29.真実(1)
唯と純は、谷川総合病院内の手術室の前に居た。
今、由美子の緊急手術が行われているのだ。
唯は泣きじゃくっている。
「あたしのせいで! あたしのせいで、由美子が!!」
由美子は唯を庇って車に跳ねられたのだ。
血がいっぱい流れていた。
意識がなかった。
「あたしがもっと注意していれば、こんなことにはならなかったのに!」
「少し落ち着くんや、唯」
純はそっとハンカチを差し出す。
「……ありがと、純」
唯はハンカチを受け取ると、涙を拭った。
「今は手術が成功することだけを祈るんや」
と、唯の肩を優しく掴んで励ます。
唯は、久々に再会した純の変化に気付いた。
「……何か随分落ち着いたね」
それを聞いて、純は微笑む。
「唯こそ、なんか雰囲気変わったで。随分女らしくなった気がする」
「そうかな? ……お互い、変な感じね」
「……そうやな」
唯にとっては一ヶ月ぶりの再会だった。
長かった……。
本当に長かった。
以前とは違い、ふたりはお互いを妙に意識するようになっていた。
すると、そこに流山が駆け込んで来た。
「あれ、流山やないか。どうしてお前がここに?」
「ハアハア……、そんなことはどうだっていい。水島さんは?」
流山は酷く息を切らしていた。
「今、手術中なの……」
と唯が状況を説明する。
「そうか……」
流山は心配そうに手術中と赤く光るランプを見つめた。
それもどうも落ち着きがない。
いつもの冷静な男ではなかった。
唯はそんな流山の気持ちを感じ取った。
「流山くんって、実は由美子が好きなんでしょ」
流山はビクッとして後ろを向いてしまった。
「馬鹿野郎、そんな訳ない。……ただ俺は……」
「ただ?」
「このまま水島さんにもしものことがあったら、自分を見失うかもしれない」
唯は嬉しそうに言う。
「それを好きって言うんじゃないの?」
流山は一瞬怯んだが、すぐ反論する。
「俺は女になんか興味はない。もう帰る!」
そう言うと、流山はその場を去って行った。
唯はニコニコしていた。
「流山くん、多分その辺で待っていると思うわ」
「えっ! 奴は帰るって言うとったやないか?」
「ふふ、女の勘てヤツかな。ああいう性格だからここには居られなかったのよ、きっと」
「ふーん」
純は返事をしながら唯を見た。
以前までの唯とは何か違って見えた。
女の強さと言うのだろうか、何か辛いことを色々経験して変わった。そんな気がした。
「そう言えば、勇也くんは来てくれないね。ちゃんと連絡したのに……」
「勇也くん……?」
純はその言葉を聞いてビクッとした。
やはり、まだ勇也のことが好きなのではと考えてしまう。
突然、以前と同じ感情が込み上がってきた。
「……なあ唯、お前は木下のことが好きなんか?」
唯はハッとして純を見た。
その瞳はとても悲しげであった。
唯はゆっくりと話し始めた。
「確かに勇也くんが好きだよ。あたしと共通の趣味を持ってるし、一緒に居て楽しいし、何か守ってあげたいような気がするから」
純の表情が暗くなる。
「でもね、純が姿を消して初めて分かったの。自分にとって、純がどんなに大切な存在かが。あたし、いつも純が側に居てくれるのが当然だと思ってた。家族のような存在だと思ってた」
唯は、少し深呼吸をすると、
「……でも分かったの。あたしは純が好きみたい。それに気付くのに何年も掛かっちゃった。……純には何処にも行ってほしくない。いつまでもあたしの側に居てほしいの!」
「唯……」
純は驚いた。
唯がここまで自分のことを必要としてくれてることに。
今まで抑えられていた感情が、一気に噴き出した。
「唯、わてはずっとお前のことが好きやった。幼い頃からずっと……。だから、いつも唯の側に居たかった」
「純……」
「お前は、なかなかわての気持ちに気付いてくれんかった。水島には初めて会った日に見透かされたんやが」
「えっ、由美子のヤツ……」
「唯が木下の奴が好きやと言った時は本当にショックやった。この世の終わりかと思った。だから、何とか唯を振り向かせたかった」
「…………」
「しかし、結局出来へんかった。絡まれてた裕子を助けてしもうて。……わての、そんな意志の弱さがたたったんやろうな。わては裕子を求めてしまった。すまん! 今まで……、そして今も……」
唯は大粒の涙を流して純に抱き付いた。
「そのことはもういいの。これから、純が側に居てくれれば」
そう言うと、唯は純の唇にキスをした。
純もそれに応える。
とても長い口付けだった。
ふたりは強く強く抱き締め合った。
ふたりは手を繋いで、手術が終わるのをじっと待った。
その時間はとても長かったが、さっきまでとは異なり、不安な気持ちは薄まっていた。お互いの存在が支えてくれていた。
