22.再会(1)
師走という季節外れに上陸する台風は、台風十九号であった。
今年は夏になかなか日本に上陸しなかったが、そのつけが回って来たと言う訳ではないのだろうが、この十九号は超大型であった。
現在、九百四十五ヘクトパスカル。鬼のようなレベルだ。
こんなものが今夜にも谷川に来ると言うのだ。
シャレにならない。
唯と由美子は、黒く立ち込める雲を見つめていた。
しかし、黒く見えるのは台風が近づいて来ているからだけではなかった。
ふたりの気持ちも随分と沈んでいたのだ。
あれ以来、純を見つけることが出来なかった。
既に純が失踪してから、一ヶ月近く経つ。
由美子はあの日純の姿を見たものの、唯は一度も会っていないのだ。
唯は諦めずに今日までずっと探してきた。
信じられないことに、放課後になると毎日毎日純を探しに出ていた。
由美子も驚く程である。
しかし、疲労もだいぶ溜まっており、精神的にも限界に達していた。
黒い雲はそれを象徴しており、更に陰鬱な気持ちを掻き立てているようだった。
放課後、唯が自席でぼーっと雲を眺めていると、誰かに呼ばれた気がした。
「先輩、先輩!」
「純……」
「神代先輩!!」
「えっ!?」
唯が振り返ると、チアガール姿の女の子が立っていた。
「あれ? 山峰さんじゃない……」
それは、チアリーディング部の後輩、山峰だった。
「あれ、じゃないですよ。やっと気付いてくれましたね」
「何度も声掛けてくれたみたいでゴメン。それで、どうしたの?」
「え〜っと、今日は月一の定例ミーティングの日です」
「うそっ!」
唯は驚いた。
「先月、日程は伝えていたはずですよ?」
「そ、そうだったっけ……?」
「先輩、最近全然顔出してないから、忘れているんですよ。先輩は、二年生の中で、部長に負けないくらいのキーマンなんですから。もっとしっかりして下さい!」
「そ、そんなことないよ……」
「謙遜はいいですから。さあ、一緒に来て下さい」
「どこに?」
「どこにって……、もう! 部活に決まってるじゃないですか」
唯は、全然頭が回っていないようだ。
「……今度じゃダメ?」
「駄目です。今すぐです!!」
「うう……」
唯は反論できない。
「由美子、あのさ……」
「分かったわ。私が先に加佐未に行って探しておくよ」
「ありがと」
「じゃあ、また後で家に連絡するから」
そう言うと、由美子は先に帰って行った。
「さあ先輩、行きましょう。まずはみんなに挨拶して下さいね」
「……うん」
唯は、とぼとぼと山峰の後をついていった。
久々にチアリーディング部に顔を出した唯だったが、当然やる気は出なかった。
こんなことしている場合ではないのだ。
一秒でも早く純を探しに行きたかった。
唯が部活棟でチアガール姿に着替えて体育館に向かうと、空がさっきよりも明らかに黒くなっていた。
ポツポツと降り出したかと思いきや、一気に激しい雨に変わった。
強く打ち付ける雨音が、体育館の屋根から継続的に鳴るようになった。
室内での部活とはいえ、気分が滅入るし、帰りたくなる。
唯がウォームアップ中、色々な話し声が聞こえてきた。
特に、最近よく出現する変質者の話題が主だった。
「知ってる? また変質者が現れたんだって」
「あ、知ってる知ってる。もー、信じらんないよね。これで三人目だったっけ?」
「そうそう。最初は誰だったっけ?」
「確か三組の野崎リサでしょ。あれ以来ショックで学校にも来てないしね。未遂だったのにさ」
「でもさ。知らない奴にヤられそうになったら、私だってやだよ」
「そりゃそうでしょ。そんなことになったら、彼に合わせる顔がないよ」
「うわあ、それは考えたくない!!」
横で聞いていた唯は、なんという会話をしてるんだと思った。
「そういえば、野崎さんを助けたのが、由美子と流山くんだったけ……」
そんな話を聞いていると怖くなってしまう。
三人ともI女学院の生徒だった。
なぜこうもターゲットが絞られているのかは謎だ。
色々と考えていると、山峰に呼ばれた。
