見習い
まだ言葉はたどたどしくはあるが、エドも円滑に日常生活が送れるようになったので、ガルドは次に彼へ食い扶持を稼ぐ術を学ばせることにした。
とは言っても、すぐに只人の彼をドワーフの工房に放り込んでも役立たず扱いされるだけであろうし、それらの技巧は身に着けるために長い時間を要するものだ。
確かに独立できるまで面倒を見るとは決めたが、ドワーフがひしめき合うこの街で只人がそれに並ぶ腕を持つまで鍛えるとなると、冗談ではなく冥府の迎えが先に来かねない。
よって、只人のような特長の少ない種族でも格差が生じない頭脳の仕事……商売や事務を務められるよう、まずは計算を教えることにした。
精霊言語に文字は存在しないので汎用西方語の基本文字と数字から教えることになったが、単語の意味と発音が分かっていることもあり、それほど時間がかからず必要な知識は教えることができた。
驚いたことにエドは算術を修めているようで、数字と計算記号を教えただけで簡単な四則演算を行うことができ、かなり高等な教育を受けた事が窺える。
この身元不明の只人の謎がまた一つ増えてしまったが、特に外部からの干渉がないのであればあまり気にして探る様なことをするものではない。
単純な計算仕事になら耐えうる処理能力を持っていることが分かったが、ガルドはそちらの方にそこまで詳しくない。
なのでどこかに手習いに出してやろうとしたが、そう簡単には事は運ばなかった。
近所の服飾工房に始まり、市場の商店、行きつけの酒場などに事務手伝いや計算の人手として預かってくれないかと交渉したが、どれも上手く行かない。
あるところは新しい丁稚が入っていてこれ以上教える人員を割く余裕がないと断り、あるところは仕入れに工夫があるので帳簿を見せるわけにはいかないと断り、あるところは只人ではいざこざに巻き込まれたときに安全が保障できないと断り――――――
ガルドの人徳か、素気無く断るものはいなかったが答えが同じでは問題は変わらない。
結局どこも受けてくれず、困り果てたガルドは昔馴染みの縁に頼ることにした。
ガルドの住む地区の酒類管理組合の代表である女ドワーフ、彼女の下には毎日嫌になるくらいの書類仕事が回ってくる。
職人仕事には根気強いドワーフでも延々と事務処理をするのを好む者は少なく、彼女もまた酒の樽を運ぶより書類を書く鉄筆を握る方が肩が凝るとぼやいていた。
彼女の所ならばあるいは、と思い頭を下げて頼みに行ったが、能力を確かめる計算試験を受けさせられただけで予想以上にあっさりと引き受けてくれた。
酒類管理組合はその辺の人の出入りに厳しい印象だったため縁故採用は断られるかと思っていたが、彼女によれば今回は事情が違うらしい。
酒類管理組合が人員の採用を絞っているのは、彼らがドワーフのだれもが求める酒の流通を取り仕切っているからなのだ。
その職掌上、組合員が監査の目を逃れるだけの狡猾さを備えていれば、書類の改竄による酒の横領という恐るるべき事態が発生する。
都市の遍くドワーフに配分されるべき酒を己の懐に収める不届き者を出したとなれば、組合の権威は失墜し、それを許した上役は怒れる呑兵衛たちに比喩ではなく八つ裂きにされかねない。
そのため組合は人員の出入りに目を光らせ、信用できない者を排除することで秩序を保ってきた。
しかし、エドはドワーフではなく只人である。
只人はドワーフほど酒に対して執着するものは少なく、想像しがたいことに強酒を樽一つ飲めば命を落とすことさえあるという。
それ故に組合は同じ見ず知らずの者を採用するならばドワーフより只人の方が着服の恐れが少ないと考えた。
理由はもう一つある。
自分で飲むための横領の恐れが少なくとも、横流し、あるいは私的に便宜を図るという不正の形もある。
だが、それをするには只人は目立ちすぎるのだ。
