Mission-01 リケジョのひとりごと
ねじれた空間。その中で、とある女子大生――木ノ芽朔夜の独り言が続いていた。
(ああ、これは『ククリ』のマグネットパワーが引き起こした、時空の歪みに違いない)
周りが暗黒の空間にもかかわらず、朔夜の声は落ち着いていた。
(まあ、この程度のパラドックスが起こるのは、科学研究の過程では想定の範囲内)
科学――それを口にした朔夜の素性は、工科大学に通う理系女子。すなわち『リケジョ』であった。
(ククリに……破損はなさそうだな)
共に暗黒の時空に浮いている、全長三メートルの人型ロボットを見て、朔夜は安堵の声を漏らす。
ククリ――それは朔夜が卒業論文の題材として製作した、二足歩行ロボットの名前であった。なぜククリかというと、卒論なので『しめククリ』にちなんでいる。
それはさておき、装甲すべてを強化アルミにして、驚異的な軽量化をはかったククリは、二足歩行という現代科学の限界を突破するため、機体のあらゆる箇所に強力な磁石が設置されており、それが重力に対して全周囲バランスが保てる――はずであった。
就職活動と並行しながら、寝る間も惜しんで完成させたククリの初起動。その第一歩で、ククリは転倒したのである。しかも六畳間のアパートで。
(○○○○○○を計算に入れてなかったのは、誤算だった……)
朔夜の計算では、マグネットパワーで三十八キロの重量までは、二足歩行が可能なはずであった。そのための強化アルミでもあった。
なけなしの生活費から捻出した資材で、規定値をクリアしたククリ。有人機であるその機体に喜び勇んで乗り込んだ朔夜は、倒れていく機体の中である事実に気付いた。
○○○○○○の答え――すなわち『アタシの体重』を計算に入れてなかった事に。
身長一五五センチながら、ぽっちゃり体型の朔夜は、ククリの重量を優に十キロはオーバーしていた。いや、もっとかもしれない。
ちなみに、ぽっちゃりだが胸はない。どのくらいないかっていうと、AほどじゃないがBまではいかない微妙なサイズである。言うなれば、貧乳好きにも、巨乳好きにも、美乳好きにも受けない、一番需要がないサイズである。これには本人も、ほとほと困り果てている。
それはさておき、時空の歪みである。
朔夜の予想では、ククリが転んだせいで、重力にマグネットパワーがぶつかり、潰れた空間に一種のブラックホールが発生したと読んでいる。
科学的に考えれば、それしかない。だから朔夜は落ち着いていた。
もう一つ落ち着ける理由は、ブラックホールならワームホールが――すなわちその出口があるはずだからである。
しかも、このねじれは宇宙規模ではなく、六畳間で起こったサイズなので、特異点といってもせいぜい町内のどっかに吐き出される程度だろう。
(できれば帰るのが面倒くさいので、なるべく近場を希望するのだが……。ああ、明日も面接、行かなきゃ……)
空中で腕を組み、あぐらをかく朔夜の思考は、この異常事態よりも、まだ決まっていない進路に向く。
大学四年も、もう秋だ。周りは推薦やら内々定が出ている中で、リケジョの就活はもはや崖っぷちであった。
高天原工科大学はロボット工学の名門で、朔夜は孤児ながら苦学の末、見事に入学を果たした才女であった。
だが、残念ながら――その中身が途方もなくぶっ飛んでいた。
ロボット工学といっても、産業用ロボットからお掃除ロボットまで、その種別は多岐に渡る。
その中で、朔夜が開発を目指したのは有人機。しかも二足歩行可能な人型ロボットであった。
常識で考えれば有用性的にも、費用的にもナンセンス。だが朔夜のロボットとは、それ以外ありえなかった。
テレビアニメで見た、人が乗り込んでガッチャンガッチャン動くやつ。
――あれ以外の何がロボットであろうか!
