30.真実(2)
「お邪魔します!」
と、純の元気な声が、唯の家中に響いた。
「純ったら……、今はだれも居ないって言ったでしょ!?」
「え、そうやったか?」
「もう……」
と、唯は深くため息をつく。
それを聞くと、純はズカズカと家の中に入って行った。
唯は慌てて純を止める。
「ちょ、ちょっと! あたしより先に入らないで!!」
「ええやないか、別に。……ほんま久しぶりやな〜、この家に入るのは」
純は懐かしそうに家の中を見回した。
そんな純を見て、唯は改めてため息をついた。
そんな中、勇也は玄関にひとり取り残されて立っていた。
「あ……、ゴメンね、勇也くん。さ、遠慮せずにあがって」
唯はスリッパを勇也の前に出してやった。
「神代さん、ありがとう」
「おい、わてのスリッパは?」
「はい!!」
唯は純の顔にスリッパを投げつけた。
「な、何するんや、唯!?」
「純がキャッチが下手なだけでしょ!」
「おいおい」
「それじゃ、ちょっとここで待っててね。部屋を片付けてくるから」
「……ああ」
ふたりを廊下で待たせると、唯は階段を上がって行った。
純に強めには当たっているものの、唯はとても幸せそうだ。
しかし、それは逆に勇也の心を病ませるだけであった。
勇也は俯いていた。
純はそんな勇也を心配した。
「お前がそんなに落ち込んでいるのを見るのは初めてやな。何か悪い夢でも見ているようや」
「……それはあなたが浮かれてるからじゃないですか? 俺はいつもと同じですよ」
「……わてにはえらい冷たいな」
「あなたは自分に恋心を抱く女の子を一ヶ月以上も放って置く人ですからね。それ位の扱いを受けて当然じゃないんですか?」
「なっ……!」
「少しは彼女の気持ちになって考えようとは思わなかったんですか? あなたに会えない間、彼女がどんなに辛そうな顔をしていたか分からないんですか?」
「……木下……」
怒気の込められた勇也の言葉は、純の心にグサグサと突き刺さった。
「お前、ほんまに唯のことが好きやったんやな」
「……ええ。これまでこんなに話の合う子は居ませんでしたからね。でも――」
「でも?」
「今は彼女よりももっと大切な人が居る」
「……そうか、うまく行くとええな」
その瞬間、勇也は黙ったまま純の胸ぐらを掴んだ。
「き、木下……!?」
純はその顔に恐怖を覚えた。
「ふたりともー、二階に上がって来ていいよー!!」
と、遠くから元気な唯の声が聞こえた。
勇也はそれを聞いて、手を離した。
「ほら、お嬢様のお呼びですよ」
階段を上がっていく。
純はそんな勇也の背中を見た。
その背中はとても寂しげだった。
二階に上がり、ふたりは唯の部屋に入った。
勇也が、この部屋に来るのは二度目だった。
前回の時は、唯はどん底に沈んでいて散らかっていたが、今日は、先ほど片付けたからか、綺麗に整頓されていた。
相変わらず、部屋中にぬいぐるみがたくさん並んでいたが、その中で、特に枕元にあるウサギのぬいぐるみだけが、酷く古ぼけている。
純はそのぬいぐるみを見つけると、手に取った。
「なんや唯、まだこのウサギ持っとったんか。名前は確か……、トドくんや!!」
「違うもん、ララちゃんだもん!!」
唯は純からウサギのぬいぐるみを引ったくると、大事そうに抱えた。
「いいや、こいつはトドや! わてがお前の誕生日にトドをプレゼントしたはずが、開けてみたらなぜかウサギに変わっとった」
「えっ! そうだったの!?」
「そうや。だってお前、昔からトドが好きやって言うとったやろ?」
「そんなこと言ってない! あたしはウサちゃんが好きなの!!」
唯は頬をぷーっと膨らませる。
「ははっ、冗談や、冗談」
「もう……! 何か飲み物を持って来るから、ちょっと待ってて。これ以上、部屋の中をいじくり回さないでよ?」
唯は呆れた顔をしながら部屋で出て行った。
勇也はそれを見て、ふっと笑った。
「何がおかしいんや!」
「いや、まるで夫婦ゲンカみたいだったから」
「あ、あほかっ!」
大好きなメロンソーダを三人分持って来た唯は、丸いテーブルの前に勇也を座らせる。