ドワーフがほとんどのこの鉄王国では只人の下働きなどまずいない。
だからこそ職場で只人はよく目に付き、半ば他の組員たちによる監視状態に置かれるといってもいい。
そのような状況では不正は行い難いし、行われても早期に発見することも可能だろう。
そういった複数の理由から、エドは組合の事務見習いとして採用され、働きの様子を見るという名目で女ドワーフの仕事の手伝いをすることとなった。
一応最低限の仕事はこなせる様に教えたつもりだが、まだ読めない内容も多いエドが迷惑をかけるだろうからよろしく頼む、と伝えたところ、彼女は逆に書類の内容を吹聴できないから好都合だ、と気風のいい笑みをみせた。
▼▲▼
「ガルド、3日後の夜なんだが、予定は空いてるかい?」
見習い仕事を終えたエドを組合に迎えに来たところで、彼女からそう問いかけられた。
陽の差し込まない鉄王国では夜の闇が訪れることはないが、光源である白灯石への魔素の流入量が減少し光量が落ちる時間帯が便宜上、夜として扱われている。
勿論、その時間帯でも十分な視界は確保されているが、大抵の住民は夜になれば仕事を終えてさっさと寝るか酒場にくり出す。
特にガルドはエドの面倒を見なければいけないので、最近は夜通しの仕事でもなければ予定を入れることはなくなっていた。
ふむ、特にないのう。態々聞かんでも事情を知ってれば分かるじゃろう?
この街でエドとの接点がガルドの次に多いのが彼女だ。
ガルドの事情など当然のように分かる間柄といえる。
その人柄があるから揶揄や当て擦りの類ではないと分かるが、普通なら悪くとる輩だっているだろう。
それでも礼儀としてあえて順序を踏む形をとる彼女だからこそ、組合の地区代表が務まるのかもしれない。
有り体に言えば、人徳である。
ガルドの答えに「まぁ、一応ね?」と言った後、何故か気持ちを落ち着かせるように深く息をしてからどこか余裕のない表情で切り出した。
「時間があるなら久しぶりに飲みに行かないかい? 例の酒場に良い酒が入ったんだ」
その言葉にガルドは迷う。
例の酒場とはガルドと彼女が見習いの頃からある古い行きつけの店で、料理は当たり外れが激しいが酒には外れがない。
それに酒類管理組合に勤めている彼女が良い酒というのだから、期待は否が応でも高まるというものだ。
しかし、エドを放って飲みに行くのも気が引ける。
彼が食事の際も酒をあまり飲まないのはドワーフではないがための特殊性だと思っていたが、もしかしたら酒の好みが激しかったり、世話をされている身として我慢しているのかもしれない。
だとすれば一緒に連れて行ってやりたいが、誘われている身分で参加者を勝手に増やすわけにもいかない。
飲みの席に誘われる側の者が勝手に参加者を増やせば、酒宴が無軌道に規模を増してしまうのをドワーフは先人たちが血を流して得た経験則として知っているのだ。
どうしたものかと逡巡しているガルドに女ドワーフは背中を押すように言った。
「真面目なのは良いがたまには気を緩めなきゃね。仕事には息抜きも必要さ」
その言葉にガルドは光明が差す気持だった。
そもそも彼女は仕事の慰労としての酒席を設けるつもりだったのか。
つまりは同じ仕事場で張りつめているエドが見ていられなかったのだろう。
酒場に一緒にくり出して、この街の息抜きの流儀を教えてやるのが目的かもしれない。
ならばガルドに断る理由はない。
心置きなく了承を伝えると、彼女は今から酒を飲むのが楽しみだ、と少し興奮で上気した顔で言った。
用語解説:強酒
熱を加えて酒精を抽出することで、酒精の濃度を強めた酒の総称。
強化酒、焼き酒、火入れ酒とも。
長い熟成期間を経て独自の香りを持つに至るが、ドワーフはそれまで待てずに飲んでしまうので鉄王国ではあまり生産されていない。