綱引き
事件の場所は、小学校の校庭。その日、そこで町内運動会が行われていた。
地区を目安に町内、四つのチームに分かれ、優勝を争っていたわけだが
そう厳格でもなければ殺伐ともしていない。
フラっと立ち寄り、受付のテントで住んでいる場所を言えば
その地区チームのハチマキを渡され振り分けられる。
種目は基本、自由参加。出たい競技があれば手を上げ表明。
人数が多ければ抽選かジャンケン。が、大抵は譲り合う。そんな空気感。
競技ごとに駄菓子の詰め合わせなど参加賞や
活躍によってはもう少し豪華な賞もある。
それら目当てに来た者や野次馬など意外と人が集まり、活気があった。
種目は様々。パン食い競争、ムカデ競走、障害物競走、リレーにラストはマラソンの予定。
子供たちが普段、自分が通う小学校のどこかいつもと違う雰囲気に
ソワソワした様子でお目当ての競技が始まるのを待っている。
そして、問題となったのが綱引きである。
時間の都合もあり、これは四チームが二対二に分かれ行った。
ピストルが鳴り、それを合図に両チーム、力を入れ踏ん張る。
力は均衡。ギャラリーも、おおと声を上げる名勝負……なのだが
決着がつかないまま五分が経過した。
両軍疲労が溜まる。男女混合チーム、そして双方、メンバーの大半が中年以上。
初老と子供も混じっている。
息も絶え絶え、力を緩め、空を見上げる者。
競技中だというのに腰に手を当て、『あぁちょっと休憩』とぼやく者も。
綱は時折、萎れた苗のように垂れてはまたピンと張る。
痺れを切らしたのか遠巻きにそれを眺めていた子供が一人、駆け出して綱を握った。
実況席がおおー! っと声を上げ笑う。ゆるい空気感だ。咎める者はいない。
飛び入り参加も大歓迎。そう煽った。
それを受け、他の子供も、そして大人も加わり、綱の周りは活気づいていく。
しかし、拮抗していることは変わらない。
綱の引き合いが続く。土煙上げ、掛け声が飛ぶ。
その中、今度は一人の男の子が綱から飛び出し、勢いそのまま校門から学校の外へ。
無論、それもまた自由。飽きたのかトイレか用事を思い出したか。
その背中を見た者はそう気に留めなかった。
が、数分後、男の子は戻って来た。
ホッとした表情を浮かべたその後ろには人が何人も続いている。
彼は学校の近辺に住む人や、通行人に声を掛けて回っていたのである。
その最中、もう勝負がついてしまっていて
無駄足になれば、彼らから怒られるのではと思ったのだ。
だが、勝負はまだついていなかった。ゆえに安堵した。
そう、勝負はこれからだ。
実況席が興奮し、声を上げる。
『戦の時代! 援軍を引き連れた村の子供! 英雄! 現代のジャンヌダァァァァァルゥクゥゥゥ!』
彼を褒め称え、いよいよこれで勝負が決まると、そう確信した。
しかし、空気を読んだというのか
連れて来られた大人たちはバランスを考え、両チームにそれぞれ入った。
結果、またも拮抗。勝負は続く。だがやはり、どこか和やかな雰囲気。
「おお久しぶり」「おお、地元に帰って来ていたのか」
「孫の顔を見せにな」「うちは一緒に暮らしてるよ。子供の面倒を見てもらって楽だ」
などと顔見知りを見つけ、ちょっとした同窓会気分。
早く終わらせて酒でも飲もうやと大人たちは笑い合う。
そしてあの男の子を真似し、綱から飛び出し駆けていく子供あり。
それを見た相手チームの子供もまた援軍を呼ぶために駆け出す。
僕も私もと風に吹かれたタンポポの綿毛のように飛んでいく。
