001
子どもの頃に夢みたもの。
それは憧れであったり、興味であったり、何となくのイメージであったり。
あの日思い思いに描いた未来は、誰にも負けないほど輝いていて、まだ知らぬ世界への期待が存分に込められていた。
けれど―――
夢の前には現実があって。
理不尽があって。
限界があって。
夢へと伸ばしていた手を、多くの人が降ろしていく。
努力だけでは足りなくて、
思いだけでは足りなくて、
やがて、どこかで自分に妥協する。
愛想を尽かし、諦める。
自分とはこんなものである、と。
かつて、ある少年にも夢があった。
少年は―――
世界を救う、勇者になりたかった。
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太陽がまだ低い朝方。町はひんやりとした空気に覆われている。日中は露店や通行人で賑わっている町の大通りもまだこの時間は人通りが少ない。南北に延びた大通りに沿うように町は延びており、上から見ると楕円のような形をした単純な造りをしていた。ここは地方都市を結ぶ幹線のちょうど中間に位置しているため商人や旅人が頻繁に訪れ、そのための宿場町として成立した町であった。
そんな宿や酒場が並ぶ通りから少し離れた場所に、早朝にも関わらず人が集まる場所がある。
「お~い、ジタン。飲んでるか~?」
円形のテーブルに両肘をつき、微睡んでいた少年に陽気な声がかかる。しかし少年からは反応はなく、それを不満に思った男は大柄な体にふさわしい力で少年の背中をバシバシと叩き、さらに大きな声をかける。
「ジタ~ン!なに一人で寝てんだ~?つまんねえ野郎だな~!ガッハッハッハ!」
暴力と大声による乱暴な起こし方にジタンと呼ばれた少年は目を覚まし顔を上げるが、その顔はうんざりした表情である。
「うるせぇ、酔っぱらい。いつまで馬鹿騒ぎしてるんだよ・・・。」
周りを見れば、ジタンに声をかけた男だけでなく他に10人程が酒を手にギャンブルや歌を歌ったりして騒いでいる。この宴会が始まったのは昨日の夜からなのだが、解散する雰囲気は全くないようだ。
「なんで関わってもいない戦争の勝利に喜べるんだ?」
「おいおい、魔王軍に勝ったんだぞ!喜ばしいことじゃねぇか!」
「闘ったのは国王軍。戦場はここから程遠い南端の国境。もっと言えば勝ったのは半月前だけどな・・・。」
この町がある国タオゼントは、隣に接する国ビリオン、と長いこと戦争をしている。ビリオンは魔王と呼ばれている魔族が支配しており、これまでの歴史で積みあがった恨みやら確執から人族を滅ぼさんと侵攻してきているのだ。そんな訳で、国境付近では絶え間なく小競り合いや防衛戦が起き、その内の一つ、半月前の南方での闘いでは魔王軍の撃退に成功していた。もっとも、やや内陸にあるこの町にその情報が届くには時間がかかるのだが。
「いいんだよ、理由は何だって!一日の労働のあとは酒っ!そして明日への英気を養う!これが冒険者ってもんよ!」
そうだろお前ら! と男が問えば、同意の歓声が続く。要するに毎日なにかしら理由をつけて酒を飲みたいだけなのだ。
すっかり目が覚めてしまったジタンは、そんな冒険者仲間に辟易としつつも、いつもの事かと諦める。もう一眠りするために宿にでも帰ろうかと思ったが、そういえばと足を止める。
「おい、ギムリ!アレンとハルはどこ行った?」
先ほど声をかけてきた男に尋ねる。
「ん~とな、アレンの奴は昨日の内に帰ったぞ!ハルちゃんは・・・奥の部屋にでも居るんじゃねぇか?」
「分かった。」
「なんでぇ、もう帰るのか?」
「もうって・・・、陽はとっくに昇ったぞ。」
「ああ、そんな時間か・・・。受付の姐ちゃんに怒られちまうな。」
そう、今は冒険者達の宴会場となっているが、この建物は冒険者ギルド会館であった。間もなく業務が開始される時間であり、そんな時間まで酒で騒いでいたら叩き出された挙げ句に、しばらく出禁になるのは間違いない。
