10.回顧
由美子は、初めて純と唯に出会った日のことを思い出し始めた。
(西山君の想いは、一週間やそこらのものじゃないんだから。だから、他の人とこうちゃんがくっ付くなんて許せない!)
由美子は勇也の存在を感覚的に嫌がっている訳ではなかった。
彼女には、彼女なりの考えがあって、唯と純に結ばれて欲しかったのだ。
あれはそう、由美子が中二の時だった。
今では信じられないことであるが、当時の由美子は本当に大人しかった。
授業中も目立たず、休み時間には独りで寂しく座っていた。
こんな性格であったから、友達など出来るはずもない。
男子生徒からも、暗い奴だと嫌がられていた。
それだけならまだよかったものの、この大人しさにつけ込まれて、イジメが起こり始めたのだ。
仲間外れにされたり、教科書を破られたり、靴を隠されたりと。
しかし、由美子は気にもせず、クールなままだった。
その態度が、余計に癪に障ったらしい。
イジメはだんだんとエスカレートしていった。
仕舞いには、目立たない場所で殴る蹴るなどの暴行まで受け始めた。
由美子は、誰も相談することもせず、ただ独りで耐えているしかなかった。
クラスの奴はみな、由美子がイジメグループにイジメられてるのを知っていたが、誰一人として先生に言おうとする奴は居なかった。
みんな怖かったのだ。
もし先生に告げ口したら、今度は自分がターゲットになってしまうと。
だからみんな知らんぷりしていた。
休み時間教室でやられていてもみんな無視していた。
当時、唯と純、由美子の三人は同じ加佐未北中学に通っていた。
唯は中二、純は中三だった。ふたりは水泳部に入っていた。
純は、幼い頃に、唯がスイミングに入ったのをきっかけとして水泳を始めたのだが、実際やっているうちにかなり上手になり、中三の頃にはインターハイで高成績を残すまでになっていた。
まったく運命とは不思議なものだ。もし唯が水泳を始めていなかったら、純が水泳を始めることもなかったのだ。
その結果、純は、水泳部部長に抜擢されていた。
純は自分でメニューを作り、下級生などを指導していた。
顧問の先生は純にすべてを任せていたらしく、純が実質の顧問状態になっていた。
純は練習の間、いつもある子が泳いでいるのを見つめていた。
そう、唯である。
普段の唯はもちろん可愛らしかったが、泳いでいる時の唯は、可愛いというよりもむしろ美しかった。
幼い頃からスイミングに通っていたからであろう、フォームがかなり綺麗なのだ。
それでいて、小柄であるのにも関わらず、かなりのベストタイムを持っていた。
彼女の得意な泳法はブレ(平泳ぎ)だった。
そんな唯の泳ぎを見るのが純の日課になっていた。
「西山先輩! ――先輩ったら!!」
「えっ……、何や?」
「何だじゃないですよ。私達、百メートル八本終わったんですけど?」
と、女子部員達が、次の指示を仰ぎに来ていた。
純は部員の実力に応じたグループに分け、それぞれの能力に合った練習メニューをやらせていたのだ。
中途半端に能力差のある部員を一緒にさせていると、双方に不満が出て来てしまう。
なかなかの名顧問ぶりである。
「あ、ああ、済まん。せやな、今日はそろそろ終わりにしよか。お前達は、軽く流した後、上がってええで!」
「はい、先輩!」
そういうと、八コースと九コースを使っていた後輩の女子部員達は、流しに入った。
「あれ、今日はもう終わりなの?」
「ん……?」
純が振り返ると、唯がちょこんと立っていた。
純の視線は自然と唯の身体に向かってしまう。
中学に入ってから唯の体が成長してきている。
体つきが幼児体型から徐々にではあるが女に変わってきているのだ。
胸が少し膨らみ、腰付きも少し丸くなってきていた。
唯は、その視線に気付いた。
「純のエッチ! どこ見てんのよ!」
「あ、いや……、ええ感じに女らしくなってきたなと」
「まったく、純はいつもそうなんだから!!」
唯は、頬を膨らませながら、タオルで身体を覆った。
「それより。お前な〜、ええ加減『純』て呼ぶのはやめてくれんか? 特に部活中は『西山先輩』と呼んで欲しいんやが」
「なんで?」
「なんでってな……、部長として、上級生として、なんつ〜か威厳が丸潰れやないか」
「純は純でしょ? 別にいいじゃない」
