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せきがえ

作者: LiN

 夏休みが終わって始業式の次の日、先生が席替えをすると言った。

「えー」という抗議の声と、「わあ」という期待の声が同時にあがった。


 私の心は「えー」でも「わあ」でもなく、ただ不安になっただけだった。今の席、校庭寄りの後ろから二番目は悪くない。このクラスになって仲がよくなった三島さんとは割と近い席だけれど、別に前後の席というわけでもないから休み時間以外は喋ることもできない。三島さんと前後の席になれればいいなと思うけれど、もっと大事なことがあって、私はそのことを不安に思わずにはいられない。



 どの男子が隣の席になるか。



 席は男女が一組ずつ机をくっつけて座ることになっているので、隣になった男子とは、嫌でも近くで過ごすことになる。どの男子が隣になるかで、学校生活の楽しさが、いや、どちらかというと学校生活の不快さがぜんぜんちがってくる。



 原田くんみたいな乱暴な男子の隣になったらどうしよう、と思う。

 原田くんは、授業中に前の席の男子の背中を鉛筆でつついたり、休み時間は身体が大きくない男子相手にプロレスの技をかけたりする。女子には暴力を振るうことはないけれど、消しゴムのカスをかけたり、勝手に机の中のものを使われたりする。忘れ物が多いから、教科書を見せてあげないといけないことも多い、原田君の隣。


 伊崎くんの隣も困る。

 伊崎くんも原田くんみたいにがさつで、それからちょっとくさい。洋服からいつも汗の臭いをさせているし、その洋服も、何日か同じもののことがある。西崎くんは母子寮に住んでいて、前のクラスで一緒だったそこに住んでいる男子も服が汚くてくさかったって、三島さんが言っていた。


 この男子の隣がいいってのは、特にない。

 かっこいい男子はいる。勉強ができて、運動も得意で、見た目も悪くない、そんな男子。新田さんや村瀬さんみたいな、クラスの賑やかな女子のグループがそういう男子のことを追いかけるでもなく、告白をするでもなく、かっこいいかっこいいと騒いでいる。きっと彼女たちがそういう男子の隣の席になりたいだろうから、私がその席になってしまうと、悪口を言われそうでこわい。三島さんは今村くんというサッカーがうまい男子の隣の席になって、村瀬さんに悪口を言われるようになってしまった。

 だから、なるべく目立たない、おとなしい男子がいい。


 だからといって、西村くんみたいみたいな男子が隣の席だと、自分までみじめになるだろうなと思う。隣の席の男子がプロレスの技をかけられたり、ズボンを脱がされてパンツ姿にさせられ泣いているのを見ると、自分が泣いてしまっているような、情けない、恥ずかしい気持ちになってしまうのだ。


 それから、寺田くんの隣になったら嫌って子は多いだろう。ひょろひょろしていて、暗くて、何を考えているか分からない。いじめられているというか、男子からも女子からも無視されている。そんな寺田くんが注目されるのは、教室で吐いたり、鼻血を出す時だ。伊崎くんよりもきたないって思う。寺田くんは体が弱くて、しょっちゅう休んだり、早退したりするけれど、いないとほっとするねって、女子の誰かが言っていた。


 伊崎くんや寺田くんみたいなきたない男子の隣になった女子は、机をぴったりくっつけないようにする。なるべく離れられるように、でも、先生にみつかって注意されないように、そのバランスをとった感覚を、机と机の間に作る。


 新田さんは西村くんの席の隣だけど、やっぱり机を離している。一学期に、机がくっついていないことに気づいた(そして新田さんが机を離したことに気づいていない)西村くんは自分の机を新田さんの机にくっつけたのだけど、それを見た新田さんは「やめてよ!」と金切り声を上げて西村くんの机を蹴った。それ以来、新田さんは西村くんのことを目の敵にして、西村くんが原田くんにいじめられているのを見て笑ったり、帰りの会で「ひじがあたった」とか些細なことをあげつらって西村くんを非難して、謝らせている。



 どの女子にも、隣になりたくない男子がいるんだ。


 私は、この男子は嫌だって言うところまではいかない。言ってはだめな気がする。

 あとは、窪田くん。窪田くんの隣は、どうだろう。たぶんみんな、嫌だと思うだろう。



 窪田くんは、一学期の六月に教室でオモラシをした。授業中に座ったまま、オシッコをしてしまったのだ。

 その日、授業中にぱしゃぱしゃと音がして、窪田くんの隣の席のふだんはおとなしい宮川さんが「きゃっ」と大きな声を出して立ち退いた。「どうしたの?」と先生が聞くと、宮川さんが「窪田くんが…」と言い、みんなが窪田くんのオモラシに気づいたのだ。

