25.雨
「んん……、じゅ、じゅ――――ん!」
唯はベッドから飛び起きた。
「あ、あれ? ここは……?」
と、辺りの様子を伺う。自分の家ではない。
すると、ベッド脇に座っていた由美子が答えた。
「こうちゃん、ここは私の家よ」
唯は、由美子のベッドに寝かせられていたようだ。
「由美子。あたし、どうしてここに居るの?」
唯は辺りを見回す。
すると、自分の体に何かが掛かっていることに気付いた。
「こ、これは純の上着だよね? どうしてここにある……はっ!」
唯は由美子を見る。
「……そう。西山君が連れて来てくれたのよ」
「うそっ! どうして!? 純が? ええっ!?」
唯は完全に混乱している。
「こら、落ち着きなさい」
「……ご、ゴメン」
由美子は、そんな唯を見て、笑みを零す。
「でも無事で良かったわ。……例の変質者に襲われたって聞いたから心配したんだよ、もう」
「そうか、あたし、あの男に襲われて……」
と、あやふやになっていたあの時を思い出していく。
「真夜中に雨の中一人で歩き回るなんて、無茶しないで! 西山君が助けてくれなかったら、今頃こうちゃんは……」
「本当に純があたしを助けてくれたの?」
「ええ、その通りよ」
「そっか……、あのアホったら……。それで、純は今どこに居るの?」
「……それは……」
「……そうか、あの女の所に戻ったのね」
由美子はゆっくりと頷いた。
唯の顔が曇る。
「こうちゃん、まだ諦めるのは早いわ。今度、西山君の所へ押し掛けよう!」
「無茶言わないで、由美子。それが出来たら苦労しないよ」
「大丈夫。もう大体の検討がついたの」
「えっ!?」
「西山君が言っていたのよ。買い出しに出た所だったって。こうちゃんが歩いていたのも『下町』だったんでしょ?」
「う、うん……」
「私が以前見かけたのもその辺だったわ。やっぱりあの近くにあの女の家があるのよ!!」
由美子はかなり自信を持っているようだ。
今までの状況から判断するに、かなりの説得力があった。
「こうちゃん。明日からもう一度捜そう! だから今日一日はゆっくり休んで体力を回復させて」
「え、でも学校に行かなくちゃ」
唯は立ち上がろうとする。
「何言ってるのよ。外はこんなに雨が降ってるわ。警報が出ているし、休校になったはずよ?」
「えっ、そんなに雨が降ってるの!?」
驚いて窓の外を見遣る。
確かに、激しい雨が窓を打ち付けていた。
唯は純のことで頭がいっぱいで、雨のことなど完全に忘れていたようだ。
「昨日から、県内全域に大雨洪水警報が出てるって言うのに、まったく……」
由美子はため息をついた。
「えへへ……」
唯は久々に笑顔を見せた。
「それじゃ、もう少し休んでて。何かあったら、私は下のリビングに居るから呼んでね」
「うん。ありがと、由美子」
由美子は優しくドアを閉めると部屋を出て行った。
唯は部屋にひとりになると、純の上着をぎゅっと抱き締めた。
「あたし、あのアホに助けられたのか……」
なんだか嬉しくなる唯だった。
下に降りた由美子は、電話を掛け始めた。
手には流山がくれたメモを持っている。
「こうちゃん。私にも幸せを分けてくれて、ありがと」
そう言う由美子の顔は、幸せに満ちていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
勇也と美雪が谷川市に警報が出ているのを知ったのは、本屋の店長が開店準備にやって来た時だった。
「あれ? 広田君じゃないか。今日は警報が出て学校が休みだからって、朝から来てくれたのかい?」
「「えっ!」」
ふたりはそれを聞いて、笑い出した。
「はは、そうか、こんなに降ってるんだもんな。警報が出る可能性について、考えもしてなかったよ」
「ふふ、ホントだね」
「あれ、もしかして、ふたりでずっとあのゲーセン跡にいたのかい?」
それを聞いて、勇也はビクッとした。
「いや、まあ。その、それはそうですが……」
「店長あのね、昨日の夕方あそこにいたら大雨になっちゃって……。今まで出るに出れなかったの」