「あのなあ……」
「もう、分かったよ。努力してあげるから、セ・ン・パ・イ!」
純はその言葉にドキッとしてしまった。
部活終了後、純は、女子更衣室前で唯を待っていた。
女子の着替えは男子に比べると結構掛かるようで、二十分ほどは待っていたかもしれない。
「あれ? 今日も待っててくれたんだ、純」
と、ようやく更衣室から唯が出てきた。
「べ、別に勘違いすんなや? 『最近何かと物騒だから、唯のことをよろしくね』と、お前のおばさんに頼まれたから仕方なくやな……」
「あっそ。でも、あたしは何も頼んでないよ」
唯は一人でスタスタと歩いて行く。
「おい、どこ行くんや? そっちは校門やないで!?」
唯はくるりと身を返す。
「お手洗いよ」
「へっ!」
「お手洗いに行くの。もしかして女子トイレまでお供してくれるの?」
純の顔が赤くなる。
「ア、アホか!!」
それを見て、唯はふふっと笑いながら走って行ってしまった。
純は流石に付いていくこともできず、その場で待つことにした。
唯は女子トイレに入ろうとした瞬間、たじろいでしまった。
三人の女子生徒が、一人の女子生徒をボコボコにしているのが見えた。
唯は逃げようと思ったが、グッと思い止まって、中に入った。
「あ、あなた達何やってるのよ!」
唯の声に三人は振り返る。
同時にやられていた子が静かに倒れ込んだ。
唯は倒れた子を見る。
するとどこかで見た顔だった。
「あれ? あなた、六組の水島さんじゃないの?」
「うう……」
中一の時、確か同じクラスだった気がするが、地味で静かな子だったので、そこまで話した記憶はない。
由美子は、何も話すことが出来ずにその場でうずくまっていた。
「ちょっとなんで水島さんが……、あれっ?」
よく見ると、その三人は唯のクラスの不良三人組であった。
公立学校の宿命とも言えるかもしれないが、柄の悪い生徒も何人かは在籍して居るのだ。
「なんだ神代かよ。あんた何か文句でもあんのかい!!」
「なんで、水島さんを?」
「ああ、この子なんかムカツクのよ。いつも飄々としてさ!」
「こいつはきっと、先公に気に入られようとしてんのさ!」
一人がモップで由美子を殴る。
「うっ!」
「や、やめなよ……!」
と、唯が静止を促すと不良三人組は唯を睨んだ。
「あ? 何だって?」
「こんな酷いことしちゃダメだよ!」
「神代、あんた何いい子ぶってるのさ!」
「きゃっ……!」
唯は突き飛ばされた。由美子の横に倒れ込む。
横の由美子を見ると、制服はビリビリに破れていて体中アザだらけになっていた。
「水島さん、大丈夫?」
「ど、どうして私なんかを……」
「そんな、放っておける訳ないじゃない!」
「…………」
三人が唯と由美子の前に立った。
「神代、あんたも気にくわない奴だね」
「こいつも水島と同じ目に遭わせてやろうか?」
「ふふ、そうだね。こいつには飽きていた所だしね」
三人は唯に近づく。
「や、やめてよ……」
唯は後ろへ後ずさりするが、すぐ壁に当たってしまった。
唯の全身に、緊張が走る。
「じゅ、じゅ――――――――――ん!!!」
唯は学校中に響きそうな位の声で叫んだ。
その途端、純が女子トイレに駆け込んできた。
「お前ら何やっとるんや!」
純は唯がモップで殴られているのを見て顔色を変える。
「お、お前ら――!!」
殺気が三人に伝わった。
純が今にも自分達を殺しかねないことに気付いた。
「こ、こいつ三年の西山だよ!」
それを聞いて残りのふたりの顔色が変わる。
「西山って、神代の幼馴染みっていう……!」
「お前ら、覚悟は出来とるんやろな!!」
純は怒りに我を忘れており、目は完全に常軌を逸していた。
「こ、ここはひとまず逃げるよ!」
そう言うと、三人は一目散に逃げていってしまった。
「じゅ――――ん!」
唯は純に抱き付いた。
純の顔は、先程とは異なり、いつもの優しい顔付きに戻っていた。
「唯、照れるやろ〜。そないに強く抱き締めんなや」
「だって、だって……、本当に怖かったんだよ」
唯の体は少しながら震えていた。
彼女の頭は純の胸にすっぽりと収まる。
「そうかそうか〜、じゃあ落ち着くまでわての胸貸したるわ」
それを聞くと、唯は純を突き飛ばした。
「な、何するんや、唯!?」
「もう! そんなこと出来るわけないでしょ!」
