3 瞳の色
ハロルドとエミリアは結構な速さで馬を走らせている。
屋敷の隣の公開庭園の周囲をぐるりと回り、その先の背丈の低い草花が生える草原へと移動した。
ハロルドには六人の騎士が護衛についているが、皆話し声は聞こえない程度の距離を置いて周辺を警戒している。
「こんなにたくさんの騎士に囲まれて乗馬をするのは初めてで、緊張します」
二人で馬を歩かせながらエミリアが言う。ハロルドも一人の時は気にならない護衛の騎士たちの存在が今日は少し恨めしい。
「鬱陶しかったですか。僕は常に護衛が付いているから気にならないけど、普通は気になりますよね」
「気になるというか、私が乗馬が趣味だと申しあげたばかりに、こんなことになったことが心苦しくて」
「僕はまたあなたと乗馬したいし、お茶を飲みながらおしゃべりもしたいのですが。もしかしてどなたか決まった方がいらっしゃるのでしょうか。それならお相手にもあなたにも失礼なので誘うのは諦めますが」
たまたま風の向きでこの言葉だけを耳に入れてしまった騎士が残念なことを聞いた、と言うように目をつぶる。
(あっちゃー、ハロルド様、真っ直ぐ過ぎますって。もうちょっと曖昧な感じで次回に持ち込まないと!)
三十代の護衛はヤキモキするが、流石にそんなことを教えるわけにもいかない。
真っ直ぐすぎる言葉を手渡されたエミリアは言葉に詰まり、しばしの沈黙が訪れた。
「乗馬のお誘いを受けただけで厚かましいことを言うようで気が引けますが、ハロルド様は私の身の上をご存じでしょうか」
「身の上?」
怪訝そうな顔のハロルドを見てエミリアが馬の速度を落とし、微笑みながら自分の事情を説明した。
□ □ □
「と、いうわけで、わたくしはお父様ともお母様とも一切の血の繋がりがありません」
「ええと、それがどうかしましたか? あなたとハンフリー伯爵に血の繋がりが有るか無いか、僕にはあまり重要ではありませんし、家柄を見て誘ったわけでもない。あなたの瞳が何色だったか、とても気になったのです。それが知りたくて我慢できずにお誘いしたのです」
突然、エミリアの顔が真っ赤になった。見れば首も耳も火を吹くかと言うほどに赤い。
何か失敗したことだけは理解したハロルドは、「そろそろ戻りましょう」と声をかけて自分が前になって馬を進め、会話もなく帰宅した。
(僕、何をやらかした?)と、それで頭がいっぱいだった。
その後のお茶会はマリアンヌとフローラが主になって会話を回し、なんとなくギクシャクしたままお茶会を終えた。エミリアは丁寧に礼を述べると帰っていった。
エミリアが帰ってから、フローラは爆笑していた。
「いくらなんでも品がないわ、フローラ」
注意するマリアンヌも笑いを堪えている。
「なんでそんなに笑うんだい?教えてくれたっていいだろう」
不貞腐れたハロルドにフローラがヒーヒー笑いながら説明した。
「ハロルド兄様、『あなたの瞳の色を知りたい』って、初めてのキスする前に言う有名な決め台詞よ。恋愛小説、読んだことないの?」
「ええええっ!」
しばらく空を睨み、心のエネルギーが全て燃え尽きて白くなったハロルドは、背中を丸めて自室にヨロヨロと戻った。
一方のエミリアも家で居心地の悪い思いをしていた。父にも母にも公爵邸での様子を根掘り葉掘り尋ねられている。
乗馬やお茶会の様子を正直に伝えたが、さすがに「あなたの瞳の色を知りたい」と言われたことは言えなかった。
父も母もご機嫌だ。
今の両親は血の繋がりの無い自分を優しく育ててくれた。プリシラが生まれてからもその態度は変わらない。
自分は物心がついてから養女に来たので、何事も控えめに従順に暮らして来た。この家で聞き分けの良い娘でいることが自分の為すべきことだ、と心がけて生きてきたのだ。
しかし。
「王太子様は、まだ十六才でいらっしゃる」
自分はもう二十才。貴族の娘なのに婚約者もいないのは珍しい年齢だ。殿下が今は自分に興味を持ってくださっていても、いつか自分よりずっと若い令嬢に心を動かされるだろう。そう思うと浮かれる気分にはとてもなれなかった。
「いっそ、もうお誘いなんてない方がいいわ」
そう声に出す。でも、ハロルドの年齢にしてはゆったりした物腰、優しい笑顔、大人になりかけの声も、忘れられそうにない。
妹を立てて自分はいずれどこかの貴族の後妻にでも収まれば上々と思っていたのに。急にそれが寂しい人生のように思える。
「欲をかいては駄目。不幸の元よ」
ただの男爵の娘が伯爵家の養女になり、今度は王太子殿下に声をかけられて乗馬をした。自分の意思ではないことで自分の運命が次々変わってしまう。それが奇跡のようにも恐ろしいことのようにも思える。
「乗馬とお茶をしただけ。何を思い上がっているの。もうお誘いなんて来ないわよ」
強引にそう結論に持ち込み、眠ることにした。
しかし翌週にはロマーン公爵家から再びお茶のお誘いの知らせが来た。今度はハロルドの名前でだった。