「うわ、きったねー」と原田くんが大声を出し、女子もきゃあきゃあと騒ぐ中、窪田くんは先生に連れられて教室を出ていった。

 教室は大騒ぎだった。窪田くんの席のまわりはびしょびしょに濡れていて、席が近い男子はくさい、きたいないと騒ぎ、周りはそれをはやし立てた。女子は小さくかたまってひそひそ話をして笑ったり、眉をひそめたりした。


 戻ってきた先生はバケツを掃除用具入れから出し、びしょびしょになった窪田くんの席の周りを雑巾で拭いた。

 みんな、それを黙って見ていた。

 先生は床を拭き、下を向いたままで「手伝ってくれる人はいない?」と聞いたけれど、誰も手伝わなかった。


 窪田くんは、保健室の体操服ズボンに着替え、おそらくこれも保健室のものであろう、赤い上履きをはいて教室に戻ってきた。

 その後の授業、前の方の席に座った子が次から次に振り返って窪田くんを見ていた。後ろの席からはそれがよく見えて、でも窪田くんの表情は見えなくて、私はもやもやした。

 放課後、先生が教室から出たあとに原田くんが窪田くんが女子用の上履きをはいていることをからかって、窪田くんが顔を手でおおって泣き出した時、私はもやもやが濃く黒くなったような、それでいてそこに風が吹き込んだような気分になった。


 窪田くんの隣の席の宮川さんは、席を離したりはしなかったけれど、窪田くんからなるべく離れて座るようになった。


 原田くんが、窪田くんをしょんべんくさい、きたないと言い、触られると菌がうつるとはやし立てた。そのうち、クラスの他の子も本当に窪田くんが触ると汚い気がするようになり、窪田くんを避けるようになった。

 それが先生の知るところになり、帰りの会で先生が注意すると、原田くんは今度は窪田くん自身ではなく、窪田くんの周りのものが汚いと言うようになった。掃除のたびに、先生が窪田くんのおしっこを拭くときに使ったバケツ、窪田くんがオモラシした机や椅子、周りの床、そして隣の席の宮川さん、それらを汚いと騒ぎ、菌がうつったと誰にタッチしてまわった。そうやってタッチされることを男子も女子も本気で嫌がった。

 そのことも先生から怒られると、原田くんは西村くんにやるのと同じように、プロレス技をかけたりズボンを脱がせたりして、窪田くんをいじめるようになった。

 あれだけ汚い、菌がうつると騒いでいたのに、原田くんが窪田くんを平気ではがいじめにしたり、押さえつけたりするのを見て、私は拍子抜けした、腹立たしい気分だった。この感情は、いったい誰に向けられたものなのか、自分でも分からなかった。




 午後の教室の中、男女の席が一つずつ、先生のくじびきで決められて、黒板の席表に記入されていく。

 静かにするように先生が言うが、席が決まるたびに安堵や喜び、落胆や怒りの歓声があがることは止まない。


 どの男子が隣の席になるか。

 どの男子と隣の席にならずに済むか。

 私たちの不安が、私の不安が、教室の歓声に飲み込まれていく。




 くじびきが終わって、興奮の中で新しい席に机と椅子を移動させる。みんなが一斉に動くので、机同士ががっちゃんと衝突し、机の上に逆向きに乗せた椅子が床に落ちる。


 原田くんの隣の席になった子がため息をついている。


 伊崎くんの隣の席になった子は仲のいい友達に嘆いている。


 新田さんが意中の男子の隣の席になったらしく、グループの女子たちが騒いでいる。


 村瀬さんは西村くんの隣の席になって、西村くんに聞こえるように、大きな声で文句を言っている。


 寺田くんの隣になった宮川さんは、目に涙をためて、みたこともない、怖い顔をして震えていた。


 私の隣の席は、窪田くんだった。



 新しい席に移って私がしくしくと泣き出し、先生が私の横に来て、泣いている訳を尋ねている時、窪田くんも泣き始めた。


 窪田くん、何泣いてるんだろう。

 おもらししたくせに。

 きたない子のくせに。


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