「せんぱーい!」
「どうしたの、山峰?」
唯は、挨拶しなかったことを言われるのかと思った。
しかし、違うようだ。
「広田が先輩に話したいことがあるんですって」
「えっ?」
「おーい、広田ー!」
「はい!」
すると、美雪が走ってやって来た。
唯は何気なく彼女の顔を見ていたが、はっとした。
剣道の大会の日に、勇也のことを知ってそうな雰囲気を漂わせていたのが、彼女だったと思い出した。
今度は彼女から何か突っ込みを受けるのだろうか。
「広田さん、どうしたの?」
美雪は深々と頭を下げる。
「先輩、申し訳ありません。最近、プライベートが忙しくて……。部活に来る頻度を下げさせて貰っても問題ないでしょうか?」
「なんだ……、大丈夫だよ。この部は他の運動部みたいに、絶対ってことはないんだから」
と答えつつ、大した内容ではなくて、唯は内心ホッとしていた。
「ありがとうございます!」
美雪は嬉しそうだ。
「広田の奴、最近彼氏が出来たらしく、バイト増やして、クリスマスプレゼントを買ってあげたいんですって!」
と、山峰が勝手に補足し始めた。
「ふうん」
普段の唯ならば、もう少し話に乗ったかもしれないが、今はそんな余裕か無かった。
美雪が、照れ隠しに、山峰を押す。
「もう、山峰ったら、先輩に言わないでよ! 恥ずかしい」
「広田ったら、照れちゃって……、別にいいんじゃない?」
唯は、最近休みがちでコミュニケーションを取れていなかったこともあり、単にノロケられただけのように感じられて、どう返したものかと悩んだ。
美雪は、そんなことはお構い無しに話を続けていた。
「彼はとても素晴らしい人なんです。だから私、少しでも釣り合えるようになりたいんです」
「へえ、そうなんだ……、尊敬できる彼氏っていいね」
と、山峰も関心する。
「そう……って、先輩どうしたんですか?」
いつの間にか唯が、美雪の目の前に来ていた。
そして、美雪をじっと見ている。
「神代先輩……?」
「凄い仲良さそうで良かったね、広田さん」
と、肩をぽんぽんと叩くと、唯は体育館を飛び出した。
これ以上は無理だ。
今すぐにでも純を見つけたい。
一度そう考えてしまうと、もう駄目だった。
慌てて制服に着替えると、加佐未センター街へと走り出していた。
残された美雪と山峰は、訳が分からず、暫く呆然と立ち尽くしていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その頃、勇也はいつものゲームセンター内の秘密基地にあるソファに座っていた。
そしてずっと思い悩んでいた。
今日は美雪に引っ越すことを、きちんと言おうと思って来たのだ。
しかし、こういう時に限って、美雪はまだ来ていなかった。
今日はバイトが休みの日なので絶対に先に来ていると思ったのだが。
一度拍子抜けしてしまうと、何とも決心が鈍ってしまうものだ。仮に今すぐ美雪が来ても、話せそうにない。
「ああ、どうしよう……。美雪の奴どう思うだろう……」
勇也は本当に美雪と離れたくなかった。
しかし、親父に言われた通り、自分にはどうすることも出来ない。
あと二週間でこの谷川の地を去らねばならない。
引っ越してしまうと、お金を持たない学生の身としては、簡単には会えなくなってしまうのである。
親父が旅費の工面をしてくれるとは思えないし、今のように自転車で漕いで何とかなる距離でもない。
遠距離恋愛には自信が無かったし、会えない日があるなんて、絶対に嫌だった。
「美雪……」
勇也はそのまま眠ってしまった。
その時、また夢を見た。
あの少女がまた出て来た。
彼女は優しく勇也に話しかける。
「どうしたの? そんなに落ち込んだりして……」
「大切な人と離れ離れになってしまうんだ」
「そう、それは悲しいね」
すると、彼女がそっと抱き締めてくれた。
少女の身体は、とても暖かかった。
心が安らいだ気持ちになっていく。
君は……、君はいつも俺の側に居てくれる。
君は……、君は……、君は誰なんだ……?
君は……?
