16.戸惑い(1)
勇也と遊びに出掛けていた唯が家の近くまで歩いて帰ってくると、冷え込んできていた。
いつの間にか、月が出て、星が輝いていた。
今日は唯のカラオケリサイタルの後、冬物の服を見に、加佐未センター街にあるデパートにショッピングに出掛けていた。
勇也に見立ててもらい、何着も試着して、可愛らしいコートを買った。
ファミレスで軽く食べてから、帰りには思い切って腕を組んで歩いた。
勇也は困ったような照れたような感じでドギマギしていたが、そういう所も可愛いと思っていた。
彼と一緒に過ごす時間が本当に多くなったと自覚する。
唯が自宅の玄関前に着くと誰かが居た。
よく見知った男が、階段に腰掛けて眠っていた。
「純、純ったら! こんなとこで寝てたら風邪ひくよ?」
と、純の肩を揺する。
その声を聞いて、純はゆっくりと目を開いた。
目の前には、買い物袋を抱えた唯が立っている。
「よ、よお」
と、純はバツが悪そうな顔をして唯を見上げる。
「何やってたの、うちの玄関で?」
純は立ち上がると、小柄な唯を真っ直ぐ見据える。
「今夜は月が綺麗やな、唯」
「えっ」
純は唯の肩を掴んだ。
唯はビックリして、買い物袋を落とした。
「ど、どうしたのよ、いきなり……!?」
「唯、今度の休みにデートせんか?」
「えっ、えっ!? なに真顔で冗談言ってるの? 怖いんだけど」
「冗談言うとるんやない。わては本気や」
「えっ……」
唯は顔を赤らめる。
「でも、あたし、勇也……くんが……」
「それでもええ。頼む!!」
純に目は真剣だった。
唯は戸惑う。
「でも、どうして……?」
「唯、あかんか?」
「もう……、分かったわよ」
勢いに負け、唯はOKしてしまった。
「おおきに。それじゃ今度の土曜朝十時に加佐未北駅のいつもの広場で待っとるわ」
そう言うと、純は唯の頭をくしゃくしゃっとした後、自分の家に帰って行った。
「一体何なの……? 調子狂うなぁ」
唯は全く状況が掴めなかった。
(あたしが勇也くんのことを好きだって知ってて、なんでデートしようなんて言い出すのよ……? 純とデートだなんてこれまで一度も考えたこともなかったのに)
唯は、地面に落とした買い物袋を拾うと、家の中に入った。
「ただいま」
母親が出迎えてくれる。
「あら、お帰りなさい。随分遅かったのね。もう、心配させないで」
「ごめんなさい。カラオケ行った後、ショッピングしてたんだ」
唯は靴を脱ぎながら答える。
「……そういえば、留守中に西山君が来たわよ。後で電話しておきなさいね」
「あれ? 純なら、今、家の前で会ったよ?」
「えっ!!」
唯の母親は驚いた様子だ。
「どうしたの、そんな驚いた顔して……?」
「西山君ね、夕方来たのよ。唯は出掛けているって伝えたら、じゃあ家の前で待たせて貰いますって……。もうとっくに帰ったと思っていたのに」
それを聞いて、唯の顔色が変わった。
「……じゃあ、純のヤツ、ずっと待っていたの!?」
唯は、放心状態になりながら、自室に向かって階段を上がって行った。
母親が階段下から声を掛ける。
「ゆ〜い〜、晩御飯は?」
「外で食べて来たから〜、今日はいらない」
唯は部屋の扉を閉めて、コートも脱がずに、ベットに横になった。
「あのアホ、何考えてるのよ……」
突然の幼馴染みの行動に、唯は動揺を隠せなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
土曜日の朝、純ははっとして飛び起きた。
「い、今、何時や!!」
目覚まし時計を見ると、九時四十五分である。
「そ、そんなアホな。こんな大事な日に寝坊してもうた」
純は慌てて着替え始めた。
「加佐未北駅まで二十分は掛かるのに! ああっ!!」
純は朝飯を食わずに、家を飛び出して行った。
「ああ、もう間に合わへん! 近道や!!」
そう言うと、純は大通りから外れて狭い道へと入って行った。
純にとっては、加佐未は生まれてからずっと住んでいる土地である。近道なども当然知っていた。
