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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

チョコ×ボールペン×レモン ~ボールペンは筆記用具です~

妄想癖のある女子高生 檸檬と比較的まともな女子高生 千代子が、一本のボールペンを巡って、盛大にすれ違ったりしなかったりする百合コメディです。


◆  choco-side  ◆



 ボールペンの恨み、それが私と檸檬の最初の接点だった。

 最初に断っておくと、話を聞けばきっと「なんだ、そんなことか」というようなことだ。


 それは私達が高校一年の文化祭の時のことだった。

 柏木檸檬は私の同級生の一人だ。四月の頃に、これ芸名? とか、この子の親は子供に名前を漢字で書かせるつもりがないのか? とか、そんなことを思ったのを覚えている。

 名前の通りのレモン色の髪は、母親がアメリカ人だからだと、自己紹介で言っていた。

 どこかお嬢様然としたおっとりした性格の彼女の、その印象が大きく変わったのは、その文化祭の時のことだ。

 舞台をやることになったうちのクラスで、脚本を担当したのが檸檬だった。檸檬の書いた脚本は演劇部の私の目から見てもよくできていて、何より、主人公が私に「やってみたい」と思わせる魅力的なキャラクターだった。

 正直、あのふわふわした見た目のお嬢さまがこれを? と驚いて、それから檸檬は、私の中で少し気になるクラスメートになった。

 だからなんだと思う。あの時の私は確かに油断していたのだ。



◇  lemon-side  ◇



 ボールペンになりたい。

 あの頃のわたしは、いつもそんな妄想をしていた。

 ……待ってほしい、そんな変人を見る目で見ないでほしい。これには話せば長い理由があるのだ。


 わたしには柊千代子さんという、少し古風な名前の同級生がいた。

 千代子さんは小学生の頃から劇団に所属していて、芝居好きの両親を持ったわたしは、連れていかれた演劇の舞台で、大人とも互角に渡り合う彼女の姿を見て、密かな憧れを抱いていた。

 高校入学の初日、同じクラスに彼女の姿を見つけた時のわたしの気持ちを想像してほしい!

 それを百倍くらいにしたのがその時のわたしの気持ちなのだ!


 観客席からではなく間近で見る千代子さんは、くっきりした目鼻立ちと意思の強そうな瞳をしていて、一度見たら忘れられない印象をわたしに与えた。

 そんな千代子さんには、一つの癖があった。授業中、赤いボールペンの端で唇をトントンと叩くのだ。それは集中している時の癖のようで、その仕草が出たときの千代子さんはわたしがいくら見つめていても、決して気付くことがなかった。


 もうお分かりだろう。つまり、あのボールペンに成り代われば、わたしはいつだって、千代子さんの、その、唇に、触れることができるのだ。

 だけど、この世に神も仏もいないことを証明するかのように、そんな妄想が現実になることはなかった。だけど、わたし達が一年の文化祭の時、事件が起きた。


 クラスの舞台で脚本を担当することになったわたしは燃えていた。学校中に千代子さんの魅力を知らしめるのがわたしの使命と確信していた。

 そして、その時のわたしは集中していた。隣に千代子さんがいるというのに目の前の脚本に集中していたのだ。

 その上、ただボールペンが必要だからというだけの理由で、ボールペンを貸してほしいと言ってしまった。


 ――千代子さんの、あのボールペンを。



◆  choco-side  ◆



「あ、ボールペン持ってない?」


 脚本の手直しをしている檸檬の様子を横で眺めていたら、私に対しては敬語のことが多い檸檬が突然言ったので、


「ん? ああ、はい」


 と、私はつい、愛用の赤いボールペンを渡してしまった。

 それを受け取ると、檸檬が脚本の隙間にすごい勢いで書き込みを入れていったから、私はほれぼれとそれを眺めていた。そのあたりのタイミングで、演劇部の友達に話し掛けられて、私は流れでそのまま教室を出て行ってしまった。

