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箱庭の恋1

 ヒトは何のために生まれてきたのか? 



 コンコン、とドアをノックする音が聞こえ、アイオライトはうつらうつらと夢の国を彷徨っていた意識を引き戻された。寝ぼけた目を擦りながら体を起こすと、小さく欠伸をかみ殺す。ベッドの上でぼんやりと座ったままでいると、覚めきらぬ意識にぐらりと頭が下がり、アイオライトのクセの強い濡れ羽色の髪の毛が揺れた。そのまますぐにでも開ききらない瞳の先に見える布団へ戻ってしまいそうだ、と思ったその時。


 ドンドン、ともう一度。先ほどよりも遠慮なく叩かれたドアの音にアイオライトははっと意識を戻すと、反射的にベッドから飛び降りた。明らかに普段とは違う時間の来訪者に何事かとちらりと壁に掛けられた時計を見上げると、もうすぐ天辺で重なりそうな針に、アイオライトは小さく首を傾げる。


(なんで、こんな時間に?)


 それは、子供は寝ている時間だよ、と教えられた時間だ。


 アイオライトは菫色の瞳で時計を見上げたまま、そう広くない部屋の冷えた床をひたひたと裸足で踏みしめながら入口のドアへと向かう。数歩歩けば辿り着いてしまう出口を目の前にして、アイオライトは息を潜めた。


「……」


 いつもとは違う、初めての事態にざわつく心臓が、ドアノブに掛けかけた手を躊躇させる。アイオライトが伸ばした手でドアノブを掴めずにいると、


『アイオライト』


と、それほど厚くないドアの向こうから、聞きなれた男の声がアイオライトを呼んだ。


「……宗像(むなかた)さん?」


 扉越しに感じる気配が知っている者のものだと分かりアイオライトはほっと安堵の息を漏らすと、まだ子供の手には余るドアノブに手をかけ、ゆっくりとそれを回した。カチャリ、と鍵の外れる音が静かな夜に響く。


「?!」


 ぐい、と外側から引っ張られた勢いでふいに力のバランスが崩れ、アイオライトは思わずつんのめりそうになった体勢をつま先でなんとか持ちこたえた。乱暴に引き開けられたドアに部屋から引きずり出されると、アイオライトはひんやりとした夜の空気を肌に感じながら、眼前に見える男の革靴を咄嗟に数える。


(いち、に……ろく? なんで? いつもは一人なのに……)


 アイオライトが自分の置かれた状況を理解できずにその姿勢のまま固まってしまうと、黒の革靴が素早くアイオライトを囲んだ。三人。大人の男の黒光りした革靴が突如何か得体のしれないものに思えて、アイオライトの心臓が嫌な音を立てて跳ねた。戸惑いを隠せない菫の瞳で恐る恐る見上げると、唯一見覚えのある先ほどの声の主、宗像が普段通りの笑みをその頬に浮かべた。


「……」


「驚かせてしまったみたいだね、アイオライト」


 宗像はそう言うと、紺碧の瞳を細め少しすまなさそうな顔をしてみせた。美しい銀髪を後ろで一つにまとめ、纏った優し気な雰囲気は普段のままだった。アイオライトは僅かに生まれた余裕にやっとのことで小さく息を吐くと、他の二人へ初めて視線をやった。脇を固める二人の男は初めて見る顔であったが、よく見ると二人とも宗像と同じような表情を浮かべており、アイオライトは張りつめていた緊張をそっと解いた。


「なにか、あったんですか? こんな時間に……」


 アイオライトが先程見た時計の針を思い出しながら不安気にそう切り出すと、宗像が骨ばった手をアイオライトへと差し出した。アイオライトが条件反射でそれを取ると、宗像はアイオライトの問いには答えず、代わりに静かに歩き始める。置いて行かれないようにとアイオライトもそれに倣うと、知らない男達も二人を囲むように歩き始めた。


「……あの、どこかへ、行くんですか?」


 こんな時間に、と先ほど回答の貰えなかった言葉を言外に問いながらアイオライトが宗像を見上げると、宗像の紺碧の瞳が僅かに揺らいだ。


「うん、そうだね。そういえばアイオライト、きみ、いくつになったんだっけ?」


(……また、はぐらかされた?)


 深夜の静寂に包まれた音一つない廊下に、男達の革靴の音だけが静かに響いていた。アイオライトはその音に自分が裸足であることにようやく気付いたが、誰もそれを気遣ってくれることがなかったことも、足が止まることがなさそうなことにも、表現のできない違和感を覚え、宗像に繋がれている自分の手へと不安気に視線を落とす。


(なんか、変じゃないか?)


 異様な雰囲気に包まれた深夜の行進に、アイオライトの胸に不安が広がる。宗川とは逆の、アイオライトの左を歩く、先程から一言も声を発しない二人の男の内の一人の顔をちらりと盗み見る。無表情なそれはアイオライトの方を向くことなく、真っ直ぐ前だけを見据えていた。


「……」


 どこか不気味さを感じアイオライトはぱっと視線を逸らすと、今度は質問を受けたままでいた宗像へと視線を上げた。


(え?)


