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それはきっと悪戯

 領主の住む本館から、入り口の門までは馬車が通れる広い道で繋がっており、その周囲は緑の芝生が広がる庭となっている。

 ところどころに木々の木陰やベンチがあったり、花壇があったりするが、基本はずっと先まで見渡せるようになっていた。


 レイは本館に報告を済ませた帰りに、縁談相手となる予定の娘を見かけ、ふと気を引かれた。

 彼女の名前はリディア・ミラー。

 城砦近くの町や村を任されている代官の家の娘で、ザントスの妻、カナカの親族だった。

 血縁者の中でもお気に入りの娘らしい。


 彼女は今、木陰で侍女とともにいて何やら楽しげに話している。

 近くに護衛もいるのだろうが、周囲に人が少ない今なら、ゆっくり話ができるのではないかとレイは思った。


 最初に遠目に姿を見たとき以外、彼女のそばにはいつも数人の女性たちがいて、話をするのはまずいのでは、と思わせる雰囲気があったのだ。


 レイがゆっくりとそちらへ近づいていくと、気がついた彼女は嬉しそうに笑顔で立ち上がった。

 侍女も一緒に立ち上がり、頭を軽く下げてほんの少し後ろへ身を引く。


「レイ様」


「様などと、どうかレイとお呼びください。わたしはそのような身分ではありませんので」


 レイがひざまずき、視線を落として答えると、リディアは慣れたように返す。


「では、レイ。もしよろしければ、こちらへ来て隣に座ってはいただけませんか? ずっとお話をしたかったのです」


「ありがたく。ですが、お嬢様の隣に座ることはどうかお許しください。このままでお話を伺います」


 それは拒絶。

 リディアはそれでも笑みを崩さず、ゆっくりとベンチに腰を下ろした。


「……分かりました。では、わたくしとの縁談がある事は、サイアス様から聞いているかと思います。父は、あなたをぜひ一族に迎えたいと考えています。レイ、あなたはその事についてどう考えているか、聞かせてはもらせませんか」


