13.側に居るよ(2)
代休三日目、勇也が目を覚ますと、既に日が高く上っていた。
昨日は、まる一日、かのえの葬式に参列していた。
現住地ではない場所での葬儀だったからなのかは訊けなかったが、御崎家の親族がたくさん集まる感じではなく、本当に身内だけでひっそりと行なわれた。
たった一人の掛け替えのない娘を失ったかのえの両親の心中を考えると、本当に居た堪れなかった。
連絡を受けた親父も、昨日ばかりは出張先からトンボ帰りしてきて、勇也と一緒に葬儀に参加していた。
母方の両親の家に行っている母と妹も谷川市に戻ってきて、同様に参加していた。
勇也は把握してなかったが、両親同士は交流が深く、当時だいぶ世話になっていたようだった。
だからこそ、かのとおばさんも勇也のことを随分と可愛がってくれていたのかもしれない。
六つ歳の離れた妹の奈美は、当時はまだ四歳で、かのえやかのとおばさんが一緒に遊んでくれていたことを覚えていなかった。葬儀中もよく分からないといった顔をしていた。
子供には知らされていないこともたくさんあった。
勇也は、かのえの容態のことを、親父が以前から把握していたことを知って、胸倉を掴み上げていた。
「なぜだ……! なぜ教えてくれなかったんだ、親父!!」
生まれてこの方、人に手を出すようなことをしたことがなかった(そんな勇気もなかった)が、その話を聞いた時には、頭よりも先に手の方が動いていた。
勿論、かのえが強く口止めをしていたということは分かっていたが、それでも、そのやり場のない気持ちはどこにも行く先を見つけることが出来なかった。
親父は、この件については何も話そうとしなかった。
いや、勇也に何と声を掛けていいか分からなかっただけのかもしれない。
ただ黙ったまま、深く念じながらお焼香を行なっていた。
数ヵ月ぶりに家族全員が揃ったというのに、全然明るい話題は出てこなかった。
リビングや台所は、母親が空き時間を見つけて片付けてくれたので綺麗になっていたが、それでも気分は重いままだ。
久々にこの家で出てきた夕食もどんな味だったのか、何を食べたのかも思い出せない。
母親が、祖母や妹の近況を話してくれたり、勇也の近況を訊いてくれたりしたが、何を話していたのかも全く頭に残らなかった。
ただ、心に大きな穴がぽっかり空いたような、奇妙な感覚だけがあった。
「勇也くん。会えない?」
と、唯から留守電に伝言が入っていることに気付いたのはその日の晩だった。
彼女は昨日から何度か連絡を入れてくれていたようだ。
だが、折り返し連絡をする力が沸いてこなかった。
その日は結局、布団を被って現実逃避をしたまま、一日を終えた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
気が付くと朝になっていた。
寝不足のせいか、目の下のクマが凄いことになっていた。
眠っていたはずなのに、ずっと起きていたような何とも言えない気分だった。眩暈がする。
「……今日から学校か……」
時計を見ると八時である。
バスで行こうとすると、もはや遅刻だ。
勇也は、久々に母親が用意してくれていた朝飯も食わずに家を飛び出した。
川田に貰ったお古のママチャリで走り出す。
右膝の怪我が心配だったが、少し抑え目であれば、何とか走れそうだ。
勇也は六年間皆勤を狙っていた。
中学時代の勇也は勉強人間であったので否応なしに学校に行っていたのだが、高校に入ってからは壇ノ浦の影響であった。
奴は遅刻・欠席を何があっても許さないと言うのだ。
もししたら命はないと言うのである。
おかげで壇ノ浦が担任である勇也のクラスの出席率は高一から百パーセントである。
特に中学で皆勤だったのは勇也だけであったので、余計プレッシャーが掛かっていた。
勇也は教室に飛び込んだ。
タイミングは、予鈴のチャイムと同時だった。
「木下、いい度胸だな」
「はっ!」
勇也は恐る恐る後ろを振り返る。
「だ、壇ノ浦先生!」
壇ノ浦は不気味な笑みを浮かべている。
「木下、今日は膝の怪我に免じて見逃してやろう。だが、二度はないと思え!!」
「す、すいません」
勇也は壇ノ浦の気迫に圧倒されていた。
「分かればよろしい! よし、もう礼はなしだ。お前ら席に着け!!」
みんな慌てて席に着く。
「さて、先日は勉強合宿ご苦労であった。この代休中は復習に余念は無かっただろうな?」
みんな顔を見合わせる。
バアアアアアアアアン!!