少しジュースを飲んで落ち着いた後、唯は真剣な顔をして口を開いた。
「……さあ、勇也くん。話してみて?」
と、唯は自分の膝を掌でポンポンと叩きながら、勇也の話を受け入れる態勢を示した。
「…………」
「……広田さんのことなんでしょ?」
それを聞いて、勇也は驚いた顔をした。
「な、なんで知ってるんだよ?」
「彼女がチア部に入っているって知っているんでしょ? 彼女、あたしに突っかかってきたよ」
「そうか、それで……」
勇也は理解した。
「話して、お願い」
「……分かったよ」
勇也は遂に折れた。
唯になら美雪のことを全て話せる気がした。
純と唯は、勇也の話を聞いて驚いていた。
「なんて悲しい話なの……」
唯は泣きそうになっていた。
「しかし、お前転校するんか。全然そんな話聞いてなかったで」
「それは当然ですよね? 先輩と会うのがどれくらいぶりだと思ってるんですか?」
「あ、そうか」
「馬鹿なこと言わないでくれませんか!? いい加減、頭に来るんですが」
「……す、済まん」
純はつい謝ってしまう。
勇也の方が年下のはずなのに、なぜか圧倒されている。
「……でも、あの瀬口に似ている広田さんが、勇也くんの彼女だったなんて……」
「え、美雪の奴、その瀬口って人にそんなに似てたのか?」
「うん。全くとまではいかないけど、何か雰囲気が似ている気がするんだよね〜」
唯は、改めてふたりの顔を思い出しながら、比べてみる。
すると、純が妙に興味を持ち出した。
「唯、それほんまなんか? ほんまに裕子に似とったんか!?」
唯はむっとして意地悪く言い返す。
「そうよ! 純にどっぷりハマってるあの女にそっくりなのよ!! あんな顔、もう二度と見たくない!!」
言った後で、その言葉が美雪に対しても悪口を言っていることに気付いた。
「ご、ゴメン、勇也くん……」
「別に構わないよ」
「それより、木下。その美雪って子の性格を教えてくれんか?」
純は、妙に積極的に訊いてくる。
「えっ、どうしたんです、急に?」
「裕子のことを言うと、あいつはかなりの露出狂やな。酒を飲むと平気で裸になったりする。だから放っておけなくなるんや」
「あ〜、それ目当てで、あの女の元に住み着いたのね」
唯は純の耳を引っ張る。
「いてて……! 今は木下の話やろ。その話は後にしてくれ……」
「……わ、分かったわよ」
勇也は、美雪のことを思い返すと、
「そう言えば、美雪も恥ずかしげもなく、俺の前で服を脱いだり……」
「ちょ、ちょっと、ふたりともなんてことやってるのよ!?」
唯は話を聞いていて、腹が立ってきたらしい。
今度は、純と勇也の耳を同時に引っ張る。
「あ痛たた……! 勘弁してくれや、唯」
純は堪らず逃げ出したが、勇也は彼女の手を振り払うとそのまま塞ぎ込んだ。
「あの後、俺が引っ越すことを言ったら、美雪の奴、私のことが嫌いになったのねって……」
勇也の脳裏に美雪の言葉が甦る。
『いやあ! もうあなたの顔なんて見たくない!!』
すると、一気に悲しみがこみ上げて来た。
勇也は知らぬ間に涙を溜めていた。
照れ隠しにジュースを慌てて飲み干す。
「勇也くん……」
唯はその時、勇也が予想以上にショックを受けていることに気付いた。
はしゃいでいる自分が恥ずかしく思えた。
また、無自覚に勇也を傷付けてしまっていた。
「……勇也くん、ゴメンね。あたし、ひとりで何か浮かれていたみたい。こんなに苦しんでいると言うのに、あなたの気持ちも考えないで……」
「気にしなくていいよ、俺のことなんか……」
勇也の目は死んでいた。
すると、純が真剣な顔つきで話し始めた。
「唯、木下。お前らに是非聞いて貰いたいことがあるんや」
「えっ!?」
唯は純が妙に改まっているので驚いた。
勇也はその言葉に反応せず、そのまま俯いていた。
「わてが今一緒に住んどる瀬口裕子という子は、幼い頃、あちこちの家を転々としとったんや。あいつには地獄の日々やったに違いない。そして遂にその引受人の家を飛び出したんや。息苦しい立場で生きることに耐えられんかったんやと思う。そして、今のあのアパートに引っ越して来た。自由は手に入れたが、当然生活は苦しかった。だから身体を売って生活しとったんや! まだ十五やで!!」
