「Memory is Nothing/Memory is Fake」
●これまでのあらすじ
スペリオルと呼ばれる超人が現れた世界。
スペリオルは善と悪に分かれ、戦いを繰り広げていた。
これは超人が存在する世界の記録である。
●登場人物
俺。記憶喪失のヒーロー。正義のヒーローチーム"ジャスティス・ユニオン"に所属。
彼女。悪の秘密結社"ダークラウンズ"の怪人。敗北し、"ジャスティス・ユニオン"に拘束中。
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何も無いのと、ある物が全部嘘。
何が違うのかしら?
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「あなた。記憶喪失なんですってね?」
彼女がそう話しかけてきたのは、ある日の午後のことだった。
休憩室でコーヒーを入れていると彼女が入ってきて、自分の分も要求された時のことだった。
「ああ。俺にはここに来る前の記憶が無い」
「それはどんな気分なのかしら? 記憶、って云わばその人を構成する要素でしょう?
それが無い、ってことはあなたは何で出来ているのかしらね?」
コーヒーを二杯入れ、片方に砂糖とミルクを気持ち多めに入れる。彼女の趣味で、こうしないと怒るのだ。
茶色のコーヒーを彼女の前に。ブラックを自分の前に置く。
インスタントで薫りなど望むべくも無いが、真っ黒な液体を見ていると心が落ち着く気がした。
「俺に記憶は無いが、何か衝動のようなモノは時折出てくる。
誰かが何かに襲われていれば助けたいと思うし、悪徳を為そうとする者は正したいと思う。
それがどんな気分かと言われたら――足元が定まっていない不安感が、まずある。
そして、時折何かに導かれるというか、突き動かされる感覚がある。その感覚が怖くもあるし――どこか安心感もある」
「へぇ」
俺の解答がお気に召さなかったのか。彼女はへの字眉毛で顔をしかめたまま、俺の入れたコーヒーを啜る。
「気に喰わないわね。記憶が無いのにヒーローみたいな真似をしたい衝動に駆られるなんて。まるで性善説じゃない」
「そう言われても困る。これは俺の感覚で――他の人がどうかなんて、分からない」
その言葉に、彼女はちっと舌打ちをし、窓の外に視線を外した。何か気に障っただろうか。
どうしたものか、と迷っていると、不意に彼女が話し始める。
「――私の出自、知ってる?」
「悪の秘密結社"ダークラウンズ"が作った人造スペリオル。そう聞いているが」
"ダークラウンズ"。裏社会で暗躍しながら、スペリオルによる世界征服を目指す秘密結社だ。
彼らは現代の数世代先を行く技術を持っており、人工的に超人を作る事が出来る。
彼女は、そうして生まれた生命体だ。
「そ。私の身体も、そして頭の中身さえも"ダークラウンズ"に作られたのよ。
"ダークラウンズ"による世界征服のため戦え、ヒーローは殺せ、って頭の中に焼き付けられた。
そのための偽の記憶さえ植え付けられたわ。ヒーロー達に半殺しにされた、とか仲間を殺された、とか。
おかしいわよね? 私は培養カプセルから生まれたのに――その時には存在しない仲間の仇を討とうと復讐心に燃え上がっていたのよ」
はぁ、と大きくため息をつく彼女。彼女は皮肉気に笑いながら、続ける。
「こうしてあなた達ヒーローチーム"ジャスティス・ユニオン"に負けて、捕まって。洗脳処置のことを教えられて。ようやく理解したのよ。
私の頭の中の記憶は、その大半が偽物だったってことを。
本物と言える記憶はあなた達ヒーローと戦ったことだけ。それ以外の――培養カプセルから出る前の記憶は、全部偽物。
じゃあ私は、何なのかしらね?」
彼女は茶色のコーヒーを見ながら、独り言のように呟く。
「記憶は偽物。衝動も無い。――私には何も無いのよ」
その言葉があまりにも悲痛だったから。
俺は咄嗟に「違う」と言っていた。
その言葉があまりにも必死だったからか、彼女はきょとんとした顔でこちらを見る。
「何よ違うって。何が違うの? 私には何も無い。それが事実でしょう」
「違う、違うと思う――何も無い、なんてことはない、と思うんだ」
そう言いながら、俺は彼女の手元を見る。彼女のリクエストを聞いて入れた、インスタントの砂糖ミルク入りのコーヒー。
「例えば――君は、コーヒーを飲む時、必ず砂糖とミルクを入れるだろう?」
「ええそうね。ブラックは苦いだけで不愉快だわ。何が楽しくてあんなの飲んでるのかしら」
「それはコーヒー好きを敵に回す発言だ――じゃなくて。"コーヒーには砂糖とミルク"っていう君の好みが、そこにはあるじゃないか。
何も無い、何てことは無い。そこに君の好みという、個性がある」
「コーヒーに砂糖とミルク、それだけで、個性?」
「個性だ。君が君自身である証だ。それだけでは足りないというのなら――」
じっと、彼女の目を見て。
「もっと他の個性を探せばいい。見つけてもいいし、あえて作ってもいい。
何も無くても――これから何かを探せばいいじゃないか」
「…………」
俺の言葉に何を思ったのか、彼女もまた、じっとこちらを見てくる。
「……あなたも、そうしてるってわけ?」
「俺は失った記憶を探しているけど。失った記憶だけが俺じゃない、と思っている。
だから毎日、新しい記憶を重ねて――"俺"を作っている」
「ふぅん」
俺の言葉に何を思ったのか。彼女は視線を外し、しばらく手元のコーヒーを見ると……それをぐいっと一気に飲み干した。
「おい、まだ熱いだろう」
「ええ、熱いわ。でもこれはこれで――美味しい。だからおかわり」
言って、マグカップをこちらに差し出してくる。
「このコーヒーは美味しい。――好き、よ。そう決めた。だからおかわり! 早く!!」
「わ、分かった」
急かしてくる彼女の勢いに押され、俺はマグカップを手に備え付けのキッチンへと向かう。
慌てていたため、俺は見逃してしまった。
彼女が珍しく、笑みを浮かべてこちらを見ていたことを。
「Memory is Nothing/Memory is Fake」End




