爆弾発言
エドが自立するまで本格的な彫刻の仕事を受けないからといっても、その間に腕を錆びつかせるわけにはいかない。
そのためにガルドは石工の仕事で余分に切り出した石材を使って習作を彫っていた。
材料としているのは堅灰石。もっぱら住居用に使われる種類の石材で、磨いても艶が出ず彫刻に向いているとは言えないが腕慣らしには十分だろう。
建材に使われるだけあってかなりしっかりとした手応えがあるが、ドワーフの力には敵わず鑿であえなく削り取られていく。
最終的に出来上がったのは、2体の彫像。
ひとつは3本の角が特徴的な鎧甲虫をモデルとし、もうひとつは卵を抱えた子守蜘蛛をモデルにしている。
鎧甲虫はその剛力と堅牢さから上流階級の騎獣にされることもある力の象徴であり、転じて厄除けとしてその姿を模したものを置いておく家庭も多い。
子守蜘蛛はその名の通り親が卵が孵ってから独り立ちするまでの面倒を見る珍しい生き物で、子孫繁栄、家内安全の象徴とされる。
どちらも万民向けの人気のあるモチーフで、多少造りの荒い習作でも捨て値なら十分買い手がつく類のものだ。
完成した作品を見て、それほど長い期間を空けていた訳ではなくとも自身の手先が若干鈍っているのをガルドは感じる。
これはいかん、今度から少し多めに時間を割かねばな
石工の仕事だけでも食っていけないこともないが、今まで学んできた彫刻の腕を腐らせるのは言語道断だ。
ガルドは習作を作る頻度を上げることに決め、鑿を油紙で丁寧に包んで工房を後にした。
▼▲▼
「ガルドxy、ちゃんとふくたたいて」
家に着いたガルドはそのまま中に入ろうとしたが、エドが玄関口で待ったをかけた。
その手には毛長蝙蝠の毛から作られたブラシがあり、工房帰りで石粉まみれのガルドを睨みつける。
そもそも彫刻仕事は他の国では"パン屋の親戚"と蔑称されるほど粉まみれになるものだ。
これでも帰る前に最低限は粉を落としてきたつもりだったが、彼のお眼鏡には適わなかったらしい。
独り暮らしの頃なら気にせず入っていたところではあるが、掃除をしてくれている同居人を怒らせるのは得策ではない。
自分が片付けた場所を汚されて腹を立てるのは、どの種族であれ共通のものなのだから。
も、もういいかのう?
執拗に服にブラシをかけるエドに気圧され、ガルドはされるがままになっていたが、ようやくブラシの手が止まったというのに彼が離れず一点を見つめているのに気付いて思わず両手で隠す。
エドが見ていたのはガルドの髭だったのだ。
服を掃ったのと同じブラシで、しかも他人に髭を梳かれるなど御免被る。
仕方なく手櫛で髭を梳くと、間から石粉がパラパラと落ちてきてガルドもううむ、と唸った。
成人の身嗜みとして髭を蓄えるドワーフにとって、その手入れはとても重要だ。
食事や仕事で付いた汚れはよく拭っておかないと、妙な匂いが染みついたりして辟易とするし、
齢相応の落ち着きが無いと下に見られがちになる。
他の種族には身綺麗にすることに無頓着だと見られているが、ドワーフにはドワーフなりの基準が存在するのである。
むう、これは流石にいかんな。……そうじゃな、たまには公衆浴場に行くとするか。エド、お主も来い。湯を含ませた布で体を拭くのも楽ではなかろう
エドはもっと喜ぶかと思ったのだが、複雑そうな顔をしたのにガルドは首を傾げた。
▼▲▼
鉄王国の公衆浴場は他の建築物と同様に石造りの、かなり大きな施設である。
機能上、窓やその他の開口部が極端に少ないが、屋内にも随所に白灯石が配置されているため中に入っても暗さに困ることはない。
ガルドは受付で2人分の使用料と貸し出しの手拭いの料金を払い、エドを連れて脱衣所へと進んだ。
時間帯的にそう混んではおらず、脱衣所にいるのは風呂上がりで涼んでいる常連の老人たちや気紛れで来たような数人の若者ぐらいである。
時間が過ぎれば肉体労働者などがどっと入ってきて、囲いの中の鼠もかくやといった込み合いになることは分かっていたので、その前には帰ることにしたいものだ。
