兵士の仕事
レイが見習いから一人前の兵士となって数年がたった。
20歳になったレイは、身長も伸び、体に筋肉もついてたくましくなった。
だが、恋人はまだいない。
兵士仲間や先輩たちが紹介しようと言ってくれるのだが、気乗りしなくてずっと断り続けていた。
「レイ」
振り向くと、兵舎の廊下の向こうで先輩兵士が片手を上げている。
レイは小走りにそちらへ向かった。
「休みの日にすまないんだがな、見回りの手が足りない。出てくれるか?」
「はい、もちろんです。すぐに支度をして向かいます」
「頼む」
兵士はいつでも手が足りない。
街の安全、領主の館の安全、領主一家の安全、街道の安全に他領との境界の安全……。
数え上げればキリがない。
見習いのときも目が回るような忙しさだったが、兵士になってからもそれは変わらなかった。
ふと、誰かの言葉が脳裏をよぎった。
『………忙しいんだって………』
けれどそれは一瞬だけのことで、レイは身支度を整えるため急ぎ足で自室へと向かったのだった。
街中を見回っていると、声をかけられる事が多い。
それで街の様子や問題がわかるのだから、けして悪いことではないのだが、1つ1つ相手にはしていられない、というのが本音だった。
職人や商人たち、店を預かる女性や年寄りたちならまだしも、兵士の妻になりたいだけの頭の軽い(ついでに尻も軽い)女たちの相手をするのは面倒だった。
兵士を遊び相手か何かと勘違いしている子供もそうだ。
レイは職務に関係のないことはしたくないし、躾のなっていない子供も好きではない。
だが優しげで穏やかな風貌が女性や子供たちに人気があるので、いきおいそういう仕事に回されてしまう事が多かった。
適当に話を聞き、適当に相槌を打って、適当に遊んでやる。
街へやってきて1番に身につけたのは作り笑いを相手に見破られないことだった。
「今日も最高の笑顔じゃないか」
そう話しかけてきたのは、同じ村出身のサイアスだ。
家が近くて、子供の頃はよく遊んでもらっていたが、兵士になるために街へ出てからはほとんど帰って来ず、久しぶりに会ったときは一瞬誰か分からなかったほどだ。
サイアスには上に兄が、下に妹がいる。
兄の方はレイが見習いになった次の年に、騎士に取り立てられて城砦の町へと移っていった。
妹の方は、村にいた頃に見かけた記憶がない。多分女の子だからだろう。
男と女では遊びも違えば仕事も違う。
村にいた頃は手伝いで忙しかったことを思えば、家の中で仕事をする女の子とは顔を合わせたことがなくても不思議はない。
「心掛けてますから」
レイはサイアスの軽口に笑顔で返して、走り寄ってきた女の子からクッキーを受け取った。
だがもちろん食べることはない。
兵士が貰い物を食するのは褒められたことではない。
それを盾に、レイがこうして受け取ったものを口にすることはなかった。
「かわいそうにな」
くくっ、と並んで歩きながらサイアスは言う。
「俺がですか? それともあの子が?」
「両方だよ」
レイはサイアスの言葉を聞き流した。
長い付き合いだが、彼の言葉をいちいち真に受けていても仕方がない。
サイアスは頼りになる人物だが、話好きでそこが少し面倒だった。
「お前は本当にどうしようもないなあ」
楽しげにサイアスが言う。
そんなことは自分でも分かっていたから、レイはサイアスの言葉を気にしなかった。
いつからかは分からないが、レイは周囲の何もかもに興味がなかった。
自分の未来にも、忠誠を誓うべき領主にも興味がない。
記憶のある限り、2、3才くらいの頃にはすでにそうだったから、おそらく生来のものなのだろう。
世界はおそろしく単調でつまらない。
全ての色という色がうっすらと灰色がかっていて、どこか汚らしい。
人の気配はもっと不潔でいやらしくて、不躾にべたべたと触ってくる感触がたまらなく不快だった。
ごくたまに、サイアスのように一緒にいても問題ない相手というのはいるが、大体はそうではない。
だが、生まれてきてしまった以上はしょうがない。そう考えて毎日の職務を果たしていた。
生きること。
それ自体が、レイにとってはくだらない仕事だった。
隣の領地とちょっとした諍いが起きたという報せが入ったのは数日前だ。
はじめはただの捕物だったが、むこうの領主の親族が絡んでいたことで事が大きくなりそうだと早馬があった。
そのため、領境にある城砦へと兵士が派遣されることになる。
城砦に兄のいるサイアスの部隊を中心に一団が編成され、レイもその中に組み込まれた。
領主の街から城砦までは5日ほど。
馬を急がせて3日で到着したときには、砦から見えるところに隣の領の部隊が展開していた。
「なんでこんな一触即発な状態になってるんだ?」
城壁に立ち、その様子を眺めながらサイアスが不思議そうに首をひねるのに、レイが答える。
「今回捕まえた中にいた人物が領主の年の離れた姉の子供で、母親がわりだった姉に領主は頭が上がらないようです」
「はあ〜〜。くっだらねえなあ。で? なんでそんなのがうちに捕まってるんだ?」
「どうやらその甥というのが性質の良くない人物らしいですね。今年に入ってたびたびこちら側の領地に入り込んで、女子供を攫って小遣い稼ぎをしていたようです」
「いつの時代の蛮族だよ」
うんざりした様子でサイアスがため息をつく。
ひと昔前ならばそんな人間が権力の近くにいることもあっただろうが、法によって国権が強化された現在ではあり得ない。
まさに、前時代的な、と言えるほどの蛮行であった。
「で、今回見回りを強化した事で捕まった、と」
レイがまとめると、サイアスはさらに大きくため息をついた。
「いやいや、捕まえるとかじゃなくて殺しゃ良かっただろう。あとは知らぬ存ぜぬでなんとかなったんじゃねえか?」
「なりませんね。戦争にはなるんじゃないですか?」
「ありえねえ。俺だったらそんなクソガキ訓練でうっかり殺すわ。うちの領主様なら『やれ』って言うね、絶対」
レイはこれには返事をしなかったが、言うだろうな、と胸の内でうなずいた。
「というか、あなたが知ってるべき事ですよ。なんで俺が打ち合わせに出なきゃいけないんですか」
「俺はほら、そういうの向いてないから」
のんびりと笑うサイアスの背中を蹴飛ばしてやりたい衝動にかられながら、レイは報告を続ける。
「明日、向こうの使者とこちらの城代とで話し合いが行われます。そのさいはすぐに出られるよう待機していてほしいとのことです。あと……」
「あと?」
「ザントスさんが呼んでます。『すぐに来い』だそうです」
「え〜〜、俺、疲れてるからもう寝ようと思ってるんだけどさあ、明日に備えて」
「とっとと行ってください」
「わあかったよ」
子供のように口を尖らせてみせながら、サイアスはレイの横を通り過ぎるさい軽く笑う。
「お前も早く寝ろよ? 酒は……」
「分かってます。酒は飲みませんよ」
「よし」
サイアスは持っていた水筒をレイに放り投げる。
「水には気をつけろ。今日はそれ飲んどけ」
「わかりました」
「ばっかやろう!!」
翌朝。
何人かの兵士は、二日酔い、あるいは場末の安い酒場で食べたか飲んだかしたものにあたり、ベッドを離れられない者が出た。
救いはサイアスの指示を守れない者が数人だったことだろう。
「このクソどもが! てめえら生きて街に戻れると思うなよ!?」
朝からサイアスの怒鳴り声が宿舎に響く。
予想していたことだったので、レイは気にも留めずにさっさと食堂に向かった。