14.考えて、動いて
日曜日になると、膝の痛みもだいぶ和らいでいた。
勇也は起き上がり、軽く右膝を動かしてみる。
やっと自由に歩ける程度になったようだ。
午前中、かのとおばさんが東京に戻る前に、木下家の入っている社宅に挨拶に来てくれた。
勇也の母親と妹の奈美も明日から奈美の学校があるので、今日のうちに実家へ戻るようだった。
ついでという訳ではないが、途中の駅まで一緒に向かう約束をしていたらしい。
「勇也くん、今回は本当にありがとうね。また東京に来ることがあったら、いつでも連絡頂戴。歓迎するから」
と、かのとおばさんが、笑みを零す。
「ありがとうございます。また落ち着いたら、かのえのお墓参りに行きます」
「そう、それはかのえも喜ぶかもしれないわ。あの子ったら、本当に勇也くんのこと、好きだったみたいだから……」
と、感極まってしまったのか、かのとおばさんの瞳に涙が溜まっていた。
勇也の母親がそっとハンカチを差し出す。
「渚、ありがとう」
と、ハンカチを受け取ると、かのとおばさんは涙を拭った。
「かのと、それじゃ、行きましょう」
と、勇也の母は奈美を連れて玄関ドアを開けた。
「ええ。……それじゃ、勇也くん、元気でね」
かのとおばさんは、赤い目をしながら、勇也に手を振った。
「はい。かのえの想いを伝えてくれて、本当にありがとうございました」
勇也は、ドアが閉まるまで、深く頭を下げ続けていた。
ドアが閉まると、室内には勇也だけになった。
葬式の翌日、すぐに出張先へトンボ帰りした親父はさておき、久しぶりに母親や妹が居る生活をしていただけに、急に家に音がなくなってしまった。
孤独が勇也を包む。
だが、ここで滅入っている場合ではなかった。
勇也は首にぶら下げていたチェーンを引っ張り出した。
それは、かのえにあげたオモチャの指輪だった。
あの日から、チェーンに通して肌身離さず持っていた。
指輪を優しく両手で包む。
彼女が前に進めと言ってくれた。
だから、泣いたり、立ち止まっている場合ではなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
勇也は膝の回復を知って、久々にツーリングに出掛けたくなった。
気付いた時には家を飛び出していた。
愛用のマウンテンバイクは先日の一件で天寿を全うしていたので、川田に譲ってもらったお古のママチャリを活用することにした。
かのえのことは勿論そう簡単には吹っ切れるものでは無かった。
それでも、唯の献身的な行動が、勇也の心を身体を、少しずつではあるが突き動かしてくれた。
これ以上、家に引き篭もっていても、かのえが喜ばない気がしていた。
だからこそ、まずは前向きな気持ちでツーリングに出掛けたかった。
勇也が猛スピードで突っ走っていると、誰かに呼び止められた。
慌てて急ブレーキをかけると、声がした方に振り返る。
「あれ、水島さんじゃないか?」
声を掛けてきたのは水島由美子だった。
今日は日曜日のはずなのに、なぜか学校の制服を着ている。
「今日は部活か何かだったのか?」
と問い掛けたが、
「ううん、今日はちょっと友達の部活の応援でちょっと」
と由美子は顔を背ける。
そういえば、由美子が何の部活をしているのかは聞いたことがなかった。
「それよりも、こうちゃんから聞いたけど、勉強合宿、大変だったみたいね」
「ああ……、そういえば、大変だったような気がする」
そういえば、そうだった。
勉強合宿のことなどは完全に忘れていた。
――かのえが亡くなったこと。
――唯が全身全霊を掛けて慰めてくれたこと。
この数日、色々濃密にあり過ぎて、勉強合宿が随分と昔の話のように感じられていた。
代休明けに受けた抜き打ちテストの結果はきっとボロボロになって返ってくるのだろう。
「随分と他人事みたいね……。まあ、無事に帰って来たんだからよしとするか」
「流山の奴は、合宿中も空き時間にはずっと素振りして体を作っていたよ。今日もきっと部活で学校に行ってるんじゃないかなと思う。その真面目さには本当に頭が上がらないよ」
と、由美子が興味がありそうな流山の話題を振ってみたが、
「今日は、加佐未北中の体育館で、剣道の大会をやっていたみたいよ」
と、意外な返答が返ってきた。
「あれ、流山が剣道をやってるって言ったっけ?」
「ううん、彼が剣道の試合をやってるのを見かけたのよ」
「ふうん、それはまた偶然だね」
「偶然……、まあ、いいけど」