 ボールペンのことは途中で思い出したけど、明日にでも返してもらえばいいだろうと、その時はそう思っていた。



◇  lemon-side  ◇



 ……昔から、夢中になると、周りの見えなくなる子供でした。


 絵本に夢中になって、気づくと周りに友達がいなくなっていたなんてことも珍しくなかった。それでも最近は随分と落ち着いてきたのだ。

 だけど、あの日の私は、間違いなく人生で最高に周りが見えていなかった。


 一人きりの教室で、わたしは手の中にあるボールペンを見つめる。

 脚本の手直しに没頭して、気づけば周りは皆帰宅していたという状況なのはすぐにわかった。よくあることだからだ。

 問題はボールペンだ。

 赤いボディ、シンプルなデザインの赤ボールペン。一本百円のようなものとは違うしっかりしたつくり。

 間違いない、わたしがいつも見つめていた、成り代わりたいと願っていた、千代子さんのあのボールペンだった。


 何故、それがここに!?


 というか、今の今まで、わたしはそれで文字を書いていたのだ。そこから溢れた赤い液を、脚本の紙にこすりつけて!

 記憶を辿る。脳細胞をフル回転して、記憶の映像を高速でキュルキュルと過去に遡っていく。

 一人きりの教室で脚本を直しているわたし。そこに後ろ向きに二人の女生徒がさかさかと歩いてきて、わたしのよこで止まる。少しちゃかちゃかと会話らしきことをして、一人が後ろ歩きで去っていく。そして、わたしの横に一人が残る、

 ここだ!

 即座に脳内の映像の停止ボタンを押す。


 何故、千代子さんがわたしの隣に!?


 ……状況はわかった。わからないけどわかった。

 何故か、千代子さんがわたしの横で脚本を直している様子を眺めていて、わたしが千代子さんにボールペンを借りて、千代子さんはお友達に声をかけられて教室を出ていった。

 そして、わたしの手にはボールペンが残されたのだ。



◆  choco-side  ◆



「ごめんなさい!」


 翌朝、私は檸檬に頭を下げられていた。

 嫌な予感はしたのだ。教室に入ってきた檸檬の顔は、ギロチンに向かうマリーアントワネットみたいで(見たことはないけど)、私と目が合った時には、もう泣きそうだった。


「……なんの話?」


 他に思い当たることもないけど、一応、確認はする。


「昨日、お借りしたボールペンを、その、無くしてしまって……」

「……」

「その、代わりに新しいボールペンを」

「……あれ、大事なものだったんだけど」


 割り込ませるみたいに言った。

 檸檬の持っている小箱の中身はボールペンなんだろう。小箱に入って売ってるボールペンなんて見たことないけど、そういう高級なものもあるんだろうなってことくらいはわかる。

 だけど、それがあのボールペンの代わりになるわけじゃない。

 檸檬はぎょっとしたみたいに目を見開いて、その端にみるみる涙が浮かんだ。唇を噛んでうつむく。


「……ごめん、なさい」


 同じ言葉を繰り返した。

 周りの同級生達が私達の様子に気付く。


(ああ、もう!)


 私は檸檬の手から小箱をひったくった。そこで、檸檬も周りの様子に気付く。そして、私の顔色を気にしながらも、斜め後ろの自分の席に戻っていった。


 大事なものを他人に貸すべきじゃなかったと、他人から言われたら絶対に納得しない。檸檬がそう言ったなら一生許さないだろう。だけど、自分が自分に言う分には有効だ。

 あの日の私は、檸檬の集中を乱したくなかったし、更によくなるだろう脚本を楽しみにしていて、つい、大事なボールペンを貸してしまったのだ。

 少なくとも檸檬が反省していることはわかるし、これ以上責めても仕方がないのもわかる。整理のつかない想いはあるけど。

 だから一言だけ、昼休みに声をかけた。


「脚本、楽しみにしてるから」


 そのあとの檸檬の顔を見る前に、私は教室を後にした。



 文化祭の舞台は大成功だった。

 檸檬が手直しした脚本は最初のものよりも更に凄みを増して、私も劇団での芝居並に入れ込んで演じた。観に来ていた劇団の先輩達も、私の演技や檸檬の脚本をずいぶんと褒めてくれた。