「おい、そろそろ撤収だ!コロナちゃんにぶたれたい奴は残ってていいぞ!」
ギムリの号令で、というよりは出された名前を恐れて酔っぱらい達はフラフラと片付けを始める。
っとタイミングが良いのか悪いのか、表の扉が開き、それを知らせるベルがチリンチリンと鳴る。入ってきた人物は中の惨状を予想していたようだ。ニカっと笑顔を向けて、一言。
「おはよう、酔っぱらいども!営業時間だ!さあ、あと3分で片付けを終えたまえ!」
爽やかな挨拶と共に与えられたチャンスは180秒。結果は言うまでもない。
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「・・・全く、男はこれだから。」
手をパンパンと叩き、ギルドの受付嬢コロナは業務に戻った。
コロナはこの町のギルドの職員であり、普段は受付業務をしている。そんな彼女が冒険者から恐れられているのは受付嬢にあるまじき強さによるもので、本人曰く、「喧嘩の仲裁やクレーム対処等の荒事をこなしている内に新人冒険者よりも強くなっていた。」らしい。
一方、この町の冒険者の方も多くがコロナの世話になったことがあり、頭が上がらない。というのもある。
そんなコロナの一仕事で、ギルド入り口の脇には死体もとい泥酔者の山ができ、それに伴ってギルドの中はさっぱりと整えられていた。叩き出されはしなかったものの後始末をさせられたジタンも、やっと終わった、と伸びをして箒をしまう。そこにギルドの奥からコロナが顔を出しジタンに声をかける。
「ああ、ジタン。帰る時は奥で寝てるハルちゃん回収してね。」
「あ、忘れてた。」
「忘れてたって、薄情な男ね。」
「しょうがないじゃないですか、朝から騒がし過ぎるんですよ。」
「なに被害者ぶっているの?アンタも酔っぱらい側よ。」
ギロッとコロナに睨まれ、ジタンはこれ以上刺激しないようにさっさと奥へ向かう。
資料室やギルド長の部屋等幾つかの部屋を通りすぎ、一番奥には職員用の休憩室がある。
といっても職員もあまり活用しないらしく、最低限の家具が置いてあるだけだ。そんな質素な部屋のソファーにジタンが探していた少女が寝ている。
「ハル。起きろ、帰るぞ。」
声をかけても、少女はスースーと静かな寝息をたてるだけで起きる様子はない。嘆息したジタンは今度は強めに肩を揺する。
「ん・・・、ん~?」
「おはよう、朝だぞ。」
薄く目を開け、顔を上げる少女。口は半開きで目の焦点も合っていない。しばらくそのままの状態だったが、ようやく目の前のジタンを認識したらしい。
「あれ・・・、ジタン?何の用?」
「お前を起こしに来たんだよ。もっと寝たいなら家で寝ろ。」
「ん~・・・」
しかし、ハルは再び枕に顔を埋めてしまう。
「・・・・・」
それを見て、ジタンは枕元まで近づくと強引に起こすことにした。ハルが抱き締めているMy枕を力づくで引き剥がす。
「あ、あぁ~・・・何てことを・・・」
寝起きの頭では対した抵抗もできず、枕を取り上げられる。しかし、ハルの悪あがきは続く。今度はソファーの隙間に顔を埋めるという手段にでた。
ハルは俗にう寝坊助で、それを本人は『いつまででも寝られる才能』と言っているのだが。冒険者活動がOFFの日にはジタンが起こさなければ夕方まで寝ていることもある位だ。なので、少し?気にしている本人からも「無理矢理にでも起こして!」と言われているのだが、強引に起こしている内に耐性が付いてきたようで、今ではちょっとやそっとのことでは起きなくなってしまった。それでも家の中ならばまだいいのだが、今のようにギルドの部屋を借りている時はちょっと面倒なのだ。それに、ギルドの部屋を借りるのもただでは無い。
「ほら、さっさと起きろ。このままだと、またコロナさんに」
「また、私に?」
「厄介ごとを・・・」
「ほう、厄介ごとね?」
