2.幼馴染み
西山純と再会してからというもの、よく彼から連絡が来るようになった。
勇也としてはテスト期間中は忙しいという頭があったのだが、勉強に力を入れていない西山純にとっては、早く学校が終わることもあって、逆に暇なのだろうか。
中学時代ほど全力投球ではないものの、志望大学への合格を意識して学年上位を維持すべく、勇也は今回も勉強に励んでいた。
現在は勇也と岸山、そして勇也が≪不動の魔人≫と名付けた三ツ谷の三名が毎回学年トップを争っている。
中学からK高校付属中学に在籍していた勇也と三ツ谷は、毎回のように学年トップを狙い合い、結果、三年間一度も三ツ谷から学年トップを奪ったことは無かった。
そこから付けた異名が≪不動の魔人≫だ。
校内ですれ違っても声を掛けることも話すこともなく、ただただお互いに切磋しあう良きライバル関係だと勇也は勝手に思っていた。
同じクラスになったことはなかったので、未だにどんな性格でどんな声をしているのかも知らないくらいだ。
高校に入ってから外部入学してきた特待生が岸山の野郎だ。
順位表が貼り出される時に、上位の欄に名前を見かけるくらいで、生徒会会長になるまで、正直≪不動の魔人≫のように意識にしたことはなかった。
そんな訳で勇也はテスト勉強に関しては尋常ならざる気合いを入れていたので、西山純からの電話はちょっとした息抜きとなっていた。
「なんや、そのゲームは?」
「うう……、やっぱり知りませんよね。『RAIZA』って死にそうにマイナーなゲームですからね」
「知らんな……。そもそも、わてはそないゲームなんかやらんしな」
ゲームの話題は、西山先輩にはやはりつまらなかっただろうか。馴染みのある相手とは言え、先輩ではあるし、話題には詰まることは多い。
「……ん、待てよ。確かどこかで聞いたことがあるような」
「えっ、本当ですか!?」
「んー、どこやったかな……」
勇也の目が輝く。
「俺の他にもあれのファンがいるなんて! ぜひ、教えてください!」
純は暫く考えた後、思い当たったのか、突然大声を出した。
「そうか、唯の奴や!!」
「ゆい……?」
「ああそうや。ひとつ下やけど、わての幼なじみに神代唯って奴がおるんや」
「こうじろさん? 珍しい名前ですね」
「まあな。そういえば、あいつもそのハイザラって奴の大ファンやったわ。確かそう言うとった」
「本当ですか! まさか女の子でファンが居るなんて驚きですよ。なんか話が合いそうです」
ハイザラではないというツッコミはさておき、勇也はとても嬉しかった。
まさか自分以外にも知っている人が居るとは思っていなかったからだ。
ましてや女性のファンは相当少ないだろうに、こんな身近に居るというのだ。
電話越しには見えないかもしれないが、飛び上がって喜びを伝えたい衝動に駆られていた。
「どうでもいいが、お前ら、そんなもん面白いんか?」
改めてゲームそのものに対して、疑問符を付けられる。
「済みません、それは言わないでください」
「ん~、やっぱ分からんな〜」
「あ、もうこんな時間ですね。もう切ります」
「ああ、中間テストも明日で終わりやからな。お互い頑張ろうや」
「はい。それでは」
ガチャ。
勇也は受話器を置いた。
「そうか、他にもやってる人がいたんだ……。それもかなりのハマリ度らしい」
リビングに出て冷蔵庫を開けたが、中には何もなかった。
親父の奴は今週も出張に出ている日が多く、今日も帰ってくる気配はない。
久しぶりに親父の部屋を覗いてみたが、生活感はあまり感じられない。
この家には、自分しか居ない。
そういうことが日常茶飯事だった。
学校の成績が良いとご褒美としてなのか、たくさんお小遣いを置いておいてくれることもあって、好きなゲームや漫画などを買うのには助かっていたが、人のぬくもりは与えられたことは無かった気がする。
胸をチクリと刺すものがあった。
「コンビニに何か買いに行くか」
と独りごちた勇也は、親父が置いておいてくれた食事代を掴むと、近所のコンビニへ食料調達に向かうことにした。
コンビニに寄るだけのつもりだったが、気付いたら、自転車で暫く街を走り回っていた。
勇也は、全くと言っていいほど、時代の流れに逆らっている気がしている。