「お疲れさま」


 先輩達を見送って、出店ゾーンの外れでぼんやりしていると、檸檬がやってきた。手にはCCレモンとアルプスの天然水を持っている。

 準備期間で覚えたけど、檸檬はCCレモンが好きらしい。共食いか。

 そして、私がミネラルウォーターを好んで飲むことも檸檬は覚えたんだろう。


「お疲れ。うちの先輩達、脚本よかったって言ってたよ」

「本当!? うれしいけど、恥ずかしいな……」


 檸檬は子供の頃から、うちの劇団の芝居を時々観てくれてたそうだから、先輩達に褒められるのは嬉しいだろう。

 文化祭を通して、そんな話をするくらいには檸檬と打ち解けることができた。

 雨降って、ではないけど。



◇  lemon-side  ◇



「そろそろバレンタインかー」


 ショッピングセンター内に出現したチョコレート売り場。千代子さんの言葉からは、ほんのりと他人事の気配がうかがわれた。

 誰それにチョコレートをあげようとか、そういう感情は特にないようだった。誰かからもらいたいとかも。


「……誰かにあげたりはしないの?」


 それでも、念のために、というよりも合いの手の意味で聞いてみる。


「しないねえ、誰かにあげるくらいなら自分で食べる」

「そんなに好きなの? チョコ」

「いやいや、チョコが嫌いな女子とかおらんでしょ」

「いないことはないと思うけど」


 だけど、確かに少数派だろうなとは思う。でも、そうか、好きなんだ、チョコ。


「というわけですので、友チョコは大歓迎ですぞ」

「……考えておくね」


 苦笑しながら答える。それを聞いて千代子さんが嬉しそうに笑った。



 柏木檸檬 享年十六歳、死因:幸福死。


 そんなニュースヘッドラインを妄想しながら、ベッドに倒れ込む。死体のように固まること数秒。

 ……無理。二人きりでショッピングとか。

 いつもは一緒にいる演劇部の友達もいなくて、今日は千代子さんと二人きり。人が幸せのあまりに命を落とすのは、きっとこんな時だ。

 バレンタインの特設コーナーを見て回った。あの話の流れならチョコレートもきっと自然に受け取ってくれる。

 どんなチョコレートにしよう……


 だけど、幸せであればあるほど、わたしの心に重くのしかかるものがある。それが、わたしの宝物で、罪の証。

 引き出しから大切にしまったボールペンを取り出す。

 あの日、千代子さんから借りたもの。嘘をついて、返さなかったものだ。

 ボールペンを右手に持って、端を顔に近づける。あの頃の千代子さんみたいに。だけど、無意識の癖ではなしに、わたしはその端にそっと唇をつけた。


 ………そうじゃなくて!

 きっと誤解をされていると思うので、弁解したい。

 わたしは、何も、いつでもどこでも間接……キス、ができるようにボールペンを返さなかったわけではないのだ。信じてほしい。

 それは確かに人類の夢だ。だけど、そのために他人の物を盗むことが許されるはずもない。


 あの日、自らの欲望との絶望的な戦いに辛くも勝利したわたしは、ボールペンを紙袋に入れて、大切にカバンにしまった。

 そうだ、困ったことに借りた時の記憶はまったくないけど、返すときには千代子さんとおしゃべりもきっとできる。そう、自分を慰めながら。

 そして考えた。明日から、千代子さんはまた、このボールペンに唇をつけるのだろう。わたしが、さっき口づけたこのボールペンに。

 千代子さんの唇を叩いたボールペンにわたしが口づける。そのボールペンに千代子さんの唇が触れる。

 わたしの脳に雷が落ちた。


 ……それはもうキスなのでは?


