11.勉強合宿
翌日の月曜日、勇也達は、数時間のバス移動の末、ようやく隣県の合宿地に着いた。
長いトンネルを抜けると、眼前に広がった風景はそれまでと少し変わった。
標高が高いせいか、かなり涼しい。
合宿地というよりは避暑地といった方が正しいだろう。
大きなコテージや別荘などがいくつか見受けられた。
私立の理事長ともなると、こういう場所に別荘を設けられるほど稼いでいるのだろうか。
勉強合宿というものは初めてなので、勇也を始め、みんな不安そうな顔をしている。
これから、壇ノ浦が事前に予告していたように、五日間ぶっ通しで地獄の講義が始まるのだ。
これで喜ぶ奴は、《不動の魔人》か岸山ぐらいだろう。勇也でさえも今回の合宿は嫌だった。
勇也は昔から塾には行っておらず、これまで独学で学年上位をキープしていた。
岸山はどうなのかは聞いたことはないが、《不動の魔人》は有名な進学塾に毎日通っており、そこでも上位をキープしているらしい。
全国模試の成績では少し水を開けられていた。
この辺が《不動の魔人》と勇也との勉強に対する向き合い方の違いなのかもしれない。
合宿の開会式が開かれた際に、昨日の変質者の事件のことで、流山が壇ノ浦先生に表彰された。
勇也は、今回の一件が許せなかった。どんな人だって、他人の人権を奪うことは許されるはずがない。
自分に関係ない子だったからよかったとは言える訳ではないが、もし知っている人だったらと思うとぞっとしてしまう。
「流山、今の心境は?」
勇也は拳をマイクに見立てて、インタビューアーのように突き付けた。
「別に。当たり前のことをしただけだからな。誰かに評価されたくてやっている訳ではない」
と言い放つと、興味なさそうに流山は歩いて行ってしまった。
相変わらずクールな男だ。
勇也が追いかけようとすると、岸山がヌッと現れた。
「うわっ!!!!」
勇也はたじろいだ。
「木下クン、どうしたんだい?」
「お、お前が突然現れたからビビッてんだよ!!」
岸山は顔を近づける。
「さあ、一緒に講義を受けに行こうよ」
「なんで違うクラスのお前と一緒に……? そうか、この合宿中は成績別……!」
勇也は冷や汗を落とす。
「同じ学年三位内じゃないか、木下クン」
岸山は不気味に微笑む。
「さ、最悪……」
「さあ、行こうよ。ボクは今回の合宿を本当に楽しみにしていたんだ」
岸山は勇也の手を取る。
「い、いい加減にしろっ!!」
勇也は、岸山の手を強く振り払った。
「木下……クン?」
と、岸山が驚く。
勇也はキッと睨み付ける。
「お前は一体なんなんだよ! いつもいつも俺を追い回して!! 少しはこっちの迷惑を考えろよな!!」
「……ボクは……」
「男同士なのに、ベタベタと気持ち悪いんだよ! 分からないのか!?」
「……ボクは、キミを……」
「俺は今、流山に用があるんだ。何かあるなら後にしてくれ!」
そう言うと、勇也は流山の後を追った。
「……ちょっとキツく言い過ぎたか」
歩きながら、勇也は言い過ぎたことを反省する。
「木下クン……、キミは……」
岸山は、勇也の後ろ姿をじっと見つめていた。
合宿中のスケジュールはなかなか過酷だった。
成績別にクラスが分けられる所は違うが、平常授業と同じように朝から英国数理社の授業があり、夕食後の晩にはその授業の成果を見る為の特別テストが実施され、その結果によって、翌日のクラス分けが修正されるという徹底的な能力評価の授業になっていた。
勇也は順位を落とさないように必死で食い下がったが、最近色々なことがあり過ぎて、どうにも授業に集中できていなかった。
――小柄で元気の塊のような神代唯。
――五年ぶりに再開した初恋の相手である御崎かのえ。
――破天荒でマイペースな氷上山の本屋の子。
この三人との出会い。
そして、全く想像もしていなかった右膝の怪我と愛車の逝去。
まるで盆と正月が纏めてやってきたような慌ただしさだった。
それぞれの子の魅力に翻弄されており、明確に意識はしていたが、その感情がどういうものなのかは自分でも正しく理解出来ていなかった。
その答えを出すのは、合宿中の集中講義の解答を出すことよりも難しかった。
