岩成課長
(1)
著者は、西新宿の外れで飲料水の販売会社で働いている。
主に美容室やネイルサロンなどの待合室に設置をお願いする営業。
ライバル企業も多く、最近は営業先を拡大しなければならなくなった。
飲料水を設置しなくても良い場所では、店舗がない露天商にも営業をかけたことがある。
この日も、一日飛び込み営業を続けるが、検討する、前向きに考える等々、はぐらかされて契約もなく事務所に帰ってきた。
営業報告書の空欄を埋めることが辛く、とりあえず個室トイレ三つ分ほどの狭い喫煙所に向かった。
「おう、戻ってきたか」
強面の営業課長、岩成さんが右手に持ったタバコを少し上げて、著者に近づいてきた。
この岩成さんは、短髪でさつま揚げのような四角面の小太り体型。おまけに、下町生まれで言葉が荒く、やけに細い金縁メガネをかけている。どこから見てもカタギには見えない風貌。
入社当初、どこかの組の傘下企業に入ってしまったかと、ネットじゃ飽きたらず法務省で調べたほどの恐ろしさがあった。
また、名刺を渡された時、四十代半ばの中年とは想像もつかない、フェミニンな名前がウソ臭かった。
岩成知美って・・・本気か。
数ヶ月、岩成さんの下で働いてみると、気を使うからこそ、おふざけを言う人だと分かった。
呑みに連れてってもらうと、岩成さんは、常習的にふざけた後「違うか〰っ」と痛々しい顔をして、著者に顔を近づけ確認する。
「今のどう?面白かった?」
当初は、面倒臭くも遠慮して、「課長がびしっとしたスーツを着て、銀座を歩けば女性はほっとかないですよ」と全く心にもないお愛想を言ってごまかしていた。
付き合いもあって、岩成さんと呑むことを重ねると、お愛想だと分かっていたらしく「せっかく呑んでいるんだから、変な気を使わなくていい、酔いが冷める。だから、もっとキレのある合いの手というか、ツッコミを入れてくれ。あと、課長じゃなくて、岩成さんでいいよ」と著者の心情を察して、もう一度突っ込ませようとした。
笑わせるのが不得意な著者は、面倒でもあり、「ツッコミ方が良く分からない」と言うと、
岩成さんは、昭和の漫才師で、ほぼ3つの言葉で乗り切った伝説の芸人がいると力説してきた。
著者はそんなバカなと思い、その伝説の漫才師は誰かと尋ねた。
岩成さんはタイヤ痕のような渋顔で、声をひそめた。
「ビートンきよし師匠だ・・・」
著者は思わずグラスを置く。「ビートンたけしの相方ですか?」
「そうだ、小さい頃、じいさんによく浅草の演芸場に連れられてたから良く知っているんだ。一回しか言わねえから覚ておくんだ」
喧騒の酒場で一言も漏らしてはならぬと、対面テーブルに身を乗り出した。
「お願いします・・・・」
「テンポでいうからよく聴けよ。『よしなさいっ、やめなさいっ、いい加減にしなさいっ』この三つだ。これさえ覚えておけば、どんなつまらない冗談にも対処できる・・・」
著者はすぐに復唱する。
「よしなさいっ、やめなさいっ、いい加減にしなさいっ」
本当かよ・・・と猜疑心を抱きつつビールを呑んだ。
「あっ、今眉間にしわ寄せたなっ。疑ってんだろう、そんなに疑うんなら、この醤油を一気飲みしてやる・・・いっ、一気だぞ、飲むぞっ」
岩成さんは醤油瓶を掴み、自分の口に入れようとした。
止めに入るよう促されて、著者は気を使いながら一番目を繰り出す。
「よしてくださいっ」
「飲むぞっ、いいんだな、飲むぞっ」
「やめてくださいっ」
岩成さんは醤油を置くと、今度は七味とうがらしを手に取った。
「そんなに信じてくれないなら、俺の目に自らふりかけてやるっ」
「いい加減にしてくださいよ、やめましょうっ」
岩成さんは、冷静沈着となり席に座ると、真顔で著者を見つめた。