「……なんだ、そうか。ふ〜ん」
「何か言いたげですね、店長……」
「いや、別に……」
「別にってねえ……」
そう言いながら、美雪は店長と本屋の中に入って行ってしまった。
「美雪……」
勇也は、美雪がかばってくれたことに気付いた。
勇也が朝帰りになってしまったことを酷く気にしていたからだろうか。
「ありがと、美雪……」
そう言うと勇也もふたりの後を追った。
本屋の控え室に入った勇也は、暫くふたりの会話を聞いていた。
それを聞いていると、美雪が店長にかなり気に入られてることが分かる。
ふたりは単に普通に話しているだけなのだが、勇也はそれを見ていて次第にイライラしてきた。
嫉妬心もあったが、それよりも独占欲の方であろうか。
美雪は俺だけのものだ、誰にも触れて欲しくない。
そう心が思ってしまっているようだ。
その感情に自分でも驚いていた。
そんな勇也の様子に美雪が気付いたようだ。
美雪が勇也の所へやって来た。
「どうしたの、ゆーちゃん?」
「別に。何でもないよ」
と、勇也は顔を背ける。
その口調は心なしかキツい。
その気持ちを察したのか、美雪が行動に出た。
「店長、プールの鍵を貸して?」
「ん、どうするんだい?」
「いいから、いいから」
「……分かったよ、他でもない広田君の頼みだ」
店長はポケットから鍵を取り出すと、美雪に渡した。
「終わったら、ちゃんと返してくれよ?」
「うん。ありがと、店長」
美雪はくるっと振り返ると、勇也の手を取った。
「さあ、ゆーちゃん、行こう!」
「えっ、何処へ?」
「プールよ、プール!」
「えっ!」
美雪は、状況がよく分かっていない勇也を引っ張って行った。
それを店長はじっと見ていた。
「広田君、彼が好きなんだな。……ふふ、彼女の心を掴む奴が現れるなんてね」
店長は、まるで自分の子供の成長を喜ぶように、美雪の背中を見つめていた。
ふたりは本屋の隣にある室内プールに来ていた。
プールは本屋を挟んでゲームセンター跡地の反対側にあった。
勇也は、てっきり完全に閉鎖されて入れないものだと思っていた。
「なんだ、ここって中に入れたんだ?」
と、勇也は室内を見回す。
ゲームセンター内のあの秘密基地ほどではないが、未だに人の手は入っていそうである。
「うん。とは言っても、普通の人は入れないけど」
「でもどうしてあの店長がここの鍵を持ってるんだ?」
「あ、それは昔、あの本屋が施設の受付とかがあった所だからだよ」
「えっ、どういうこと?」
「だーかーらー、レジャー施設の経営者だった店長が、人気がないからお店を畳んで、あの本屋を建てちゃったってこと」
「そうか、だからあの本屋だけ異様に新しいのか。ここにプールだけがあるのも納得行くし……」
室内プール、ゲームセンター、総合受付。
すべてを合わせると、ちょっとしたレジャー施設があったことが想像できた。
その時だった。
美雪が突然服を脱ぎ始めた。
勇也はまたもや焦った。
美雪が大きな黄色いリボンをほどくと、結えられていた髪が肩下辺りまでフワッと下ろされる。
次にスカートよりも先に、真っ白なショーツを足下までずらした。
「お、お前な……、俺が目の前に居るんだぞ!? 分かってるのか?」
「いいじゃない、一緒にシャワー浴びようよ! ここね、お湯も出るし、冷えた身体にはとっても気持ちいいよー!」
勇也は見ていられなくなり、後ろを向いてしまった。
「照れてるの? もう、ほんとに可愛い」
と美雪が微笑む。
勇也は、今日の美雪は何と過激なんだと思った。
まるで勇也を誘っているようである。
だが勇也は恥ずかしくて、なかなか彼女の気持ちに応えてやれない。
美雪は服を脱ぎ終わったのだろうか。キュッと栓を捻って、シャワーが流れ出す音がし始めた。
勇也は振り返ることは出来ないが、色々想像して顔を赤らめる。
しかし、美雪のこの変化は何だろうか。
これほどまでに、恋愛感情が高まったというのだろうか。
初めて会ったばかりの時は、勇也に対してあんなにトゲトゲしていて、何にでも突っ掛かってきたというのに。
