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花言葉「別離」

 レイが12才になってしばらくして、領主の館で兵士とその見習いの募集があった。


 レイは3番目の息子で、畑や家畜は分けてもらえない。

 そのため、募集があったら家を出て行くことに決まっていた。


 明日は領主の館のある街へ向かうというその日、レイはファニィに会うために彼女の家に行った。

 だが家にはファニィはおらず、たんぽぽの根を取りに畑へ行っているという。


 夏至が近づき日が長くなりつつある。太陽はまだ沈まない。

 レイはファニィに会いたくて、会わずにはいられなくてたんぽぽ畑へと向かった。



 ファニィはたんぽぽ畑の端の方でしゃがみ込んでいた。

 たんぽぽの花はもうだいぶ綿毛に変わってしまっている。

 花をサラダとして食べられるのは、次はいつになるだろうと、そんな事を思った。


「ファニィ」

 声をかけると、彼女は立ち上がってゆっくりとこちらを向いた。


 黒く長い巻き毛が午後の日に艶めいて影をつくり、少女を実際の年齢よりも大人びて見せる。

 大きな黒い瞳と長いまつ毛は、まっすぐにレイを見つめてきて、その心をいつも捉えるのだ。


 レイは知らず、言葉を失った。


 風がざざざと吹く。

 たんぽぽの綿毛が飛んで、彼女の髪にいくつも絡んだ。

 ファニィはうっとうしげに目を細めて手で隠す。

 もっと見ていたくて、レイは手を伸ばしかけてやめた。


「明日、領主様のところに行くんだ」


 ファニィは返事をしなかった。


「領主様の館で兵士になって、強くなって帰ってくるよ」


 風がやんで、ファニィは手を下ろす。けれど無言のままだった。


「そしたら、今よりファニィを守れるようになる。兵士になったら、村に戻るときに土地を貰えるんだ。そしたら、一緒に暮らそう。俺、ファニィがいい。ファニィとずっと一緒にいたいんだ」