壇ノ浦は紙の束を教卓に叩き付けた。
「合宿の成果を見るために、今から抜き打ちテストをする!」
その言葉に、クラス全員が気を失いそうになったのは言うまでもない。
放課後、勇也はゲッソリしていた。
睡眠不足と壇ノ浦の無言の圧力でボロボロになっていた。
思考の大半が失われており、まともに試験を受けられるような状態では無かった。
今日の結果はかなり酷いものになっているに違いないが、正直なところ、どうでも良い気分になっていた。
そんな抜け殻のようになった勇也の姿を、流山が発見した。
「木下! おい、しっかりしろ!」
「……なんだ……、流山か……」
「なんだ、じゃない! しっかりしろ!」
流山が真剣に心配しているようだ。そんなに死にそうな顔をしてるのだろうか。
「木下クン!」
ゆっくりと顔を上げる。
木下クンなどと呼ぶ奴は一人しかいない。
岸山の奴だ。
勇也は、自然と眉間に皺を寄せていた。
「どうしたんだい、そんな顔して?」
「お前が来たから気分が悪くなったんだよ」
「またまたぁ〜」
岸山は軽く笑う。
「それより、今日は生徒会の会議があるんだ。テーマは……、あれ?」
と言いかけた岸山だったが、勇也の姿は既にその場にはなかった。
ふたりは校門の前まで逃げて来ていた。
「お前ほんと岸山に好かれてるよな」
「放っておいてくれ……」
勇也は脱力しながら答える。今は、岸山の相手をしている元気は無かった。
「木下クン!」
「うわあああああ!!」
勇也は気を失いそうになる。
「き、岸山……」
なんと、岸山が後ろに立っていたのだ。
この男は、すかさず追いついてきたというのか。
勇也は、頭を下げて、深くお願いした。
「本当に悪い……! 今日は調子が悪くて……、だから、生徒会は行けそうにない」
「何の話だい? ほら、木下クンの彼女だよ。キミを探していたから連れてきてあげたんだ」
「彼女……?」
勇也は驚いた。
岸山の陰に、頬を膨らました唯が立っていたのだ。
彼女は、両拳を腰に当てて、仁王立ちしていた。
「神代さん……」
勇也は、昨晩折り返しの電話できていなかったことが後ろめたく、その場から動けなかった。
思わずさっと顔を背けていた。
「勇也くん、久しぶりだね」
「神代さん、どうしてここに……?」
「どうしても話したいことがあるの」
「……そっか……」
唯の頬はぷくっと膨らんでおり、小動物のように可愛らしかったが、その瞳は寂しさに染まっていた。
勇也はどうして良いかわからず、胸が苦しくなってきた。
「……何か言って?」
怒気が含まれたその言葉に、勇也はようやく観念した。
「分かったよ。……どこか話せる場所に行かないか?」
「うん、ありがと」
勇也は、岸山と流山の方へ向き直った。
「それじゃ、岸山。本当に申し訳ないが……」
「分かった。木下クンのことは、ボクが生徒会にはうまく言っておいてあげるよ」
「ほ、本当か!」
勇也は何か信じられなかった。
この岸山がこんな気配りをするとは思ってもみなかったからだ。
勇也は改めて岸山に頭を下げた。
「ありがとう。それじゃ、流山、岸山。またな」
「ええ、木下クン」
「ああ、またな」
そして、勇也と唯は学校を後にした。
先ほどの岸山の気配りには、流山も関心していた。
「岸山、お前って案外いい――――なっ!」
その瞬間、流山は心臓が止まりそうになった。
岸山から、もの凄い殺気を感じたのだ。
流山は剣道をやっている。
こういう殺気とかには敏感だが、ここまでのものは滅多に感じたことがなかった。
冷や汗が流れる。
「岸山、お前……」
しかし、その殺気はすぐに消えてしまった。
岸山はニコッと笑った。
「何だい? ……あ、もう会議が始まっちゃうな。吉本クンにも声掛けないと。それじゃ、流山クン」
そう言うと、岸山は校舎へと歩いて行ってしまった。
流山は、暫く金縛りにでも遭ったかのように、その場から動けなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
勇也は、伊東駅の近くにあるあの公園に、唯を連れて来ていた。
ふたりでやってきたのは、あの遊園地デートの日以来だろうか。
移動中、勇也は、何も話せなかった。
