飲みの席
「ガルドxy、どこ、いく? jq@84d9hmq^@wueki……」
いつもなら夕食を食べている時間に、ガルドはエドを連れて街に繰り出していた。
普段はさっさと夕食を食べて寝てしまうのでこの時間帯に外を出歩くことは珍しく、普段とは様相の違う街をキョロキョロと眺めながらエドは不思議そうに問いかけてくる。
ガルドは気が急いて伝えるのを忘れていたことに気付き、武骨な顔をにんまりと緩ませて彼に教えた。
今日は"飲み"じゃ。お主も日々手習いに出て疲れていよう、たまには遠慮せずに食うて飲ませてやるぞ!
折角彼女が場を整えてくれたのだ、多少の散財には目を瞑ろう。
何より、破産するまで飲むのは馬鹿だが、財布を気にしながら飲むのも不健全というもの。
食事、睡眠、労働。それぞれ必要な日々の営みだが、やはりそこには潤滑油となる酒が欠かせない。
食うべきを食い、体を休め、額に汗して働くならば、それでも溜まる日々の疲れや鬱憤を酒に溶かして飲み干すべきであるというのはドワーフの共通見解だ。
ドワーフの国という異なる生活環境に置かれているのだ、不満はもちろんあるだろう。
思えば、食事や風呂の一件からもそういったものは見て取れていた。
しかしそれを言うならば、ガルド自身にも溜まる物があったのは否定できない。
由縁のない只人の世話を親身に焼いているのだから、しなくていい苦労といえばそうである。
世話をする者とされる者、どちらにもすれ違い鬱屈する感情は存在するからこそ、それは互いにぶつけ合うべきではない。
そんな時こそ大いに酒を飲み、酒精の甘露に流してしまうのがドワーフの流儀だ。
これからエドがこの国で暮らしていくにはそういう機微も教えて行った方がいい。
まったく、あの女ドワーフは大した人物である。
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「……で、なんでアンタはその子を連れてきてるんだい?」
酒場に着くと彼女は既にそこで待っていた。
ハレの日に着るような精緻な刺繍の入った華やかな衣装に身を包み、いつものひっつめ髪を下ろして波うつ赤毛は綺麗に手入れされ揺らめく炎のように煌めいている。
普段は適当に刈り込んでいる髭も、理髪店で整えてもらったのだろうか、揃った長さに揃えられて非常に女性的だ。
何故って、今日は仕事の慰労じゃろう? こやつも偶には羽目を外さねばな。しかしその恰好……お主は祝い事の帰りか?
結構な立場のある彼女は色々な催し事に呼ばれることも多い。
そんな間を縫って時間を設けてくれるのは嬉しいが、今回は堅苦しい立場を忘れてもいい内輪の飲みだ。
着替えてくるのを待つ程度、どうということもない。
気を利かせたつもりで一旦着替えてくるか、と問うたが、彼女は明らかに落胆した様子で顔を伏した。
「あー……そこからか。全くこいつときたらこれだから……昔から……」
ブツブツとなにやら呻くように呟いていたが、バッと顔を上げると力強く己の両頬を打ち鳴らす。
瞳が潤むほど強く打ったようだが、顔には彼女らしい笑みがあった。
「もういい! 今日はとことん飲み明かすよ! 」
バシンとガルドの背中を叩いた力は強く、書類仕事に就いても昔二人でヤンチャしていたころより些かも衰えていないことが感じられ、少し嬉しさが込み上げる。
思えばこの親友は、上に立つ立場になっても態度を変えることなく関係を持っていてくれた。
叶うならば、これからも互いに良い関係を保ち続けたいものだ。
しかし、これだけ甲斐性があるのに未婚とは傑物であるのも善し悪しだのう、と心の中で嘆息する。
同じく未婚のガルドが言えたことではないが、彼の場合はその性分と付随する厄介事に周りが遠巻きにしているというのが正しい。
エドを世話するようになって本格的に嫁を貰うのは諦めたが、元々彼はその性格から「尊敬はするが亭主には迎えたくない」相手だったのだ。
「……なんだい、気味の悪い目で見て」
どうやらガルドの失礼な考えは視線に出ていたようで、彼女は胡散臭げな顔でこちらを見ている。
慌ててガルドはゴホンと咳をして、誤魔化すように言った。
ああいや、エドに挨拶をさせていなかったと思ってな。ほら、今日は世話になるんじゃ、挨拶せんか
初めて訪れる酒場の雰囲気にキョロキョロと辺りを見回していたエドは、背中を押されて彼女の前に出ると少し拙い発音で挨拶する。
「5zs、ルイーゼxy、おつかれさまです」
おそらく職場で教えられたとおりの挨拶をしたのだろう、彼女は笑って言葉を受けると穏やかな顔で指摘した。
「職場ならそれでいいんだけどね。アタシは今、あんたの上司じゃなく飲み仲間だ。"ごちそうになります"が正しいよ」
エドはゆっくりと時間をかけて彼女の言葉を飲み込むと、ごちそうになります、と言い直す。
ルイーゼはニッコリと笑い、席はもう取ってあるんだ、と二人を先導して店の奥の方へ歩いて行った。
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彼女が案内したのは店の奥の個室。
