12.側に居るよ(1)
集中豪雨の影響で、K高校の一行は戻りが数日遅れた。
土日も潰れてしまい、学校に着いたのは月曜になっていた。
四泊五日の強化合宿のはずが、図らずも、七泊八日にパワーアップしたのだ。冗談でも笑えない展開だ。
合宿に参加した高二の面々は、学校に到着すると、ゲッソリとしていた。
校庭に集められた生徒達の前で、合宿中の成績優秀者上位五位までが表彰された。
上位表彰者には、順位が漢数字で書かれた紅白饅頭も一緒に貰えた。頑張ったものはきちんと目に見える形で表彰する。これは壇ノ浦の考えそうな、よくわからない趣向のひとつである。
それでその五人が前に呼ばれた訳だが、勇也と岸山もその中に入っていた。
今回も《不動の魔人》三ツ谷が首席を取るものだと思っていたが、壱の書かれた栄えある紅白饅頭を手にしたのは、なんと岸山であった。弍が《不動の魔人》、参四を他者に譲って、伍が勇也である。
勇也は、唯や本屋の子などのことや膝の怪我のこともあってか、中々集中できずに苦戦していたが、それでも岸山が首席となったのはこれが初めてだった。岸山は嬉しそうな顔をしている。
一方の《不動の魔人》は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。勇也に負けることはあっても、他の奴に勝ちを譲るのは初めてだったからではないだろうか。
学年主任の先生の話が終わると、勇也は岸山を祝福した。
「岸山、三ツ谷を押しのけての首席、おめでとう。凄いな」
すると岸山の顔色が変わる。
「木下クン。ボクに負けたのに何ニヤニヤしてるんだい? プライドは無いのかい?」
「えっ!」
「あ、いや、別になんでもないよ。それじゃボクはこれで」
そう言うと岸山は、自慢げのような、不満げのような、何とも言えない顔をして去って行った。
「つくづくわかんない奴だな、あいつも」
勇也は、岸山の背中を静かに見送っていた。
流山は剣道部で鈍った体をほぐすと言って去っていったが、七日間も拘束されていた勇也は、美術部にも生徒会にも顔を出す元気はなかったので、そのまま帰ることにした。
ただ、今回は自転車で通学していた訳ではないので、合宿前の日のようにバスを使って移動するしかなかった。
バス停まで大回りする必要がある。
「木下せんぱーい!」
振り返ると、樫田の奴が立っていた。
「樫田じゃなくて、川田です!」
「お前、人の心が読めるのか!?」
「本当に樫田だと思ってたんすか!? いい加減、僕の名前憶えてください!」
「悪い悪い。で、どうしたんだ? 流石に今日は美術部に顔を出す元気は無いよ」
「あ、いえ。先輩、合宿に行く前に言ってたじゃないかですか、自転車を壊してしまったって」
「ああ、不慮の事故でな。買い替える金も無いし、暫くバス通学にするかも」
「ちょうど先日、自転車を買い替えたので、古いママチャリを処分するところだったんです! 古いもので良ければお譲りしますが、どうですか?」
「本当か? それは助かるよ」
「エッヘン! 気の利く僕を、褒め称えてください!」
「そういう台詞は自分で言うと台無しになるぞ。やっぱり要らなくなってきた」
「し、失礼しました!」
「なんてな。ありがとう、川田。改めて、本当に助かるよ」
「良かったです! では、僕の都合になってしまいますが、明日の夕方にでもご自宅にお届けしますね」
「分かった」
確かちょっと独特の色合いのママチャリだった記憶があるが、この際贅沢は言ってられない。
それに、純粋に川田の気遣いが嬉しかった。
ちょっと変わった奴ではあるが、本当に憎めない良い奴だと思う。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
勇也には翌日から三日間の代休があった。
剣ノ山に閉じこめられていた間にあった祝日の分と、予定外に拘束されたこの土日の計三日分である。
合宿前に転倒して負傷した右膝は、昨日の学校帰りに谷川総合病院の整形外科で診てもらった限り、日数を経てだいぶマシになってきた。
とはいえ、まだまだ本調子とは言い難かった。
そういう影響もあってなのか、気持ちが不安定になっている気がする。
結局、初日は何もする気が起きず、家でゴロゴロとしていたまま終わってしまった。