ただ、できればあまりこの近道は使いたくなかった。
と言うのは、裏通りに入ると、随分と雰囲気が変わるからだ。
辺りには風俗店やラブホテルが建ち並び、それ以外の建物も年期が入っている。
また、不良のたまり場にもなっており、学校からは定期的に近寄らないようにと注意喚起が出る程だ。
つまり、谷川一のアブナイ場所なのである。
地元の人には、通称『下町』と言われている。
これも、加佐未北駅の周りだけ、急速に発展した結果であろうか。
とにかく、今はそんなことを言ってる場合ではない。
純は目にも留まらぬ速さで走って行った。
「も、もうすぐ駅や!!」
その時だった。
一人の女の子が、いかにも不良という感じの二人組に絡まれていた。
その女の子は純と同じ位の歳だろうか。セミロングの髪型に、スタイルの良い体型が特徴的だった。
嫌がっているようだが、不良供は彼女を離そうとしない。
「もうすぐやっちゅうのに……」
純は悩んだ。
早く唯に会いたい。
それに遅刻したら、あいつは帰ってしまう。
だが、今この子を見捨てて行ったら、不良にひどい目に遭わされるかもしれない。
「――助けな!!」
純は振り返って女の子の元へと走った。
「すまん、唯!! すぐ行くから待っとってくれよ!」
純は駆け寄る。
「なあ、いいだろ? お茶ぐらい……」
「嫌です。どいてください」
「はあ? 聞こえないなあ?」
「ちょっとだけでいいって言ってんだからさ」
男の一人が触ろうとする。
「やめて!!」
ビシッ!
女の子の平手が男の頬にヒットした。
「なんだよ、随分威勢がいいな」
「人を呼びますよ!!」
「人を叩いといて、それはないだろうが!!」
男が女の子の手を掴む。
「いやっ!!」
「おい、お前ら。その手を離したれや」
「あんだと?」
二人組は振り返った。そこには純が立っていた。
不良供は純を睨み付ける。
「兄ちゃん、俺達にケンカ売ろうってのかい?」
「そうやない。ただ、彼女は嫌がっとるやろ。離してやれよ」
「ガキが調子に乗るな!!」
男のパンチが飛ぶ。
純はスッと避けると、相手の足を引っ掛けた。
相手は空を描いて、顔面から道端にあったゴミ箱に突っ込んでいった。
もう一人は、驚いたように睨み付ける。
「あ、すまん。やってもうた」
「この野郎!!」
不良が純に襲い掛かってくる。
だが、純の方が一枚上手のようだ。相手の攻撃をいなし、薙ぎ払っていく。
水泳部を辞めて時間は経っているが、持ち前の運動神経の高さはここで生きているようだ。
ガシャン!!
突如、純の脳が揺れた。
ゴミ箱に突っ込んでいた男が、ビールの空き瓶で純の後頭部を殴り付けたからだ。
純は倒れ込みそうになるところを何とか踏み留まったが、後頭部からどろりとした感触がしてきた。
「きゃああ!」
女の子の悲鳴が響く。
「離してやれよ……」
純は何事も無かったように、不良供を睨み付ける。
「この野郎、まだ言うか!!」
ゲシッ! 別の男のケリが入る。
純は、先ほどまでの軽快な動きは取れず、よけれない。
そのまま蹴倒された。
「彼女を……」
「黙れ!!」
男は純の頭を踏みつける。
しかし、純は顔を上げようとする。
「こ、こいつ……! おい、殺っちまおうぜ!」
「ああ」
そう言うと、不良供は一斉に純をケリ出した。
女の子はどうすることも出来ず、暫くの間純がボコボコにされているのを見ていたが、はっと我に返り、純の元に駆け寄った。
「やめて、やめてー!!」
女の子は一人の男の手を掴む。
「なんだ、邪魔するな!!」
男は振り払う。
「きゃっ!」
女の子はバランスを崩して倒れる。
すると純が立ち上がった。
「か、彼女には手を出すな……!」
「な、なんなんだ、貴様は……」
純は、頭から血を流しており、もう全身ボロボロである。
それでも、心は折れていなかった。
純は不良供を睨み付ける。
一切ここは引かぬという強い決意が感じられた。
そんな純に、不良供は身じろいだ。
「くそっ、今日はこれで勘弁してやるよ」
そう言うと、ふたりはそそくさと帰って行った。