その途端、彼女はスッと消えてしまった。
「ま、待ってくれ! 君は誰なんだ!?」
すると、彼女の声だけが聞こえて来た。
「勇也、逃げちゃ駄目。一歩前に踏み出して」
「はっ!」
勇也は目を覚ました。
すると、目の前には、私服姿の美雪が立っていた。
彼女は、満面の笑みを浮かべながら、勇也を見つめていた。
「あ、ごめん、寝ちゃってたみたいだね。起こしてくれてもよかったのに」
「ううん、いいの」
「どうして?」
「だって寝顔がとっても可愛かったんだもん」
「えっ……」
美雪は、勇也の横に座った。
そして優しく微笑みかける。
勇也はドキッとしてしまった。
「ねえ、ここに来て」
と、太ももを指差す。
ミニスカートから伸びる、真っ白な彼女の太ももが眩しかった。
「えっと……」
「疲れているんでしょ? 私が膝枕してあげる」
勇也は何とも言えなかった。
しかし、体が自然と美雪の元へと向かっていた。
彼女の太ももに頭を預ける。
とても柔らかかった。
ほのかに、彼女独特の甘い香りがした。
見上げると、ふたつの大きなバスト越しに、美雪が笑顔を見せていることに気付いた。
夢のような心地で、心が和んでいくのが分かった。
勇也は恥ずかしがることも忘れていた。
美雪には勇也をどうにかしてしまう魔法の力でもあるのかもしれない。
美雪の優しい笑顔を、今、自分だけが独占してるんだ。
そう思うと、堪らなく嬉しかった。
「ゆーちゃん、あのね。私、今度の期末テストの勉強を頑張ってるんだ」
「……へえ」
「私、ゆーちゃんにふさわしい人になりたいの。そして、ずっとず〜っと、ゆーちゃんと一緒にいたい」
美雪は、勇也の顔を見る。
「……あれ、また眠っちゃってる。可愛い……」
美雪は勇也の寝顔を見ていたが、我慢出来ずに、頬にそっとキスをした。
このまま時間が止まって欲しかった。
美雪の恋愛感情は、急激に高まってきていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その夜、雨が激しく降り始めた。
もの凄い稲光がその勢いを象徴している。
そんな中を傘も差さずに歩いている子が居た。
唯である。
「純……、純……」
唯は、学校を飛び出した後、ひとりでずっと探していた。
雨のことなど気にならなかった。
ただただ、純の姿を見つけようとしていた。
他のことはどうでも良かった。
十時頃、由美子の家に電話が掛かってきた。
唯の家からのようだ。
「あ、こうちゃんに電話するの忘れてた」
由美子は慌てて受話器を取る。
「はい、水島です。こうちゃん、ごめんね。つい」
「由美子ちゃん?」
「えっ……」
電話に出たのは、唯ではなく、唯の母親のようだ。
「あの、唯はお邪魔してません?」
由美子の顔色が変わる。
「えっ、まだ帰ってないんですか!?」
「ええ……、あの子一体何処へ行っちゃったんだろ」
「あの馬鹿……。わかりました。こうちゃんが家に来たらすぐに連絡します」
「お願いします」
と同時に、すぐに電話は切れてしまった。
由美子は立ち上がった。
「こうちゃんったら、こんな雨の中、何やってるのよ……」
由美子は、唯を探す為、慌てて出掛ける支度をした。
雨ガッパを着て、予備の傘を持って、玄関のドアを開けた。
すると、誰かがインターホンを押そうとしていた。
「る、流山君!?」
それは流山だった。何日ぶりだろうか。
彼は、剣道大会の時の傷も癒えて包帯も取れており、普段の感じに戻っていた。
「水島さん、ちょうどよかった」
「一体どうしたの?」
「木下がまだ帰ってないと、奴の母親から連絡があったんだ。もしかしたら、神代さんの家にでも行ってるのかと思ってな。電話番号が分からないから、水島さんに訊きに来たんだ」
流山は、勇也と唯の関係をまだ以前のままだと思っているらしい。
が、今は説明している余裕はない。
「こうちゃんの家には居ないはずよ」
「どうして分かるんだ?」
「実はこうちゃんもまだ帰ってないって、家から連絡が入ったの。だから今から探しに行こうかと」
すると流山の顔色が変わった。
「こんな時間に探しに行こうと言うのか? 水島さんが危険じゃないか」
「だってこうちゃんが……」
