謎の言語体系
ドワーフ独自の文化があるのかなー、って感じられたらうれしいです
ガルドとエドの共同生活はひとまず順調な滑り出しを見せた。
エドはかなり大人しい性格のようで、ガルドは思ったほど手を焼かずに済んだ。
しかし、文化の違いというものがあるのか、ドワーフとしては起き得ない事もあり世話をする彼を驚かせた。
例えば、極度の偏食。
エドは他の食材は最初はビクビクしていても最終的には食べるのに、蟲系の食材やそれが入った料理は口をつけようともしない。
蟲系統の食材に多い独特の苦みが苦手なのかと思い、奮発して壺蜜虫を買って与えたこともあったが見向きもしなかった。
かとおもえば、蟲の中でも十脚地蟲の類は喜んで食べるので訳が分からない。
似た味のものを出しても他の蟲は頑として食べないのでガルドは初めは食材に気を使ったものだ。
例えば、潔癖なほどの綺麗好き。
普段、ドワーフはあまり体を洗わない。
精霊系の種人であるために垢や汗が出にくいこともあり、獣人のように特別嗅覚に優れているわけでもないため体を清潔にしようという習慣が薄いのだ。
公衆浴場などはあるのだが、毎日のように利用するのは疲れの激しい肉体労働者や汚れる機会が多い者が大半である。
そんな中、エドは毎日欠かさず体を拭いたがる。
ガルドも石工の仕事で石粉塗れになれば体を拭おうとも思うが、エドは只人であることを考慮しても頻繁に体を清潔に保とうとしている。
しかも毎夜湯を含ませた布で体を拭いても不満気な様子なので、公衆浴場に連れて行ってやったが、それでは満足できないらしく複雑そうな顔をしていた。
細々とした齟齬はあったが、大きく関係が悪化することはなく、二人が生活してしばらくが経った。
女ドワーフの懸念の通り、エドを探す者の情報は流れてこず、ガルドは早々に彼を知り合いに合流させるのを諦めて生活の術を与える方向へ方針を変えた。
そのために今日はエドとの意思疎通を円滑にするべく、かの老人に会いに行こうと石工の仕事を早くに切上げ家に帰ってきた。
エドはいつもより早く帰ってきたガルドを不思議そうに見ていたが、手招きすると小首を傾げてやってくる。
「g)4ff7ew@r<。がるどxy、なに?」
方々を回って子供向けの絵本などを集めて読み上げてやったりしたおかげか、まだ分からない言葉も多いがエドは簡単な言葉を話せるようになってきた。
と言っても、きちんと使えるのは肯定・否定・疑問・拒否くらいのもので、他は間違いながら手探りで覚えている状況だ。
「今日は外に行くぞ。はぐれないようにな」
身振り手振りも合わせたことで出かけるということは分かったらしく、素直に「うん」と答え、奥に走って行き肩掛け鞄を掛けて戻ってきた。
これは、彼を連れて市場で買い物した際にガルドが買い与えた物だ。
見てくれは悪いが、頑丈さに秀でた大長虫の革で作られた品で普段使いには問題ない。
(今日は市場に連れて行くわけではないんだがのう……)
そう思ったガルドであったが、上手く伝える方法が思いつかなかったので、誤解を解くのを諦めそのまま連れていくことにした。
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地下都市ゲルノーティオの住宅区の中でも主要な通りから外れた辺鄙な地区の奥まった場所にかの老人の家はあった。
この地区は立地の悪さから住宅区でも珍しく空き家も多く、喧騒とは無縁の静けさの中で遠くから聞こえる鍛冶工房の槌の音だけが微かに響いている。
ガルドは家の扉に付けられた鈍色のドアノッカーを鳴らすが、予想通りというべきか、出てくる気配はない。
あの偏屈老人はまたぞろ仕入れた書物に熱中して、居留守を決め込むつもりなのだろう。
音に聞こえた出不精がおらんはずもあるまいに、そう思いガルドは声を張り上げた。
「あ~、フォルカーの爺様、聞こえとるじゃろう! 頼みがあってきたんじゃが!」
物静かな住宅区だけあってガルドの大声はかなり響く。
だが間違いなく聞こえているであろう家の主は一向に出てくる様子はなかった。
元々厭世的なところのある老人だ、これだけで出てきてくれるほど気の良いドワーフだとは思っていない。