繁華街など、人の多い場所には行きたくもなかった。ファッションなどにもあまり関心はなかった。
そんなうわべだけを作っても、どうにもならないと考えていたのだ。
しかし、勇也自身は、中身の方がもっとダメだと考えていた。
人との対話が極めて苦手だということが、大きなコンプレックスになっていた。
このことは、ひどく言えば生活に支障を来す可能性がある。
知っている奴になら、どんな減らず口でも叩けるのだが、ちょっとでも親しくない人に対しては、恐怖心がわき上がってしまう。
初めて会った人なら尚更である。
自分は、どうしてこんな風になってしまったのか、とよく考える。
やはり子どもの頃から親父の仕事の都合で転校を繰り返していた転勤族であったことや、中学時代の孤独が原因だとしか考えられない。
長い長い孤立時代……。
同じクラスの奴に話しかけても、返事もしてくれなかった。無視されるならまだしも、馬鹿にされたり、邪魔者扱いされたりした。
今思い返してみると、これは俗にいうイジメだったのかもしれない。
高校生になった今、流山と出会ったのをきっかけに周りに少しずつ慣れてきたが、それでも、今でも他人に嫌われるのが、傷つくのが怖い。
その気持ちはいつの間にか、嫌われる位なら最初から接しなければいいんだと、誤った形で脳裏に焼き付いてしまっていた。
その行動こそが、逆に相手を拒絶し、不快にさせていることも分かっていた。自分から悪い方向に進んでいることにも気付いていた。
でも、どう解決したらいいのか分からなかった。
先ほどの電話で聞いた、西山先輩の話が浮かんでくる。
「……幼馴染みか」
改めて考えていると、自分にも小学生の時、幼馴染みがいたことが思い出されてくる。
同時に、過去の辛い記憶が蘇ってきて、慌てて思考に蓋をしようとしている自分に驚いた。
「くっ……」
嫌な記憶を振り切ろうと、公園に自転車を止めた。
この公園は比較的大きめで、中学時代を中心に、気分が沈んだ時によく来ていた場所だった。
規模感の割にそこまで人も多くなく、独りでぼうっとしたり、考えたりするのに向いていた。
勇也は、寂しく置かれたブランコに腰掛けると、缶ジュースのプルトップを引き上げた。
ジュースを啜る。
その音と、ギコギコとブランコが揺れる音だけが辺りに響き渡っていた。
「……あの、隣いいかな?」
「えっ……」
驚いた勇也が顔を上げると、そこには高校生くらいの女の子が立っていた。
この辺では見かけない顔だ。
色白で上品なワンピースを纏った女の子は、華奢ですらっとした印象だ。身長は百六十はいかないくらいか。
両方の耳の上あたりから髪の一部を三つ編みにして後ろに束ねるようにまとめているのが特徴的で、その長さは腰近くまでありそうだ。
儚げで、とても美しい。
「ど、どうぞ」
「ありがと」
断るのも変だったので、思わずOKを出してしまった。
女の子はワンピースの裾が引っ掛からないように軽く押さえながらブランコに跨った。
そして、ゆっくりと漕ぎ出す。
「こんな風にブランコ乗るのって何年ぶりだろ?」
「この歳になると、なかなか乗る機会ってないですよね」
勇也は、敬語口調になっていたものの、自分でも想像していなかったほど、自然に返事をしていたことに気付いた。
「そうだね、小学生の頃以来かも……」
そう話す彼女の口調はどことなくトーンが低かった。
「……何かあったんですか?」
「うん、ちょっと悲しいことがあってね。気分を変えるために公園にやってきたの」
「そうなんですか」
彼女は少し強くブランコを漕ぎ出すと、何かを吹っ切ろうとしているように見えた。
勇也も気を遣ってか、同じように強く漕ぎ出した。
勢いが付いてきたところで、ぴょんと飛ぶと、綺麗に地面に着地した。
そんな勇也の姿を見て、彼女ははっとして声を上げた。
「……もしかして、あなたは勇也?」
「えっ、あっ、まさか……!」
勇也は、まじまじと彼女のことを見た。
恐る恐る口を開く。
「……かのえ……なのか?」
「うん。久しぶりだね、勇也」
彼女は今日初めて笑みを見せた。
彼女は、御崎かのえ。
東京に住んでいた頃の勇也の幼馴染だ。
突然の幼馴染との再会に、驚きを隠せなかった。
勇也があの地から引っ越して、もう五年になるだろうか。