この日から、勇也は最上位クラスから脱落するかどうかの際どいラインを毎日彷徨うことになった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その週の祝日、唯と由美子は加佐未センター街にある、あのカラオケ屋で歌いまくっていた。
カラオケ好きのふたりは、すでに三時間も歌っていた。
一度歌い始めると、どうにも止められなくなるようである。
今日は由美子が誘ったのだった。先日、勇也と少し話したことで、唯の気持ちを確認したくなったのだ。
唯は一曲熱唱し終えて、一息ついた。
採点マシンが集計を弾き出し、満点に近い九十七点を叩き出した。
「また高得点。さすが、こうちゃん」
と、由美子がタンバリンを叩いて褒め称える。
「ふ〜、ありがと」
唯はなかなか誇らしげな顔をしている。
「ふたりだけだと、周りを気にせずじっくり唄うことが出来るわね」
「……ほんと久しぶりだね、由美子。こうしてふたりだけなんて」
「そうね。どれくらいぶりだろ?」
「最近、みんなで来ることが多かったもんね〜」
「ええ」
「でも、やっぱり勇也くんとも一緒に来たかったな。また『RAIZA』の主題歌を一緒に歌いたい!」
「…………」
その言葉を聞いた由美子は、返事もせずに、選曲表をパタンと閉じた。
「由美子……?」
「ごめん、こうちゃん。もう帰ろ」
「えっ、う、うん……」
予想外の由美子のリアクションに、唯は面を食らった。
由美子が途中でカラオケをやめると言ったのは初めてだった。
帰り道、唯は、由美子の少し後ろを歩いていた。
何か話しづらかった。由美子の気分を害することをしてしまったのだろうか。
すると、由美子の方が立ち止まり、振り返った。
複雑そうな顔をしたまま口を開いた。
「こうちゃん、ごめん。なんか私、変だね」
「えっ……!」
「こうちゃんが変わっていくのが怖いみたい。なんか遠くに行ってしまうみたいで」
「由美子……」
由美子は、勇也に対する嫉妬心や寂寥感に苛まれているようだ。
だが、唯の顔が曇ったことに気付くと、
「でも、私は気にしないよ。だってこうちゃんが幸せになるなら、私も幸せになれるもの。だから西山君と幸せになって!」
と笑って見せた。
「なっ……!」
唯はふくれっ面をする。
「ゆーみーこー!!」
すると、由美子は吹き出した。
「はは、やっぱりこうちゃんはこうでなくっちゃ! これからも、いつも元気なこうちゃんで居てよ。ずっと……」
「それはそうと、なんで純なのよ?」
唯はちょっと怒りモードに入っている。
「違うの? 私の見た所では、西山君がピッタリだと思うんだけど……?」
「違うもん! あのアホは関係ない!」
唯は更に顔をプーっとさせる。
「はいはい」
「なんか、納得いかな〜い」
「まあまあ……、ごめんね。そうだ、これからショッピングに行こう! 私、新しい冬服が欲しかったんだ。ね、いいでしょ?」
そんな由美子を見て、唯は微笑む。
「仕方ないな、由美子ったら……」
そんなことを言いつつも、唯はほっとしていた。
由美子とだけは、気まずい雰囲気になりたくなかったからだ。
彼女は自分にとって一番大切な親友だから。
でも、親友のはずなのに、勇也のことは相談出来ていなかった。
純にはあんなに簡単に話してしまったのに。
由美子は、薄々気付いているからこそ、今日ふたりで会いたいと言ってきたことも分かっていた。
(どうして純にはなんでも話せちゃうんだろ? 由美子には話せないことでも、純になら話せる。やっぱり、幼馴染みだからかな? それとも……)
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その週の後半から、集中豪雨が街を襲った。
秋の風物詩といえば台風のはずであるが、今年は一度も上陸していない。
それに加えて雨も降らずに各地で水不足が起こっている状況だったので、この集中豪雨は歓迎された。
唯は学校から帰ると、自分の部屋に籠もって『RAIZA』をやっていた。
勇也が戻ってきた時のことを考えて、久々にやり込んでみたくなったのだ。
好きなゲームをやっていると、あっという間に何時間でも経ってしまうのが怖い。
気付くと外が真っ暗になっていて驚く。
そろそろ晩御飯を食べに行かないと母親に心配されそうだ。
そこに一本の電話が掛かってきた。
「はい、もしもし」
「もしもし、神代さん」
