厄介な相手
僕っ娘髭ドワーフというパワーワード
近所の評判のすこぶる悪い女錬金術師ヴァネッサの家に、普段から絶えず聞こえる錬金生物の鳴き声とは違う泣き声が響き渡っていた。
「うわ~ん、ガルドのばか~! きちく~! ひとでなし~!」
泣いているのはこの家の主人、ヴァネッサ。
彼女はその経歴からして社会に出て人間関係で揉まれた経験がほとんど無い。
そのため、明晰な知性とは裏腹にショックを受けると泣きじゃくる子供のような一面も持っていた。
罵られている側のガルドは、貰い物を壊してしまった弱みもあるため言われるがままに聞いていたが、いつまでも飽きずに泣き言を言っているのを見ているとだんだん嫌気がさしてくる。
そもそも壊してしまったのは事実だが故意ではない。
彼がここまで一方的に非難される道理があるかと考えてしまうのを責めることは出来まい。
もやもやと溜まる憤りを抑えてガルドが耐え続けていると、体力が尽きてきたのかヴァネッサの泣き声は徐々に小さくなり、やがてえぐえぐとぐずってはいるが落ち着いてきた。
ようやく話ができるか、と頃合いを見てガルドはヴァネッサに話しかける。
壊してしもうた事は改めて謝る、だからいい加減に機嫌を直してくれんか
泣いて腫れぼったくなった目を擦り、涙を拭った彼女は頬を膨らまして子供のように怒りを見せる。
ガルドは非常に失礼ではあるが、膨れっ面をすると折角の整った顔が台無しじゃのう、と思った。
「……むぅ~、君だから今回は許してあげるけど、他人から貰った物を大切にしないなんてサイテーだよ!」
ヴァネッサが怒ってはいるが拗ねるところまではいっていないことが分かり、ガルドは内心で胸を撫で下ろした。
彼女は一度拗ねてしまうと、外からの一切の言葉を無視して錬金生物たちに延々と愚痴を言い始める。
もちろん錬金生物たちは言葉など理解していないのだが、彼女は意に介さない。
そうなってしまえば後は気長に待つしかないのだ。
数日かけてある程度鬱憤を吐き出し終えるのを待ち、そこで好物の蜜虫酒を差し入れてやれば、飲み干して泥のように眠った後にようやく機嫌が持ち直している。
彼女もドワーフなので酒で流した遺恨を引きずったりはしないが、そこまでが非常に面倒なのだ。
少なくとも、早急に精霊酒が必要な今はそんな時間をかけている暇はない。
安堵したガルドだが、罵られた上にあらぬ不評まで受け入れるわけにはいかない。
貰い物のスキットルが壊れた事情を話し、自身の意思ではなかった事、同じ事が起きるかもしれないので新しい容器は使い捨ての気持ちで作って欲しい事を説明した。
おかげで誤解は解けた……はずなのだが、話が進むにつれてだんだん彼女の眉間にはシワが寄り始め、終わる頃にはむっすりと憮然とした表情になっていた。
嫌な予感をガルドが感じるのと、黙っていた彼女が口を開いたのは同時だった。
「じゃあ何? 僕が君に贈ったものを壊した奴なんかの為に依頼を受けなきゃならないわけ?」
外れて欲しい予感程よく当たるものだが、また彼女の機嫌が悪くなってしまった。
どうやら自分の作った物を壊されたことがよほど腹に据えかねているらしい。
結構な値段がする物ではあるが、自分にくれてやるくらいだからそれほど愛着がないのかと思っていた。
しかし、彼女の錬金生物たちへの歪ながらも強い愛情を思えば仕方ないのかもしれない。
そこを曲げて受けてくれんか、お主しか頼れる奴がおらんでのう
技術評定会の近づく今の時期に彼女並の腕をもっている錬金術師が依頼を受けてくれる可能性は低い。
その点彼女は己の研究の発表は気まぐれに行っていて、積極的に参加する気がない珍しいドワーフだ。
ここで断られれば坑道の主の一件を早期に解決することは不可能になるだろう。
せめて誠意が伝わるようにと、ガルドは心を込めて頭を下げた。
彼が頭を上げると、先程まで不機嫌そうにしていた彼女の顔ははにかむように緩んでいて彼を驚かせる。
「ふふ……僕しか…… えへへ、しょうがないなぁ。特別だよ?」
何が心の琴線に触れたのか分からないが、機嫌を直してくれたようだ。
一転してにやけ顔を浮かべているのが不気味だが、受ける気になってくれたなら助かるので気にしないでおく。
何が嬉しいのかにやにやと笑うヴァネッサはふと思いついたように言った。
「ああそうだ、代わりに今度ガルドの家に遊びに行かせてよ。相応の歓迎をよろしくね?」