屍のような感じでただ身体を引きずって歩いていた。
彼が普段とは違う状態であることを察したのか、唯も何も話さず、黙って付いてきてくれた。
十分くらい歩くと、ようやく公園に辿り着いた。
夕方の公園は、小学生くらいの子が何人か遊んでいたが、静かなものだった。
ふたりはブランコの前の柵に軽く腰掛けた。
少しして、勇也はようやく口を開いた。
「どうしたの? わざわざうちの学校まで来てくれたりして……」
唯は学校での拗ねた様子とは一変して心配した感じで、
「どうしたのは、あたしのセリフだよ? 何度電話しても出てくれないし、集中豪雨で土砂災害が発生して帰りが遅れたって聞いて、本当に心配したんだから」
「ごめん……」
「何があったの? 良かったら、あたしに話して」
と、勇也に働き掛けるが、
無言を貫き通す勇也を見て、唯は彼を無理矢理ブランコに座らせた。
そして、改めて真剣な眼差しで懇願する。
「……勇也くん、お願い」
勇也は自分が腰掛けるブランコに目を向けた。
そのブランコは、かのえと五年ぶりに再開した日にふたりで一緒に遊んだ遊具だった。
あの時は自分が独りで妙に塞ぎ込んでいて、そこにかのえが偶然やってきて、色々話した気がする。
鬱積した気持ちを吹き飛ばすように、ふたりでたくさんブランコを漕いだ気がする。
すべては、この場所から始まっていた。
かのえとの再開後、勇也の周りは、目まぐるしく変化していった。
嬉しそうにブランコを漕いでいた彼女の顔が浮かんでくる。
彼女は子供らしいあどけなさを残しつつも、本当に美しかった。
そんな彼女は、もうこの世には居ない。
かのえとの思い出が、一気に溢れ出てきた。
――小学校時代のこと。
――振られて別れた時のこと。
――再会した時のこと。
――最後の別れ際に、頬にキスしてくれたこと。
彼女が秘めていた想いが、勇也の心を満たす。
「……かのえ……」
涙は、遅れて出てきた。
一度流れ出すと、もはや止まらなかった。
ここ数日分の想いが堰を切ったように溢れ出した。
「……かのえが……、かのえが……!」
勇也の顔はとても弱々しく、儚かった。
彼の突然の涙に、一瞬驚いた唯だったが、すぐに平静さを取り戻すと、そっと勇也のことを抱き寄せた。
ブランコごと抱き締めたため、ガチャリと音を立てる。
それから、唯は、勇也が話すことをただ黙って聞いていた。
勇也は支離滅裂な様子で、所々わからないところもあったが、それでもじっと彼の話を聞いていた。
すべてを勇也から聞いた唯の目からは、涙が溢れた。
御崎かのえとの別れ。
なんて悲しい話なのだろう。
その時、彼女の中で、何かが弾けた気がした。
自分は勇也が好きなのだ。
そう自覚した。
彼を守ってあげたい。
自分が元気付けてあげたい。
傷ついた心を癒してあげたい。
そう思った。
「元気を出して。あたしが勇也くんの側に居るから」
唯は『天下一品』の笑顔を、勇也に向ける。
「神代さん……」
唯は、勇也の頭を優しく撫でると、改めて包み込むように抱き締めた。
彼女の方が小柄なはずなのに、そのハグはとても大きく感じられた。
勇也は、メチャメチャ恥ずかしかった。
唯の感触が堪らなく心地よくて、甘くて、歯止めが効かなくなりそうになる。
彼女に応えようと、勇也の手が唯の体に回りそうになる。
だが、その手は直前で止まってしまった。
怖かった。怖くて仕方なかった。
ここで、彼女に身を委ねてしまって、本当に良いのだろうか?
彼女に甘えて、自分が立ち直れる自信は無かった。
そんな勇也の戸惑いを察知したのか、唯はそっと、勇也の額にキスをした。
「神代さん……?」
勇也は、ゆっくりと顔を上げる。
唯は勇也の両頬に優しく手を当てた。
勇也のことを、真っすぐな瞳で射貫く。
「だいじょうぶ。あたしはどこにも行かないよ? 勇也くんの側に居るから」
唯は、改めて、太陽のような、暖かな笑みを見せた。
その真っ直ぐな言葉は、勇也の中にあった抵抗心を一気に崩した。
「神代さん……」
勇也は、唯を、強く抱き締め返していた。
唯は、そんな勇也の頭を改めて優しく撫でた。
(かのえ……、俺は、前を向かなきゃいけないんだよな……?)




