縁談
「レイ」
同僚の兵士に声をかけられて、レイは武器の数を数える手を止めた。
「隊長が呼んでるぜ」
「何の用か言ってたか?」
「いやあ?」
嫌な予感がした。
今日、レイは1日在庫点検の予定だ。
こんな面倒な事、誰もやりたがらない。
それを押しての呼び出しとなると、ろくなことではない気がした。
「あと頼む」
「はあ? なんで俺がーー、おい!」
同僚に作業を押し付けてサイアスのところへ向かう。
今日はこの時間なら兵舎で書類仕事のはずだ。
自身の机で書類に向かっていたサイアスは、開けっ放しの扉をノックする音でレイが来たのを確認して顔を上げた。
「隊長、何か用ですか」
「そんな嫌そうにすんなよ。ちょっと来い」
「手短にお願いします」
「ああ、うん」
机の前に立つと、サイアスは言いにくそうに視線を上げたり下げたりする。
「何かまずい話ですか」
「ああ、うん」
面倒だな、とレイはさっさと切り上げる事に決めた。
「俺はこれから武器庫で在庫管理の仕事がありますので」
そう言って身をひるがえすと、慌てたようにサイアスが引き止めた。
「いやいやちょっと待て! 話すから!」
そして立ち上がると窓際に向かった。
「こっち来てあれ見ろ」
レイは無言で窓際へ近づき外を見た。
兵舎の前の広い芝生には、ところどころ大きな木があって、涼しげな木陰を作っている。
その一つに、女性が1人、侍女と護衛を連れて座っていた。
「あの女性ですか?」
「ああ。どう思う?」
「あなたの妻には少し若い気もしますが、いいんじゃないですか? まあ、実家の事もあるでしょうから、その辺は……」
「バカ、違うよ、お前の嫁だよ」
「は?」
レイは思わず顔をしかめた。
「お前、何もそこまで嫌そうにしなくても」
「別に嫌じゃないですよ。面倒だなと思っただけです」
「何が面倒なんだよ。可愛いじゃないか」
「彼女には覚えがあります。カナカ様のところにいた方ですね。紹介はされていませんが、おそらく分家の誰かの娘でしょう。そうすると結婚後は城砦へ行くか、あの辺りの町に住むか。俺は三男なので別にいいですけど、外出に侍女と護衛が必要な女性と結婚して、さらにその家族とうまくやっていく努力なんかしたくもありませんね」
「辛辣だな……」
「本音です」
サイアスは頭を掻くと、仕方ねえなあ、と小さく呟いた。
「だけどな、向こうはその気なんだよ。ちっちぇ村の出身の兵士に分家の娘を嫁にやろうっていうんだ。親の方は『断るはずがねえ、頭を垂れて喜びにむせび泣け』ぐらい思ってんじゃねえか?」
「まあそうでしょうね」
「この話は断れない。だが断れるとしたら1つ」
「なんです?」
「そもそも、あの娘がお前を気に入ったんだ。行って嫌われて来い。『やっぱり嫌だ』って言ってもらえりゃこの話は無しだ」
「なるほど……」
いつもどうやって縁談を交わしているのかと不思議だったが、口が悪いのも暴力的なのも、全て考えがあっての事だったのか。
レイが感心しかけたところへ、サイアスが下品な笑みを浮かべてレイの肩を抱く。
「俺の経験だと、1番効くのは女だな。娼館から朝帰りして白粉と酒の匂いでもさせてりゃ一発だ。どうだ、今夜」
ただの経験談かよ、とレイは冷めた目でサイアスの腕を払った。
「どう断るか考えてみますよ」
結論として、簡単には断れなかった。
レイは訓練の途中、中庭にある井戸へやってきて、水を頭から浴びた。
ぽたぽたと雫が髪をつたって落ちていく。
鬱陶しい前髪を全て後ろへやり、もう一杯浴びるべきかと苛々と釣瓶に手をかけた。
縁談相手は、城砦でカナカとやり取りをするレイを見て為人を確認しており、父親も娘も乗り気でいる。
周囲の評判も調べた上で検討された話だったため、今からイメージを壊すのは難しかった。
「いい話じゃないか」
「分家と縁ができるんだぞ。もう結婚しちまえ」
「あれだけ可愛らしい子なら、もっと喜んでもいいと思いますがね」
周囲にも迫られて、レイとしては断り続けることのほうが段々面倒くさくなってきた。
そもそも、断るのもたいした理由はなく断っているのだ。
だが、あの娘と……、というより、誰かと結婚すること自体が想像できなかった。
他人と一緒にいるのは面倒くさい。
自分に向けられる気配が鬱陶しい。
向こうの気遣いは、レイにとってそうと感じられた瞬間に不快なものに変わる。
こんな自分が誰かと結婚して一緒に生活するなど、到底無理だと思えた。
一緒にいるなら、もっと自然な空気の相手がいい。
だが果たしてそんな女がいるだろうか、と考えたとき、脳裏に浮かんだのは黒髪だった。
黒髪の、巻き毛。
特に珍しいものではないが、レイの身近で黒髪で巻き毛といえばサイアス1人だ。
巻き毛というよりはくせ毛だが。
レイは大きくため息をついて頭を振った。
