「ただいま」「おかえりなさい」
いつから当たり前になったの
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「ただいま」
「おかえりなさい」
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俺の仕事は忍者だ。国の命令を受け、要人を暗殺するのが仕事。
汚い仕事だ。だが誰かがやらなければならない仕事だ。手を血で汚す事に何も感じなくなったのは、もうだいぶ前になる。
ある企業の役員を殺し。
ある国の大臣を殺し。
時には自国の現与党の敵となる政治家を殺した。
恨みもだいぶ買った。
無論正体がバレるような真似はしていないが、俺を殺したい奴は掃いて捨てるほどいるだろう。
そのことについて、何か思うことは無い。
人を殺すのだから、いつか殺されるだろう。その程度の覚悟はすでにしている。
きっと俺の末路は、ひどいものになるだろう。だがそれがどうした。
忍者なんて、そんなものだ。
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「ただいま」
「おかえりなさい」
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仕事を終え、珍しく定時に帰る。
郊外のベッドタウンの一軒家が、俺のささやかな城だった。
そこでは、妻が俺の帰りを待っている。
妻。
良い人だと思う。素朴な顔立ちの、目立たないが美しい人。性格も大人しいが裏表が無く、話していて楽しい人だ。
俺は、社会的な偽装のために彼女と結婚したのだが、そんな自分にはもったいないほど良い女性だ。
「ただいま」
「おかえりなさい」
ドアを開けると、彼女の声が聞こえてくる。
夕餉は焼き魚だろうか、美味しそうな魚の油が香ってくる。
――家に帰ると、おかえりの声がある。
それが俺の「当たり前」になったのはいつからだろう。
結婚当初は、何も言っていなかった。帰る時間も不定期だったし、それは彼女も了解済みだったから。
だがある日、彼女がこう言ったのだ。
「ここは貴方の家です。帰ってきたら、ただいまと言わなければいけませんよ?」
それが彼女の「当たり前」だったのだろう。俺はそうか、気を付けるとそれに了承した。
それからだ。
家に帰って「おかえり」「ただいま」と言い合うようになったのは。
「今日はサンマの塩焼きですよ~手を洗ってきてくださいね」
「分かった」
彼女の言葉にうなずきながら、洗面所に向かう。
手を、洗う。
何もついていない/血の汚れが落ちない 手を。
――こんなに幸せで、いいのだろうか。
最近よく、こんなことを考える。
人殺しなんてことを仕事にしながら。ごく普通の家庭、なんてものを持ち――それに平穏を感じてしまう自分。
それを、悪くない、とさえ感じてしまう自分。
忍者に幸せなんて似合わないと思っていたのに。そんなものは不要だと思っていたのに。
手に入れてしまうと、もう二度と放したくない、と考えてしまう。
――俺は、怖い。
いつか俺の仕事/業が原因で、この幸せを――彼女に危害を加えてしまうのではないかと。
それが嫌なら彼女から離れればいいのに――そうできない自分も。
心に恐怖を抱えながら、それでも――
「洗ってきたよ」
「それじゃあ頂きましょうか」
「「――いただきます」」
彼女を共にいることの幸せを噛み締めながら。
俺は、普通の日常/忍者の非日常を過ごす――
「ただいま」「おかえりなさい」END