谷川市に来た最初の年はかのえに年賀状を送ったが、特に返事はなく、それ以降は連絡を取ることはなかった。
――思い出した。
いや、思い出さないようにしていた。
かのえは、勇也の初恋の相手だった。
小学生の時、一緒にいることが多くて、最初のうちは異性として好きとかではなく、色々と遊んだりすることが、ただただ楽しかった。
特に付き合っていた訳ではなかったが、周りからはカップルとしてからかわれることもあったりして、実はそれほど嫌ではなかった。
自分の気持ちに気付いたのは、親父の転勤が決まった時だった。
子供だった自分にとって、引っ越してしまえばもう二度と会うことは叶わない。
そう思った時、自分に必要な存在だと改めて強く認識したのだ。
だからこそ、引っ越しの前に、思い切って告白をした。
正直、心臓が飛び出しそうなほど、緊張した。
その結果はNOだった。
「ごめんね。わたしはそんな風に勇也のこと見れない」
その言葉が、勇也の心を深く傷つけた。
自己の存在を否定されたような気がした。
引っ越しの日、かのえが姿を見せることはなかった。
――正直、それ切りだ。
赤の他人と言わんばかりの、冷たい扱いだった。
それ以降、谷川市での残された小六の日々はすぐに過ぎ去り、中高一貫の今の学校に入学した。
女の子と話をすることは一切無くなった。
このことが今でも勇也の心に深く傷を与えているのかもしれない。
「どうして、この谷川市に? 東京からは相当離れてるし、何となくで再開するには信じ難い確率だ」
正直、そこが本当に疑問だった。
「ふふ、勇也に会いに来たって言ったら驚く?」
「えっ」
「なんてね、嘘だよ」
と、少しいたずらっぽい感じで笑みを零す。
「……なんだ」
「ちょっとこの街に用事があってね。何日か滞在する予定なんだ」
「そうなのか」
「うん」
かのえは、腕時計を見やる。
「あっ、もうこんな時間だ。そろそろ行かなきゃ」
と、すくっと立ち上がった。
「駅でいいんだよな? そこまで送っていくよ」
「ありがと」
かのえのカバンを自転車のカゴに乗せると、勇也は最寄りの伊東駅まで送ってやることにした。
歩きながら、勇也は幾つか自分の学校生活に関する話題を話した。
かのえのことは中々訊き難かったので、自分に関する話が中心だった。
「今日はありがと」
「お礼なんていいよ。俺も嬉しかった」
「そっか」
勇也は、かのえのカバンを渡してやると、ポケットに入れていた手帳を取り出した。ざっと文字を書いて、引きちぎったメモを渡す。
「はい、これ」
「これは?」
かのえは少し驚いたような顔をする。
「俺の連絡先。ちょっと最近はバタバタしていて忙しくしているけど、まだ暫く滞在しているなら、慣れないことも多いだろうし、困ることもあるかもしれないからさ。何かあったら遠慮なく連絡して」
「やった、もらっておくね」
「おう」
「それじゃ、また」
「ああ、また」
かのえがくるっと背を向けると、フローラルの良い香りがした。
勇也は改札を抜けてホームに向かっていくかのえの後ろ姿を見送ると、自転車に跨って、家に戻ることにした。
正直、それが精一杯だった。
昔のことは、怖くて訊けなかった。
家に戻ってきて、ポストを見やると、何かメモのようなものが挟まっていた。
「あれ、配達の不在票かな?」
メモを引き抜いて中身を開くと、そこにはかのえからのメッセージが書かれていた。
突然でごめんね。
小学校の頃、一緒に遊んでいた御崎かのえです。
偶然こちらの街にやってくる機会があって、昔の年賀状の住所を頼りに思い切ってやってきてしまいました。
留守だったみたいなのでメモだけ残しておきます。
さよなら。
その内容に、目を見開く。
もしかして、かのえが落ち込んでいたのって、俺に会えなかったからなのか?
――まさかな。
勇也は明日の準備を終えると、床についた。
「明日で期末テストも最終日か。終わったら、本腰入れて文化祭の準備だな」
予定を確認しようと、手帳を開く。
「……ん?」
勇也は飛び起きて、手帳内のカレンダーに釘付けになった。
「や、やば……、絵がまだ完成してない……。すっかり忘れてた……。待てよ? ということはあと一週間で終わらせなければいけないのか」
一体どうなるのか!?