだから」
「いやいや、いますっていくらでも。知らんけど」
俺は童貞野郎だが、これだけはわかる。女性の言う「こんな人いない」は嘘だ。例えば、「私は足が太い、他にこんなに足太い人いない」とか女性はすぐ言うが、俺から見たらよくわかんないし同じくらいの人は絶対いる。
まあ、前にそれを大学の女の子に言ったら「そういう問題じゃない」「あんたってデリカシーなさすぎ、サイテー」って言われて絶交されたけどな!
「誰かの口元くらい童貞でも見たことあるでしょう?」
「いやいや、今の世の中まだまだマスク社会ですよ。お姉さんもしてたでしょ?」
などとテキトーに返していると──本当は女性の口元なんかよく見てないだけだが──、会話が途切れてしまった。
俺は童貞野郎だが、これだけはわかる。こういう時は、男が率先して話題を振るべきである。知らんけど。
「つまり、よくわかんないけど、その口元が気になるからマスクしてるんすか? 勿体無いすよ、可愛いんだから」
「あんたデリカシーないってよく言われない?」
「何故そのことをっ!?」
女性はファンタジー、常々そう思っている俺だが、流石にエスパー系女子に会ったのは初めてだ。まあ、童貞野郎の俺には分からないだけでエスパー系女子なんて結構いるんだろうな、うん。
「そのとぼけた喋り方を見てれば誰でもわかるわよ! 見てなさい、二度とそんな口をきけなくしてやる」
するとお姉さんは懐からキラリと光る何かを取り出した! これは、鎌か?
「エスパー系女子じゃなくて農業系女子すか? そういうのもいいっすね」
「エスパーでも農業でもないわよ! あんたを私と同じ口にしてやるって言ってるのよ!」
「え、なにそれは……新手の告白? やっぱり逆ナン?」
俺色に染めてやるぜ! 的な? よく分からんけど美人と一緒になるなら本望! と、思ったのはいいが……。
「あの、もしもーし?」
俺がさっき返してから、女の人は鎌を持って固まっている。この人と話してるとすぐ話題が尽きるな。女性と話すのって難しいぜ!
しばらくして、お姉さんはなぜか呆れたっぽい感じで言ってきた。
「あんた、私が怖くないわけ?」
「どうして? 誰も怖がらないでしょう」
「……あんたが初めてよ。この口を見ても逃げなかったのは」
それは……。その、ご愁傷様だ。今気づいたが、このお姉さんはめちゃくちゃ可愛いけど相当変な人だ。そのせいに違いない。
「別に、口のせいじゃないと思います。俺みたいな童貞野郎に言われたくないだろうけど、突然話しかけてきてマスク外してなんか鎌出してきたらみんなびっくりしますって」
「あんた、筋金入りのアホね」
突然の罵倒! やっぱり女性はファンタジー! でも、俺に新手の逆ナンを仕掛けてきたくらいだからきっとこれは本心でないに違いない、間違いない。俺には確信があった。
「でも俺はあなたがエスパー系だろうと農業系だろうとそんなこと気にしません。俺と付き合いましょう。ええ、今すぐに!」
「はぁ?」
うーわ終わった! 終わったよ! 俺の確信は一瞬にして塵と変わった。また振られた!
「でも」
「でも?」
「あんたみたいな能天気な奴に会えて良かったって、ちょっと思ったわ」
「ってことは?」
「言わせないでちょうだい」
今の一瞬で何があった!? よく分からんけど、マジでこの世の春が来たらしい。
「でも、あんたが思ってるようなことにはならないわ。私ね、もう死んでるのよ」
「はい?」
「どうせあんたのことだからはっきり言わないと分かんないでしょうけど、要するに幽霊なの。生きてた間には、あんたみたいに話してくれたバカはいなかったわ」
「幽霊系女子!?」
「言うと思った! 絶対言うと思ったわ! もういいわそれで」
よく分からないけど、それでいいならいいか。俺がテキトーなことを考えていると、突然お姉さんの身体が透け始めた。
「あんたみたいな奴のおかげで成仏できるなんて、バッカみたい。……でも、ありがとう」
「え、ちょっと! それはダメですって! 俺たちこれからじゃないですか!?」
「バカのくせに優しいのね。でも、もう時間がないわ。さよなら」
ちょ、ちょっと! それじゃあ困る!
「そ、そんな、俺の童貞卒業は!?」
「あんたそんなんだから一生童貞なんでしょうが!!」
やめて、一生童貞とか言わないで! お願いだから!
「あんた、もっとしゃんとしなさいよ。よく見たら意外と顔は悪くないし」
「……お姉さん、もう身体が」
お姉さんを通して向こうの景色が見えてしまうくらいに身体が薄れている。
「そのバカでデリカシーのない性格を直したらきっと誰かいい人が見つかるわ。あんたの童貞は、私じゃなくてその誰かにあげなさい」
「お姉さん……」
「でもね……」
そこまで言うと、お姉さんの姿は完全にかき消えた。夜道には、最初から何もなかったかのように闇だけが広がっている。
たった一つだけ。俺の唇に残された、柔らかな感触だけが、お姉さんがここにいたことを証明していた。