 未だこちらを見たままだった宗像の表情に、ゾクリと背筋に寒気が走った。顔は笑っているがどこか表情が固まっているように見える紺碧の瞳に、思わず繋がれた手を離そうとアイオライトが握っていた力を緩めたその時。


「!」


 まるで逃がさないとでも言わんばかりの力で握り返されたそれに、アイオライトは思わず目を見開いて宗像を見た。もう今はにっこりと笑っている表情に、先ほど感じた恐怖にも似た何かは見る影もなかったが、胸の奥がザワリと騒ぎ立て、そこにこびりついた何かがアイオライトの心臓を跳ね上げる。


(やっぱり、なんか、おかしい……?)


 チン、とレトロな音が響き、アイオライトはその音にはっと意識を戻す。気が付くとエレベーターの扉が開いており、二人の男が先に入りアイオライトたちを迎え入れるような形でこちらを見ていた。


「……」


 抵抗することも叶わず、アイオライトが促されるまま諦めたようにエレベーターに乗り込むと、宗像の長い指が『D』と書かれたボタンを押した。


(D?)


「それで、いくつになったんだっけ?」


 初めて見るボタンにアイオライトが小首を傾げていると、上から宗像の声が降ってきた。アイオライトは反射的にそれに振り返ると、


「あ、えっと、この間の誕生日で、七歳になりました」


と、ようやく質問の回答を口にした。


「うん。そうだったね」


「?」


(……なんだろう? この感じ。なんか、)


「あの、どこへ行くんですか?」


 緩やかに速くなった心臓の音が、急かすようにアイオライトの口を動かす。ちらりと寄越された宗像の視線にもう一度口を開きかけたその時。チン、と目的地へ到着したことを告げる鐘の音が響き、アイオライトは上げていた視線を前方のドアの方へとやる。


「……」


 ウィンという音と共に開かれた眼前に、重厚な木製の扉が現れた。初めて見るそれにアイオライトが小さく息を呑んだちょうどその時。


「ここだよ」


と、アイオライトの心情に被せるように宗像がにっこりと微笑んだ。引かれた手に導かれるように扉の前へ連れられると、背中でエレベーターのドアが閉まる音が聞こえた。


「……ダイニングルーム? あの、ご飯は、さっき食べましたけど?」


 Dとはそういう意味だったのか、とアイオライトがある種の納得と共に扉の上に掲げられたプレートを見ていると、名前も知らない男二人が、すっとアイオライトの左と後ろへと移動した。


(?)


「ああ、そうだね。きみはもう食事を済ませたんだよね」」


 宗像は視線も寄越さず流すようにそう言うと、金色のドアノブに手をかけカチャリと回す。ゆっくりと押し込まれたドアの隙間からは、なぜか新しい建物の匂いが流れ出してきた。


「?!」


(なんだ、ここ?)


 そこは、異様な空間だった。ガランとした大きな部屋の中には、備え付けの家具など何もなく新築の匂いだけが漂っていた。真新しい部屋に、いつの間にこんなものができたのだろうか? そんな疑問が頭に浮かんだが、そんなことに疑問を抱くよりも。


(……檻?)


 部屋の丁度中央に、この部屋を真ん中で二つに分断するかのように、金色の格子が等間隔で嵌っていた。その存在に、アイオライトの意識は全て持っていかれてしまった。まるで檻のように見えるそれに無意識に恐怖のようなものを感じると、アイオライトは宗像を見上げる。


「……あれは、何ですか?」


「ああ。檻だよ」


(やっぱり……)


 予想通りの答えを、まるでそれが何でもないようなことのように宗像はさらりと答えた。やけに耳につく心臓の音がこれ以上聞くなと制止をするが、更なる疑問が、アイオライトの口を動かす。


「なんのための? この部屋は、なんなんですか?」


 プレートにはダイニングルームと書かれていた。食事をとるためのテーブルすらないこの部屋は、一体何のために存在しているのだろうか?


「ああ、ここかい? ここは、食事をするための部屋だよ」


 宗像は微笑みながらそう言うと、ゆっくりと格子の方へと足を向ける。相変わらず自分の両脇と背後を固められた配置の居心地の悪さに、アイオライトの心臓がドクドクと早鐘を打つ。


「あの、でも、僕、さっきも言いましたけど、もう、食事は済ませました」


 胸に生まれた嫌な予感に、アイオライトは踏ん張りも虚しく引きずられるように足をずり小さな抵抗を示したが、宗像は気にもした様子もなくどんどんと格子との距離が縮まる。


「うん。きみはね」


「!」


 金色の格子の前で、ぴたりと足が止まった。およそ15センチの間隔で目の前に鎮座する金色に得体のしれない気持ち悪さを感じ宗像を見上げると、笑顔でアイオライトを覗き込むようにしていた宗像の紺碧の瞳と至近距離で目が合った。