ガルドはこの日の為に伝手を使って手に入れた手土産を取り出す。
「手土産に上物の赤茸酒を持ってきた! これほどの珍品、儂一人に飲ませるつもりではあるまいな!」
ガルドが言葉を続けた途端、家の中からドターンと何かを盛大にひっくり返す大きな音が聞こえ、そうかからずに勢いよく扉を開けて老齢のドワーフが飛び出してきた。
二七〇歳を超えた証である三本に編み込まれた髭は無残に絡まり、全力で走ってきたのか息は荒々しい。
それでも爛々と光る力に溢れた眼差しはガルドの手の内にある瓶に注がれていた。
「それが土産か! 早く寄こせい!」
有無を言わさずガルドから瓶をひったくると、我が子のように後生大事に抱え込む。
突然の行動にエドはあたふたしていたが、ガルドは予想通りな反応を見せるこの老人を呆れた顔で見ていた。
「……それで、力は貸してくれるんじゃな?」
老ドワーフは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、ぶっきらぼうに扉を指して言った。
「さっさと中に入れ、この酒が飲めんではないか」
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老ドワーフ、フォルカーの家は碌に掃除されておらず、あちこちに蜘蛛の巣が張っていた。
至る所に書物が山積みになっており、所々足の踏み場を探しながら通る有様だったが、当の家主は慣れた様子でひょいひょいと進んでいく。
気兼ねすることなく時折本の山を崩しながら進むガルドとは対照的に、遠慮しいなエドは一々空白地帯を探して恐る恐る進んでいた。
何とか奥の書斎まで通ると、そこにはひっくり返った机と椅子、その上に載っていたであろう散乱した書物でぐちゃぐちゃになった部屋があった。
まるで坑道の崩落もかくやという有様だったが、フォルカー翁は何食わぬ顔で乱暴にそれらを除けて無理矢理場所を作ると、どこからか用意した三つの杯を持ってどっかりと床に腰を下ろした。
「何をしておる、お主等も座らんか」
フォルカー翁に促され、ガルドも同様に適当に場所を作って腰を下ろす。
エドはどうすればいいか迷っていたようだが、丁寧に散らばった書物を重ねて場所を作るとちょこんと膝を抱えるようにして座った。
うむ、と頷いたフォルカー翁は三つの杯に封を開けた酒を注ぐと、二人の前に杯を差し出す。
古くからあるドワーフの風習に『他者から贈られた酒の最初の一口は贈った者と分かち合わなければならない』というものがある。
それを惜しむ者は度量が小さいと嘲りの対象になるため、酒にがめついドワーフであっても一人で独占する者はいないのだ。
ガルドは喜んで杯を受け取ったが、エドは差し出された酒が放つ独特な匂いに眉根を寄せている。
無理もない、赤茸は元々香りの強いキノコだ。
それを薬草酒に漬け込んで作る赤茸酒は特有の強烈な香りを持ち、好きな者はこの上なく好むが初めての者は面食らうことも珍しくない。
困った様子のエドだったが、フォルカー翁の早く飲めという圧力の籠った視線に負けて渋々酒に口をつけた。
それを横目で見ながらガルドも杯を傾ける。
まず口に広がるのは薬草の一種が持つ清涼感。
薬草酒にありがちな苦味やクドさは強くなく、漬け込まれた赤茸から滲み出した旨みが微かな苦味を風味に変えている。
飲み込むとエールなどより強い酒精を含んでいるのに喉を通る感触は柔らかく、鼻へと抜ける戻り香が舌に残る味と相まって強い香りの中の複雑さと奥深さを強調して悪印象を掻き消していく。
「くぅ~、美味いッ! こんな上物は久しぶりじゃ!」
二人が口をつけるや否や、すぐさま杯を干して老ドワーフは一転して上機嫌になる。
それもそうだろう、赤茸酒は当たり外れの激しい酒なのだ。
赤茸を漬け込む期間が長すぎても短くすぎても味のバランスを崩してしまうし、ベースとなる薬草酒の薬草の構成によっても風味は変わってしまう。
良い物は銘酒と言えるだけの力を持っているのだが、上物はなかなか出回らない。
ガルドが手に入れられたのも種類管理組合の地区代表という地位を持った彼女の協力の賜物である。