少しして、手術中のランプが消えた。
ようやく由美子の緊急手術が終わったようである。
「あたし、流山くんに声掛けてくるね」
「ああ、分かった」
唯は、ロビーの方へと走って行った。
純はそんな唯の後ろ姿をぽーっと見ていた。
「ついにわては唯と両想いに――――わっ!」
なんと知らぬ間に、勇也が目の前に立っていた。
亡霊のような顔をした勇也を見て、純はかなり焦ってしまった。
「き、木下、どうしたんや?」
「お久しぶりです。神代さんとはうまく行ったんですね」
勇也は、純の様子を見て、ふたりの関係が進展したのだと確信した。
しかし、それは勇也にとって苦痛でしかなかった。
こんな時に他人の幸せそうな顔など見たくなかった。
「……お前、何か元気ないな」
「俺のことなど気にしないでください。馬鹿らしい」
純は勇也の様子がいつもと違うとすぐに理解した。
「何かあったんか?」
すると、勇也はキレる。
「だから気にするなと言ってるじゃないか! 先輩なんかにゴチャゴチャ言われる筋合いはない!!」
純は勇也の据わった目に寒気を感じた。
流山を連れて、唯が手術室の前に戻ってきた。
「あ、勇也くんも来てくれたんだんね。ありがとう、嬉しいよ」
「神代さんの頼みだからね。ほんとはあまり来たくなかったんだけど。俺は水島さんには嫌われてるし……」
一応返事はしてくれたものの、唯もすぐに勇也の様子がおかしいことに気付いた。
しかし、唯には由美子の様態を確認することが先だった。
手術室から出てきた医師達に、結果を確認する。
「純、勇也くん、流山くん、聞いて! あのね、由美子は命に別状は無いって。手術が成功したんだよ!」
唯は泣きそうになっていた。
「そうか、それはよかった。これでまずは一安心やな」
純は、危機的状況を脱したことを把握し、胸を撫で下ろした。
唯が流山を見ると、なんとも落ち着いた顔をしていた。
これが彼なりの喜び方なのだろう。
「流山くん、よかったね」
と、唯は声を掛ける。
流山は動揺して口を開く。
「ば、馬鹿なこと言うな。なんで水島さんが助かったからって俺が喜ばなきゃならないんだ。……俺はもう帰るぞ」
そう言うと、流山はロビーの方へ戻って行った。
「もう、どうせその辺で待ってるくせに。ほんと素直じゃないんだから……」
唯にも流山の照れ隠しは、もはやお見通しだった。
手術結果を見届けた勇也は、黙って歩き出した。
「あ、ちょっと、勇也くん!」
唯は、純の手を引くと、勇也の背中を追い掛けた。
駐輪場に辿り着いた勇也が自転車に跨ろうとすると、ふたりに呼び止められた。
「勇也くん、待って!」
「木下、何があったのか話してくれんか? なんか放っておいたら自殺でもしそうで怖い」
「…………」
「そうだよ、勇也くん。悩み事はパアッと話して楽になっちゃいなよ。パアッと――――あっ!!」
唯は突然大声を上げた。
「ど、どないしたんや、唯?」
「ちょっと! あの女はどうするの!?」
「…………」
純はそれを聞いて、立ち尽くした。
「確かに誰よりもお前のことが好きだ。だが、今は裕子を独りにはしておけへん。あいつにはわてが必要なんや。だから……、もう少し時間をくれんか?」
それを聞くと、唯は顔を曇らせた。
しかし、今の唯はこれまでのようにウジウジとはしてなかった。
「もう、こうなったら、ふたりともあたしの家に来なさい!」
「へっ!?」
「あたしがとことん話につき合ってあげる。それに勇也くんの悩みも解決してあげる」
と、勇也と純の服の袖を掴んだ。
「さあて、あの女を何とか始末しなきゃね」
そう言うと唯は純を睨んだ。
「始末って、おい……」
純は身動きがとれない。
「何言ってるのよ! あたしとのこれからのこと、考えなくていいの!?」
「アホか、そんな小っ恥ずかしいことを大声で言うなや」
「……いいの。もう何も怖くなんかない! あたしは強く生きる!」
その時、女と言う生き物は怖いと、純は思った。
さっきまであんなに落ち込んで泣きじゃくっていたというのに。
「さあ、ふたりとも、行くよ!」
唯は純と勇也の腕を引っ張った。
「こ、神代さん、何で俺まで……」
「何言ってるのよ! 勇也くんのことを放っておける訳ないじゃない!!」
「そんな、離してくれ!」
勇也は唯の手を振り払おうとする。
「あたしに逆らうつもり?」
と唯が真顔で睨む。
「……い、いえ」
勇也は従ってしまった。
本当に以前の唯に戻ったようだ。
唯は純と勇也を引っ張って歩き出す。
その姿には思い詰めた様子は微塵も感じられない。
そこには、自信に満ちたひとりの女性の姿があった。




