笑う兵士
隣の領地との境にあるこの城砦は、ただ砦というだけではない。
もともとはそこにあった村を守るように築かれたため、様々な人々が出入りする。
食堂に行って朝食を手に席につくと、前の席に座る人物がいた。
「おはよう。あなたがレイかしら?」
「はい」
知らない女だ、と胡散臭く思いながらレイは短く答えた。
後ろには5人、女性を引き連れている。
もしや、とレイの眉がわずかにぴくりと動いた。
「ザントスの妻のカナカです」
レイは即座に立ち上がり、姿勢を正す。
「失礼いたしました。ザントス様とサイアス様には大変お世話になっております、レイと申します」
カナカはふふふ、と笑うと辺りを見回すような態度をとる。
「いいのですよ、座って食べてください。今日は忙しくなりますからね。それより、サイアス殿はどちら?」
「隊長は宿舎で他の兵たちと今日の準備をしています。わたしは会議に参加させていただくため、先に出てまいりました」
「そう。残念だわ」
カナカは頬に手をやってほう、と息をつく。
「あとでわたくしのところへ来てほしいと伝えていただける?」
「かしこまりました」
カナカが女たちを連れて去ると、レイは何事もなかったように再び食事を始めた。
後ろの女たちは、おそらく侍女と親族だろう。
ザントスの妻は領主の一族だ。
この城砦はいずれ彼が城代として任される事になっている。
ザントスの弟であるサイアスも、実力を認められていて本来ならもっと上の階級にいてもおかしくはない。
だが、そうなるとザントスに続きサイアスも村へ帰れなくなるため、サイアスは兵士のまま現状の地位に甘んじているのだ。
カナカがサイアスに会いたいというのは、おそらく親族の娘に娶せたいという意図があるのだろう。
そうなれば、サイアスもこちらの城砦へと取り込める。
最悪、サイアスではなく末の娘が家を継ぐということもないではないが、サイアスにはそのつもりはないようだった。
あとで来いと言うカナカの伝言を思い出して、それを断るのも自分なのだろうと予想がつく。
また面倒事を押し付けられるような気がして、レイは内心うんざりした。
終わったらどうにかしてさっさと帰らないとな。
レイは急いで食事を終えると席を立った。
会談は和やかに進んだ。
レイはサイアスに言われて会談の様子を後ろの方で眺めていた。
使者は隣の領主の腹違いの弟で家令のルアン。
甥のシスクスを引き取り、賠償について話し合うために来ていた。
穏やかに行われた話し合いだったが、内容はけして穏やかなものではなかった。
遅くにできた息子が可愛くて仕方がない姉を、ルアンはどうやらよく思っていないらしい。
甘やかされ、何をしても許されてきたシスクスは、これまでも領内で悪事を重ね、これ以上は許さんと言われたことで、ならば隣の領でこっそりやれば問題はないだろうと考えた。
さらった女子供は強姦されたり、暴行されたり、死ぬか奴隷として売られるかしたそうだ。
ちょっとした気晴らしと小遣い稼ぎのつもりだったという。
ルアンは微笑んで言った。
「もう甥がこちらの領地へ足を踏み入れる事はありません。兄とわたしの意見はその点で一致しています」
「しかし、万が一という事もあり得る」
「いえ、もしも甥と似た人物がこちらで発見されるような事があれば、それは他人のそら似。甥とは違う人間であると保証いたしましょう」
もしもまた侵入したのであれば、生かしておかなくていい。別人として処理する。
その言葉に城代はうなずいた。
「なるほど、分かりました」
「まあ、ですが」
笑顔のままのルアンに視線が集まる。
「人間、何があるかわかりませんから。兄も甥には手を焼いておりまして。これからは厳しくすると、騎士団の訓練に参加させる事に決めています」
「なるほど、それは良い事ですな」
「ええ。遅かったくらいですが」
「ははは、そうかもしれませんな」
「全くです、ははは」
穏やかに、和やかに、静かに話し合いは進められ、引き渡しが行われた。
だが。
「で?」
血塗れの剣を振るってサイアスが訊いてきた。
「なんでこうなってるんだ?」
仏頂面を隠しもせずにレイが答える。
「知りませんよ」
こちらは顔に飛び散ってついた返り血をぬぐう。
周囲では剣戟と怒号が飛び交い、血と土埃が舞っている。
シスクスの引き渡しが無事済み、ルアンたちを境界線の近くまで送り届けた。
その後、ルアンたちの一行が何か揉め出したと思ったら、向こうの騎士団が襲いかかってきたのだ。
ザントスはすかさず矢を射らせて足止めにかかった。
サイアスは自身も矢を射ながら、ルアンのもとへと走る。
部隊の兵士もそれを追った。
ルアンとその連れは切りつけられて倒れている。