「…………」
「怪我をして彼女の家で療養していたわてがその話を聞いた時、このままではあかんと思った。だから、一緒に生活することにし、何とかしたいと思うたんや。……わては日雇いでアルバイトしてあいつに風俗では働かせないようにしつつ、裕子を捨てた親の手掛かりを掴む為に東奔西走した。なかなか手掛かりは掴めんかった。しかし、つい最近やっと情報を手に入れたんや。十八年程前に子供が捨てられたと言う話を……」
「もしかして、それが……」
「そう、それが裕子やったんや。赤ん坊だった裕子の隣に、『この子の名前は裕子です。どうか幸せにしてやってください』と書かれたメモがあったそうや。発見した当人に辿り着いて、話を聞けたから間違いあらへん」
正直、西山純の行動力には脱帽する。
一ヶ月という期間は、唯には本当に長かったが、裕子の出生を探るには余りにも短い時間だった。
「その人は裕子を数年間育てたらしいんや。しかし、会社の倒産で仕事を失のうてしまい、その人も泣く泣く親戚に預けたらしい。だが、その親戚は裕子を邪険に扱った。そして、その親戚、そのまた親戚と裕子はたらい回しにされたんや」
「ひ、酷い! そんなの……」
「わては裕子のほんまの親を見つける為にこれまで頑張ってきた。だが、さすがにそこまでは分からんかった。だけど今日……」
その時、俯いて聞いていた勇也が初めて顔を上げた。
「まさか――――」
「広田さんの親が、裕子のほんまの親なんやないかと」
純の推理はとんでもない話だった。
勇也は慌てて否定する。
「そんな訳ないだろ! 美雪に姉さんが居るなんて話…………」
と、言い掛けて、ひとつ思い出したことがあった。
「何か心当たりあるんやな?」
「いや、でも……、まさか……!」
勇也は、美雪の父親が出て行った、あの日の話を思い出した。
美雪は話してくれた。
彼女の両親は、駆け落ち同然で結婚したそうだ。
その為、親からも認めて貰えず、定職にも就ていなかったから、社会的基盤も無いに等しかった。
だから、かなり貧しい生活を送っていたと言う。
あちこちを転々として短期で割の良い仕事を探していたらしい。
美雪が産まれたのは、氷上町に今の家を借りて定住してからだという。
もし、転々としていた時に子供が産まれていたら……?
当然養っていくお金なんかあるはずがない。
そしたら本当に……?
勇也はゆっくりと口を開いた。
「……受け入れ難いけど、可能性はあるかもしれない……」
「ほ、ほんとなの? それなら……」
「裕子に家族が出来るかもしれん……」
純と唯は顔を見合わせた。
袋小路に見えたこの難題に、一筋の光明が差したのではないか。
しかし、勇也は寂しげに言葉を漏らす。
「今、美雪の父親が出て行ってしまったらしく、かなり生活が苦しいんだ。その子を迎え入れる余裕なんてあるのだろうか?」
唯は顔を曇らす。
そんな唯の顔を見て、純は立ち上がった。
「そんなこと、ほんまの家族なら何ともないはずやろ! 大人から見たらままごとと笑われるかもしれんが、わてと裕子だけでも生活は出来たんや。大切なのは家族の繋がり、そして、その気持ちやないんか?」
「…………」
「木下、裕子を母親に会わせたいんや! 協力してくれんか?」
純は誠意を持って、お願いをする。
しかし、勇也は再び俯いてしまった。
そんなことが出来るはずがない。
今は美雪と会えない。
いや、会いたくても会ってくれないだろう。彼女の方が拒絶反応を示すはずだ。
すると、唯が勇也に近づいた。
勇也が顔を上げると、唯は優しく抱き締めてくれた。
「こ、神代さん……」
勇也は唯を見つめる。
唯は笑顔を見せながら言う。
「勇也くん、あたしの勇気を分けてあげる。だから頑張って! 自分の殻に閉じこもらないでさ」
「……自分の殻?」
「そう、勇也くんは他人との接触を恐れて、自分だけの世界に閉じこもろうとしてるのよ」
勇也はその時、昨日の壇ノ浦の言葉を思い出した。
『木下、いつものお前に戻れ! 何をそんなに意地張ってるんだ!』
