藍菜の日記
混乱の原因となった情報はこれだ。
1.知る限りの情報では、萩徒 紫音という人間は3年前に死んでいるはず。
2.先日出会った『あいつ』と紫音の声が全く同じ。
3.ここに集まっている人間の共通点が紫音だと言われると、どことなく違和感を覚える。
まず1つ目。僕が『あいつ』から聞かされた話では、3年前に怒った事件で『萩徒 紫音』という人間は死亡している。それは、僕の回りにいる人の驚きようで、真実だといえる。
では何故、ここに死んだはずの人間が存在しているのか?
そして2つ目は、一週間前から頻繁に僕の前に現れていた『あいつ』・・・・。そいつの声と紫音の声が、どうも同じ人の声にしか聞こえない。
とはいえ、自作自演をしているようには思えないのだ。それに、そんな事をする理由も無い。そして後から聞いた話だけれど、紫音自身も、此処へ来たのは今日で、しかも『あいつ』から招待状が来たからだ、と言った。封の開いた手紙がその証拠。
まぁ、よくよく考えれば、これは問題外といえる。
世界に同じ顔をした人間が3人いるのなら、声が同じ人も大勢いるのだろう。
だから、これはひとまず置いておく。
最後に3つ目だ。・・・・『あいつ』に従って、此処にみんなを集めた張本人である僕がこう言うのもなんだけれど、此処、裏京の、高校グラウンドに集合している人の共通点。それが紫音という事になると、どうも違和感を覚えてしまう。
そもそも、僕は紫音という人間を、つい一週間前に知ったのだ。
姿は小室 紫苑に似ている(というか瓜二つだな)と言われたけれど、実際に目にしたのは今日が初めてなのだ。これを、知り合いの領域に入るとはいえ、他にもいる幼馴染のような関係を持つ人達を差し置いて僕が選ばれるのには、どうも違和感というか、疑問を抱いてしまう。
つまり、だ。此処に集まっている人の共通点は、他にあると思う。もしくは、僕の思い過ごし。紫音が、3年前死亡した時の事を知っている人、というものかもしれない。
「じゃ、空音が落ち着いたところで、色々説明しますか」
何かがあって壊れた教室内で、紫音が、ガラスの破片をかぶった教卓の向こう側に立っている。それ以外のメンバーは自分の席に座ったり、彼が見やすい席に座ったり。
僕は、一番後ろで一番上の、黒板から見て一番左の席にいる。大学と同じく、階段状に設置された机は、横に2人ずつ座る事が出来る。それが3つ横に並び、それが後ろ(上)に1列8つずつ設置されていた。背もたれ代わりの壁に寄りかかって、紫音の演説を聴く。
「じゃあまず・・・・」
「何で紫音が生きているのか聞きたいですっっ!!」
勢い良く手を挙げて、大きな声で主張する茜。彼女もまだ混乱している。いや、彼女の場合、紫音の死を間近で見ているから当然か。
「そうだな。じゃ、そこからにするか」
そう言うと、紫音は後ろにある黒板に何かを描き始めた。
漆黒の黒板に、白い線が描かれていく。向こうの黒板が、黒板というか、緑板と言った方がしっくり来そうなぐらいに黒い黒板。
「これ、虹尾島ね」
と、ブドウの房のような形を真っ白なチョークで指す。そして、その内側、左上に丸を描き込むと、その丸の中に『青桐町』と書いた。
「えぇと、率直に言うと、俺がいたのは此処・・・・虹尾島の最南端にある黄波よりも北にあって、青桐よりも南にある紫線だ。そこの研究施設とやらにいたらしいけど・・・・気が付いたら、青桐にいたな」
そう言いながら、ブドウの一番下に角の取れた三角を書き入れて、その中に黄波と書く。それから三角の上に大きな勾玉みたいな形を描き入れ、それを丸と先端の尖った場所で線を入れて分け、大きな丸に紫線。尖った方に藍流―アイル―と書き入れた。
「実を言うと、何で俺が生きているのかは、俺も分からない。けど、どことなく耳に残っている言葉で、俺が紫線にいた事、それと・・・・いや。此処が、俺がいなくなってから3年後だという事を知っている。その事以外は、本当に分からない。答えられなくてごめん、茜」
「いっ、いえ・・・・」
茜は何故か赤面しながら、フルフルと首を横に振った。語尾が段々と力を失って声が小さくなったので、それ以上は詮索しない、という合図なのだろう。
茜は、一番前の中央に座っている。イスは横に繋がっているので、本当の意味で中央だ。俺から見て、茜の右には白亜が座っている。茜は、声どころか身体も縮めて顔を伏せてしまったので、みんなより一足先に冷静さを取り戻した白亜が、紫音に目配せをした。