「こうちゃんがじゃない。君にまで何かあったらどうするんだ!」
「…………」
由美子は俯いてしまった。
「……済まん、強く言い過ぎたな」
「気にしないで。流山君は、私のことを思って言ってくれたんだから……。ありがと」
「そ、そういう訳では……、俺はただ……」
「ただ?」
「もういい、俺が代わりに探して来てやる。この際、木下の奴のことはどうでもいい。神代さんの方が心配だ。君はここで待っていてくれ」
すると、由美子は流山の元に駆け寄った。
「お願い、私も連れてって!」
「馬鹿言うな。さっき俺が言ったことを聞いてなかったのか?」
「お願い……」
「…………」
「…………」
「……分かった。その代わり俺から離れるなよ」
「うん!」
ふたりは走り出した。
唯を探す為に。
雨はますます激しくなってきていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
唯は『下町』を歩いていた。
以前、由美子が純を見掛けたと言う辺りだ。
唯はずぶぬれになっていた。
雨に濡れた制服が、身体にピタリと張り付いていた。
しかし、そんなことは気にもせず純の姿を探していた。
今が何時であるかも気にならなかった。
どうしても今日会いたかったのだ。
その時だった。
突然何者かに背後から口を押さえられた。
唯は藻掻いたが、そのまま暗がりに連れて行かれてしまった。
暗がりに来ると、そいつは唯を突き飛ばした。
「きゃっ!」
唯は尻餅を付いて、そいつを見上げた。
そこには全身黒ずくめの男が立っていた。背はかなり高い。目出し帽に、黒いサングラスをしていて、顔は分からない。
「もしかして、あなたが噂の変質者……?」
唯は後ずさりした。しかしすぐ壁にぶち当たってしまった。それを見て、男はニヤリと笑ったように見えた。
唯に危機感が走る。
「いや! やめて!!」
男が唯に襲い掛かる。
「いや! いや!! 誰か助けて!!」
「こんな所に誰も来やしない」
「いや! 助けて、じゅ―――――――ん!!」
「黙れ!」
ドスッ!
唯は腹を殴られて気を失ってしまった。
「ゴチャゴチャ言いやがって……。まあいい、さぁてと」
そう言って、男は唯のスカートを捲ると下着に手をかけた。
その瞬間、男は空を舞った。
受け身も取れず地面に叩き付けられる。
「ぐふっ!!」
だが、男はすぐに立ち上がった。
「だ、誰だ!!」
よく見ると、百七十五センチ位の筋肉質の男が立っていた。
「くそっ、こんな所に人が来るとは……! ぐっ!!」
その男は、間髪入れずに変質者の腹に拳をめり込ませた。
変質者は身体をよろつかせる。
かなり強烈で重たい一撃である。
「こ、この野郎……、よくも――――げほっ!!」
今度は脇腹に深くケリが入った。
変質者はすっ飛んで、壁に突っ込んだ。
ズジャッ!!
「う、うう……」
変質者はゆっくりと体を起こした。
そして、思い当たる。
「ま、まさか、じゅ、純て、お前のこと……」
変質者の問いは正解していた。
助けに入ったのは、失踪していたはずの西山純だった。
「何のことや、訳の分からんこと抜かすな!」
「あ、あああ……」
変質者は震え出した。
「貴様、よくも唯に手を出してくれたな!! 絶対生かしておかへんで!!」
「ゆ、許してくれ……」
「黙らんかい!」
「ひっ!!」
変質者は両腕で構えて、純の拳をガードする。
バキイイイイイイ!!
「ぐぎゃあああああ!!」
渾身の力を込めた純の拳は、変質者の左腕をへし折り、そのまま顎にクリーンヒットした。
物凄い勢いで返り血が飛ぶ。
「た、助けて……くれ……」
すると、純は変質者の前に立った。
「唯はな、わてのもんや!! 貴様ごとき下等なクズに触れる資格なんかあらへん!! さっさとこの場から消え失せんかい!!」
「ひ、ひいいいいいいいいい!!」
変質者は痛めた身体を引きずって逃げていった。
純は、地面に倒れ込んでいた唯をそっと両腕で抱き上げた。
唯はとても悲しそうな顔をして、気を失っていた。
「久しぶりやな、唯」
純は唯の顔にかかった髪を優しく掻き分けてやった。
一ヶ月の時を経て、ついにふたりは再会したのである。