 千代子さんとわたしがキス。

 その響きはあまりに甘美だった。一瞬、天の国を垣間見る程に。

 だけど……

 それは駄目だ。

 だって、そこには千代子さんの意思がない。わたしにとっては福音というべき状況も、反転してみれば、どこの馬の骨とも知れない女に知らないうちに唇を奪われているに等しい。

 そんなことを他の誰かがしたとしたら、わたしはその女を地獄の果てまで追い詰めるだろう。

 それが自分なら許されると考えることは、わたしにはできなかった。


 こうしてわたしは、千代子さんの大切なボールペンを、本来の持ち主の元に返すことが、どうしてもできなくなってしまったのだ。



◆  choco-side  ◆



 その箱は黒かった。

 サイズは以前もらったボールペンの物より幾分大きい。黒地に金色で描かれているのは、馬に乗った女性のロゴ、それに六文字のアルファベット。それは私でも知っているチョコレートブランドのものだった。

 だから、この中に入っているのはチョコレートなのだろう。バレンタインにチョコレート、何の不自然もない。友チョコは大歓迎と言ったのも私だ。

 問題があるとするなら、これは高校生の友チョコという言葉からはだいぶ逸脱していることだった。

 檸檬は確かにお嬢様っぽい雰囲気はあるし、私よりはお小遣いを多少もらってそうな気もするけど、こんなものを気軽に買えるほどではないはずだ。

 あろうことか、私は自らの宣言通り、もらうばかりで檸檬に何も渡していない。


「どうしよう、というか、どういうこと……?」



 そんな事件のあった二月も終わり、演劇部の部室で私は檸檬と二人で、机に向かいあって座っていた。

 檸檬はもともとは演劇部ではなかったのだけど、文化祭で仲良くなって、私が誘った。もっぱら脚本担当だけど、うちの部にはもともと脚本志望の部員がいなかったから、檸檬は今ではすっかり欠かせない戦力になっている。

 私は檸檬の書く物語が好きだった。一癖も二癖もある登場人物たちが織り成すストーリーは魅力的で、劇団で演っているものとも違う楽しさがあった。


 今日も檸檬は共食いのようにCCレモンを片手に脚本に赤を入れていた。それを眺める私は、いつものアルプスの天然水を飲みながら、そういえばもう何年もCCレモンとか飲んでないなと、特に脈絡なくそんなことを思った。

 そして、特に深く考えることもなく口に出したのだ。


「それ、一口もらっていい?」

「え」


 と、一音発して数秒。あれ? まずかった?


「あ、う、うん、どうじょ」


 演劇部にあるまじき滑舌で檸檬が言ったので、気を取り直してCCレモンに手を伸ばす。締めてあったキャップを外して、半分ほど減ったペットボトルを持ち上げた。


「駄目!」


 と、何か切羽詰まったような声で檸檬が叫んだ。


「へ? ごめん、もう飲んじゃった」


 そんなに減ってはいないけど、一口は飲んだ。酸っぱくて、甘い。レモンの味だ。檸檬の味ではない。多分。


「あ……ごめんなさい、なんでもないの」


 なんでもないってことはないだろう。


「何かあったの?」

「いや、その気にするかなって、間接、キスとか」


 乙女か。


「ああ、そういう……いや、檸檬だし、気にしないよ。てか、気にしたら一口ちょうだいとか言わなくない?」

「……そっか……そうだよね」


 それでいうなら、檸檬の方は気にしないんだろうか。とか思っていたら、案の定、檸檬は私の後の一口を飲むのにすごく葛藤していた。



◇  lemon-side  ◇



「檸檬だし、気にしないよ」というのはつまり「檸檬ならいいよ」ということだよね、合ってるよね、などと考えながら、CCレモンのペットボトルを机の一角に安置する。


「そっか、気にしないんだ」


 口元が緩む。

 だけど、その事実は、わたしに一つの決断を迫ることになった。



◆  choco-side  ◆



 土下座というものを見る機会は人生にそれほど多くはない。

 その貴重な一回を、私は今経験していた。


 部活が休みの木曜日、用があるから部室に来てほしいと檸檬に言われていた。私も丁度檸檬に渡したいものがあったので、その誘いに特に疑問も抱かずにやってきたところ、このような場面に遭遇することになったのである。