唯は照れくさそうに顔を背けた。
「唯……」
唯は由美子の元へ駆け寄った。
「水島さん、水島さん、しっかりして!!」
「うう……」
由美子は意識はあるようだが動けないらしい。その場にうずくまっている。
制服は破れ、ブラジャーはしているものの、上半身裸状態になっていた。
唯は涙目になっていた。
「純、どうしよう……? 水島さんが、水島さんが……!」
唯は混乱しているようだ。
純は何とか落ち着かせようとする。
「唯、落ち着け! 落ち着くんや!」
「だって……!」
「だってもヘチマもない!」
「う、うん……」
ようやく唯が少し落ち着いたようだ。
純は由美子の元へ歩み寄った。
そしてゆっくりと由美子を寝かせた。
「確か水島さんやったな? これから打診するから、痛いところがあったら言うてや?」
「は、はい……」
純は水泳部の顧問から応急手当などをきっちりと仕込まれていたのだ。
由美子に対して触診を進めていく。
体のあちこちを見ていくと、頭からモップで殴られた際の傷が元で少し血が流れていた。
これはまだ大したことはなさそうだが、それよりも特に右脚の痛みが酷いようだ。青く腫れていた。
「どうや、右脚は?」
「あうっ! い、痛いです。かなり」
その様子を唯はじっと見ていたが、
「純、あたしにも何か出来ることない?」
「せやな……、保健室や! 保健室へ行って保健の先生を呼んできてくれんか?」
「うん、分かった!」
唯は慌てて、校舎の方へ走って行った。
全身の打診が終わると、純は自分のカッターシャツを脱いで、由美子に掛けてやった。
「あ、あの……、えーと……」
「わてか? 西山純や」
純は由美子をおぶると、女子トイレから出た。
「に、西山君、そんなここまでしてくれなくても」
由美子は恥ずかしそうに、ボロボロになった今の自分の姿を見る。
「何言うとるんや。君は脚を怪我しとるんやで? 歩かせる訳にはいかんやろ」
「でも……」
「ええから、わてに任しとき」
「……やさしいんですね」
「そうか? 困ってる奴がおったら、放っておける訳ないやろ?」
「……ふうん……」
純は校庭を歩いて行った。プールは校舎からは結構離れていた。
由美子は純の横顔を見つめた。
「……ねえ、西山君?」
「なんや?」
「あなた、さっきの子が好きなんでしょ」
純はつまずきそうになった。
「な、何を言うとるんや? あんな奴……」
おぶられているので純の顔は見えないが、動揺しているのは間違いなさそうだ。
「図星みたいね」
「お、お前なあ〜、普通初対面の相手にそないなこと訊くか?」
「いや、だってなんかあなたとはとっても話しやすいんですもの」
「あのなあ〜」
軽く微笑むと、由美子は寂しそうに話し始めた。
「私ね、友達居ないんだ……」
純はそれを聞いて驚く。
「なんでや? 君みたいな子が」
「怖いのよ。幼い頃からそうだった。苦手なの、人と向かい合って話すのが……」
「今はこないに話してるやないか?」
「ふふ、ほんとだね。でもね、駄目なのよ。だから話す位なら、一人で静かにしている方がいいかなって……、そしたらイジメのターゲットになっちゃった」
「!!」
「大人しいから、丁度いいとか思われたのかも」
「なんて奴らや!」
純の顔が険しくなる。
すると、由美子が笑った。
「何がおかしいんや?」
「ふふ、だって本気になってくれてるんだもん。私なんかのことで……」
「私なんかって……、滅多なこと言うもんやない! もっと自分を大事にせえや! そないな考え方が相手に悪い印象を与えとるんやないか?」
「そうなのかな?」
「ああ、せやで」
すると、由美子は純にぎゅっと抱き付いた。
純は彼女の変化に気付いて声を掛ける。
「どないしたんや? 痛むか?」
「短い初恋だったな……」
「ん……?」
「私なんかのことでここまで心配してくれた人は西山君が初めてよ。助けに来てくれた時、あっ、いいなって。……でも、西山君はあの神代さんが好きなんだよね?」
「……ああ、済まんな」
「謝ることないよ。ううん、むしろ感謝したい位」
「えっ?」
「じゅ〜ん!」
その時、校舎側から唯と校医の先生が走って来ていた。
「西山君――」
「ん?」
「私、協力してあげる。あなたの恋」
そうして、純と唯、由美子の三人が出会ったのだった。