「えっ……、もしかして、勇也くん!?」
「そうだよ。今、大丈夫?」
「もちろん!」
思いがけない勇也からの電話に、唯の胸は高鳴った。
自分から電話することはあったが、勇也から掛けてきてくれたのは初めてだった。
更に、今は勉強合宿の真っ最中のはずである。
「どうしたの、勇也くん?」
「合宿の方が思ったよりもハードでさ。順位もいつもより落としてしまっていて……。そしたら、神代さんとちょっと話したくなったんだ。本当は外部に電話しちゃいけない決まりなんだけど……、気付いたら君に電話してた」
その言葉に、唯の心臓はドキッとした。
「あ、ありがと。嬉しい」
「良かった……。迷惑かなって、何度も何度も電話を掛けるかどうか悩んだんだけど……」
と、電話越しの勇也が少し弱気になっているように感じられた。
「ううん、迷惑なんかじゃない! 勇也くんからの電話、本当に嬉しいよ」
唯は、思わず大きな声で返していた。
その気持ちは、勇也にも届いたようだ。電車越しの声のトーンが上がる。
それからふたりは、暫くたわいも無い会話を続けた。
女の子と話すのが苦手だった勇也ではあったが、唯には本当に少しずつではあるものの、自分の素の部分を出せるようになっているような気がした。
その様子は、電話越しの唯にも感じられていた。
「あ、そろそろ戻らないと、流石に先生にバレるかも……」
「そっか、残念。もっと話していたかったのに」
「ごめん。じゃあ、また合宿から帰ったら連絡するから」
「うん! 楽しみにしてるね!」
「神代さん、おやすみ」
「おやすみ、勇也くん」
通話が切れると、唯は暫く、その場でぼーっとしていた。
嬉しくて、胸がいっぱいになっていた。
合宿で忙しい中、自分を頼って電話を掛けてきてくれたことが嬉しかったのだ。
部屋に立て掛けてあった鏡を見ると、顔が赤くなっていることに気付いた。
それを見て、余計に顔を赤らめてしまう。
ベット脇に置いてあったお気に入りのウサギのぬいぐるみを掴むと、ぎゅっと抱き締める。
(どうしちゃったんだろ、あたし……)
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
唯は激しい雨の音で目を覚ました。
「ん、んん……、あれ? いつの間にか寝ちゃってたみたい……」
『RAIZA』をやっているうちに眠ってしまったらしく、ゲーム画面が無機質に光っていた。
唯は何か飲み物でも飲もうと、下へと降りた。
寝不足のせいか、なんだか頭がズキズキする。
唯は眠気覚ましに、冷えた麦茶を一気に飲み干す。
「ふう……」
唯はリビングのソファに座ると、何気なくテレビのスイッチを入れた。
今は朝の七時過ぎのようだ。
ニュース番組の左上にそう表示されている。
「そうだ、明日勇也くんが帰って来るんだ! ……早く会いたいよ。えっと、何時に学校に到着するんだろ? メモメモっと……」
唯はメモ用紙を捜し始めた。
すると、ニュース番組は突然妙なことを言い出した。
「昨日から日本全域を襲っている未曾有の集中豪雨は、各地で大きな災害をもたらしています。リポーターの津山さん?」
「はい、津山です」
リポーターは豪雨の中に居るようだった。
「今、剣乃山の中腹に来ています。ご覧下さい、大規模な土砂崩れが起こっています」
唯はそれを聞いて、テレビにかじりついた。
「剣乃山って……、勇也くん達が行ってる所じゃない」
唯の顔が険しくなる。
「……と言うことで、剣乃山では現在、六カ所の土砂崩れが確認されています。この影響で乗用車二台が埋もれて、現在救出活動が行われていますが、豪雨の為、作業は難航しています。また、山頂部との連絡手段はすべて絶たれており、避暑などで剣乃山に来ていた人達の安否が気遣われます。道路の復旧は、集中豪雨が止み次第行なわれる予定ですが、気象庁の観測データによると、今回の豪雨はまだ暫く続く見込みです」
「はい、ありがとうございました。それでは、対策本部の置かれている木崎村の状況はどうでしょうか? 山本さん!」
ブチッ!!
唯はテレビを消した。その手は震えていた。
「そんな……! 勇也くん、帰って来れないの?」
唯は目の前が真っ暗になった。
――こんなことになると、誰が予想しただろうか?
――これも運命のイタズタであろうか。




