19.告白
十時過ぎ、氷上町にあるあの本屋に着いた。
言うまでもなく、本屋は閉まっていた。
「馬鹿だな、俺……、こんな時間に彼女がいるはずがないか……」
勇也は踵を返して帰ろうとした。
「――えっ!」
よく見ると、左手にあるゲームセンターの方が少し明るい。
「まさか、こんな時間に彼女がいるはずが……!」
勇也は恐る恐る営業停止になったゲームセンターの中に入った。
所々腐った床が、ギシギシと鳴る。
奥の方を見ると、確かに明かりが付いていた。
そして、ゆっくりと『控え室』のドアを開けた。
すると、彼女が、広田美雪がいた。
以前と同じようにソファに座っていた。
「やっほ! ゆーちゃん!」
勇也は驚きを隠せない。
まさか、本当に彼女が待っているなんて……!
もう十時を回っていると言うのに……!
「広田さん、どうしてこんな時間まで……?」
「こんな時間までって、ゆーちゃんが来るのが遅かったからだよ」
彼女は、滅茶苦茶なことを言っている。
それでは、勇也が来なければずっとここに居たと言うのか。
「普通、ここまで待ってるか?」
「だって必ず来るって信じてたもん。それに、実際にちゃんと来てくれたじゃない」
「来たじゃないよ! こんな遅くに……。最近この谷川を変質者が彷徨いているんだ。君だって……」
しかし、美雪は勇也の言うことなど聞きもしない。
「あれ、ゆーちゃんて、K高校に通ってるんだね」
「えっ!」
「だって制服姿じゃない……って、私もそうだった」
「それより――」
「そうだ、ねえ、私がどこの学校に行っているか分かる? 当てられたら、すごいよ!」
美雪は勇也に話をさせようとしない。
何か様子が変である。
「そんなことは――」
「いいから!」
「……う、うん……」
美雪がどこの学校に通っているのかは、当然分かっていた。
神代唯や水島由美子と同じI女学院である。
先日の美雪の制服姿で予想が付いていたし、剣道の県大会の時のチアガール姿を見て、もはや疑いもない状態だった。
「I女学院だろ。この前話せなかったけど、気付いていたよ」
「ピンポーン! 凄いね!」
「なあ、広田さん――」
「そう言えば、ゆーちゃんて何年?」
「え、高二だけど」
「そうか、高二なのか……、てっきり私と同じ高一かと思ってた……」
勇也も美雪が初めて年下であることを知った。
本当に彼女とは会話がきちんと出来ていないと再認識する。
「ま、いいか。ゆーちゃんはゆーちゃんだもんね。それより大正解だったよね。何かプレゼントをあげなきゃ。えーと、何にしようかな……」
勇也は明らかに美雪の様子が変だと思った。
「広田さん、広田さん!」
と、呼び掛けるが、
「そうだ、私のハグ……じゃ足らないか。キスなんかどう?」
「広田さん、俺の話を聞いてくれ!」
「なんなら、私をそのままゆーちゃんに……」
「おい、いい加減にしろ!!」
とうとう、勇也は怒鳴ってしまった。
美雪は後ろを向いてしまう。
勇也はゆっくりと美雪の元へ歩み寄った。
「ごめん、怒鳴ったりして……。それより、ほんとどうしたんだよ。今日の君は絶対変――えっ!?」
美雪は泣いていた。
勇也はその泣き顔にドキッとしてしまった。
とても愛おしかった。
そのまま、抱き締めてしまいそうな衝動に駆られた。
美雪は涙を拭うと、
「私なんてどうなってもいいのよ!」
「一体どうしたんだ?」
「ゆーちゃんのこと、からかってごめんね。でも私、どうしたらいいか分からない。分からないの……」
「だから何が? 俺に話してくれないか?」
「ゆーちゃんには関係ないよ」
と、美雪は拒絶しようとしたが、
「関係あるさ!」
と、すかさず、勇也は言葉を放った。
「えっ……!」
予想外の勇也の言葉にハッとした美雪は上目遣いで勇也を見た。
勇也は真剣な顔をして、美雪を見据えていた。
「関係あるよ! 気になるんだよ、君のことが……! 君が辛そうな顔をしてるのを見たくないんだ!」
「ゆーちゃん……」
それを聞いて、美雪は思わず勇也に抱き付いた。
その勢いが、あまり強烈だったので、倒れそうな位だ。
「うっ、うっ……、ゆーちゃ―――ん!」
美雪は勇也の胸元で大声を上げて泣いた。
勇也は暫くそのまま胸を貸してやることにした。
美雪が泣きやんだ後、勇也は彼女をソファに座らせた。
そして自分も彼女に対峙するようにして座った。
「広田さん、話してくれるね?」
勇也のお願いに対し、美雪は静かに頷いた。
「うちの父さんね、半年前にリストラに遭ってから、新しい仕事を探そうともせず、一日中お酒ばかり飲むようになったの。だから私と母さんで働かなきゃならなくなったのよ」
「だから本屋でバイトを?」
「そう……、ほんとなら、うちの学校はバイト禁止なんだけど、このままじゃ学費も生活費もままならないし、事情を聞いて、店長が特別に許してくれたの」
勇也は、あの時、美雪のことを店長に言いつけようとした時、ひどく動揺したのはこの為だと理解した。
今、このバイトをやめさせられたら、生活が危うくなってしまうのだ。
「それで、私と母さんで少しずつお金を稼いで生活をして来たの。それなのに今日……」
美雪はそこで口を閉ざしてしまった。
「辛いならもういいよ」
「ううん、ゆーちゃんに聞いてほしい。聞いてほしいの」
「広田さん……」
「今日、父さんが、家にあったお金を全部持って、家を出て行っちゃったんだ……」
「そんな……!」
勇也の顔色が変わった。
「ここ数日、父さんはずっと母さんとケンカしてた。かなり酷かったわ。母さんは何度も殴られた。私はどうすることも出来なかった。毎日怖くて泣きそうだった。父さんに殺されるかもしれない。そう思うと夜もろくに眠れなかった。
そして今日、母さんを殴った後、父さんは出て行った。あの様子だと多分二度と帰って来ないと思う。
……もうどうしたらいいか分からなくなっちゃった。父さんが気持ちを切り替えて再就職するのを待っていたのに……」
勇也は、美雪の独白を黙って聞いていたが、胸が苦しくなった。
何か言葉を掛けたいと必死に探したが、何も浮かんでこない。
「そしたら急にあなたに会いたくなったの。どうしてだろうね? こんな時、ゆーちゃんなら絶対に来てくれる。そう考えていた」
「……えっ……」
「そして、ほんとに来てくれた。……とっても嬉しかったよ」
美雪はまた泣きそうになっていた。瞳が潤んでいる。
――慰めなきゃ。
俺が慰めなきゃ!
