【★1】指輪物語
『トルーキンは「ファンタジー文学あれ」と言われた。すると「ロード・オブ・ザ・リング」があった。』
『初めに「The Lord of the Rings」有りき』。
あまりに有名な『有名物語』。
(和訳版は、ヘボいので有名ですが)
ファンタジー文学の原点にして最高峰。
全てのファンタジーは、この作品に始まりました。
『指輪物語』以前の作品では、「剣と魔法の世界」と言えば「お伽話」でした。
まぁ、「騎士道物語」のような近世の上流階級婦人の好みで生まれた物語や、吟遊詩人が神話を翻案して作り出した作品はありましたし、近代では児童文学としてのファンタジーは誕生しましたが、『文学』と呼ぶには少々稚拙でした。
(のちに『指輪物語』の前日旦となる『ホビットの冒険』を含めて)
余談ですが『指輪物語』が「文学」としての充分な体裁を得る事ができたのは、『ホビットの冒険』の主ターゲット読者であった長男の成長に伴うものであろうと思われます。…後にこの長男は、父の遺稿をまとめて、数冊の出版を行っています。
『指輪物語』は良くも悪くも、後の『全ての』ファンタジーに影響を与えました。
まぁ、「指輪物語なんか、読んでないぜ」というラノベ作者も少なくないでしょう。
しかし、そうした作者に影響を与えた作品へ、直接的間接的に、指輪物語は影響を与えているのです。
惜しむらくは和訳の最初の訳者が稚拙過ぎた為に、原作のギミックが失われたりして、日本での直接的な影響力は低下していますが…
(最悪の例は『野伏』。日本人にすらマイナーなこの単語の本来の名称『レンジャー』です。そして彼らの『バッチ』は星形。つまり保安官のバッチの暗喩なのですよ。他にも多数の『ヘボ約』が溢れ返ってますが。)
さてこの『指輪物語』、その根底には、実は『キリスト教的世界観』があります。
指輪物語本編では遮蔽されていますが、後に出版された『シルマリル』という短編集(もしくは設定集)では、世界観のバックボーンを描れており、その辺りが明瞭に現れています。
なお、『指輪物語』では『魔法』はあまり強く描れていませんが、それでも(イギリスが持つ)中世的な魔法観は存在しているようです。
その辺りで、『ローマカトリックが正当とした』アリストテレスの四大元素説が混入する素地となったのでしょう。
(『指輪物語』に登場する『魔法』は、魔術ではなく科学技術てはないか?という観点もありますが…ガンダルフがホビット庄の為に花火をあげる描写がありますし。まぁ、余談ですけどね。)
余談ですが、よく知られているように、『指輪物語』は『ホビットの冒険(原題:The Hobbit, or There and Back Again)』の続編です。
その『ホビットの冒険』ですが、体裁は明らかに「児童文学」です。
『ホビットの冒険』も『指輪物語』も、トルーキンが構想したのは1920年代のようですが、出版は『ホビットの冒険』は1937年、『指輪物語』は1954年と、17年もの開きがあります。
さて。『指輪物語の批評家にして編者』とも呼ばれる、トルーキンの末っ子クリストファは1924年生まれ。
『ホビットの冒険』出版時には13歳だった彼も、『指輪物語』出版時には30歳です。
『ホビットの冒険』が「児童文学」であり、しかし『指輪物語』は「ファンタジー文学」となった理由は、やはり彼の「第一読者」としての存在が大きかったのでしょう。