と、同時に、気力を使い果たした純は、静かにその場に崩れ落ちた。
「しっかりして、しっかりしてください!」
と女の子が声を掛けるが、
しかし、純はピクリともしない。
「お願い、目を開けて!」
女の子の声が、辺り一帯に響きわたった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
唯は駅の時計を見た。
時刻は十一時を指している。
「もう、純のヤツ、何考えてるの? 自分から誘っておいて遅刻するなんて!」
というものの、純の遅刻はある程度予想していた。
昔から、純が約束通りに来た試しはないのだ。非常に時間にルーズな男だった。
文化祭の時もそうだった。純が約束の場所に来なかったので、勝手にパンフレットの表紙を描いた人を捜しに行ってしまったのだ。
しかし、今日は違っていた。
一時間待っても、二時間待っても、純は来なかった。
夕方を過ぎて、唯は自宅に戻った。
「なんなのよ、あのアホ!!」
唯はバックを床に投げつける。
母親が用意してくれていた夕食をやけ食いしたが、それでもイライラが収まらなかった。
母親にたくさん愚痴を言ったあと、唯は自室に戻って、ベットに転がって天井を見た。
「遅れることはあっても、すっぽかしたことはなかったのに……。純のヤツ、どうしちゃったのよ? あたしのことを可愛いとか、デートしようかと言ったり……。挙げ句の果てに、その当人が来ないじゃない!」
唯は、窓から純の部屋を見た。純の部屋の明かりは消えている。
それを見て、なんか腹が立って来た。
「アイツ、もう寝ちゃったんだ。普通、電話の一本も入れて、ゴメンと言うのが筋ってもんでしょ!」
しかし、怒った所で何も変わらない。
唯は再びベットに転がった。
「はあ……、あたし何やってるんだろ。純に振り回されっぱなしだよ。もしかして、あたしをからかって遊んでいるのかな? ……好きだという素振りを見せておいて、実は嘘だよ〜、とか言ったりして」
すくっと起き上がった。
「……きっとそうだ! 明日会ったらとっちめてやんなきゃ!!」
唯は翌朝、純の家へ押し掛けた。
玄関のチャイムを鳴らす。
ややあって、インターホンから声がした。
「どちら様ですか?」
「おはようございます、神代です。おばさん、純は居ますか?」
暫くすると、ドアが開いた。
「純! 昨日は一体――あ」
唯は顔を赤くした。
出てきたのは、純ではなくて、純の母親だった。
「す、すいません。てっきり、純だと……」
「いいのよ。それより、純がお邪魔してない?」
「えっ、居ないんですか?」
「そうなのよ。昨日は帰って来なかったの」
「帰って来なかった……?」
何か嫌な予感がする。
「まあ、あの子のことだから、友達の家にでも泊まったんだと思うんだけど……。あ、唯ちゃん、もしあの子に会ったら、一度電話するように言ってくれる?」
「はい、分かりました」
「ありがとう。それじゃ、また今度遊びに来てね、唯ちゃん」
そう言うと、純の母親は家の中に入っていってしまった。
唯はその場に立ち尽くす。
そして、次第に不安と怒りが同時に込み上げてきた。
「アイツ、あたしとのデートすっぽかして、どこに行っちゃったの!?」
唯は自分の家に戻ろうとする。
「……でも、何か嫌な予感がする。どうしてだろ?」
色々考えを巡らす。
「もしかして昨日駅に向かう途中、何か事件にでも巻き込まれたのかも……」
そう考えたら、一気に不安が倍増してしまった。
心臓がいつになくドキドキしている。
「純……」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
I女学院の教室の中に、酷く落ち込んでいる女の子が居た。
この子は小柄で、栗色のボブヘアーをしていた。
男なら誰でも振り返る程に可愛い子であるが、今日は死にそうなほど酷い顔をしている。
唯は教室の自分の席から、ぼーっと窓の外を眺めていた。
雲がゆっくりと流れている。
由美子は、唯に声を掛ける。
