決意と困惑
「ハァ!? じゃあ何かい。アンタ奴さんの事情を何も知らずに連れて帰ったってのかい? 」
酒類管理組合の建物内の食堂。
がやがやと喧騒が聞こえる中に女ドワーフの呆れた声が響き、周りが何事かと顔を向けるが、一緒にいる男を見て興味を失ったように視線を戻す。
この辺りでは、事あるごとに苦労を背負い込む事で有名なガルドが周りから呆れられるのは珍しくも無い。
まして今回の相談相手が男顔負けの気風の良さと豪快さで知られた彼女なら、放っておいて問題ないからだ。
対するガルドは叱られた子供のように眉根を寄せ、自らが運んだ故に今日限りは代金をとられない酒で喉を湿らせながらぼやくように言った。
「仕方ないではないか、あんな所に置いていくわけにもいかんじゃろう……」
あの岩場で無傷で見つけられたことは奇跡に近い。
放っておけば、自分で目を覚ます前に只人が言うところの冥府に旅立っていたことだろう。
その点では、見捨てなかった自分は間違っていないとガルドは思っていた。
しかし、彼女は眼を怒らせて言い募る。
「普通の行き倒れなら誰もこんなこと言いやしないさ。だけどあの身形を見ただろう? お偉いさん方の事に首を突っ込んだら命がいくつあっても足りゃしないよ!」
それだ。問題はそこなのだ。
たとえ鉄王国と只人の国が離れていると言っても、繋がりがないわけではない。
もしも王侯貴族の揉め事に関わってしまったなら、物理的に首が飛ぶことだって有り得る。
「惨い事を言うようだけど、今が手の引き時さ。悪いことは言わないから、今回ばかりは関わらないほうが身のためだよ」
「…………」
彼女の言葉にガルドは酒を飲むのを止め、沈黙を保った。
しかし、それは彼がその言葉に同意していることを意味していない。
何よりも黙ったまま真っすぐ彼女を見つめ返すガルドの瞳が、決して退くつもりがない事を雄弁に語っていた。
しばらく己を曲げないガルドと睨み合っていた彼女だが、諦めたように大きく溜息を吐くとひっつめ髪をぐしゃぐしゃとかき回して言った。
「まったく、馬鹿だ馬鹿だと思っちゃいたが、底抜けの大馬鹿さね! 早死にしても知りゃしないよ!」
憤懣遣る方ないといった様子で給仕の運んできた酒のお代わりを一息に飲み干した彼女は、プハァーッと酒臭い息を吐いて再びガルドに向き直った。
「力は貸してやるけど、当てにするんじゃないよ。アタシにも立場ってもんがあるんだ、ヤバイことになったら庇ってはやれない」
彼女らしくない、ぼそぼそと呟くような言葉を聞き、ガルドは険しい顔を幾分緩めて古い馴染みでもある女ドワーフに頭を下げた。
「……十分過ぎる。いつもすまんな」
彼女は面白くなさそうに顔を背けてその言葉を受けたが、先程の酒が余程強かったのか早々に朱が差してきているように見える。
彼女とガルドは共に酒を飲むことは少なくはないが、ドワーフにしては珍しくいつも顔が赤くなるのが早いのだ。
流石に酔い潰れるほど弱くはないようだが、組合の代表として負担を感じていないかガルドは常々心配していた。
「ハァ……これも惚れた弱みってやつかねぇ……」
彼女は小さく何かぼやいたが、エルフや獣人などに比べて耳が特別良くはないドワーフのガルドには聞き取ることはできなかった。
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安くて旨い事に定評のある黒キノコのソテーを肴にしながら二人の空けた杯が二桁に届く頃になって、食堂へ丁稚の幼いドワーフが短い脚で必死に駆けて入ってきた。
「代表! 部屋に寝かせていた例の只人が目を覚ましました!」
その言葉に酒を楽しんでいた二人の顔が引き締まる。
「分かった! それで、西か?南か?」
鉄王国に近い只人の国は2つある。
西の神聖王国と南の共和国だ。
東にも只人の国はあるが、間にエルフと獣人の連合部族が治める大森林が広がっているため行き来は非常に少ない。
鉄王国の北には壁の如くそそり立つ竜境山脈があるので、こちらも除外して構わないだろう。
南の人間であれば豪商の関係者という線もあるが、取引などが多いのは西の人間だ。
特に権力闘争が激しいと言われる神聖王国の貴族の揉め事ではないことを祈るばかりであったが、結果は二人の想像を大きく外れた。
「そ、それが……分からないんです」
「分からないィ? 助けてやったのにだんまりを決め込んでるってのかい」
助けた側としては複雑だが、自らについて語ることで加害者側に差し出されることを恐れている、あるいは類が及ばぬよう口を閉ざしているということも考えられる。
時間はかかるだろうが、保護する意思を伝えて少しずつ警戒を解いて聞き出していくしかない。
状況が後手に回るのは少し厄介だが、向こうに話す意思が無いのでは無理に聞き出すのは悪手だ。
まずは改めて顔合わせをして、暫くは周りへの根回しを優先すべきか。
「儂が話そう。助けた儂には話をする義務がある」
席から腰を浮かせたガルドを見て、丁稚のドワーフは慌てて言葉を付け足した。
「いえ、違うんです! ―――――言葉が通じないんです!」
予想外の言葉に二人は訝し気に顔を見合わせた。
鉄王国黎明期の工房に籠もりきりの老人ならまだしも、最近のドワーフは生まれつき話せる精霊言語以外にも汎用西方語くらいは習うものだ。
そして神聖王国、共和国ともに汎用西方語の使用圏内にある。
閉鎖的な一部の種人の集落なら種族特有の言語だけで生活もできようが、そんなところで只人が暮らせるわけがないし、なにより上質な身形が与えられるはずもない。
つまるところ汎用西方語の使用圏の外からやってきた旅人というのが妥当な結論になるのだが、それも明らかな軽装であったことが否定している。
矛盾だ、全く矛盾している。
「これは……ややこしくなってきおったわい」
それまでの決意を困惑に変えて、まずは直接様子を見るべくガルドたちは席を立った。
用語解説:只人
種人に比べ特長の少ない種族。
強大な腕力も、俊敏な足も、硬い鱗も、鋭い爪や牙も、翼もヒレも持たない。
種人・只人を合わせた交配可能な《人間》の中でもっとも繁殖能力が高い。
そのため種人からは男親として婿入りが奨励されている。(女親でないのは体の大きさが違う種族も多いため)
彼らの信仰によると、創造神が自分を信仰する者として神に頼らざるを得ない只人を創ったと言われている。