二日酔い
タイトル落ち
通りの白灯石が光量を徐々に増す時間帯、気の早い工房が時をつくる鎚の音を響かせ、ゲルノーティオの街が目を覚ます。
肉などの食料品を扱う店の丁稚が市場に商品を運び、酒場の店主の短い休業時間の為に夜通し飲んでいる呑み助たちは店の外へ叩き出される。
寝台から起き上がったガルドは久しぶりの飲みの後の爽快な目覚めを伸びをして全身で感じ、身支度を整えて朝の準備を始める。
ガルドが朝食を作ると手軽な蟲食材に偏りがちでエドが手を付けないことが多く、最近は朝食をエド自身が作ることが当たり前になっていた。
幸いエドは毎日決まった時間に起きることが苦痛ではないらしく、いつもガルドより先に目覚めて準備を済ませている。
しかし、彼が作る朝食は苔のサラダやスープ、乾燥穀物や木の実を混ぜたシリアルなど食いでのない物の事が多いので、ドワーフのガルドにはちとつらい。
そのためガルドはエドと食事をとった後、仕事場に行く前に屋台で買い食いをするという少々面倒な状態になっていた。
……む? 珍しい、エドの奴は寝坊か?
台所へとやってきたがエドの姿はない。
おそらく昨日はいつもと違ってハメを外して飲んだので、そのままの気分で寝過ごしているのだろう。
仕方のない奴め、と苦笑しながら代わりに朝食の準備を進めていく。
蟲も肉もない少し物足りない朝食を用意することしばし、食卓に着いてエドが起きてくるのを待つ。
しかし、いつまでたってもエドが食卓にやってくる気配がない。
不審に思ったガルドはエドの寝室まで行き、一応入る前にノックをする。
すると中から聞こえてきたのはエドの苦しそうな呻き声。
慌ててガルドが扉を開けると、エドは真っ青な顔をして寝台の上で唸っていた。
一応は起きようとしたのか布団の上掛けは開け、寝台の上で蹲るように横になっている。
どうしたんじゃ!? 大丈夫か!
ガルドが大声で呼びかけると、エドは青い顔で顔を顰めて細い途切れそうな声で、あたまがいたい、と言った。
それを聞いたガルドは無遠慮にエドの頭部を弄るが、外傷らしきものはどこにもない。
ということは、彼を苛む頭痛は体の中に原因があるということになる。
これではガルドには全く手も足も出ない、彼は同じように顔を真っ青にしてエドを急いで担ぎ上げると近くの医院に向けて走り出した。
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ドワーフは病魔を寄せ付けない程に頑健であるが、彼らの街には医院が結構な比率で存在する。
その医院の多くは創・骨折などの外傷を対象にしたものであり、薬を用いた内服的なものは健康増進を目的としたもの以外ほとんど用いられていない。
ガルドは最初の医院に"専門外だ"だと断られ、紹介された少し遠い医院に足を運んでいた。
「ふ~む、これは……もしかするとあれかもしれないな……」
この医院の医師はドワーフにしては珍しく、開業のための修行に国外に留学した経験のある変わり種だ。
その視野の広さと経験もあって、エドの症状にも当たりを付けられたらしい。
先生、どうなんじゃ? いったい何が原因なんじゃろうか……
未だに苦しそうにしているエドを見て、最悪の事態も考えねばいけないかとガルドの冷静な部分が警鐘を鳴らす。
たとえ外傷でも、頭に対しての場合は頑健なドワーフでも命に関わることがある。
ましてやそれがドワーフにとって縁のない病気の類であれば、悪い想像がガルドの脳裏をかすめるのも不思議とは言えまい。
みるみるうちに血の気を失くしていくガルドに、医師は柔らかな声で言った。
「私も診るのは初めてだが、留学した時に話に聞いたことがある。ドワーフには起こらない他種族独特の症状ですな」
亜人・只人を含めた『人間』の中でも姿は千差万別といっていいほどに違うのだから、種族特有の病気や症状というものは当然ある。
例えば、北部のエルフが南部のエルフのように肌や髪が褐変してしまう枯葉病。
魚類系亜人の卵が強烈な環境変化に晒された場合、卵を産めない子供が生まれてくる無卵症。
あるいは、毛皮を持った獣人系亜人種が常に悩まされるノミの類もこれの一つといってもいいかもしれない。
想像の及ばない領域の話になってきて狼狽えたガルドだが、気を落ち着かせて医師に問いかける。
……それで、エドの症状は何というんじゃ? 治るのか?