「こうちゃん、こうちゃん……! ねえ、こうちゃんってば!!」
しかし、まったく反応しない。
「こうじろゆいぃ!!」
「えっ、えっ!? あ、由美子じゃない。どうしたの?」
その返事は、いつものはきはきした感じではなかった。
まったく別人のようだ。
「どうしたのじゃない! 今朝も声掛けたのに、気付かなかったじゃない」
「そうだったんだ。ゴメンね」
そう言うと、唯はまた外を向いてしまう。
由美子は唯の前に立つ。
「どうしたの、由美子?」
「どうしたのは私のセリフよ。いつものこうちゃんらしくないよ? なんか魂ここにあらずって感じ」
「そう? あたしは元気だよ」
唯は心ない笑みを浮かべた。
それを見て、由美子のイライラは頂点に達した。
「もう、ちょっと来て!」
「えっ……」
由美子は唯を引っ張って行った。
由美子は、唯を屋上に引っ張り出した。
昼時にはお弁当を食べる生徒達で賑わうのだが、今は誰もおらず、寂しい雰囲気だ。
だが、由美子にとっては、この方が好都合だった。今の唯と話をするには、これ位静かな方がいいと思ったからだ。
唯は屋上の柵に寄りかかって外の景色を見た。
今日は風もなく、とてもいい天気だ。
由美子は、唯のすぐ側で柵に寄りかかった。
「こうちゃん、あなたが落ち込んでる姿なんて見たくないよ。何かあったんでしょ? 私に話してみて。一人で悩みを抱えているのは、とても辛いと思うし」
「…………」
唯は、そのまま黙って、景色を見ている。
暫くしてから、唯はようやく話し始めた。
「あたし、どうしたらいいんだろ……?」
それを聞いて、由美子ははっとした。
「もしかして、西山君……?」
唯は静かに頷いた。
「純のヤツ、行方不明になっちゃったんだ」
「うそっ!?」
由美子の顔色が変わる。
想定もしていなかった返答に、流石に頭が真っ白になってしまった。
てっきり、喧嘩してしまった位だと思っていたからだ。
「居なくなったって、家出でもしちゃった訳?」
「分かんない……、分かんない……」
唯の瞳に涙が溢れてきた。
「失踪する前日に、純のヤツが突然デートしようとか言ってきたの。正直混乱した。アイツとデートだなんて。でも約束の場所に来なかった。それで頭に来て、文句言おうと思ったんだけど」
唯はそこで、黙ってしまった。
西山君が家出……? そんなはずない。
西山君はこうちゃんのことがあんなに好きなのに。
そんな大事な人を置いてどこかに行ったりするはずがない!
西山君の想いは、一週間やそこらのものじゃないんだから……!
そう考えると由美子は唯に話しかけた。
「こうちゃん、元気出して!」
唯はゆっくりと振り向く。
「私さ。思うんだけど、西山君は家出なんてする人じゃないわ。だって、彼はーー」
純の思いを今、唯に伝えるべきか、由美子は迷った。
いや、これは自分の口で言って貰った方がいい。
「西山君、きっと何か訳があるのよ」
「訳って?」
「それは分からないわ。でも、こうちゃんが、西山君に直接ビシッと言ってやればいいのよ」
「ビシッと?」
「そう。そうすれば、彼もきっと気付くはずよ」
「…………」
「ねえ、覚えてる? 私達が初めて会った日のこと」
「加佐未北中のプール近くの女子トイレだったっけ」
「そう。あの日、こうちゃん達と会ってから、私は変わったわ。今までの水島由美子じゃなくなった。それはあなた達のおかげなのよ」
「そんなことないよ」
「ううん、こうちゃんと西山君が、私の初めての友達になってくれた。だから今の私が存在しているの。……だからこそ分かる。彼は私達を置いて家出する人じゃない」
「……ありがとう、由美子。何かよく分からないけど少し元気が出てきたよ」
「そう、そうでなくっちゃ! こうちゃんは、元気印って感じがいいんだよ」
それを聞いて、ようやく唯は笑みを見せた。
「よし、絶対純のヤツを見つけて、とっちめてやるんだから。由美子、協力してね」
「ええ、もちろんよ!」
唯は再び外の景色を見た。
さっきまでの曇った感じとは違う。
今は、明るく日が差したような気がした。