勇也は、上着越しに首にぶら下げていた指輪をギュッと掴んだ。
考えて、ひたすら考えて――
そして、動くしかないのだ。
ここで立ち止まっては駄目なのだ。
勇也は、全身全霊を振り絞って、言葉を紡ぐ。
「……大丈夫だよ、きっと何とかなる!」
「どうしてそんなことが言えるの?」
「すべては心の持ち方次第だよ。俺は中学の時、ずっと孤独だった。誰も話し相手がいなかった。些細なことがきっかけでみんなは俺のことを無視し続けたんだ。三年間ずっと……」
「うそ……!」
「俺はずっと耐えた。いつかなんとかなると。時間が解決してくれると。そう信じていた。何度も学校をやめたいと思った。
でもすぐに考え直した。こうなったら、とことん対抗してやろうと。だから三年間、無遅刻無欠席を通してやった。俺は最後まで耐え抜いたんだ。
そして高一になった時、ひょんとしたことから学級委員長になった。それからは友達も出来るようになった。高二になった今では、そいつらとも普通に話している」
神代唯にでさえ、時間を掛けてやっと話せた自分の辛い過去を、広田美雪を励ます為に打ち明けていた。
「俺でも出来たんだ。全然ジャンルもスケールも違う話かもしれないけど、君だって絶対にこの苦境を乗り越えられるはずだ! 自分に負けない限り……」
「自分に負けない?」
「そうさ、気持ちさえ負けなければ、何でも出来る。俺はそう信じている。
後、俺も出来る限り力になりたい。俺がどうこうしてやれることではないとは分かっているけど、それでも、君を独りにはさせたくない!」
すると、美雪が今日初めて微笑んだ。
「……ありがとう、ゆーちゃん。少し勇気が沸いてきたよ。やっぱり、ゆーちゃんて頼りになるね」
「…………」
勇也はその言葉を受けて、固まってしまった。
――頼りになる?
この俺が?
――この俺が頼りになるというのか?
こんな人見知りの激しい俺が?
女の子の前に立つと、あがってしまって何も話せなくなる俺が?
勉強人間のこの俺が?
他人のことより自分のことを優先する俺がか?
「そうか、だから、ゆーちゃんに会いたくなったんだ。ゆーちゃんは私の支えになってくれるもの」
――この子が俺を必要としてくれているのか?
「これからも、ゆーちゃんに相談してもいいかな?」
――なんだ、俺が存在する理由はここにあったのか。
その時、何かが弾けた。
突然、勇気が沸いてきた。
恥ずかしいという気持ちが消えていく気がした。
拒絶されるという恐怖心もどこかへ吹き飛んでいた。
自分の心が素直になっている。
今なら言える、そんな気がした。
勇也は立ち上がった。
そして美雪の前に立った。
「広田さん」
「えっ!」
「俺達、まだ会ってからほんのちょっとしか経っていないのに、こんなことを言うなんて馬鹿げているかもしれない。それもこんな時に……。でも今言いたい。
……君が好きだ、好きなんだ! 初めて会った時からずっと君のことが頭から離れなかった。そして、今はっきりと分かった。俺は君に出会うために今まで生きてきたんだよ」
「ゆーちゃん……」
「だから付き合ってほしい。もっと俺を頼ってほしいんだ」
その言葉を聞いて、美雪はゆっくりと立ち上がった。
彼女は俯いていたが、すぐに勇也を見た。
その瞳は涙でいっぱいだった。
「……はい。こちらこそお願いします」
ふたりは暫く見つめ合った。時間は止まっていた。
「美雪……」
「ゆーちゃん……」
ふたりは強く抱き締め合った。
今日一日の全てが怒涛の展開ではあったが、勇也の中では不思議な位にすとんと腹落ちしていた。
まるで全てが今までそうだったかのような、不思議な感覚だった。
美雪と初めて出会った時に感じた不思議な懐かしさも関係しているのかもしれない。
流山が以前言っていた運命かもしれない相手とは、神代唯ではなく広田美雪だったのだ、と勇也は感じていた。