ドワーフに比べて背丈が高くひょろ長い印象を受けるエドは、好奇の視線が集まるのが気になるらしく、毎回必ず湯着を着て入る。
ガルドは身体に纏わりついて不快ではないのかとは思っていたが、浴場で周囲を気にしながら入るのも煩わしかろう、と静観していた。
服を脱衣所の棚に置いたら、早速空いている浴室に入る。
公衆浴場の浴室は20名ほどが座ることのできる階段状の部分と入口の扉がある平らな部分の2つで構成されていて、ガルドたちは階段を上るように上の方の段へと座った。
ちょうどガルドたちが腰を落ち着けた後、係の者が浴室に入ってきて部屋の隅に置かれた熱魔石を大金槌で力強く打ち据える。
ガツン、と音が響くとともにむわりと部屋に熱気が広がった。
熱魔石は衝撃を熱に変換して放出するため、大金槌が振るわれる度に浴室の温度はみるみる上がっていく。
係の者が出ていく頃には魔石の発する熱で浴室は鍛冶工房の炉端のような蒸し風呂になっていた。
鉄王国での公衆浴場はこういった乾式熱浴が一般的である。
少数だが比較的低温の蒸気浴の浴場もあるが、汗があまり出ないドワーフが積極的に汗を流すにはやはりこちらの方が好まれる。
呼吸とともに入ってくる空気で喉がひりつくような高温の浴室内にいれば、いかなドワーフでも汗がジワリジワリと染み出してくる。
若い者は汗を流すのに階段下の平らな部分で互いに組み合い力比べに興じ始め、洒落者が持ち込んだ香油で髭の手入れをするのも公衆浴場ではよく見られる光景だ。
暑さを超えて熱さとなった浴室内で流れる汗を感じながら、ガルドは隣のエドに時折目をやる。
エドは只人だ、当然ドワーフより熱には弱い。
出るまでの時間を加減してやらねば、のぼせ上がって倒れでもしたら浴場側にも迷惑がかかる。
実際、エドは既に汗をダラダラ流しているし、肌も結構上気してきていた。
しばらくしてエドが茹でた十脚地蟲のように赤くなり始めると、ガルドは頃合いと見て腰を上げる。
熱気で足がふらつくエドを支え、滑らないよう足元に気を付けて出入り口へと向かうが、それほど危険があるわけではない。
古い浴場なら削りが甘く汗が水溜りのようになってしまうところもあるが、ここはきちんと段の背にある溝に向かってゆるい傾斜がつけてあって排水溝に流れるようになっている。
滑り止め用に表面の石材はわざとざらつかせているので、偶に力比べで大きくすっ転んだ奴が擦り傷を作ることがあるが、その程度のものだ。
浴室から出ると、担当のドワーフが桶一杯の冷水を渡してくれるので、それを豪快に頭からかぶる。
高温の室内で熱された身体が急速に冷却され、汗と垢が流れて清められていく清々しさ。
毎日来るわけではない公衆浴場も、この時だけは素晴らしいと思えるのだから不思議なものだ。
この熱浴と冷水による行水は何度も繰り返すのが良いとされる。
まだ時間はある、あと二度ほど入っていくかのう
水を吸って重くなった湯着を絞っているエドを連れて、ガルドは再び熱い浴室に入っていった。
▼▲▼
浴室に入るのが3度目の頃には人の数も増えてき始め、浴室内は俄かに騒がしくなってくる。
これで最後にするべきじゃな、とガルドが頬を伝う汗を拭い、出る頃合いを見計らっていると、隣に座っていたエドが困り気な顔で声をかけてきた。
「ガルドxy、おねがいが、ある」
エドは嫌なことは嫌だとはっきり言える性質だが、基本的には慎み深い。
今は薄くはあるが髭があるのである程度の齢だからだと分かるが、最初は若いのに駄々をこねたりしないなと不思議に思っていたほどだ。
ガルドもエドの事を責任を持つと決めた身だ、ある程度の事は聞いてやろうという度量はある。
なんじゃ? まずは言うてみよ
ガルドが先を促すと、エドは自分の顎を手で触りながら驚くべきことを口にした。
「じぶん、ひげ、のびた。そりたい」
用語解説:毛長蝙蝠
鉄王国に広く生息する小型の蝙蝠。
森林に生息する植物食の大型蝙蝠と違い、羽虫などの昆虫を食べる。
被膜の翼以外の全身に密集した毛が生えており、寒さに強い。
その毛は鉄王国ではしばしばタワシや衣服・毛髪用のブラシとして利用されている。