普段ここで飲むときはカウンターやテーブル席で飲んでいたものだが、あまり慣れていないエドが醜態を晒してもいいように気を使ってくれたのかもしれない。
部屋に入って腰を落ち着けると、注文を取りに来た若い女給が"口濡らし"の酒と"酒添え"をテーブルに置いた。
提供できる酒と料理が書かれた板に目を通しながら酒をグビリと飲む。
やはり口濡らしのある酒場は良い。
最近の安酒場ではこの慣習が無い所もあるらしいが、注文を考え、来るまでの間を喉を湿らせて待てるのは素晴らしいことだ。
難を言えば最初の酒は選べないことだが、この酒場では酒にはハズレがないという信頼があるので安心して口にできる。
今回の口濡らしはホップをかなり利かせた苦エール。
遠方の街から運ぶためにエールを腐らせないよう大量のホップを使った苦みと爽やかな香りが特徴の酒だ。
一口含むとガツンと来る苦みと華やかなホップの香りが鼻へと抜ける。
ともすれば舌が痺れそうなほどの苦みだが、酒添えの洞窟鼠の旨煮が濃い味付けでなんとも合う。
口濡らしと酒添えは店の顔とも言えるものであるから、ここの店主も相当力を入れていると見える。
ガルドとルイーゼは限定で入った酒を小さめの樽で、料理は不味くなりようがない物を少量頼んだ。
エドは苦エールの味に目を白黒させていたので、苦みの少ない白エールと斑苔のサラダを代わりに注文しておく。
「はい、承りました。ではしばらくお待ちくださいね」
ニッコリ笑うと女給の髭に入った剃り込みがよく見える。
最近の若い女ドワーフの間での流行らしく、女性向けの小物屋ではカミソリが飛ぶように売れているという。
最近の若いのの流行は正直よく分からないが、整えた髭に剃り込みの青い剃り跡が映えてなかなか可愛らしい。
微笑ましくなって笑い返したら、ルイーゼにテーブルの下で足を踏みぬかれる。
痛みに目を剥いて彼女の方を見るが、彼女は面白くなさそうにそっぽを向いた。
ルイーゼが良い酒だといっただけあって、注文した酒はかなりの美味だった。
東の大森林でエルフと獣人たちが造った長期熟成酒。
酒に対する熱意ならドワーフの右に並ぶ者はいないが、酒の熟成の技術ではエルフたちが何歩も先を行っている。
気の長いエルフはドワーフでは恐ろしいほどの忍耐を要する地道な熟成を簡単に行い、味覚・嗅覚に優れた獣人による混成は一つの樽では成し得ない美味を造り上げるのだ。
口に含めば酒精の強さに似合わぬ滑らかさとともに複雑な香りが広がっていく。
数年寝かせた短期熟成酒とは違い、酒精の荒々しさは弱い。
代わりに本来の酒には備わっていない果実のような甘い香りや香ばしい炒った木の実のような香り、香辛料のような刺激的な香りが複雑に絡み合い、樽本来の木の香りと原料の穀物の香りに合わさって飲んだものを陶酔とさせる。
料理も無難に豚鼠のローストを頼んだが、これもしっかり肉汁があって美味い。
豚鼠は洞窟鼠のような他の鉄王国で食肉用に飼われている家畜より幾分大きく、食い出がある。
元は山岳地帯に巣穴を作って木の根などをかじって生きる動物で、巣穴から出ることがない為か洞窟鼠と違って毛が生えていない。
体中が肌色に見えて鼻が突き出ているので、家畜化されてからは豚鼠、または裸鼠と呼ばれている。
家畜としては非常に寿命が長く、長く飼えて増やすのが容易なので鉄王国黎明期からドワーフたちの腹を満たし続けてきた重要な生き物だ。
香草の種と柑橘の皮を使った白エールをクピクピと飲んでいたエドも興味を惹かれたらしくこちらを見ていたので少し分けてやる。
偏食の強いエドだが、割と健啖な方で元の形が分からなければ遠慮しながらではあるがちゃんと食べる。
十脚地蟲は食べて蜘蛛は食べないので見た目に関してもかなり怪しくはあるが。
「4ーy、uyq@\4。slihtu? ガルドxy、おいしい、です! 」
どうやらこの料理はお眼鏡に適ったようで、彼はペロリと分けたぶんを平らげてしまった。
小気味良い食べっぷりにルイーゼは声をあげて笑い、エドの背をバシバシと叩く。
「料理だけじゃなく、酒もジャンジャン飲みな! アンタの分はアタシが奢ってやるからさ!」
親方が見習いに酒を奢るのはよくあることだが、新入りの見習い、それも只人に隔てなく奢ってみせる気風の良さはやはり彼女独特のものだろう。
酒が入って気分が高揚しているのもあって、叩かれた背中をさすりながら涙目になっているエドにまた笑い、彼女は自分の杯をグイッと飲み干す。
これは負けていられんな、儂も飲むぞ!
対抗するようにガルドも己の杯を干し、賑やかで楽しい宴の夜は更けていった。
用語解説:豚鼠
別名:裸鼠。毛がない為か寒さに弱く、飼育する際には狭い囲いの中で体が重なるように入れて、互いに温め合うようにする工夫がされている。
狼のように群れの主のみが番い子供を産むが、群れの頂点が雌であることが特徴。
そこから蟻や蜂との関連性を探っている学者もいるが、眉唾物である。