「え、何?」


 私の質問というか無意識の言葉に対する返事はない。

 上から見えるレモン色の後頭部から、この奇行の主が檸檬なのは間違いはずだけど。


「おーい、檸檬さーん」


 檸檬は、おっとりして、どこかお嬢様然として落ち着きがある、というのがだいたいの性格だけど、奇行に走ることがないかというと、まあ、あるのだ。時々。

 そういう予測不能なところも私は結構好きになってきたのだけど、とはいえコミュニケーションに弊害があるのは困る。そんなことを考えていたら、目の前の土下座衛門に動きがあった。


「……ごめんなさい!」


 半年くらい前に聞いたようなセリフを檸檬が発した。


「えーと、何の話?」


 その言葉に、檸檬はポケットから何かを取り出して、顔を下に向けたまま、お殿さまにでもするみたいにそれを両手で差し出した。それは、半年前に無くしたあの赤いボールペンだった。


「これ……見つかったの?!」


 檸檬は首を振る。


「……とりあえず、話しづらいから顔あげてよ」


 私の言葉に檸檬はおずおずと顔を上げる。立ち上がる様子がないので、私も檸檬の横に腰を下ろした。

 顔の高さが合って、檸檬と目が合う。だけど、檸檬はすぐに視線を下した。


「……見つかったんじゃなくて、わたしがずっと持ってたの」


 どういうこと?


「その、キス、しちゃって」


 キス? 檸檬が?


「誰と?!」


 檸檬が誰かと付き合ってるとか、そんな話は聞いたことがない。そんなそぶりもなかった。なんなら、世界で一番仲がいいのは私だとすら信じていた。


「その……ボールペンと」

「……はい?」


 ボールペンというのは、つまり私のボールペンということだろうか。


「……なんで?」

「千代子さん、授業中いつも、ボールペンで唇をつついたりしているでしょ?」


 言われてみれば、していた、かも?


「だから、その」


 言葉が途切れる。つまり、私の唇が触れたボールペンに、檸檬は家で密かに、キスしてた、ってこと?


「え、えーと……?」


 檸檬の顔が真っ赤に染まっている。いやまあ、こんな告白をするのは恥ずかしかろう。いや、私だってかなり恥ずかしいけどな!?


「つまり、その、私の口が触れたものを持っていたくて、隠してたってこと?」

「そうじゃなくて!」


 否定された。

 これ私が自意識過剰みたいできついんですけど!?


「その、それはもちろん持っていたかったけど、そうじゃなくて、わたしの口の粘膜が触れたものが、何も知らない千代子さんに触れると思ったら!」


 粘膜言うな。


「その、申しわけなくて。そのいやでしょ? 何も知らないうちにキスされてるって」


 確かに、何も知らないうちにキスされるのは嫌かもしれないけど、でも、間接キスとか呼ぶからあれなだけで、唇が触れたというだけだし……正直別に気にしない。というか、こんなこと、ついこないだも言った気が。


「あー、こないだのはそういう……」


 檸檬は頷いた。


 はー、っとため息をつく。それを聞いた檸檬がビクッと肩を震わせた。

 つまり、こういうことか。

 私が毎日癖で唇にツンツンしていたボールペンを手に入れた檸檬はつい出来心で、それにキスをしてしまった。それを私に返したら、私はそれと知らずに檸檬と間接キスをしてしまうことになる。

 それは檸檬の中では自分を許すことができないほどの大罪であるらしい。

 だけど、こないだ私が檸檬のCCレモンを飲んで、私が檸檬と間接キスするくらい全然気にしないということが分かったから、正直に白状してボールペンを返そうと思ったということだろう。