テレビを付けて、カップ麺を啜っていたが、つまらないワイドショーやサスペンスドラマの再放送をやっていただけで、何も頭に入ってこなかった。
合宿中に親父は何度か帰ってきたようで、今週の生活費を少し食卓に残してくれてはいたが、やはりこの家には生活感はあまり感じられなかった。
勇也の頭の中は、女の子たちのことで頭がいっぱいになっていた。
これから自分はどうしたらいいのか分からなくなっていた。
誰かを好きになった経験は乏しく、ましてや、かのえにきっぱり振られてからというもの、女の子との距離感さえ未だにどう取るのが正しいのかさえ分からない。
唯のことはずっと気になっている。
その元気さに圧倒されることもあるが、話しやすくて、趣味も合う。
ただ、合宿から帰ったことを伝えるべきだと思うのに、昨晩は電話する気にはなれなかった。
あの本屋の子は、勇也の心に、棲み着き出していた。
まだ会ったばかりなのに、その存在はどんどん大きくなっていた。
本当はすぐにでもあの本屋へ行ってみたかった。
しかし、膝の痛みもあり、まだ体が言うことを聞かなかった。
そういえば、かのえはもう東京に帰ったのだろうか。
合宿前にかのえを家に招待して、ふたりで話したことが思い出される。
結局、あまり話せないままで終わってしまった。
自分からは連絡先を渡したものの、かのえからは連絡先を聞かず終いだったので、もう会うことも無いのかもしれない。
本屋の子といい、そんな些細なことでさえ、拒絶された時のことを恐れ、動き出すことが出来ない。
本当に意気地のない自分が嫌になる。
ピンポーン!
「はぁい」
勇也は、気だるげにソファから体を起こすと、インターホンの前へと向かった。
インターホンのモニターを覗くと、川田が立っていた。
「お、川田か」
「先輩、お届け物をお持ちしました!」
「そうか、昨日言っていた自転車か。本当に持ってきてくれて感謝するよ。ありがとう」
「いえいえ、とんでもないです」
「ちょっと待ってくれ。すぐに出るよ」
「はい!」
勇也は、ざっと手櫛で髪を整え、上着を羽織ると、玄関へと向かった。
チェーンロックを外して、玄関ドアを開ける。
「ありがとう、川田――ってあれ?」
ドアを開けると、川田の他にもう一人女性が一緒に立っていた。
年齢は四十代前半くらいだろうか。
見たことがない人だった。
勇也に気付くと、女性は深々と頭を下げた。
川田が補足する。
「先輩、実は社宅の前で、この方に出会ったんです。ちょうど先輩の家を探していたようで、ご案内しました」
と紹介されても、見知らぬ人物であることに変わりはない。
「え〜っと、どちら様でしょうか……?」
勇也は恐る恐る質問する。
「……勇也くん、久しぶりね」
この女性の声には聞き覚えがあった。
過去の記憶を辿り、心当たりを探していく。
「……まさか……? かのと……おばさん?」
「ええ、かのえの母のかのとです。見違えるように大きくなったわね、勇也くん」
それは、かのえの母親 御崎かのと だった。
挨拶をされて、徐々に五年前の記憶が蘇ってきた気がする。
当時のかのえの母親は、自分の母親よりもだいぶ若々しく、少し羨ましいと思ったこともあった位だ。
勇也も自分の子供のように凄く良くして貰っており、かのとおばさん、と名前で呼ぶ程に懐いていた。
ただ、今目の前に立っている女性は、白髪も混じっており、当時から五年しか経っていないのに、十歳以上は軽く歳を取って老け込んでいるように見えた。だから、気付かなかったのだ。
タイムマシンに乗って、未来に迷い込んだような不思議な気分だ。
「かのとおばさん、こんなところまで一体どうしたんですか? かのえなら、先週までこの谷川市に何か用事があって来ていたみたいですが……」
「……ええ、そうね」
かのえの母親は大きく肩を落とすと、
「かのえは、今朝、息を引き取りました」
と吐き捨てた。
「えっ…………!」
地面がぐにゃりと歪んだような気がした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
勇也、これは決まっていたことなんだ。
あの日、東京の有名な大学病院で検査を受けた日。
わたしの余命はあと五年と決まっていた。
それは今の医療ではどうすることも出来ない、不治の病だと分かった。
――本当はわたしも勇也が好き。
大好きだよ。
好きで好きで堪らない。
その気持ちは、誰にも負ける気がしない。