「紫音ってさ、何か色々な意味でミラクルだよね」
唐突に、質問というか、感想を投げつける藤黄。最前列どころか、教卓の前に座り込んでいる藤黄からの率直な感想に、紫音は耳をピク付かせた。
「藤黄、今は・・・・」
キラリと輝く笑顔を、紫音は藤黄に向ける。
無論、それは、
「余計な事、しないでくれません?」
決して『明るい』とは言えない笑顔だったが。
「・・・・じゃ、続けよっか」
無邪気な声と笑みを戻すと、笑顔のまま硬直した藤黄に背を向けて、紫音はまた別の何かを書き出した。ブドウは中央に描いたので、今度は右に。
「結構な人数が気にしている事だと思うけど、3年前の『失われた一週間』の、真相」
絵が上手い。
チョークで描かれたものが、薄い板のような、そして半透明の蓋みたいなカバーが付いているという所も細かく出来ている、ECT。
改めて思うけれど、この超次世代型携帯電話を作った張本人が、たった今、ここにいるのって凄い事だ。僕が持っているECTは、この製作者・・・・小室 紫苑の友人によってもたらされた物で、つまり、タダ同然に手に入れられた事は奇跡だ。
「何人かはもう知っていると思うけど、ECTにはある特殊な機能がある。想像し、創造する力。その名も《クリエイト》という力が。ね」
そう言うと、僕と、呆けている那由他君にウィンクした。
「この《クリエイト》の力で、俺は、一週間という期間、ずっとこの世界を騙し続けていた。簡単に言うと情報操作、かな。あ、そんなに簡単じゃないか。とにかく、人という人、物という物の記憶を書き換えて、一週間『俺がいる場合の世界』に書き換えた、というわけだ」
今度は丸を描いて、そこに頭に「俺」と書かれただけの棒人間が書き込まれる。丸の方には「俺が生きている世界」と「俺が死んだ世界」と書かれており、棒人間は後者に描き込まれていた。ECTのクオリティからしてみると、何とも簡単な絵だ。
「まぁ、この3年、この世界の記憶は、俺には無いという事だ」
脳裏で「じゃあ別の世界の記憶ならあるのか」と聞きたくなったが、それはさすがに場違いだし、先程の藤黄のような目に遭いそうで、こわ――
「じゃあじゃあ、別の世界の記憶ならあるのー?」
・・・・茂南さん・・・・。
「あるよー。でもそれは別のお話だからねー、茂南、ちょっとだけ静かにしてくれる?」
パキリ。紫音の手元で、小さく音が響く。
「あ・・・・うん。分かった」
藤黄の二の舞となった茂南は、藤黄の隣に腰を下ろした。幸い、今日は絵の具がそこかしこに付いている青いオーバーオーを着ているので、ドキリとする一瞬が無い。
あれがあると、会話が茂南のペースになってしまうのでありがたい。
「まぁとにかく。俺は一週間キッカリ、この世界の記憶を書き換えた。で、本当ならその記憶は全員の中から消えるはずだったけど・・・・。俺と深く関わった人間は、記憶を失わずにいた、という事だ」
『あいつ』もその、紫音に関わった内の1人なのだろうか。けど、ここにいる人間に『あいつ』と同一人物がいるとは、どうにも思えない。
感覚の話でしかないけれども、俺が出会った『あいつ』からは、邪悪ではない、というか、不快感のない悪意というか、どうにも悪い奴っぽくは無い悪者、みたいな。要するに、嘘くさい雰囲気しか感じない奴だった。矛盾した印象と雰囲気。それが特徴みたいな。
「さて、と」
新しくチョークを握った紫音が、何やら新しい絵を描き始める。黒板の左に描かれたのは、本・・・・かな。分厚くて、ハードカバーの表紙に四葉のクローバーが描かれた。
「これ、藤黄達なら知っているよな?」
「「あ・・・・」」
反応したのは、茜達の後ろにいた彩芽ちゃんと錬夏君だった。紫音の目の前にいた藤黄は、胸の辺りに手を伸ばして、どうしてかは知らないけど、悔しそうに歯を噛み合わせている。
「えぇと、確か『アイナさん』の日記だよね、兄さん」
「そうだよ、錬夏」
ニッコリと微笑む紫音。そして、
「・・・・誰も、覚えていないよね。ここにいるみんな」
その笑顔のまま、厳しい口調で言葉を紡いだ。
その一瞬だけ、その一瞬だけは、紫音と『あいつ』が重なった。
というか、錬夏君の言った『アイナさん』って、誰だろう。
そして。
「みんな、知っている。いや、知っていた、かな? 彼女の事を、覚えていない。いや、覚えていられなかった、の間違いか。とにかく、此処にいる誰も、いや、殆ど誰も、藍菜の事を思い出せない。違う?」