一方的な言葉ではあったが、借りは早くに返すに越したことはない。
エドも独り立ちするまで世話をするとなれば彼女と顔を合わす機会もあるだろう。
初めての顔合わせが刺激の強い此処ではないのは逆に助かる面もある。
ガルドの好みではない為、めったに買うことはない蜜虫酒を買い置いておくべきか。
そう思いながらガルドは頷いて了承を示した。
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あの後、坑道の管理組合にヴァネッサへの依頼が成功したことを伝え、後の事を任せてガルドは家路についた。
途中の市場で自分用の酒の肴と手土産の十脚地蟲を買い込み、それほど経ってはいないのに随分と久しぶりに感じる自分の家へと急ぐ。
エドの面倒を見ると決め、同居生活を始めた当初はどうなることかと思っていたが、あの彫りの浅い顔も見慣れれば懐かしく感じるものだ。
生きているため籠から逃げ出そうとする十脚地蟲を蓋で押え込みながら家の扉を開けると、すぐに気づいたエドが何やら悲壮な表情で駆けてくる。
「q、qrtZq#! ガルドxy、おきゃくさん、きた、ずっと!」
どうも来客があったらしいことを伝えると、ぐいぐいと腕を引っ張り客間へと連れて行こうとするエド。
何事かと思いながら荷物を置き、客間へ向かうとあまり見たくない種族の客が椅子に座って暢気にお茶を啜っていた。
「あら、お帰りですか。お邪魔しています。彫刻家のガルド殿……ですよね?」
黄みがかった緑色の髪と日に焼けたように薄らと褐色に色づいている肌、そしてドワーフであるガルドには感じ取れる同種に近い気配。
木々の精霊を祖とする亜人種族「エルフ」、それも南部出身のそれなりに齢を重ねた者らしい。
他種族の年齢がうまく把握できないガルドでもそれが分かるのは南部のエルフが特徴的な見た目の変化をする種族だからだ。
とはいってもエルフ自体は、若くても年寄りと変わらない見た目のドワーフと反対に、年を取っても若い頃と見た目が変わらない。
しかし南部出身のエルフはまるで木々の葉が紅葉するように、加齢とともに緑色の髪が赤毛を経て茶色に変わる。
その肌も若い頃は透き通るように白いが、年を取るにつれて褐色がかっていくのだ。
もっとも、ガルドたちドワーフが嫌がるのは南部出身者に限らずエルフ全般なのだが。
確かに、儂がガルドじゃ。儂を訪ねてきたなら待たせてしまったようじゃな
ガルドは社交辞令ではあるが相手を労う言葉を口にする。
こういった事を面倒がるドワーフも少なくないが、ガルドは遠方から遥々やってきた相手には最低限の礼儀を持って接するようにしている。
対して、客のエルフは全く変わらぬ様子で答えた。
「いえいえ、こうして寛いで待たせていただいたので問題ありません」
ニコニコと微笑みながら答える姿はそれだけなら問題ないのだが、大体想像ができているが念のためエドを呼び寄せて耳打ちで、いつからおる、と聞いてみる。
涙目にすらなっているエドは、きのうのまえのひからずっと、と客のエルフを得体のしれないものを見る目で見ながら答えた。
これがエルフがドワーフから特に嫌われる理由、時間の尺度が長すぎるのだ。
エルフたちは気が長いなどという次元を超えるほどに暢気で、時間に対して非常にだらしがない。
気が短いドワーフとは正に水と油で、期限や納期を平気で破ることもそれに拍車をかけている。
エルフたちにしてみれば、そんな短い時間を区切る意識が分からないだけで悪気はないのだが、職人の多いドワーフにとってはあまり関わりたくない相手だ。
彼らの故郷である大森林では獣人部族たちが連携してなんとかしているらしいが、たまにこうして外へ旅に出ている者もいる。
そして外でも"ちょっと待つ"気分で二日でも三日でも居座るのだから性質が悪い。
ガルドはこの厄介な客になるべく早く帰ってもらうために単刀直入に切り出した。
悪いが、彫刻の依頼なら今は受けん。依頼の話なら出直してくれ
用語解説:蜜虫酒
生育の過程で間引かれた壺蜜虫の蜜を集めて作られる酒。
強い甘みと特徴的な酸味があるため、男性ドワーフは苦手な者が多い。
発酵は簡単なため壺蜜虫を買って自分で作ることもできるが、虫から蜜を漉し取る過程を丁寧にやらねばジャリジャリと口当たりが悪くなってしまうため家庭で作られることは少ない。