「一緒になってやればなんとかなるんだ、ふっきれてないけど。寒い、スベッているとか誰でも言える。そういうヤツに限って青っ白い評論家みたいな顔してやがるんだ。文句を言うんだったら、それを上回るダジャレの一つでも言ってみろってんだ。自爆した野郎の骨を拾ってやれば、収拾も付くってもんだ。出来ないじゃない、やるんだっ」
著者にもダジャレでも何でも良いから言えと課せられ、岩成さんは著者を無言で見つめ始めた・・・。
この人が無言になると、とてつもなく威圧感があり、なにもせずには終われない状況となる。
困った著者は、岩成さんから目を離し、店内を見渡す・・・が、なにも思いつかない。
時間が経てば経つほど圧力が凄い。どうしよう、なにかないかっ。
そうこうしていると、男性店員がテーブルの横で腰を屈めて、著者を見る。
「お客様、ラストオーダーとなりますが、ご注文はございますか?」
岩成さんのオーダーがあるかと思い、ふと横目を向けると、睨みつけたまま首を店員さんに向け、
「何かやれっ」と合図をしてきた。
著者は、ヤクザの組長に指示されたかのような形相に息を飲み、意を決した。
口を尖らせ、目を閉じる。
「キッ、キスを・・・くっ、下さい」
餓えたブルドックの風体とは対照的に、岩成さんは物腰柔らかく「よしなさいっ」と著者と店員さんの間に手を入れ、著者を引き離す。
再度、著者は店員さんに顔を近づけるべきだと判断した。
「キスを、ラスト・キッスを・・・」
「やめなさいっ」と岩成さんが著者を押しやり、3回目の準備を整えていると、
店員さんは「かしこまりました」と言った後、大きな声で厨房に声を上げた。
「ラスト・キッス入りましたっ!そちらのお客様は?」
不意を衝かれた岩成さんも、恥じらいながらも目を閉じて、ゆっくりと唇を突き出した。
「もう一丁、ラスト・キッス入りましたっ」
店内がざわつき、静まり返った後、隣で呑んでいた客たちは、慌ててメニューを確認。
著者たちを見るやビールを噴いた。
噴いた男の連れが立ち上がる。
「汚ねえな〰っ、お前は日比谷公園の噴水かよっ」
それが隣の席、またその隣の席へと連鎖し、噴水が各所で上がった。
店員さんの機転のお蔭で、変態から救われ、笑う人もいて気分が良かった。
もちろん、岩成さんのお蔭でもあることは重々承知している・・・。
以来、岩成さんがヒドイお戯れを言った時は、この3つで対処するようになった。
(2)
タバコを吸い終わった岩成さんは、満面の笑みになった。
「どうだ、呑み行くか?信じられねえ話があるんだよ」
「岩成課長、放火で逮捕。ですか?」
「マンションは燃えにくいなっ。やっぱ、木造に限るってな訳ねえだろうっ」
著者は、営業報告書を書かねばならないと告げると、「いいよ、どうせ0だったんだろう。顔に出てる・・・明日、まとめて書けばいい」と微笑んでくれた。
岩成さんは、どんなつまらないボケでも心情でも拾ってくれるので、安心して自爆できるようになった。
それもあってか、実家暮らしの著者は、家族のどうしょもない話にも耳を傾けられるようになった気がする。
例えば、父親が暇を持て余したついで出る言葉。
「彼女できたか?」
今までは、「ああ」とどっちつかずの返事をしていたが、「よしなさいっ」に変えてみた。
すると、父親は「なんだ、よしなさいって。うんっ、できたのか?」と少し笑顔になると、
母親もしゃしゃり出てきて「いい人いるの?」とおやじと並んで微笑み出す。
「やめなさいって」ともう1つ返すと、2人揃って目を輝かせる。
「誰だっ」
「どんな子?」
夫婦で迫り来るから堪らず、「いい加減にしなさいっ」と著者は部屋に戻る。
そんな感じで、少し明るくなったと言われるようになった。
多分、希望が見えた投影かもしれないが、両親が明るくなった気はする・・・。
岩成さんの変な話は、また後日お話したいと思います。
(終)
貴重なお時間を割いて御拝読頂き、誠にありがとうございます。
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