「ひっ……!!」


 思わず漏れた声を飲み込むようにアイオライトは左手で自分の口許を押さえると、先ほどから警鐘を告げるように早鐘を打ちっぱなしの心臓が、アイオライトの口を開く。


(ダメだ。聞かない方がいいっ……)


「……じゃあ、誰の、ですか?」


 緊張に少し震えてしまったアイオライトの声に、にっこりと笑ったままの宗像の視線が、ふいと格子の向こうへと動いた。釣られるようにそれを追いかけると、部屋の反対側にも、今アイオライト達が入ってきたものと同じ扉があった。


(向こうにも、入口?)


「!?」


 じっと見ていた視線の先で、反対側の扉がゆっくりと開かれた。何か諍いのような高い声が聞こえたかと思うと、大人の男の手により半ば無理やり押し込まれるようにして、金色の頭がその隙間からぴょこりと現れた。


(子供?)


 自分と同じくらいの年頃と思われる少女の後姿が視界の先に現れた。固く閉ざされた扉の外にいる誰かに向かい何か文句を言っているようで、こちらのことはまだ気づいていないようだった。


「食事をするのは、“ヒトでないもの(彼女)”だよ」


「えっ……」


(それって……)


 ふいに上から降ってきた声に、アイオライトはばっと反射的に宗像を振り返った。本能的に体が逃げようと反応したが、アイオライトが動き出す前に、宗像と繋がれた手以外を他の男二人にがっちりと掴まれ、あっという間に身動きができなくなる。


「!!」


(え、あ……)


 大声をあげたかったが、大人の男三人に囲まれた恐怖で身がすくんだ。喉元までせり上がった恐怖の声は、喉を震わせることなく体中いたるところに置かれた男達の手の圧に消されてしまった。アイオライトが菫の瞳を大きく見開いたまま固まっていると、その先で宗像の紺碧の瞳がにっこりと笑う。


「どうしてそんな顔をしてるのかな? アイオライト。きみは最初から知っていたはずだよ。きみたち(ヒト)は“ヒトでないもの(私たち)”の食べ物だって」


「……」


 突きつけられたこの世の摂理に、ドクン、と大きく心臓が跳ねた。その瞬間、今まで全く聞こえてこなかった彼女の声が、クリアにアイオライトの耳に届く。


「いや、いやっ、いやっ!! ここから出してよっ!! ねえ、お願いっ!!」


 ペチペチと、そんな力では到底開くわけがないと思われる力で彼女が扉を叩いている姿を、アイオライトはすっかりと抵抗をする気をなくした体で聞いていた。


(……それは、僕の台詞だよ)


 冷めた視線を眼前の少女に向ける。その台詞をこの場所で叫んでいいのは誰よりも自分のはずだ、とアイオライトは奥歯を噛む。


「藍玉」


「?!」


 宗像が少し大声でそう呼ぶと、金髪の少女は初めて自分以外の存在に気づいたのか、びくりと肩を震わせ扉を叩くのをぴたりと止めた。恐る恐る、という表現が相応しいくらいに藍玉と呼ばれた少女はゆっくりと振り返った。金糸のストレートの髪が戸惑うように胸の前で揺れ、大きなアクアマリンの瞳は、その水面が今にも決壊しそうであった。


(きれい……)


「……」


 たった今胸に浮かんだ場違いな感想に、アイオライトは無意識に左手を自身の心臓の上へと置いた。アクアマリンの瞳が宗像を捉えると、藍玉は小さな体に全力を込めて真っ直ぐにこちらへと走ってきた。アイオライトはその姿に、場違いにも釘付けになってしまった意識をはっと戻す。


「お父様っ!! 出してくださいっ、嫌ですっ、こんなのっ!!」


(お父様?!)


 カシャン、と藍玉が触れた勢いでこちらとあちらを分断している金色の檻が鳴いた。アイオライトはたった今藍玉の口から告げられた真実に驚きで宗像を振り返ったが、宗像はこちらのことなど気にかける様子もなく、藍玉に向け、慈愛に満ちた表情を返す。


「藍玉。紹介しよう。この子が、アイオライト(おまえの食べ物)だよ」


「!!」


 宗像のその言葉に、藍玉は悲痛に顔を歪めた。その瞬間、今まで我慢していたであろう藍玉の瞳から、ぼろりと一粒の涙が零れ落ちた。


「うっ、うっ、うわあああああああああああああんっっ」


 その一粒をきっかけに、藍玉は堰を切ったようにその場で大きく泣き声を上げて泣き始めた。


「……」


(なんて、きれいなんだろう)


 アイオライトは、自分がされた侮蔑的な紹介よりもなによりも、目の前の少女の涙が印象的で、ただただ泣き続ける藍玉をじっと見つめていた。


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