何度も何度も訂正する紫音。彼も、色々考えながらの行動みたいだけど、あまり考えはまとまっていないらしい。
いつの間にか綺麗になっている教卓に左手を付けて、空いている右手で頭を掻く。どうやら物事を整理しながらの言葉だったみたいだ。
彼もそれなりに、混乱していた事を知る。
そして、彼の問いかけに答える人物は、居なかった。
反応は様々。
そもそも今の話を全く理解できない、と首を左右に傾ける人。
理解はしたが、状況を飲み込めずに紫音を睨む人。
素直に『藍菜』という人物を、脳内で検索する人。
紫音から目を背けて、ふて寝をするような体勢になる人。
・・・・僕は・・・・。
―― 何だろう
何でだろう
紫音から紡がれた『アイナ』という名前に
自然と『藍菜』という漢字を当てはめて
勝手に
顔の辺りが
熱くなった
胸の辺りが
痛くなった
頬の辺りを
何かが伝った
それはとても不思議な感覚
胸の辺りが 押さえつけられたかのように 苦しくなった
記憶は 『藍菜』という人物を知らないと言っている
心は 『藍菜』という人間を知っていると言っている
不思議を通り越して 奇妙な感覚
―― 普段見る事の無い心の奥に刻み付けられていたのは
綺麗な海色の蝶を模ったバレッタと
それを付けた 1人の少女の後ろ姿だった
―――
藍菜の日記を見てから、それほど時は過ぎていない。
ただ、自分の脳の回転が、恐ろしく速かっただけの事。
自分でも何を考えていたのか分からないぐらいに速くて。今、どうして僕が『泣いている』のかすらも理解出来なかいだけなのだ。
そう、それだけだ。
「ねぇねぇ、大丈夫? ソラ兄」
瑠璃ちゃんが心配そうに見つめてきた。僕は「大丈夫」と答えたかったけど、どうにも声が出ない。
「あの・・・・ティッシュ、ありますよ」
鼻と肺が痛い。出す分の鼻水はもう枯れているし、というか、もう涙も出ない。
茜の好意はありがたかったけど、行為はありがたくなかった。
「えぇと、大丈夫、空音」
そして聞こえてきたのは紫音の声。差し出された水が、やや腫れて見えづらくなった視界に入る。それを受け取ると、手が冷たくなっていく感覚が心地良かった。
「・・・・はぁっ。ありがとう、紫音」
「まだあるから、淹れておくよ」
涙が出始めてから、13分が経過していた。体中が水分を求め始めた時に差し出された水は、かなり嬉しい。最初こそ『あいつ』に似ているとか思ったけど、何というか、今は懐かしい感覚が心を包んでいる。
―― やっと
そうそう。やっと戻ってきた・・・・って、あれ。何か変な感じが。
「? どうかしたの、空音」
もう1杯、水を飲み干す。
「や、別に。心配おかけしました」
深々と礼をすると、紫音はパタパタと両手を振って、いかにも慌てたような感じで「俺は何もしていないからね?!」と、イントネーションが驚いた時に似ている声で言った。
いや、何もしていないというか、冷たい水を持って来てくれたじゃないか。
「・・・・ふむ」
急に態度が変わる。一秒前まで慌てていた様子を一変させて、今度は冷静に、僕をじぃっと見つめる。
一体、この紫音という人は何をかんが
「やっぱりそうかぁ・・・・」
脳内回想の途中で、紫音がクルリと後ろを向く。
「な、何が『やっぱり』なのでしょうか」
「あー。いや・・・・あまり、気にしてもしょうがない事だよ」
後ろを向きながら、紫音は、呟くように台詞を吐き棄てた。僕のいる一番上の階から、段々と下に行き、教卓の方へ戻って行く。
所々に散らばったガラスの破片が、彼が踏み、歩き出す度に不吉な音を奏でた。不安感を煽る音が1回、2回、3回と聞こえる度に、その不安感が増す。
・・・・何故だろう。
―― 僕はこんな、寂しい背中を知っている。
「―― っ、紫音!」
その不安に耐え切れなくなった心が、僕の体を動かした。
「何、空音」
ただ、その不安感に見合うだけの声は、返ってこなかった。何かを期待していたのか、僕の心は、彼の、何気無い返答に一瞬だけ憤怒を覚え、一瞬で切り崩した。
「や・・・・何でも、無い」
小さくなった憤怒が消え失せるのを感じながら、無意識に浮かしていた腰を下ろす。
何がしたかったのだろうか。
何かを聞きたかったのかもしれない。
ならば・・・・何を?
・・・・。
「ちょっと、休憩しようか」
紫音の言葉に、みんなが頷いた。
その紫音の言葉は、ある意味不適切だった事を無視して。
そしてその不適切が、ときに最適になるという事を、僕だけが忘れていたのだった。