今は何でもふたりで共有しよう、そういう気持ちがヒシヒシと伝わってくる。
勇也は嬉しかった。
幸せだった。
美雪にこんなにまで好きになって貰えて。
俺はずっと一緒に居たい……。
ずっと……。
「……はっ!」
勇也は突然大声をあげてしまった。
美雪はビックリして、タオルを身体に巻き付けると、勇也の元にやって来る。
「どうしたの、ゆーちゃん?」
勇也は思い出したのだ。
自分が引っ越すことを。
ずっと美雪と一緒には居られないことを。
それを美雪に伝えなければならない。
そう決意して、ふたりの秘密基地にやって来たのだ。
美雪は勇也の異変に気付いた。
何かとても嫌な予感がした。
今までになく嫌な予感が……。
勇也は、美雪に背を向けたままじっと黙っていた。
それを見て、美雪はますます不安になる。
「どうしたの? ねえ、どうしたの、ゆーちゃん?」
「…………」
美雪は何度も声を掛けるが、勇也は振り返ろうとしない。
「ゆーちゃん……、お願い、こっちを向いて……?」
「…………」
美雪は勇也のそんな沈黙が耐えられなかった。
外では未だに激しく雨が降っている。
美雪は、勇也の服の袖を掴んだ。
ふたりは声を発しないまま、暫く、激しく打ち付ける雨の音だけが辺りに響いていた。
だが、突然勇也が美雪を抱き締めた。
美雪は勇也の意外な行動に驚く。
勇也の方からアプローチして来たことなどなかったからだ。
美雪は、そんな仕草から勇也がおかしいことに気付いていた。
勇也はそのままゆっくりと話し始める。
「ごめん、美雪……」
「えっ……!」
美雪は勇也から離れると、勇也の顔をじっと見た。
「それって、別れるってこと……?」
「いや、違うんだ。俺、転校することになったんだよ。だから、今までみたいに、美雪の側に居てやれない」
美雪の表情が険しくなる。
「ゆーちゃん、私がしつこいから嫌になったのね」
「違う、違うんだ。俺は美雪が好きだ! 離れたくない!!」
「嘘よ! 私から逃げようとして、転校なんて嘘つくんだ!」
「違う、本当なんだ! 親父の仕事の関係で年内には引っ越さなきゃならないんだ!」
「嫌っ! もう何も聞きたくない!」
美雪はその場から逃げ出そうとする。
「待ってくれ!」
勇也は美雪の腕を掴む。
「離して! ゆーちゃんには、先輩みたいな人がお似合いよ!」
「誰だよ、先輩って……? まさか、神代さんのことか?」
勇也はその瞬間、しまった、と思った。
しかし、もう遅い。
美雪の表情が更に険しくなる。
「冗談で言ったのに、やっぱり神代先輩のことが好きになったのね!」
美雪は完全に誤解してしまったようだ。
しかも、勇也に一切の弁解の余地を与えない。
「美雪! 頼むから、俺の話を聞いてくれ!」
「いやあ! もうあなたの顔なんて見たくない!!」
パシッ!
美雪は、勇也の頬を叩いた。
勇也は、はっとして、美雪の顔を見た。
美雪は泣きそうになっていた。
「私が、私がバカだったんだわ。ひとりでその気になっちゃって……。ゆーちゃんはそんな私を陰で笑ってたんでしょ! 嫌い、嫌い、嫌い……! ゆーちゃんなんて、だいっきらい!!」
そう叫ぶと、美雪は勇也の手を振り払うと、着替えを抱えて走り去ってしまった。
勇也はその場から動けなかった。
体がガクガク震えていた。
「そんな……、どうしてこんなことに……」
最初はまた美雪の悪い癖が出たのかと軽く思っていた。
しかし、もはやそれどころではない。
嫌い……。
嫌い、嫌い……。
嫌い、嫌い、嫌い……。
嫌い、嫌い、嫌い、嫌い……。
「そんな、そんな! いやだよ! いやだ!! どうしてだよ!? ああっ!!」
勇也は、気が狂ったように叫んだ。
そして自然と涙が溢れてくる。
止めようと思っても無理だった。
涙は流れ続ける。
そのうち、だんだん怒りが込み上がってきた。
自分の愚かさが許せなかった。
気付いた時には大声で叫んでいた。
「美雪、美雪、みゆきいいいいいいい!!!!」
そして、そこには瞳の輝きを失った男が立っていた。