傍から見れば変人そのものであったが、当の朔夜は大真面目であった。
ゆえに自分を馬鹿にして、否定してきた教授や同級生たちを見返すべく、朔夜は自力でそれを開発する事を決意した。
孤独な研究の結果、磁石をメビウス状に配置すると、絶対的な平行が保てるという――もしかするとノーベル賞レベルの――仮説を発見したにもかかわらず、朔夜はそれを二足歩行ロボット開発のみに秘かに投入した。非常にもったいない話である。だが、朔夜にとってロボットの前には、ノーベル賞などなんの価値もなかったのである。
そして完成したククリは、朔夜の努力の集大成であった。
だが、その代償はあまりに大きかった――就職活動に完全に出遅れたのである。
(あー、回るお寿司食べたい……)
初起動が成功すれば、お祝いに回るお寿司で一人パーティーする予定だった。で、翌日の面接にククリで乗りつけ、面接官たちの度肝をぬいてやろうと思っていたのに。
それもこれも御破算になった。かくなる上は、不本意ながら『鉄人○号』よろしく、リモコン操作に切りかえるべきか。
(となると、オプションでショタが必要になるな)
などと、いらん知識は持っている朔夜は、街中でロボットを動かせば、まず警察案件になるという危機感については皆無であった。別に世間の理系女子がこうな訳ではない。朔夜というリケジョが、おかしいのである。
(しかし……こうなったのも全部、ぼっちゃりのせいだ――いいや、違うわ!)
独白に一人ツッコミを入れている間に、暗闇の時空に一点の光が見えてきた。
(ほれ、アタシの計算通り。あれが出口だ。だが思ったよりも早かったな。この分なら近所か?)
と、思った瞬間、時空の出口から朔夜とククリが勢いよく弾き出された。
差し込む陽光に目が慣れない。確か今日は曇り空だったはずなのに、一面の草原はあざやかに晴れ渡っていた。
(うわー、思いのほか越境してしまったか?)
できれば徒歩で帰りたかった朔夜は、ククリを電車に乗せる運賃に頭を抱えた。はっきり言って、気にするポイントを大幅に間違えている。
とりあえず現在位置を確認しなくてはならないので、標識のある信号か電柱を探すために顔を上げた朔夜は、そこが近代文明とは無縁な古風な土地である事に気付く。
(やっば! もしかして、ここ超ド田舎⁉︎ バス停、バス停はどこよ⁉︎)
ククリをバスに乗せる気でいるのは、どうかしてるが、まあ常識で考えれば朔夜の思考も半分正常であった。
そこに一人の少年が現れた。
「おお、白銀の勇者に、その使い手」
「はい?」
少年の第一声に、朔夜は首をかしげる。
「これアルミ製だから」
そして、リケジョの思考はまたもやベクトル違いの答えを、即座に投げ返す。
「あるみ……? えーあの、私はビショップのミコトと申します……どうかこの世界を救ってください」
(中二病、キター!)
ビショップ――すなわち神官を名乗り、いきなりお決まりの世界救済を願い出るミコトを、自分のトンチキぶりを棚に上げて、朔夜はそう即断した。
「あのねー、お姉さんは忙しいの! 明日も就職の面接があって、一刻も早く帰りたいの。もう、いったいここどこなのよ」
「ここは……ネの国です」
「ねのくに? 知らない土地ね。あちゃー、メビウスマグネットのブラックホールが思いのほか大きかったのかー……」
ずり落ちた眼鏡を上げ直した朔夜に、
「いいえ、あなたは私が召喚しました」
少年は真っすぐな瞳でそう言った。
「召喚?」
「はい、召喚です」
「なーにを非科学的な事を! とにかく、アタシは卒論と就活と回るお寿司で忙し――」
「この世界を救ってください。お礼にナイトの地位をお約束します!」
気迫に満ちた声で、朔夜の言葉を遮りそう言ったミコト。
「ナイト?」
次の瞬間、朔夜の目の色が変わった。