「神代さん、俺は……」
俺は意地を張ってるだけだと言うのか。
嫌なことから逃げ出す為に、他人との接触を避けていたと言うのか。
「これは自分の為だから言ってるのかな? でも、あたしは勇也くんにも幸せを掴んで欲しいの。あたしは嫌なことから逃げ出さず、正直に純に思いをうち明けた。だから今、ここに純と居るの」
俺に足りないもの……。
それは勇気……。
勇気……。
美雪と初めてキスした時に、彼女にたくさん勇気を貰ったはずだったのに、また忘れてしまっていた。
自信を持てない自分にとっては、本当に振り絞らないと出せないものなのかもしれない。
だけど、このまま、自分の正直な気持ちを伝えられないまま、谷川市を去って良いわけがない。
唯は純の方を見た。
「ゴメンね、純。あなたの前で他の人と……」
「わては気にしてないで。お前の『天下一品』の笑顔を、木下に分けてやったんやからな」
「ふふ、ありがと」
突然、勇也はすくと立ち上がった。
「俺は、俺は美雪が好きだ! 例え引っ越したってその気持ちは絶対に変わらない!!」
そう言うと、勇也は部屋を飛び出して行った。
今すぐ美雪に会いたくなったのだ。
「待って、勇也くん! あたし達も一緒に……」
唯が追い掛けようとすると、純が止めた。
「唯、これは木下自身の問題や。わてらは待とう」
「……うん」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
病院で集中治療室に入っていた由美子が目を覚ました。
「うう……」
「先生! 気が付いたみたいです」
「本当か?」
医者は由美子の元に歩み寄った。
「こ、ここは……?」
「谷川総合病院だよ。君は交通事故に遭って、ここに運ばれたんだ」
「……そうか、私」
由美子はあの時のことを思い出した。
「君は本当に運が良かったんだよ。もう少し打ち所が悪かったら、死んでいた所だ」
「こうちゃんは……? うっ……!」
「頭に響くはずだ。今はまだ、あまりしゃべってはいけない」
由美子はコクリと頷いた。
身体は痛みで全く動かせなかったが、頭にも手足にもたくさん包帯が巻き付けられて固定されている感触はあった。
結構な怪我をしていることは間違いなかった。
その時、流山が部屋の入り口の所に居るのが、由美子の視界に入った。
「る、流山君……?」
と、力を振り絞って声を上げる。
医師はそれを聞いて、振り返った。
「また君かね。何度言ったら分かるんだ。この患者は絶対安静なんだ。あれほど面会は出来ないと言っただろうが」
「…………」
すると、由美子が口を開いた。
「お願い、彼とふたりにして……?」
「何を言ってるんだ」
「先生、少し位、いいじゃありませんか」
看護師は、由美子の気持ちを察してくれたようだ。
「しかしだな……」
由美子は医師を見つめる。
「わ、分かったよ。ただし、少しの間だけだからね」
そう言うと、医師と看護師は集中治療室を出て行った。
流山は照れ臭そうに由美子を見た。
「ずっと待っていてくれたの?」
「勘違いするなよ。俺はただ、君が交通事故に遭ったって聞いたから、ちょっと寄ってみただけだ」
由美子は流山をやさしく見つめた。
流山はそれに気付くと、顔を背けてしまった。
「流山君、心配してくれてありがとう」
「あ、余りしゃべるなって。先生も絶対安静だと言っていただろ?」
「……分かったわ。その代わり、私の手を握っていてくれない? そしたら安心して眠れそうだから……」
「えっ……」
「……お願い」
「……分かった」
流山はそっと由美子の手を握ってやった。
彼女の手は、とても小さくて、柔らかかった。
由美子は目を閉じた。
奇跡的に持ち直したが、全治数ヶ月の大怪我だ。全身が痛くて、動かせなかった。
しかし、幸せだった。流山が側に居てくれるから。
「好き……」
そう言うと、由美子はすっと眠ってしまった。
「水島さん、不器用な自分で済まない。君が無事で本当に良かった……」
と独りごちると、流山の頬に一筋の涙が伝った。
流山は、戻ってきた医師に追い出されるまで、ずっと由美子の手を握っていた。