機嫌の良くなったフォルカー翁は酒の味に相好を崩してガルドに問いかける。
「で、用件は何じゃ? 困った時だけ儂の所に来おって、お主が関わっとるならまた厄介事じゃろう」
この偏屈な老人に厄介事の代名詞のように言われるのは腹立たしい気分になるが、あながち否定できないのとこれから力を借りる立場を考え心の中に留め置く。
せっかく手土産を用意してまで歓心を買ったのだ、今更機嫌を損ねて家から叩き出されるのは御免こうむる。
「一緒に連れてきたこの只人は今儂の所で世話をしておるんじゃが、言葉が通じなくて困っておる。爺様ならこやつの言葉も分かるかもしれんと思ってな」
事情を話したガルドにフォルカー翁はフンと鼻を鳴らし、エドに何か喋れと顎をしゃくった。
彼らの会話の内容をほとんど理解していないエドは、慌てた様子で両手を突き出して首を横に振る。
「m4ee! m4eew@r! m4k]kf、いや!」
どうやらフォルカー翁の仕草をもっと飲め、と言っていると判断したらしい。
勧められた酒を断るとはやはり只人の文化は理解しがたい、などとガルドは呑気に考えていたが、フォルカー翁は未だに意味不明な言葉を交えて拒否の意思を示すエドを見つめて難しい顔をしていた。
「……西方域の只人の言葉ではないな、発音が独特じゃ。かといって種人言語の特徴もない。東方の言葉か? いや、音の運びが違う……」
ブツブツと呟きながら考え込み始めた老ドワーフにエドは呆気にとられた表情になり、悪い予感がし始めたガルドは顔を顰めた。
背筋を嫌な汗が伝うのを感じつつ、集中して思考に没頭している翁の分析を待ったガルドだったが、それは翁が大きな溜息を吐いたことで終わりを迎える。
彼は深い皴の刻まれた顔を粒苦虫を噛み潰したように歪ませて、酒の瓶をガルドに突き返した。
「……すまんが、力になれん。悔しいが、儂の知る言語の中には似た物すらないようじゃ」
ガルドも薄々予感していたが、それでも驚きのほうが大きい。
この老人は偏屈で他人と多く関わりを持たないのでこんな所で独り暮らしなんぞをしているが、この都市でも上から数えた方が早いほどの知識人なのだ。
ガルドにはかつて王都で官吏を務めていた翁に比肩できるほどの他に頼みを持っていける知己はいない。
当てが外れたのは困ったが、だからと言って贈られたものを突き返されて黙って受け取るわけにはいかない。
どんな思惑が含まれていても、酒を贈るという行為は誠意の表れを意味するのだ。
「その酒は日頃の感謝と思って受け取ってくれ。こやつも、もう飲みたくはないようだしのう」
きょとんとするエドを見てそう嘯くガルドに老ドワーフは苦笑し、腰を上げて散らかった室内から一つの本を持ち出してきた。
「初心者向けの精霊言語の教本じゃ、せめてこれを持って行けい」
それほど大事にされていなかったのか表紙には痛みがあったが、丈夫そうな装丁で結構な値段がするように見えた。
そもそも精霊系の種人は知恵がつく頃には本能的に精霊言語を話せるようになるため、教本を必要とするのは一部の物好きか他の種族なのだ。
何のためにこれを手に入れたのかは知らないが、値段を考えればずいぶんな酔狂である。
汎用西方語の教本ではいけないのかと思いはしたが、この老人が精霊言語を教えた方が良いと考えているのならば、それに従うべきだろう。
目の前の老人はガルドの何倍も生きている大先輩なのだ、ガルドには分からないことが分かっていてもおかしくない。
「分かった、ありがたく頂こう。こやつの事が何か分かったら爺様にも教えるでのう」
「面倒ごとに首を突っ込むのも大概にしておけよ。早死にするぞ」
ガルドは黙って杯に残った酒を飲み干し、物珍しそうに本を覗き込むエドを連れてフォルカー翁の家を後にした。
用語解説:十脚地蟲
大ぶりなハサミが特徴の、十対の節足を持つ地蟲の総称。
硬い甲殻を持つが中の身は柔らかく、主にスープの具に使われる。
身の中に溜め込んだ砂を吐かせないと食べられたものではないため人気は低い。
海にいるよく似た姿のエビ、カニという生き物とは祖先を同じくするのだと言う学者もいるが、意見の統一は見られていない。