「ありがたいお話ですが、わたしなどには勿体無い事と存じます」


「父もわたくしも、そうは思っておりません。それとも、誰か約束を交わした方がすでにいらっしゃるのでしょうか」


「いえ、そのような事は」


「では、お話を領主様にお願いして進めてもらっても構いませんか?」


「それは……」


 困る、とはっきり言えず、かと言ってうまい断りの文句も見つからず、レイは言葉に詰まった。


 リディアは立ち上がるとレイの近くへと歩を進める。

 そして祈るように両手を胸の前で組んだ。


「他に心に決めた方がいらっしゃらないのであれば、わたくしを選んではいただけないでしょうか。きっと、この先のレイ様……あなたの将来にお役に立てると思います」


 確かに、小さな村の農家の三男坊が、領主の親族で代官の娘を嫁に貰うなど、これ以上ないほどの出世だろう。光栄ですと涙を流してありがたがる以外の返答が考えられない。


 だが、どうしてもレイは諾と返す事ができなかった。


「今はわたくしのことをよく知らなくとも、きっと妻として、家族として愛していただけるよう努力いたします。レイ様、どうかわたくしを選んではいただけませんか」


 真摯な言葉と熱い眼差しに、レイは心が揺れた。


 午後の高い太陽の光に輝く金の髪。

 初夏の柔らかな風に揺られてきらきらと輝く眩しいその黄金の髪と、わずかに桃色に染まる白い肌。

 大きな緑の瞳と、頬にうっすらと青い影を作る長い睫毛。

 林檎の香りがレイを包んで、優しい未来を彼に見せる。


 暖かい家と、愛らしい子供たち。

 美しい妻の愛情深い手。

 その手が彼を包んで、抱きしめる。

 家族の笑い声が辺りに響いて……。


 ぶわり、と風が吹いた。


 突然の大きな強い風がそこにいた全員に叩きつけられる。


 草が舞う。

 花びらが舞う。


 木々が大きく揺れて、木の葉が舞う。


 そして大量のたんぽぽの綿毛がレイを襲った。


「……!」


 思わず腕で顔を庇ったレイの全身に綿毛がまとわりつく。

 くすくすという小さな笑い声が、レイの周りを風に乗って綿毛とともにくるくる回った。




 小さな光が夜明けに舞う。

 黒い巻き毛が風に舞う。

 朝露がきらきらときらめいて。

 森の向こうから夜明けの光が差してくる。

 空は紺色に染まり、紫色の、橙色の、薄い桃色の雲をたなびかせて。


 光が、夜明けがやってくる。


 一面のたんぽぽ畑の上に。


 小さな両の手が差し出された。


 風になびく黒髪を押さえて、少女がこちらに微笑みかける。


『レイ』





 周囲が突然鮮やかに色を増して輝いた。

 灰色がかった世界は、彼女に会ったあの日から色とりどりにその表情を変えた。

 彼女との日々は、今日も昨日も明日も、未来のずっと先まできらめいていて、なによりも大事なものだった。


 綿毛につかまって笑う妖精たちがはっきりと見える。


 バカね。


 バカなんだね。


 助けてあげる。


 ニンゲンはバカばっかりだから。


 仕方ないから助けてあげる。


 ほんと、ぼくたちが。


 あたしたちがいないとダメなんだから。


 感謝してよ。


 感謝してよ。



 くるくると渦巻いて、風がおさまった。

 レイはぼんやりと立っている。


 侍女と護衛がリディアの側へとやってきて、無事を確かめる。

 リディアはそれを手で制した。

「大丈夫、ただの風です」

「きっと妖精の悪戯でしょう。何も障りはございませんか?」


「大げさです。平気ですよ。」

 言ってリディアは笑い、レイのほうを見た。

「……レイ様? 大丈夫ですか?」


 レイは答えなかった。

 蘇った記憶が、妖精たちの言葉がぐるぐると頭の中で渦巻いている。

 そして冷静になろうと努める脳裏に最初に浮かんだのは、サイアスの言葉だった。


『田舎の村の知らない野郎と結婚する娘』


 身体中の血が沸騰するようだった。

 怒りと憎しみで血管が千切れそうで、誰か分からない、いるかさえ不確かなその『野郎』をぶち殺してやりたい、そう思った。


「あの……」

「大変申し訳ありませんが」


 突然変わったレイの様子に、護衛が槍を構える。


「わたしには心に決めた相手がいます。このお話はどうか無かったことに」


 強いレイの口調に、リディアは一瞬戸惑って、それからため息をついて姿勢を正した。


「それでは仕方がありません。……縁が無かったのだと、そう家族には伝えます」

「ありがとうございます。それではこれで失礼いたします」


 そう言って一礼すると、レイは足早に去っていった。振り向く事もなく。


 リディアは力が抜けたように、すとんとベンチに腰を下ろした。

「お嬢様……」

 いたわしげに侍女がリディアをのぞき込む。

 リディアは涙を滲ませながらふふふっと微笑んで、そして小さく呟いた。


「振られちゃった……」


 先ほどの風の名残りか、まだふわふわと綿毛が漂っている。

 それに混じって薄桃色の花びらがひらりとリディアのスカートの上にひとひらたどり着いた。


 そのひとひらを指先でつまみ上げて、リディアは日にかざす。

「きっと、次は、わたくしを愛してくれる人と……」

 ぽろりと涙がこぼれる。胸の痛みを抑えるように、リディアはそっと目を閉じ、花びらに口付けた。






 早足で門を出ると、レイは兵舎へと向けて駆け出した。

 訓練場へ向かう途中サイアスを見つけると、背後から問答無用で殴りかかる。


 まさか可愛がっている弟分に襲われるとは思ってもみなかったサイアスは、対応が遅れて顎を思いっきり殴られた。


 レイはサイアスに考える隙を与えず、続いて襟首を掴むと引き寄せ、膝で腹に蹴りを入れる。

 そして床に突き飛ばした。


「黙っていた事はこれでチャラだ」


「ああ? お前、なんの話を……」

 サイアスは殺気だって身を起こす。


「ファニィの話だ」

「あ」

 途端にサイアスは殺気を消した。

 そしてニヤニヤと笑う。

「なんだ、お前思い出したのか」


「いろいろ言いたい事はあるが、それよりファニィの周りに男はいないんだろうな」

「まだ結婚してないが、言った通り縁談の申し込みはいくらでもある。なにしろ俺が帰らなかったら、養蜂も畑も、領主との繋がりも全部ファニィに引き継がれるからな。村の男連中は無理矢理にでもファニィを手に入れたがってるに決まってるだろう」


 レイがギリッと奥歯を噛み締めると、サイアスは殴られた顎をさすりながら言った。


「1番熱心なのは村長のところの次男だな。あのクソガキ、しつこいらしくてな」

 軽く言うサイアスをレイは睨む。


 村長の次男といえば、レイと年は1つしか変わらないが、家に金があるせいかろくに働きもせず、村でも評判が悪かった。

 サイアスともレイとも仲が悪くて、ほとんど口をきいたことがない。


「しばらく休みます」

 言うと、レイはくるりと踵を返した。

「は? お前、何を言って……」


「休暇が溜まってるんで、村へ帰ります。しばらく帰ってこないんで」

「いやお前、そんないきなり」

 サイアスは慌ててレイを引き止めにかかった。

 レイがいなくなったら仕事を押し付ける相手がいなくなる。


 だがレイは気にかけることなく走り出した。

「レーーイ!!」

 廊下にサイアスの悲鳴にも似た声が響いたが、それもレイの足を止める事はできなかった。












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