知らぬ言葉の異邦人
ドワーフの魅力とむささをお伝えできれば幸いです。
ガルドたちが組合員が使う仮眠室に入ると、渦中の人物はこちらの気も知らずに小憎たらしいほどの朗らかな笑顔で会釈して口を開いた。
「byiaf。bbktqw@rt? bbfs@buyw@d)4?」
予想外に友好的な様子に毒気を抜かれそうになったが、口にした言語の奇怪さに思わず唸り声が漏れる。
ガルドはドワーフの中では中の下程度の知識はある方だが、ガルドの知る汎用西方語、有蹄獣人語、翼人語のどれにも当てはまらない。
頼みの綱は組合の地区代表としてガルドより広範な知識を持つ彼女だが―――――視線を向けると肩をすくめて首を振った。
「ダメだね、さっぱり分かりゃしないよ。こりゃ相当遠くの人間じゃないかい?」
彼女にも分からないのなら、あまり気は進まないが知識を溜め込むのが趣味という知り合いの老人辺りに当たってみるしかない。
あの老人はドワーフの中でも輪をかけて偏屈で気難しく不愛想なのが難点だが、知識の量だけは随一だ。
この前など暇に飽かせて交流などないに等しい東の果ての国々の書物を解読していたほどである。
彼ならばこの謎の言葉を知っているとは思われるが……とりあえずガルドは今度手土産を持って訪ねることに決めた。
「z4d@jpyt……eZqes@4uZw.yw@d)4<%」
小首を傾げて謎の言語を呟く只人の男に、ガルドはずいと前に出て言った。
「儂はガルドじゃ、儂がお前をここに連れてきた」
勿論男には通じなかったようで、ポカンとしたままガルドの言葉を聞いているだけだったが、ガルドが自分の分厚い胸板を叩きながら「ガルド、ガルド」と名前を繰り返すうちにハッとした表情になり、
「uj5w@r<!シンジ、エド・シンジ!」
そしてガルドと同じようにドワーフと比べると細すぎる胸を叩きながら「エド・シンジ」と返してきた。
試しにガルドが男を指さして「エド」と言うと、男は嬉しそうに笑って手を叩いたので、間違いあるまい。
一連の流れを後ろで見ていた女ドワーフは呆れ半分の声音で言う。
「なんというか……頭が良いのか悪いのか分かんないやり取りだねぇ。まあ貴族じゃなかったのは一安心だがね」
男は名前を二節に分けて発音していた。
普通、平民は個人名のみ、または個人名に識別のための名を持つ。
彼女であれば“赤毛の”、ガルドなら本人は非常に不本意ながら“苦労性の”だ。
平民は個々人の実績を重視するために、自己紹介の時に識別のための名を個人名の前に持ってくることはない。
逆に位階に厳しい聖職者や家に誇りを持つ貴族などは個人名の前に役職名や家名を持ってくるが、彼らの名前は少なくとも四節以上はあるのが普通なので、実は名のある貴族なんてことはないだろう。
どこの国においても上に立つ者ほど柵が増え、それを示す名も長くなるものなのだ。
「とりあえず、こやつは儂の家で預かる。すまんが探し人をされていないか確認しておいてくれんか」
旅人なのであれば、それなりの腕がなければ一人でこの辺りを旅できるとは思えない。
だがこの只人の男にその心得があるようには全く見えなかった。
他の旅仲間とはぐれてしまったのなら、近隣の集落で捜索の告知が回されている可能性はある。
「一応方々に聞いちゃみるけど、望み薄じゃないかねぇ」
残酷ではあるが、彼女の懸念も最もなことだ。
貴族の揉め事である可能性は低くなったが、この男の行き倒れが望まれたものであることも否定できない。
嵌められたか、見捨てられたか、あるいは護衛が牙を剥いたというのも考えられる。
そのような事情があれば、この男を探して名乗り出てくる者はあるまい。
「その時は、食っていける程度には仕込んでやる。なに、儂も良い齢じゃ、子でもできたと思えばよい」
ドワーフより只人は短命じゃしな、とおどけて言って見せるガルドに、女ドワーフは複雑そうな顔をする。
「嫁も貰わずに子持ちかい。そんなんじゃ女は寄り付かないよ!」
元々寄り付いとりゃせんわい、と返したガルドはもう少し女心を知るべきである。
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ガルドと彼女は暫く細かい擦り合わせをし、ガルドが見ていられない間は組合でこの『エド』という男を預かってもらうことを決めた。
その頃には地下都市の外でも陽が傾き、魔素の流入量が減ることで白灯石の街灯の明かりも光量を減じており、ガルドは今日のところは食料品を買い足すのを諦めて家にそのまま帰ることにした。
エドは言葉が分かっていないながらも中々聡明な資質を持っているようで、身振り手振りで部屋から連れ出したガルドの後を子守り蜘蛛の幼体のように大人しく付いてきてくれた。
「ここが儂の家じゃ。男やもめで手入れが行き届いているとは言えんが、寝食の場所ぐらいは世話してやるわい」
通じてはいないだろうが、礼儀として言葉をかけて家の中に案内する。
エドは、おそらくは彼の故郷の作法なのだろう、腰を曲げて深々と頭を下げる奇妙な礼をして続いて家に入った。
居間の食卓の前で所在なさげにしている彼を椅子を引いてやってとりあえず座らせ、ガルドは食事を用意しに台所へ向かう。
交易役で街を出ていたので、新鮮なものは使い切ってしまって残っていない。
仕方ないので保存食の洞窟鼠の干し肉と乾燥させた斑苔を茹でて戻したスープと、少し前に買ってまだ残っていた炒り光蟲を出すことにする。
炒った光蟲は塩を振るだけで食べられる香ばしさが売りの屋台でも定番の食べ物だ。
軽快な食感とほのかな苦みがなんとも酒に合う一品で、湿気に気を付ければ日持ちもするので買い置きすることも多い人気のつまみである。
買ってから日が経っているため香ばしさはずいぶん落ちるかもしれないが、品は多いほうがいいだろう。
只人は信じられないことに酒に弱い者も居るらしいので、飲み物は酒精の弱いブラウンエールにしておく。
それぞれを器に盛って酒と一緒に食卓に出してやると、やはり腹は減っていたのかおずおずと食器を手に取った。
ガルドも対面に座って食事を始めたが、エドを見てみるとスープは食べ進めているし酒にも口を付けているのに、一向に光蟲に手を出さない。
「この苦みの良さが分からんとは、まだ若いのかもしれんな」
ガルドはポリポリと炒り光蟲を噛み潰しながら、そう独り言ちた。
用語解説:光蟲
コケやキノコを食べ、繁殖が容易なため地下都市においては一般的な食べ物の一つ。
名前の由来は繁殖の時期にのみ光に集う習性から。
産卵後の雌は苦みが少なく、子供のおやつとしても人気な季節の風物詩。