その先には自軍の騎士団の方へと走るシスクスと数名の姿があった。
サイアスはルアンの息があるのを確認すると、治療のため生きている者を連れて一旦撤退を決めた。
ここで彼が死んでしまえば、全てがこちらの責任にされかねない。
状況は不明だが、彼の身柄を押さえておけば、いざというときに不利にはならないはずだ。そのためにはどうしても生きていてもらう必要があった。
そして現在。
「あのガキ、近くにいるか? ぶっ殺したいんだが見当たらねえ」
舌打ちしながらサイアスは呟いた。
「いませんね」
レイは向かってきた馬上の騎士に矢を射る。
騎士ではなく馬にだ。
首に矢が刺さり竿立ちになった馬から騎士が転げ落ちる。
馬と騎士とがどうと倒れるのが同時だった。
その騎士の鎧兜の隙間を狙って、サイアスが喉元に剣を突き立てる。
声にならない声を血とともに吐き出し、騎士は動かなくなった。
サイアスは剣をぐいと抜き取ると持ち直す。そして上段から襲ってきた敵の剣を受けた。軽々と弾き返すと鎧に守られた胴を蹴りつける。
相手がよろめいたところに、またもや鎧の隙間を狙って器用に剣を差し込んだ。
大量の血が剣に沿って流れてくる。
抜くとさらに吹き出した。
サイアスは楽しげに怒鳴る。
「おらあ! 次はどいつだ! シスクスの野郎を出しやがれ! そうすりゃ他のやつは殺さないでやってもいい!」
体が大きく、筋肉質で目鼻立ちが整っていて、陽気で人付き合いがいい。
にも関わらず、1人の女性との付き合いが長く続かないのは、こういうところが原因だろうとレイは思う。
口が悪く乱暴者で、平時ならまだしもいざ戦闘となればその性質を遺憾なく発揮して、目の前の敵を容赦なく始末していく。
街なかの警ら中でさえそうなのだから、普通の神経の女性ではとてもではないが一緒にはいられない。
泣いて怯えて逃げられるのは日常茶飯事である。
ちなみにサイアスの巡回中は事件の数が極端に減るのは有名な話だ。
見習い時に事件に巻き込まれたさい、犯人たちのほとんどを殺害して以来の事らしい。
生き残りがいたのは、駆けつけた兵士が止めたからだそうだが、そのさい「生かしておいてどうするんだ」と聞いたという。
犯行の悪辣さと、多対一の状況、サイアスがまだ見習いであったことも加味されて不問にされたが、普通の領地なら兵士にはなれなかっただろう。
サイアスが今も兵士でいられるのは、そのとき助けた相手に領主の子供たちが含まれていたこと、そしてそのさい直接会話をした領主にひどく気に入られたからだ。
子供のいない分家への養子の話もあったらしいが、すでにカナカと婚約の話があった兄のこともあり、実家を継ぐ人間がいなくなるからと断った。
もったいない話だ、とレイは思うが、自分がもしその立場だったらやはり断っただろうな、とも思う。
面倒をしょいこんで生きるほど、人生に価値があるとも思えない。
目の前の敵兵の腕を一本切り落として、レイはそんな事を考えた。
レイと戦った敵兵は、みな腕か足を切り落とされている。
どちらか一本を失ったところで戦意を喪失してくれればいいが、そうでない場合はもう一本、腕か足をいただく。
両腕が無ければ戦えないし、両足が無ければ前へ進めない。
馬のいる戦場ではいずれ踏み潰されるのが関の山だ。
命を奪うのが嫌というよりは、まだ五体無事で戦える敵の戦意を削ぐのが狙いだった。
実際、負傷兵を抱えたり、1人で逃げ出す兵がいるのを見れば的外れというわけでもなさそうだ。
レイは周囲を見回して状況を確認した。
ちょうどサイアスが敵兵を踏みつけて動きを封じ、喉元にぐさりと剣を刺すところだった。顔には笑みが浮かんでいる。
大型のハンマーを振るって、笑いながら敵の頭にぶつけている男もいる。
悲鳴と怒号に混じって、時折りゲラゲラと知っている笑い声が聞こえた。
どうしてうちの連中は戦場で笑っていられるんだろうな、と首を傾げながらレイはまた敵兵の足を一本落とした。
互いに、死者と負傷者を出して決着はついた。
こちらの勝利だ。
向こうの指揮官が死ぬと、意外なほどあっさりと降参してきた。
戦闘が終わり、全てが片付いてみれば、ルアンは傷を負った程度で済んだがルアンの兄である隣の領主は殺されていた。
息子を殺されると思った姉と、姉の婚家が乗っ取りを企んだのだ。
ルアンは愛人の子であるため領地は継げないが、まだ未成年の領主の息子が跡を継ぎ、後見としてその手助けをしていくこととなった。
サイアスの部隊はしばらく城砦にとどまることになり、レイはカナカとサイアスの間に挟まれて非常に面倒な日々を送る。
そして花々が咲き初める頃、ようやく街へと戻る事ができたのだった。