きっと疲れてるんだな、とそれ以上無駄な事を考えるのをやめて訓練へと戻る。
井戸の側でたんぽぽの蕾が揺れていた。
縁談相手の娘は、気がつくと少し離れた場所でレイを見ている。
訓練のさい。
食事中。
巡回の帰り。
そしてそっとタオルやら水やらを差し出すのだ。
悪い娘ではない。
むしろ、善良なほうに入るだろう。
大人しくて優しげな雰囲気の、あまり出しゃばったところのない器量のいい娘だ。
柔らかい金の髪が揺れると、かすかに林檎に似た香りがして、それが娘に良く似合っている。
差し出されたものを受け取って礼を言うと、ふわりと微笑み、何も言わずに離れて行く。
その様子が清楚で慎ましげだと兵士の間では評判だった。
娘に色良い返事をしない事で、レイの立場は日々悪くなっていく。
領主や分家から何か言われるわけではない。
そもそもまだ打診の段階なのだ。
あちらも、今まで浮いた話1つない男が相手だけに、時間をかけるつもりなのだろうと思われた。
悪く言われるのは主に同僚からだ。
人でなし。
悪魔。
裏切り者。
男の敵。
この◯モ野郎。
最後の言葉を吐いた者は、レイによって訓練と称した暴力で治療院送りにされた。
後日治療院から、治療魔法の訓練になるのはいいが、次からは丁度いいレベルの傷で送り込んでくれ、と苦情が入った。
魔法を使える者は貴族に多い。
貴族にはそれなりの数がいるが、庶民の中にはほぼいない。
過去に魔法者狩りが行われたことがあり、攻撃魔法や治療魔法を使え貴族となっていた者以外の、ささやかな魔法を使う者たちはそのとき姿を消した。
血によって繋がれていた魔法の力はそこで断ち切られ、魔法は支配階級のみの特権となった。
そのため、人を癒す目的の治療院でさえ、上位者としての見方や物言いをするのだ。
レイは治療院からのその要請に、微笑みを返した。
「次はもっといいサンプルをお届けしましょう」
苦情を言いに来た治癒師は、これに大いに喜んだ。
それを見ていた兵士たちは、以降レイを◯モ野郎と罵るのをやめた。治療院にとってはとても残念な事だ。
そんな事がありつつ、娘がやってきて2週間が過ぎた。
季節は初夏を迎え、もうすぐうだるような夏がやってくる。
「そろそろ正式に申し込みがあるんじゃねえか?」
レイから書類を受け取りながらサイアスが言った。
「返事、考えとけよ。て言うか、正式に来たらイエス以外言えねえけどな」
と、正式な申し込みに散々ノーを言ってきた男が笑う。
レイは渋面を作って返した。
「まだ結婚なんかするつもりはありませんよ」
「でもいつかはしなきゃいかんだろ」
レイはため息をつく。
「面倒な話です」
そしてサイアスからサインを済ませた書類を受け取ると、思い出したように続けた。
「俺よりあなたはどうするんです? 順番で言えば、俺よりあなたの方が先に結婚するべきでしょう」
「あーー……、俺はあれだ、村に帰らなきゃいかんからな」
「どうしてです? 妹さんがいるでしょう」
ははは、とサイアスは困ったように乾いた笑い声をあげた。
「あいつはなーー、まあいろいろあるんだよ。特にうちは領主様に蜂蜜を献上してるからな。領主様としても知ってるヤツが継ぐのが1番なんだ。田舎の村の知らない野郎と結婚する娘に継がせるんじゃなくてな」
それを聞いた瞬間、なぜかショックを受けた。
「妹さん、結婚するんですか?」
「いや、まだだ。話はたくさんあるんだがなーー、ほら俺に似て美人だからさ、うちの妹」
言いながら、サイアスは机に両足を乗せる。
「会ったことないので分かりませんが」
レイは、なぜか気持ちがほっと落ち着いた自分に首をひねった。
「美人なんだよ。嘘じゃないぞ」
「誰も嘘だとは言ってませんよ。でもそれなら、田舎に住んでくれる奥さんを見つけなきゃいけませんね」
「ああ。それでなくても最近は物騒だからな。村の防衛を強化したい」
村の周辺は広い森に囲まれているが、最近は森の向こうにある、山を越えた先の領地が開発で手を広げ始めている。
山もこちらの領地だからと安心していては、いつ何があるか分からない、というのがここ最近の悩みの種だった。
「そうですね。いずれは俺も村に帰りますよ、帰ってーー」
『強くなって帰ってくるよ、そしたらーー』
何かが引っかかって、そして消えた。
ほんの一瞬戸惑い、そしてレイはすぐに自分を取り戻す。
「帰って兵舎を建てましょう。いくら小さい村だからって、あそこは無防備にすぎる」
「ほんとだな。俺も早く帰りたいよ。ここは忙しすぎる。優秀なヤツを引き抜いて行って、毎日寝て暮らしたい」
優秀なヤツ、が書類仕事のできるヤツ、に聞こえて、レイはサイアスを睨みつけた。
「馬鹿なこと言ってないで次の書類にサインしてください。机から足を下ろして!」
兵舎の外の芝生の上を、綿毛が数本、ふわふわと飛んで漂っていた。