自分の言葉に重ねられた声に気づき、ジタンは後ろを恐る恐る振り返るとそこにはコロナが立っていた。ギルド会館表の準備も終わり、こちらの様子を見に来たらしい。つまり、時間切れである。
「間に合わなかったか・・・」
ジタンの諦めたような溜め息。これが懸念していた厄介ごとである。
「ハル。」
「・・・あと、5分だけ~」
「ハル!」
「な~に・・・?コロ姉・・・、って、コロ姉!?」
ハルの姉貴分であるコロンが自分を起こしている。という状況に気づくと、これまでのことが嘘のようにガバッと飛び起きるハル。
「おはよう、ハル。」
「おはよう、コロ姉・・・」
「ずいぶんとお寝坊ね?」
「昨日は頑張ったから、疲れちゃって。」
「そうね、ギルドの表にも疲れた冒険者の山ができてるわよ。」
「・・・・」
コロナと話している間もハルはジタンに目配せし、助けを求めているが、こうなってしまってはジタンにはどうすることも出来ない。ハルの自業自得である。
「ああ!そうだ、今日はマイケルさんのとこに用事があったんだ!」
いかにもたった今思い出したかのようにハルが声を上げ、立ち上がると部屋を出ようとする。
「コロ姉、起こしてくれてありがとう!」
「どういたしまして。」
「それじゃ、」
しかし、コロナに逃がすつもりはない。
「ハル、部屋の使用代は依頼二つでいいかしら?」
「あ、あれ?」
その言葉にハルはピタリと足を止める。
「約束、覚えてるよね?ギルドの営業時間外は自由に使っていいけど、それ以外は条件付きって。」
本来は冒険者業に関係ない事柄(宿代わり)でのギルド利用には法外なお金を取っているのだが、宿まで帰ることすら面倒くさがるハルは、コロナに頼み込んで特別にこの空き部屋を使わせてもらっていた。そもそも、家に帰れ、と言う話なのだが。
「で、でも!ちょっとはみだしただけだよ!ギリギリセーフじゃない?」
「アンタいつもそう言ってるじゃない・・・。」
「だって、たったの10分だけだよ?」
「・・・たったの?」
スッとコロナの目が細くなるが、言い訳に必死のハルは気づかない。
「お願い!これからちゃんとするから今日は見逃して!」
手を合わせ、頭を下げる。ちなみにこの言葉も毎回言っている。
「・・・いいわよ。」
「ホントに!」
その言葉に、上げた顔は輝いている。が、
「依頼三つで許してあげる。」
「増えてるし!」
再び困った表情に戻り、がっくりと項垂れた。
ジタンもこれ以上はどうにもならないと判断して、ハルを諭す。
「ハル。もう無理だ。大人しく受けよう。」
「そんな~、ジタンまで。」
「ここから巻き返せたことないだろ?」
「いいや!」
それでも、ハルはジタンの言葉を力強く否定すると、決意がこもった顔をコロナに向けて言った。
「今日こそは言わせてもらうよ!いいコロ姉!今日は貴重な休日なの!お買い物とか食事をして楽しむ日なの!だから―――
「今日は何を言われようがぜ~ったいに仕事はしないからね!」
ビシッと指を差し、ハルは宣言した。それを聞いたコロナは、ニコッと笑顔を浮かべる。
「いい、ハル?」
「何よ!」
「こんな朝っぱらから十数人の酔っ払いどもを相手して、その後始末もして―――」
言葉を紡ぐたびに笑顔に威圧感が増していく。それに合わせて威勢よく睨んでいたハルの勢いも萎んでいく。
「そこからやっと営業準備が始まって、準備が終わって休む間もなく冒険者たちが押し掛けてくるっていうこの時間に・・・、わざわざ愚妹を起こしに来た私に何か言うことは?」
「本当にごめんなさい!謹んで依頼を受けさせていただきます!」
簡単に崩れる決意であった。
「はい、じゃあこれやってね!」
帰り際のカウンターで依頼書を渡される。
「分かった・・・って四枚あるよ?」
「ええ、マイケルさんのとこのもお願いね?」
ハルはガックリと肩を落とし、ジタンは苦笑いを湛え、ギルドを出た。