それを見た大人は「ふふん。所詮、子供だな。大人はこうするんだ」と
携帯電話を取り出し、手当たり次第に連絡を取り始めた。
結果、校門からワラワラと、やがて勢いを増し流れ込む人々。
その中には「テレビ」「冷蔵庫」「海外旅行」「金!」など口ずさむ姿がちらほら。
どうも豪華賞品が出ると思っているらしい。
「参加賞がある」という誘い文句が、口伝の末に……というのは察しがつきやすい。
無論、嘘をついて誘い込みもしただろうが。
いずれにせよ、餌に釣られた人々、綱に向かって飛び込んだ。
しかし、綱引き用の長い綱と言えど、全員は持てない。
よって自然と綱を掴んでいる者を掴み、引っ張る形となった。
それでもカブは抜けません、とばかりに決着はつかず。
その間も、続々と集まる人々。
「勝てば百万!」「二百万!」「三百万!」
上がる賞金と血圧。当然、その金は蜃気楼のようなものだが
その熱気に当てられ、綱の周りは異様な空気感に。
陽炎が上がるような熱気、その中心。
顔は赤く、目は血走り、奇声染みた悲鳴が上がる。
綱を掴む者が足を持たれ、引っ張られる。
上空から見ればまるでツムギアリの磔の刑か。
しかし、決着はつかず。
土煙上げ、怒号と罵声が飛び交う。綱の周りの地面はボコボコに。
軽く穴を掘り、そこに足を引っ掛け踏ん張りをきかせようと考えた者がいたのだ。
しかし、その穴を埋めるのは力尽き、倒れた人の頭。
上からさらに踏まれ、悲鳴も沈む。
押し合いへし合いで綱から離れることができない上に
「もう無理」「限界」「外に出させて」「休ませて」
などと弱音を吐けばどこからともなく怒号と拳が飛ぶ始末。
「非国民!」「恥知らず!」「裏切り者!」「国賊!」
指が爪が足に腕に胴に食い込み、その痛みに喘ぎ、綱から手を離せば
叩き捨てられ「役立たず」と唾を吐かれる。それを拭く間も必要もない。
綱を掴もうと詰め掛ける人々にドカドカと踏まれ、流した血で洗える。
綱の中心を示すために巻かれた赤いテープは
綱に染みこんだ血で見分けがつかなくなった。
決着はまだかまだなのか、終わりは見えず死屍累々。
実況席もボキャブラリーが尽き『殺せ!』『いけー!』の他に猿のような奇声。
まさに地獄の有様。悲鳴罵声怒声ケタケタと笑う狂気の声。
呼吸する肉塊のように犇めき合う人々。終わりなく、永劫続くかと思う苦痛。
だが、その時は来た。
一発の銃声がその場に響き、空へと駆けるように昇った。
騒ぎを聞き、駆け付けた警官が空に向けて発砲したのだ。
自分の周りを漂い、香る硝煙が鼻腔を刺激する。汗が頬を伝う。
他に手はないように思えた。いや、それさえも有効とは思わなかった。
ほとんど苦し紛れ、押し寄せる恐怖心を打ち払うの行動。
今、目の前にあるそれが人の群れであることはわかってはいたが
警官のその瞳には醜悪極まる毛虫にしか映らなかったのだ。
そして絶えず蠕動するそれらは今に大きく伸びあがり、自分を取り込むのではと。
足は震え、目が血走り、脳は萎縮。
伸びあがった腕の先、上を向いていた銃口は自然と前を向いた。
ある大戦を引き起こしたのは一発の銃声。これもさらなる争いの呼び水となるか。
とその時であった。ちらほらとその場から人々が散り始めたのだ。
口にする言葉は「どっちが勝った?」「どっち?」「こっちだろ」「疲れたなぁ」「金は!?」
後に残るのは踏まれた蟻のように倒れ、ヒクつく人々とそれに集られていた獲物。
綱は赤黒く、まるで干乾びたミミズのようであったと警官は後に語った。