――だから、応えられなかった。
あの日の勇也の告白には、応えられなかった。
だって、両想いになって、一緒に過ごして、そして亡くなってしまったら、勇也を傷つけてしまう。
それならば、ここで勇也を振って、新しい一歩を踏み出して欲しかった。
わたしのことなんかきっぱり忘れて欲しかった。
だから、告白を断った。
それ以降、一切連絡することも止めた。
――でも、いざ余命数ヶ月となった時。
また勇也に会いたくなってしまった。
自分が一方的に関係を切ったはずだったのに。
それでも、最後に勇也に会いたくなってしまった。
わがままだよね、わたし。
だから、勇也のお父さんに連絡を取って会いに行った。
親を何度も何度も何度も説得して、谷川市の総合病院に転院の手続きをして貰った。
長く暮らした東京ではなく、勇也の居るこの谷川市で最後を迎える覚悟を決めた。
――だけど、五年ぶりに再会してみて分かったの。
勇也は傷を負っていた。
わたしとの別れを吹っ切れていなかった。
いえ、それ以上に、孤独を背負っていた。
人と接することを怖がっていた。
――わたしのせい、だと思った。
良かれと思ってしたことだったけど、それは勇也を傷つけていただけだって分かった。
それならば、嘘なんて付かずにすべてを打ち明けて、最期の時まで一緒に居れば良かった。
ごめんね。
本当にごめんね。
わたしがあの時逃げたばっかりに。
こんなにも長く、深く、勇也を傷つけてしまった。
――だけどもうそれも終わり。
勇也はとても素敵な男性になっているよ。
自信を持って。
その証拠に、たくさんの仲間に囲まれている。
世の中の流れに乗れなくたっていいじゃない?
誰がそうしなきゃいけないって決めたの?
――勇也は勇也だよ。
自分の思うように考えて、動いて、生きていいんだよ?
苦手なことがあったって構わない。
駄目な部分があったって構わない。
そういう所があったとしても、勇也自身が否定される訳じゃないんだよ?
勇也には良い所がいっぱいあるんだから。
――お願い、勇也。
わたしの分まで精いっぱい生きて。
毎日を後悔のないように生きて。
たとえ、体が無くなっても、わたしは側に居るよ。
ずっと、勇也を見守っているよ。
――だから忘れないで? 自分は素敵な人だって。
こんなにもあなたのことを大好きな人が居たって。
大きく胸を張って――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
勇也は、かのとおばさんが手配してくれたタクシーの中で、かのえが最後に残してくれた手紙に目を通して、呆然としていた。
自分でも不思議だったが、とても悲しいはずなのに、涙は全く出なかった。
成り行きで一緒について行った川田の方が、状況を理解したのか、代わりに号泣していた。
あまりに急展開過ぎて、心が追い付いていかないのかもしれない。
「ん……?」
手紙が入っていた封筒の中に、ひとつ膨らみがあった。
奥の方を見てみると、何か入っている。
それは、古ぼけた安物の指輪だった。
小学生の頃に、勇也が、かのえの誕生日プレゼントとしてあげたものだった。
今までずっと、大切に持っていてくれたのだろうか。
その指輪を見て、また胸が苦しくなった。
息が出来なくなった。
谷川総合病院に駆け付けた際には、かのえは安置所で静かに眠っていた。
かのえを前にして、かのとおばさんが、改めて深々と頭を下げる。
「勇也くん、ありがとうね」
「かのえが谷川市に来たのって――」
「ええ、あなたに最後に会いたかったみたい。その約束を果たせたって凄い喜んでいたんだけど、その後、容態が急変して……、そのまま逝ってしまった。……でも、後悔は無かったみたいよ。だって、こんな笑顔を見せて逝ってしまったんだもの」
かのとおばさんは、かのえの顔に掛けられていた真っ白な布をゆっくりと取った。
その顔は先週会った時のまま変わりなく、色白で美しかった。
長いまつ毛がとても魅力的だった。
かのえは嬉しそうな顔をしているように見える。
どう見ても、普通に眠っているようにしか見えない。
もう亡くなっているだなんて、そんな冗談を真に受けたくはなかった。
それでも、その死は、事実としてただ目の前に存在していた。
彼女は、自分の命を懸けて、最期に勇也の呪縛を解き放ちに来てくれたのだ。
――変われ。前へ進めと。