 いろいろツッコミたいところはあるけど、理解できないこともなくもなくもない。


 私は床に手をついて、うつむいたままの檸檬の顔を下から覗きこんでみた。

 真っ赤な顔、目にはかすかに涙が浮かんでいた。

 私と目が合うと、だけど檸檬は、怯えるみたいに目を逸らす。素早く、今度は横から目線を合わせる。檸檬も半泣きで顔を逆に向けた。


 ……なんだか腹が立ってきた。

 かなり恥ずかしい告白だとは思うから、言いづらかったのはわかる。顔を真っ赤にしてるのもわかる。

 だけど、そんなに今にも死にそうな顔をしなければならないような話だろうか。

 私は檸檬なら、別に間接キスとか気にしないと伝えたのだし、檸檬もそれならと白状してきたはずだ。それなのに、どうして、私がまだ怒ってるんじゃないかみたいに思われてるんだろう。

 檸檬は私を信じてないんだろうか。


 だけど、確かに、檸檬の私への態度にはもともとそういうところがあったのだ。

 劇団の役者としての私を昔から知っていた檸檬は、私のことを憧れの対象みたいに見ているところがあった。私もそれをくすぐったいような嬉しいような気持ちで受け入れて、対等な関係になろうとしていなかったのかもしれない。

 だから、今、檸檬が苦しんでいるのは、私のせいでもあるのだ。


 気づいたら体が動いていた。

 膝を一歩分前に進めて、横目で私の反応をうかがっていた檸檬に体ごと近づいた。スカートとスカートがかすかな音を立ててこすれ合う。

 驚いたみたいに檸檬の顔がこちらを向いた。


 この時の私は、いろんな意味で頭に血が上っていた。

 檸檬にとって自分がそんなに距離のある存在なのが悔しかった。

 そして、あることを檸檬に思い知らせてやりたいと、そう思ってしまったのだ。


 檸檬が驚いたみたいに目を開く。その瞳に自分の顔がうつるのが見えた。それを遮るみたいに檸檬が目を閉じる。

 かすかに開いた檸檬の唇。

 私はそこに自分の唇を重ねあわせた。


 CCレモンの、味がした。



◇  lemon-side  ◇



 少し名残惜しそうに、千代子さんがわたしから顔を話す。


「……信じてくれた?」


 赤い顔でそう言った千代子さんに、わたしはこくこくこくと頷くことしかできない。

 信じるというのが何のことなのかわからなかったけど、少なくとも、千代子さんがわたしとの間接キスとかそんなことを嫌がるはずもないことは伝わった。


「じゃあ、そのボールペンは返して」


 呆然と千代子さんを見つめてしまうわたしに、だけど、今度は千代子さんが目を合わせようとしない。それでも、差し出したボールペンを受け取ると、ポケットから白いラッピングの小箱を取り出した。


「これ……バレンタインのお返し。その、本命だったってことでいいんだよね?」


 バレンタインのチョコレート、高校生の身には高価なあれは、わたしのお詫びの気持ちと、何一つ告白できないわたしの胸の内に気付いて欲しいような想いの一つの結実だった。

 だから、本命チョコ、とシンプルに言っていいものかは正直分からない。だけど、それに負けないくらいの気持ちがこもっていたのは間違いなかった。


「代わりにってわけじゃないけど」


 意識してなかったけど、今日はホワイトデーだ。

 わたしに土下座されることを予想してたわけじゃないだろうから、千代子さんはこれを本命チョコのお返しとして用意してくれていたのだろう。

 だとしたら、あんなドタバタがなくても、千代子さんはわたしの気持ちに応えてくれるつもりだったのかもしれない。



 千代子さんが見守る前で包みをほどくと、小箱に納まっていたのは、淡いレモン色のボディをした三色ボールペンだった。

 粘膜的な接触はないにしても、これは千代子さんがわたしのために用意してくれたもの。つまり、実質的に千代子さんそのものということだ。

 それなら、今までわたしの元にあった、あのボールペンの代わりに、


「……ボールペンは文字を書くためのものだからね」


 わたしの心を読んだみたいに、千代子さんが真っ赤な顔で言った。


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