由美子はぼそっと呟いた。
「それよりも、こうちゃんとは最近会ってるの?」
「え、まあ……、そうだね」
その質問で、唯が先日のことを由美子には話していないことを察した。
てっきり、由美子にはすべてを話しているものだと思っていたが、一昨日の公園での話は、彼女の胸の中にだけ留めてくれているのだろうか。
プライベートなことを、親友相手でさえも話さずにいてくれる唯の優しさはありがたかった。
かのえのことは、知らない人間には話したくなかった。
中途半端な伝聞で、彼女の想いが茶化されたり、歪められるのだけは勇也には許せなかった。
言葉尻から違和感を感じ取ったのか、由美子が少し険しい顔をした。
「……? まあいいか。それじゃ、私はこれで」
と、由美子はスタスタと去って行ってしまった。
勇也はどうしたものかとその場で暫く立ち尽くしていた。
やはり、彼女にどう接するのが正しいのかが、未だに掴めていない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
谷川市をあちこち走り回っていた勇也が、氷上町にある『ブックスファイン-氷上店-』に着いたのは四時過ぎだった。
川田のお古のママチャリを店の前に止める。
「俺って一体何やってんだろ?」
ふと、そう考えてしまう。
あの子に会う為にわざわざ一時間も掛けてこの本屋に来たのだ。
約束をしている訳でもないから、当然ながら会えるかどうかさえも分からないのに。
ただ、もう一度会って、この間の御礼を言いたいと考えていた。
そして、自分の気持ちを確かめたかった。
こんなことをしている自分を嘲るしかなかった。
勇也は、意を決して本屋の中へと入った。
相変わらず品揃えが謎な店内をぐるりと見回したが、今日は彼女の姿はなかった。
見落としがないかと三周はしてしまったが、結果は変わらない。
他の店員に訊けば早かったのかもしれないが、怪訝な顔をされそうで、勇也にはそんな勇気は出なかった。
「ここのバイトやめちゃったのかな……?」
不安が募る。
勇也は諦めきれずに、本屋の前で待つことにした。
空を仰ぐと、太陽が沈みそうになっていた。
気付くと、勇也は夢を見ていた。
いつものあの夢の少女が出て来た。
勇也はその優しく、穏やかで、心を和ませてくれる少女と向かい合っていた。
「君は一体誰なんだ?」
…………。
……………………。
しかし、その少女は何も答えない。
少し寂しそうな感じで、勇也のことを見つめる。
「お願いだ、君の顔をもっとよく見せてくれ! 目が覚めても覚えている位に……!」
勇也が近付こうとすると、彼女は少しずつ遠ざかって行く。
「待って! 待ってくれ!!」
勇也は必死に叫ぶ。
すると、その少女が口を開いた。
「勇也、自分の思うように、考えて、動いて――」
「――はっ!」
勇也は目を覚ました。
「またいつもの夢か――――って、うわっ!!」
ゴン!
勇也は驚いて本屋の壁に頭を打った。
堪らず、頭を抱える。
あの本屋の店員の子が居る。
目を開けた瞬間、彼女の顔が目の前にあったから驚いたのだ。
「だ、大丈夫?」
と、本屋の子が心配そうにこちらの様子を窺う。
部活帰りなのだろうか、今日は彼女が制服を着ているようだ。制服姿は初めて見たがよく似合っている。
二、三十分程、眠っていたのだろうか。
それによく見ると、まだ太陽は沈み切っていなかった。
「俺、こんな所で眠っちゃったんだな。よっぽど疲れているのかな?」
と、欠伸を噛み殺しながらゆっくりと立ち上がった。
すると、彼女は何かを取り出した。
「はい、これ」
「えっ、これは……?」
勇也は、茶封筒を受け取って中を開けてみた。
それは今月号の『アルファ』だった。
勇也は驚いて彼女を見つめる。
「あのね、あの次の日にすぐ取りに行ったんだ。それであなたが来るのを毎日待っていたんだよ?」
「えっ……!?」
「でも今日はごめんね。学校に用事があって……、バイトもお休みを貰っていたし、なかなか帰れなかったんだ」
勇也は言葉が出なかった。
彼女がただ単に責任感が強いからなのか、少し変わっているのかは判断が付かないが、ここまでしてくれた子は初めてだ。
「どうしたの? そんなに見つめられたら恥ずかしいよ」
「いや、君が責任感が強いなって思ったから……」
勇也は自然とそんな言葉を発していた。
「ありがとう!」
彼女は素直に喜んでくれたらしい。
彼女の瞳はとても澄んでいた。