 ファニィは困ったようにただ黙った。


「あの、ファニィ……、俺じゃダメかな」


「領主様の街は遠いよ」


 悲しげにファニィは目を伏せる。

 ファニィの2人の兄は街へ行ったっきり、滅多に帰って来ない。


「お、俺は帰ってくるよ」

「無理よ。見習いは勝手はできないし、兵士になったらとても忙しいんだって。帰ってくる暇なんてないもの」

「でも、なんとかするから」

「だめ。領主様のお仕事だもの。勝手はだめなんだよ。」


 静かだが強いファニィの口調に、レイは俯いてしまった。

 街へ行っても、彼女に会いたくてたまらなくなるだろう。きっと自分は彼女の事を忘れられない。


「待ってるから」


 レイが顔を上げると、ファニィは不思議な表情で微笑んでいた。

 まるで、今にも泣き出しそうな……。


「待ってる、この村で。レイが帰ってくるまで。レイがあたしのこと忘れない限り、ずっと」


「忘れないよ! 約束! 絶対だ。絶対忘れない。強くなって帰ってくるから!」

 レイはファニィの側へ行ってその手を取った。両手でしっかりと握りしめる。


「約束して、もう一回。俺のこと待ってるって」

 ファニィは何かをこらえるような笑顔で答えた。

「約束する。待ってる」

「うん、約束だ!」

 レイはファニィをぎゅっと抱きしめた。強く、強く、大切に。



 日が傾きかける少し前、レイはファニィを手伝ってたんぽぽの根をいくつか掘り出し、さあ帰ろうと立ち上がり、腰を伸ばす。

 そこへファニィが声をかけた。


「レイ」

「何?」


 振り向くと、たくさんの綿毛が風と一緒に飛んできた。

「う、うわ!?」

 慌てるレイの耳にファニィの笑い声が聞こえる。

「ファニィ!」


 くすくす笑いながらファニィは言った。


「綿毛がきれいに全部飛んだから、いい事があるよ、きっと」


 むすっとした顔を作って見せながら、レイは服についた綿毛を払う。


「妖精に全部吹き飛ばさせたんじゃ、占いにはならないよ」

「いいの、こういうのは気持ちの持ちようなの」


 楽しげに笑うファニィの様子が嬉しくて、レイも笑う。

「恋占いなら、もう叶ってるじゃないか」

 言って、そして少し赤くなった。


「……そうだね。でも今占ったのは、レイの未来だから。きっといい事があると思う」

「たんぽぽは恋占いの花だろ?」

「さあ……どうだったかな」


 言いながら、ファニィはたんぽぽの綿毛を数本束にしてリボンで結ぶ。

 そしてそれをレイに渡した。


「……たんぽぽしかないから」


「いいよ、たんぽぽで。思い出の花だし。ありがとう」


 レイが笑うと、ファニィはやっぱり困ったような、何か言いたげな笑顔で無言のまま首を傾げ、そしてくるりと向きを変えた。


「帰ろ、日が沈んじゃう」


「うん」

 レイは未来を思い、うきうきとファニィの後を追う。

 追いつくと、いつものように彼女から籠を受け取り、そして空いた手を繋いで家路についた。


 翌朝、レイは旅立っていった。

 ファニィは見送りに来なかった。



「ファニィ?」

「なあに、母さん」

「あなた、レイの見送りに行かないの?」

「お別れならもう昨日したから」

「そうなの?」

 ファニィはうなずいた。


「昨日、たんぽぽの綿毛の束を渡した。多分もうあたしのことは思い出せないと思う」

 イェンナは朝食の用意をする手を止めて娘を見た。


 ファニィは涙を流しながらテーブルを拭いている。


「ファニィ……」

 イェンナは娘を抱きしめた。


 イェンナとファニィは魔女の一族である。

 妖精を友とする魔女、戦う力のない魔女。


 彼女たちの先祖は、戦う事ができない自らと家族を守ってもらう代わり、領主に特別な花の蜜を捧げる契約を交わした。

 蜂ではなく、妖精が集める蜜だ。


 そうやって、この村で静かに暮らしてきた。


 彼女たちには、普通の人にはできない事ができる。

 記憶の操作もその一つだ。


「レイは領主様のところで立派な兵士になるの。だからいいの」


 ファニィはしゃくりあげる。

「たんぽぽの綿毛が飛んでいくたび、少しずつ記憶が消える。全部無くなったら、もうあたしの事は忘れて、思い出せない。種と一緒にどっかに行くの」


 たんぽぽの綿毛の花言葉は「別離」。


 妖精たちが道中、少しずつ綿毛を飛ばし、いずれレイの記憶からファニィはカケラも残さず消える。


 あの日、ファニィは妖精とともにそんなまじないを綿毛にかけた。

 こんな田舎の小さな村は、レイには似合わない。

 だから。


 でも本当に怖かったのは、信じて待ち続ける事。

 2人の兄たちは帰って来なかった。

 きっと、レイも帰って来ない。


 こんな、小さな、田舎の、何もない、なんにもない村へは、誰も帰って来ない。


 華やかな街の暮らしで変わってしまうレイを、待ちたくはなかった。


 花言葉は別離。


 レイとの記憶が離れて消えてゆくのをファニィは心の片隅で感じていた。





「街に着いたら、領主様の館にいる、村の出身者に会っておけよ」

「うん」

 街と村々を行き来する商人の馬車に同乗させてもらい、レイは街での注意を教えられていた。

 ふわふわと綿毛が飛んでいる。


「兵士の見習いは兵舎に住み込みになるから、下働きの人間や調理場の人間、みんなに挨拶して可愛がってもらえ」

「うん」

 また、ふわふわと綿毛が飛んでいった。


「さっきからやたらと綿毛が飛んでると思ったら、お前の荷物か」

「え? あ、なんかバッグについてて」


 レイのバッグには、リボンで結ばれたたんぽぽの綿毛の束が入っていた。

 綿毛の部分だけが外に出ていて、そこからふわふわと綿毛が漂ってくる。


「貰い物か?」

「ううん、多分誰かがやったんだと思うんだけど…」

 何か大事な事だったような気がするのに、思い出せない。

 また一つ、綿毛が芯から離れた。


 妖精たちが楽しげに一本ずつ芯から外して一緒に飛んでいっているのだが、2人にその様子は見えなかった。


「しかし、村を出る日にたんぽぽの綿毛ってのは、そのリボンといい、間違いなく女だな」

「どうして?」

「たんぽぽの綿毛の花言葉はな、『別離』っていうんだよ」

「へえ」

「へえってお前なあ。村で女の子を泣かしてきたんじゃないのか?」

「違うよ! いないよ、そんな……」


 黒い巻毛が揺れる。

 黄色い、花畑。

 あの子は……。


 もう一本、目の前を綿毛の白い帽子が種をともなって飛んだ。


「女の子の友達なんていないよ。家の手伝いでそれどころじゃなかったし」

 商人は大きく口を開けて笑った。

「そうか、そりゃ悪かったな! でな、兵舎で頼りになるヤツはな…」

 商人がレイの頭を乱暴に撫でて話を続ける。

 街までの旅は数日ある。

 教える事はたくさんあった。


「ここが領主様の館だよ」

 商人はレイを館の前まで馬車で送ってやった。

「ありがとう、ございました」

 慣れない言葉遣いを懸命に覚えようとするレイに、商人は笑う。


「その調子だ、頑張れよ」

「はい!」

 馬車を見送って頭を下げたレイのバッグから、最後の綿毛がふわりと飛び立っていった。





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