不安そうなガルドに医師は安心するような人好きのする笑みを浮かべて努めて柔らかく言った。
「安心してください、問題なく治ります。他種族の間ではこのような症状を"二日酔い"と称するようですね」
"二日酔い"? 酔い、ということは昨日飲ませた酒が関係するのだろうか。
まさか他種族では一夜明けてから酒の酔いが戻ってくるようなことがありうるのだろうか、それならばこれから酒を飲ませるときは眠るまで飲ませてやることは出来なくなってしまうが……
そのことを医師に聞くと、正確には体に残った酒精が次の日になっても体に残す悪影響の総称なのだという。
その事実にガルドは驚愕した。
他種族がドワーフに比べて酒に弱く、強酒を飲んで倒れたりすると話には聞いていたが、エールのような酒精の弱い酒でこれほど体調が悪化することがあるのかと信じられない思いだった。
そんなガルドに医師は諭すように言った。
「我々とは違って、他種族は弱い酒でも量が過ぎれば体に異常が出るのです。この地に住まうにはこの地の流儀に従うのも大切ですが、我々を基準にしないよう気を付けてあげてください」
医師の用意した乾燥柑橘を煮出した湯冷ましを美味そうに飲んで少し顔色がよくなったエドを背負い、今日は仕事を休んで彼の看病をすることに決めてガルドは彼を寝かせてやるべく家路を急いだ。
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医師から滋養のあり匂いのきつくない食べ物を少しずつ食べさせるように言われたので、ガルドは食材を探しに市場に出ていた。
この市場では滋養のある食材というのはそれほど珍しくない。
しかし、そのほとんどは蟲の姿を留めた物か、森大蒜のように特徴的な強い匂いのあるものだ。
エドは健康な時でさえ避けるのだから、弱った時ではなおさら蟲食材を食べようとはしないだろう。
どうしたものかと悩んでいる時に、ある顔見知りが声をかけてきた。
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「ガルドxy、ありがとう。おいしい、です」
エドは寝台から半身を起こしてガルド持ってきた椀に満たされた汁を、ゆっくりと飲み下していた。
黄味がかったトロリとした汁はこの街でも滋養の多い高級食材として知られているものだが、ガルドはエドが気付いてしまわないか気が気ではなかった。
山岳大甲虫のスープ。
幼虫から成虫になるために蛹となった山岳大甲虫を潰さねば手に入らない高級食材。
それは力強く頑強な山岳大甲虫の身体を作るのに必要な全てが凝縮された滋味深いトロみのついた液体で、通称"命のス-プ"とも呼ばれる。
交易役を代わってくれたおかげで無事に妻の出産のそばにいることができたと礼を言う山岳大甲虫の養殖家から好意で分けてもらった貴重なものだが、気付いていたら口にしない物を食わせているというのは少しばかり罪悪感が湧く。
ガルドはぎこちない笑みを浮かべて、美味しそうにスープを飲みながら礼を言うエドを見守っていた。
用語解説:白灯石の光量変動
白灯石は魔素を利用して光を放つ鉄王国の主な光源として使われている魔石だが、付近に流入する魔素量が減少すると光量も落ちる。
これは地下にある鉄王国でも日の出・日の入りにほぼ連動しており、一般的に地上の植物が太陽の光を受けられず魔素の利用を始めるために流入量が減ると考えられている。