この子の瞳を見ていると、本当に吸い込まれそうになる。
「あ、あの……」
「ねえ、どっかで話そうよ? ここだとちょっと目立つし」
「え、あ……、わ、分かった」
勇也は先に誘われてしまった。
つくづく自分の対話の苦手さを実感した。
彼女は、勇也を本屋の左横にある営業廃止になったゲームセンターに案内してくれた。
「あのね、ここは私がバイトの休憩時によく来る所なんだ」
と言っても、板張りの天井には蜘蛛の巣が張っているわ、床は腐って穴が開いてるわで、実に酷いものだった。
勇也が室内を見回していると、「こっち」と奥の方に居た彼女に呼ばれた。
彼女は『控え室』と書かれたドアの前に立っていた。
その中に入ると、さっきまでとは随分雰囲気が違った。
この中だけ妙に綺麗に片付いているし、電気もきちんと通っている。
おそらく彼女が整備して使っているからなのだろう。
この部屋は入り口側から見れば死界になっている。
ゲーセンの前に来たとしても、誰も無断で使っているとは気付かないと思う。
隠れ家や秘密基地的な感じがあって、勇也の心は少し踊った。
勇也は彼女と向かい合って座った。
この部屋には、ふたり掛けのソファが向かい合って置いてあったのだ。
勇也はなんとも恥ずかしかった。
向かい合うだけでここまでドキドキしたのは初めてだ。
この子と居ると何かいつもと違う自分が存在している気がした。
勇也がモジモジしていると、彼女が話し始めた。
「ねえ、どうしたの? 落ち着きがないけど……」
「えっ!」
「あなたって本当に面白い人だね。ほんと何というか変わっているというか……」
女の子は興味深そうに、勇也を見つめる。
「君だって、なんか今時の子と違うと言うか何と言うか……」
「そうか! 私達ふたりとも変わってるんだよ。だから気が合うんだ」
「気が合う……」
勇也は嬉しかった。
少なくとも彼女に好かれていると分かったからだ。
しかしそれはどこまでの意味を持つのか。
単に話し易い、それとも……? 真意は訊けない。
その後、彼女は色々なことを話してくれた。
ちょっと変わっているなという気はしたが、彼女と話していると本当に楽しいのだ。
唯と話す時は主に『RAIZA』や趣味のことばかりであり、仲間意識を持って話していた気がする。
一方で、彼女は学校であった面白いこととか、バイト中の失敗談などを話してくれた。
それは勇也の知らないことばかりで、すべてが新鮮で、聞き甲斐があるのだ。
その間、ずっと勇也の心臓はドキドキして止まなかった。
彼女と話していると時間の感覚がなくなっていくような感じがした。
まるで別の世界に入り込んだようだった。
しかし、時間とは確実に過ぎていくものだ。
窓の外を見ると、すっかり暗くなっていた。
そろそろ七時を回る所だった。
「あれ、もうこんな時間なんだ? ほんと時間が経つのって早いね」
「まったく、同感だよ。こんな時間までごめん」
「ううん、私も楽しかったから、気にしないで」
ふたりは立ち上がった。
彼女をよく見ると、唯よりも少しだけ背が小さいようだ。
とってもちっちゃく見える。
そして彼女のトレードマークとして、黄色い大きなリボンで結わえられたポニーテールが光っていた。
彼女はその髪をなびかせて部屋を出ようとする。
「あ、あの……」
「え、どうしたの?」
女の子は首を捻る。
「えーと、あの……、その……」
どうしてもうまく言葉が出て来ない。
「……そうか、私達まだ自己紹介もしてなかったんだよね。私は美雪、広田美雪だよ! あなたは?」
「き、木下勇也……」
なんかメチャメチャ緊張していた。
「勇也……ちゃん? んーと、じゃあ、ゆーちゃんだね。それじゃ、ゆーちゃん、今日は本当に楽しかったよ。またね!」
「あ……!」
美雪はそう言うとそのまま走って行ってしまった。
「広田美雪……か」
結局、彼女にハンカチを借りた御礼を伝えられていないことに、後で気付いた。
いったい今日は何をしに氷上山まで来たのだか分からなくなっていた。
(自分の思うように、考えて、動いて――か)
今日は夢の記憶が残っている。
夢の少女が、自分に前へ進む力を与えてくれている気がした。
首に飾ったチェーンを引っ張り出すと、古ぼけた指輪をそっと握った。
その晩は広田美雪のことが頭から離れなかった。
第二編「承」はここまでになります。
夢の少女から、前に進む勇気を貰った勇也。
彼がここからどう変わっていくのかは、次回からの第三編「転」をお楽しみください。




